浪奴社員の呟く
DiaryINDEXpastwill


2005年04月29日(金) はぁ?て

思うことが多すぎて、ちょっとやっとれん。荒んでるのぉ、て自分で思うねんけどな、どうにも辛抱ならん。


事の白黒はと謂えば、限りなく黒なんやろうけどな、それでも無罪判決の人間の氏名を公表したりするか?今ワシが云ってるんわ、法律の不備なんぞとちゃう。人に冷たい法律を変えていくんも一般人やけどな、それやからといって、無罪判決の人間の氏名を公表したりするか?正義を振り翳して暴走することの危険性を、知らんでは済まされん。そんなことも判らん連中が、「今の政治は…」「これからの日本は…」ふざけんなや!

あの頃の価値観と謂えば、物を手にすることで大切な誰かを守ることが出来る、邁進のみが美徳とされた時代背景やろうな。やけど今はどうや?物で誰かを守ることが出来るんか?いやそうやない。それだけ物そのものの価値が薄れたんやろ。やさかい、己の充足のみに奔走することが美徳とされてるんやろ。嘆くのであれば、この土竜と化した人々の目鼻やろ。個人の尊重も各々が勝手に進んでたんでは、根幹から腐りきってしまうんも時間の問題や。その駄音がガラガラと近づくが、まだ聞こえてへんのか?少しは耳を傾けてみたらどないやねん!

誠実なのかと謂えば、その言葉の持つ響きそのものが、既に背徳の裸鐘に思えてな。そもそもこの言葉を使いたがる輩に、信用できるヤツのおらんことは、ワシの被害妄想を差し引いても、有り余る賛同を得られる気がするわ。一見自らを始めとし相手に到るベクトルと見せかけて、所詮は自分から自分に還すスカラでしかない。実際、無機質な活字の中に何を見出せと呼びかけてるわけや?「心より…」「誠実な対応を…」それでも、こんな風潮に何の違和感も覚えんことも罪悪やろ。それで社会は廻っているんだ、か?そない空を切る社会なら、廻すな!


物量に任せてかと謂えば、それがどうしたって?この一つ一つが希薄な緩衝材にでもなると思ってるんか。結局そんなモノに頼ってるから、人の背景に何ら届かず、やっぱり自己狭義内での帰結に安堵してるだけやないか。言葉を選ぶのは、自分を守る為ではなくて、人を救う為なんだよ!小さい穴裂を必死に塞いだところで、安物陶器なら叩き割ってるわ。そんなもんを大事にしてつまらん人間になってしまうくらいなら、さっさと捨ててしまえ!



今日子供らに言われて、なるほどなぁ、って思ったんよな。やけど、やっぱワシわこうでなかったらアカンと思っとるんよ。優しさも強さも正義も秩序も愛も友情も自由も革命も、その全てが、語られることで姿を消してしまうものの全てが、軽々しく扱われてしまってることに迎合してまで、暮らしを支えていくことの不必要なのは、ワシがこないしてるからやろ。ワシみたいなんが維持していかんかったら、誰がそないする?そうすることで、辛うじて繋ぎとめられているものがあるんやったら、それでワシわ満足や。己を守る為でなく、誰かを救う為に言葉を発しておりたい、そない強く思う。


2005年04月28日(木) 良くも悪くも

コワイ、ってコトなんかねぇ?まぁそれも迫られてのことであって、別に誰かに示す必要も無いやろうし、そういう機会も二度訪れはせんやろうから、心配しとるわけでもないんやけどな。


な〜んか先週も中3F本からいきなり「お見合いしないんですか?」とか聞かれたりしてな。今日新顔中2連中に「ィャ実はバツ2でな。」とか言っても全然信用されてなかったりな。「嫁はんわN.Yで働いてるんでな。ワシわこの仕事あるさかい、日本に残ったんよ。」とか言っても全っ然信用されへんでな。。。挙句の果てにN村妹センセーにまで「そういう風に全く見えませんよ。」て切り捨てられてな。。。なんぢゃそら!

