浪奴社員の呟く
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2005年07月30日(土) か〜な〜り

ハードな今年度の夏。今日なんか昼からやさかい、すんげーラクに思えてしまうやんけ。。。ィャもうじき2軒目に出かけるんやけどな。実際のトコ、今日の物理・化学演習共に予習できてないんでな。な〜な〜な〜朝・昼・夜の状態が延々続いてるさかい、平常の準備すらままならんのですわ〜。それでも今週はどうにか乗り切った、かな。問題は来週。。。月曜から土曜まで全てのコマに授業が…。コレわ…予習とか準備とか、休息とかドライブとか、そういうレベルでわないっ!恐らく初見でこなさなアカン授業とかも出てくるんやろーな。。。なんかな、生徒の数が増えるんはエェことやけど、授業の質を落としてしまうと、無意味やな。それだけやなしに、ワシらしいやりかたに制約がついてくるんも、無駄になるな。もう少し考えてやってかなアカンねんけど、まぁ、どうせ、やることもないし。。。

国際電話には正直驚いたな。しかもまだ4日目やないの。アカンとは言わんしすんなとも言わんけど、これは秋がタイヘンになってきたな。。。ィャちゃんと立たせるよ、自走出来るように安息を与えるんもワシのやり方やしな。別に優しさは要らんねん。きっと甘やかして欲しいだけやねん。やさかい、痛痛しい思わんよ。

幼稚園の卒園アルバムの最後に、当時の担当やったK林先生が、『つよい子供・優しい子供・考える子供になってください』てなこと書いてあったな。ふーん、幼い頃を見れば、その子がどないな大人になっていくんか、その大まかな半直線が描かれるんやろうけど、そこまでハッキリ被ってくるとは思わんかったわ。スゴイな。


本当は、今朝は嫌な夢を観た。もういい加減忘れてしまいたいんやけど、そうやって年数を重ねても、昨日一昨日の出来事のように蘇ってくるんやな。現実的ではないことやのに、心の中でいつもビビっとんねやな。何時の日にか、出してしまったら、もしかしたら観なくなるんかもしれんな。ワシの中での時間が、今でもあのまま止まっているんやとしたら、動かしていくことは逃げていくことに繋がっているんかもしれん、それなら今のままで仕方ない。それでも、何時の日にか、聴いてもらえませんか。


2005年07月21日(木) やっぱり

その言葉の端々に生き方の相違が顕示されていてな、やってられんのよ。それが遠い人間であれば、それでもエェんちゃうか、てなるんやけどな、近くなればなるほど、そういう人間性を疑いたくなってしまうんよ。

ワシわ信頼されるヤツでありたい。そうせなアカン理由もある。やから厳しい言葉も用いるし、それに伴う責任は併せ呑んできたつもりやで。言葉は投げ捨てるモンやなくて、必ず己に還って来る。いい意味やなくても、得てきたものは、ワシが避けて通らんかったことの恩恵やと思ってる。

感じた苦しみから逃げてみたり、迫る痛みから視線を逸らしてみたり、そうやって来たから心の中に何も貯まってないんやろうな。そういうヤツのことを、『詰まらん』ヤツ、って呼ぶんやけど、きっと知らんねやろうな、そんなコトさえも。


2005年07月18日(月) な〜んで

そうなるんかねぇ、狙って今日は走る気満面やったのにな、なんかクツあらへん。。。どうやらこないだの大型ゴミ?の日?に?捨てて?しまった??かも???だぁコラぁ!!ぁ〜もぉたまらん。ワシん中で今最もirritateなんが生活のリズムを壊されることなんよな。ホンマ、な、自分が少しでもラクな生活を暮らして生きたいんは勝手やねんけどな、ワシわそういうん、嫌いなんよ。そーゆーなんと一緒におらんなアカンだけでも苦痛やのに、それ以上にいらんことすんなよ、な。新しいの、買ってくるからとかそういうことちゃうから、な。ワシの生き方に手出しすんなよ。エェ加減ワシから離れぇよ。

色んな遍歴あっての人やねんけどな、それを判ってるさかい、自分の好きなようにしたらエェがな、の声に肯くことなんか出来んわな。やさかい、気付いてもらいたいねん。こっちがどない思ってるんか、全然知らん人やからな。

どっちにしても、そない遠くないわ。押したら引いて、引いたら押すんはその前兆なんでな。そういうヤツと一緒におるんは、ずっとずっと昔からの苦痛でしかなくてな。近く他所に移るわ。


でもな、結局相手が離れていくんを待ってるだけやな。誰かの過ちを糺すほどワシが高聖なわけないわな。それにビビるほどの繊細さも、持ち合わせてへんのでな。ワシが最後の『優しさ』を示したら、それが最後やで。もう知らん。


2005年07月16日(土) どんなに

強く言い放ってみても、やはりしんどいものやわな。朝から5コマ連続授業、きつかった。。。ェ〜と、センター英語文法・高3数学演習・化学演習・古文講座・物理演習。合計11時間の授業、その準備だけでもきついわ!やねんさかいな、いちいち指示待ちされたら正直頭んくるんよな。何年やっとんねんな、て思うわけや。結局責任逃れでしかあらへんがな。ま、生きること自体から逃避してるヤツにいちいち文句たれても始まらんか。そない思われてる時点でもう終いや、てことにぐらい、気付いてくれたらまだラクやのにな。