ワシとしては知りたいんやけど、ナゼに故にそない見えんのんか、ってコトやな。そもそも何も聞かずに『お見合い』に飛躍すんなよ!ほれ、普通「彼女いないんですか?」とか「恋愛しないんですか?」とかから聞くでしょーが!そういうものを一気に飛び越して『お見合い』ですか…そうですか。

これでも結構傷ついてたりしてな。ん〜ってかな、何がアカンねやろーねぇ。

1.「どこからとなくモッサイからでしょ!」
2.「体中から悪臭が染み出るからでわ!?」
3.「見た目以上に全身胡散臭いからかも!?」
4.「それわマ●ィアやから。」(←ヒサビサ登場!)
5.「現在の髪型がオールバックやからちゃうかな?」
6.「わかるやん。…ブサイクやからに決まってるやん。」

…さて、どれなんでしょうねぇ。。。


そういえば、結局教えてもらえんかったな。「あなたにラヴソングは似合わないのよ。」好きだの愛してるだの、そういう言葉がワシの口には不似合いやったんやろうけど、ナゼ?の問いかけには答えてもらえんかった。嘘臭かったんかな、やっぱ。実体験の無いところから、どこかで見かけた風景から取り込んだ写実に、現実味を覚えさせることなんか、出来るわけないしな。やねんけど、そこからリアリティを求めることの軌道を、その後一度たりとも見られんでいるんも、きっとワシの持ち合わせによるものなんやろうな。


今更求めているわけではないんやけどな、己の欠落の起因を知りたい、ってだけでな。それが先天性のものなのか否なのか、それがワシの今後を大きく左右してしまうんでな。只普通に時間と共に、誰か素晴らしい人と巡り逢えて…とかな将来はもう望んどらんしな。単純に知っておきたいだけやねん。自分で気付いていない、己の醜さを、な。誰にとっても当たり前の姿を、己の何がそうさせていないんか、をな。もしかすかに悟らせんとした、あの一言が全てやとしたら、ワシには到底到達出来ん領域なんでな。拾位が変わってしまうまでに、せめて己に判らせてやりたい。

しかしナンだな、間抜な男も不器用な女も、詰る所素直が一番、ってコトだな。てなワケで、まぁ頑張れや。


2005年04月27日(水) 言葉が

通じないということが、どんなに苦痛なものなのか、ということやねんやろうな。そんなんやさかい、直球勝負になってしまって、角立てたり時には激しい行為となって具現化されたりするんやで、ホンマ。その上で自らの非力を思い知ることさえ出来ないから、益々乖離が進行してしまうんや。

こんなモン点数に顕われん国語力やろ。生きる力みたいなもんやろ。そんなんも持ち合わせんさかい、生きてるも死んでるも境無く只ユラユラしてしまうんやないか。行間を読むような発想なんぞは持ち合わせんか。かなり失望やで。

なんかな、言葉が余りにも機械化されてる現状に腹立たしい。「列車事故の後だけに、『死ねバーカ!』なんて言葉、不謹慎やろ。」そないは思わんな。こういう時期でさえそない言い合える信頼関係ってのも、存在しとるやろ。「これから電車乗るんがコワイわ。」それでも電車が一番安全やと思うで。そういや20年前には「飛行機なんて絶対乗らない!」って誰もが口にしていたわな。その程度の愛想で言葉を発するんやったら、ワシは無口を貫かせてもらうわ。

その続きが読めてしまうんなら、別に言葉なんぞ不必要やな。ィャせやさかい、ワシわ普段の生活の中でしゃちょ〜と会話せんのやろ。。。お決まりの、見え透いた、浅薄な、熟考の後を窺わせない、機械的な無機質な言葉なら、必要ないやろ。その先に何かを見せ付けてみろや。

無責任になっとるんやで。云ってみれば、「数学なんかやったって意味ない。八百屋(←それさえ今では見かけん存在やけどな。)で方程式使って買い物するやつおらん。生活に不要や。」そない囃されてたんが14・5年前かな。その過ちを指摘するだけの力を持ち合わせん大人がおるから、結局正論の如く物知り顔で一人歩きしていくんやないか。それでも、曖昧なままの言葉で満足か?

別にこの国だけちゃうんやけどな。「コイ●ミは過ちを認めず、謝罪をしていない。なんだっけ、あの…神社。ぇ?謝ったの?でも感情が感じられない、って言ってたよ。」その程度の勉強してからデモれ!ご都合主義に矛先を変えて濁したままで、それらしい振る舞いもどうかぃな、と思うわ。そら確かにこの国の過去わ肯定出来るモンやない。やけど、もう少し事情を掴むと、どうやらそれだけでもないように感じられてな。まぁ、現代もあの国のやっとることは同じだけに、皮肉なモンやとしか言えんが。。。


ィャアカンねん。正直ストレス溜まってるな、て思うわ。それは字を書いてるときに感じるな。せせこましい字になってしまってな。ゆとりに欠けてる、とも言えるか。互いの言葉を組抱くことで、僅かばかり距離を狭めあえたことでの充足感なんぞ、最早蒼き月夜の幻ですかぃ!?まぁエェわ。それとなく流してしまう算段みたいやし、ワシわワシで勝手にさしてもらうわ。そう、街中でナンパされたってな自慢されたんで、詳しい話を聞いてみたら、どうやら所謂キャッチセールスやった。その程度やで、人の思い込みなんてな。




そうかもしれん、人は変わってしまうものなんかもしれん。少なくとも、今のワシわあの頃のワシには程遠く、其故の苛立ちさえも隠しきれんでおる。あの頃のままに、変わることなく、其さえも許されんのか。哀しいものやねんな。あぁ、そうやったんか。やさかい誰もがその真実に気付いて、一刻も早く還る場所を探めるものなんか。でもな、ワシが探めたんは其処やない。恒久で普遍で真理で、唯一の理想やった。これが現実なんやったら、もう一度逆説の陵に足って、真贋を窮めたい。寧ろ迷いを抱いているのはワシ自身なんや。







そうやな、もしそうなってなかったとしても、やっぱり今のままやったんかもしれへんな。いや、元々そうやった。どうしても、な、否定したいんやな、て思う。いい加減に気付けばエェ。少々迷ったところで、何を取り戻すことも叶わんのやしな。まぁ、残されたものだけで、どうにかやっていくわ。そういうわけで、どうぞご心配なく。


2005年04月24日(日) な〜んで

ワシがそこまで語らなアカンねやろな。生きてきた上での価値観、揺らぐこと無い自我を形成することのみが、生命への確証として君臨してきた人間に、なんでワシがそこまで語らなアカンねん!通じるわけもないし、認められるはずもない、と判っていながらなんでワシがそこまで語らなアカンねん?

判らんでもないで、そういう心境ってのはな。己の価値観を押し付けることで自らの安堵を得たいと思うことは、その背景を知るものとして、決して否定できることではないで。やけど、その時間はもう過ぎている。彼らが決定したことに対し、とやかく言える立場でもないことを、忘れているんやろな。

寂しがるから、誰も他にはおらへんから、ワシが居るだけやねん。それを勘違いしてるんやろな。10年以上前からそうやって、ワシの閉塞感を知らずにこないしてるんやろな。

7年前の出来事も4年前のことも、ワシが望んだものやないやろ。それを忘れてるんやろ。ワシが何時までもココにおることに、当たり前になっとるだけやろ。やさかい、これまで遠慮もしてたし、自分を抑えてもおったで。んでも、ワシにも限界がある。少しは好きにやらせてもらうで。


朧に理解してるんやけどな、そろそろケジメ着けたいんよな。ワシらしいやり方でなかったんは、気遣いと遠慮に支配されてたからでな。そんな自分が嫌でな。やさかい、とりあえず均衡を破りにいってみるわ。まぁ、結果は判っているつもり。僅かな期待値も抱けん。やねんけど、ワシの心中がこのままでは置いておけない、て叫んでる。決着をつけるんが正しいことやとは思ってない。要するに、己の欲求に素直に従ってみとるだけ。


2005年04月20日(水) 贅沢な

話ではあるんやけどな、やっぱりまだ落ち着いてない中に更なる生徒が入ってくるんは、正直嬉し哀しやで。ってか、な、足並みがそろわんのんわ、ウチみたいなトコにとってはかなり痛い。

ワシが一番心配なんは、長く居てくれてるヤツに対する情なんかもしれんな。危ないな、て感じたんはもう2ヶ月も前のことやってんな。結局この春、一人が他所に行くことになった。古さでいえば、2・3番目に当たるんやけどな、アイツわ。判ってた。アイツの望む環境を提供できていないな、て思ってた。それでも、今でも連絡してきやる。文転しようか悩んでる、とか何処の塾が地元で一番いいか、とか、そういった相談もしてきやる。だけに、ホンマに申し訳なく思ってる。

そういう人としての付き合いをこれまでしてきた、つもりやねんな。やけど、ここのところ、めっきりウチは『塾』気取りで、せやから生徒増えてもなんか違う。ィャアホみたいに増えてる。

一年そこらで卒業したり他所行かれたりして、ウチにおったことさえも記憶の中から滑り落ちてしまうんやったら、ワシわ嬉しない。ワシがそれでも望んだ姿は、せやない。今のウチは、不用意にあらぬ方向を目指しているとしか思えん。簡単そうに「生徒が増えるのは流行ってる証拠だから、いいことだ」そんなん欲しない。つまり、言葉の通じない相手に教えられることなんぞ、何も無いんやったら、ワシの出る幕はどこにもない。