2005年07月15日(金) もう少し

真正面から捉えてみなければ、見えてこないものがあって、それだけに、この歳になるまでの不確かな視線が愚かしくもあるわけやねんな。それでも、先行長い約束にも、今のワシを動かせる力があるのは、どの道長くて短い夏を過ごすことになるからやな。いや違うか、やはりその上で成り立つ力でしかないか。


2005年07月12日(火) 媚びるのは

それだけワシを信用していない証であって、そんな行為に何を示そうというわけや?ワシの最も忌み嫌うはそれであって、そんな輩に最下層の言葉しか発せずにおるんは、「ありがとう」なんぞ求めようとする下心の見え透いた虚行でしかなく、いい加減にすればいい。


2005年07月11日(月) なんていってるけど、

実際その気にはなれんわけや。そうやな、歳をとってしまうと、今更自分を判ってくれる人を、時間をかけてゆっくり過ごしていこう、と思えなくなるんが問題やな。それなら、既に自分のことを知ってくれている人を、って思ってしまうんが痛々しいんやな。だから、気がついたら傍に居てくれるひとが理想になるわけやろうな。。。まぁ、どちらにしても、哀しみも苦しみも痛みも、熟知した顔の相手に、ワシが何かを話し始めることは、ないな。ワシわ今も昔も強がりでな。


2005年07月06日(水) 昨日と今日と

連続ですか。昨日は電話で2時間、今日は眼前で2時間。別にコレ仕事ちゃうんでな、ワシの人としての行為やろうから、疲れたとかしんどいとか云ってられんのやけどな、言葉の上手く伝わらないことの才の無さに、自分で疲弊しとるだけやねんけどな。

気になってる言葉があってな。「オトナは結局説得するだけ」そうかもしれん。ワシもそうなんかもしれん。やけど、説得してるつもりもないし、とどのつまり軌道に乗せなおすことを強いてるわけでもない。それでも、そう感じさせているかもしれんことが、気になってる。やから、余計に言葉が出てこんくなってる。

ワシらしないな。いや、せやないんかもしれん。対等やないさかい、ワシの本気で繋る事が憚られてるんかもしれへん。今出来るんは、話を聴くことと、好きなだけ泣かせてあげることだけなんかな。


表に出てしまった時点で、危ないな、て思ってた。やさかい、それを語った相手もおった。半月を過ぎて、やっぱりこないなった。何でそれを、すぐ近くの大人が、見えているはずの大人が、感じようとせんのやろ。彼女達の言葉は、全く同じで、「すぐ傍の人が、私を知らない。だから、寂しい。」

自分しか見えんのんは、急かしく忙しい世の中のせいでもなくて、それは己の怠惰な日常の投影なんや、て何で思わんのやろ。先生のせい、親のせい、大人のせい、政治家のせい、世の中のせい、そないして結局誰かのせいにして、そうやって自らの存在する環境を放棄してしまうんは、何でなんやろ。

言葉で愛していようと信じていようと、それを語らずにおれんのは、詭弁故の織込でしかなくて、そうあの『優しさ』に気付かせた「あなたは優しいひとだから」に帰結してしまう。そうやって、全てに諮詢して、誠実で真面目で無垢で純粋な顔をこちらに見せる、そんな輩ばかりやから、彼女の涙は果てることなく流れ続けてたんやろ。

善の巣喰うこの場所での最大の汚点は、悪を知らぬこと。善に絆され、悪に逐ちた所行の誰一人救い出せることの成り得ぬを知らぬこと。易々に棚面で艶と薫と彩を添えて、その溝底に鬱積する己の邪を知らぬから、人々の血も涙も啼声も異次の包中にあること。詰り、『人は一人で生きられないからこそ、人は独り』


やっぱりワシは痛まんから、そういうことなら、ワシがこの子達を見ていよう。やさかい、イイ大人は要らん、エェ大人になれ。


2005年07月04日(月) 知らず知らずのうちに

子供たちはワシの言葉を受け継いでいて、それを知らず知らずのうちに自らの意思でこの先に続く道程を決めていくんやな、て確認させられた。ワシの言葉が正しい、と思ったりはせん。それでも、全てを決定していくんがお前らや、が伝わった上での選択やと信じる。


ワシが籠めたものの形而が果たされるは、ワシの信じたものの礎に報いる一片の慰みではなく、来らの者達への希望であって欲しい。そして、振り返るべき刹那に、この思いを語り継いで欲しい。それこそが、ワシの望んだ一唯の託みであって、それ以外は醜駄の血肉の糧とも為り得ん。

忘れられん、忘れて生きることは、この存在を否定してまでの暮らしでしかない、逃げられん、逃げて生きることは、この精神を瓦解してまでの暮らしに他ならん。己の咎め切れん甘垢に縋るなど、周知の懺悔を再び曝すに値せず、其故の涸泪を嘆くのならば、此昔葬り去った未来を嘱望し続ければよかっただけで、ワシの中に沈殿する汚泥を浚渫することに全てを注いでみればよかっただけに過ぎない。


ワシが臆病なんは、後悔したくないからや。失敗を懼れることと、失敗から逃れることとは違う。無様な自分を見たくないんは、自分が好きやからや。身を構えることと、背を向けることとは違う。ワシは天才には程遠い。出来ることは、己の力と己の意思を繋ぎ合わせ、浮かび上がる境界を押し上げていくことだけや。

やから、若し過ちならば、と思えばこそ躊躇いさえも重くなる。臨機の判断も目覚める応変も、それは事前の黙考に支えられての結実に過ぎん。つまり、ワシの選ぶは『乗り越える力を持つのなら全てを語り、押し上げる力を持たぬのならそっとしておくのみ』流れるままに、声を聞かせてくれ。


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