喋るばかりで、聞こうという意識が無さ過ぎるんかな。ワシ自身が聞いて話してナンボ、なトコあるさかい、そういう意味において、今は仕事に対して全然楽しさを感じていないかもしれへん。この言葉ひとつでさえも、僅かな角度さえも持たせることが出来ないのに、数学?国語?英語理科社会???それを習って、何か得られるわけか?こんなんでウチにおって、それなりの高校に行けるとでも思ってるんか?笑わせんな。少なくとも今までの中で、劇的な変化を遂げた連中は、全て聞くことが出来た。その上で理解することの深意を語ることが出来た。そうでないから、広義の視線を持ち合わせられん。そんなんで頭が良くなるわけがない。

この状態で生半可に生徒が増えたりするんやったら、ウチの生命も先が見えたな。商売は二の次や。必要な数だけおったらそれでえぇんや。不用意なものまで抱え込むと、大事なものが欠けていく。どっちにしろ、ワシにはそない大きな力も無い。

何時でもなくなったらエェがな、そない思ってたんやけど、それでもワケのわからん潮流に飲まれて消え去ってしまうんは、許しがたいんも我儘な話やな。


2005年04月19日(火) 物事は

本当によく出来ていて、上手い具合に廻っていくもんやと、つくづく思い知らされてはきたんやけど、この程度の極小のものでさえも、決して見放されてはいないんやな、と実感させて貰った。

頭筆が増えるに連れて、その描く曲線は次第に基底の漸近を示し始めてしまい、欝蒼とした想いに苛まれてしまうのも、確実に老成して拒まぬよう仕向けられた云わば半転の月弧であって欲しい。この先への不安なぞ抱かぬは、密裏に希望を損なわぬ為の偽眼であって、差異の生じた黒溝では潤滑に奏でられぬを教うるるのみとして、其れでいても何等劣るの克るの顕せぬ。

別に腐っているわけでもないんやけど、生来素直でなくてな。人前で涙するだ?手を取って謝念を露するだ?アホ臭いわ。そんな痛みも温みも、全部ココに仕舞い込んであるわ。いちいち見せるか。

お互いよく判ってるんよ。やさかい、たまに、でエェんや。年に1度、それで十分やんけ。それで充分今のワシは救われる。


2005年04月17日(日) ここ2週連続で

外れてますねぇ、ウマ戦線。ぅ〜む幸先のいいスタートやってんけどな、今年わ。やっけどもう勝率5割に戻ってきたんかぃ!フェブラリーと宮記念をゲットしたのにねぇ。。。気分は阪神か!?(←ィャ今年わ●●だっ!!)

今日も全休やってんけど、ぅ〜む…疲れた。。。自分の中にある概念を言葉に熾して、尚且つそれを一般化して人に示すなんて、ワシのスタイルにないんでな。増してやこの灰汁の強い言葉やん。。。誤解も多々生み出すやろうし、何より気遣いさせたりしたら元も子もないんでな。

どうなんやろ、ホンマはこっちが勝手に期待して、彼女に負担かけてしんどい思いさせてくだけなんちゃうんかな、とかも思うんよ。んでもな、あの瑞々しさは今も褪せることなく滾々と湧き出しているみたいやし、そうならいよいよ活きて潤いを開花させて欲しい、とも思う。ィャ大事な人やねん。やから将来に期待もするし、力を貸して欲しいとも思う。

感じる力と考える力を持っているんやから、きっと与えられた環境で生き抜く術を探すのではなくて、目の前の環境を自らの手で変えて活きる、そんなふうになっていってほしいな、てずっと思ってる。


2005年04月14日(木) 物事は

いつでもそういう時間帯で語られていて、それによって忘れかけていたものを思い出させてくれるのは、皮肉にも己の最も痛む箇所ではなくて、それさえも気付かせないほどの恐怖心によるものだった。

そら面白くないわいな。ワシかて普通にしとりたいし、もしそうならこない情けない感情なんぞ、抱く必要もなかった。いやどっちにしたかて、こうしていることさえも、己の言い訳にさえなってないんでな、エェんかもしれへんけど、正直おもんない。何時になったら許されるわけや?

そもそも許しを得られるんか?誰もが月日と共にまるで人事のように冷静な分析を施し、恰も健全なる生命の営みの基にその肉体を育むの如く振る舞う、それは誰かに許されてのことか?己の忌避でしかない現実に、その目を叛く事で、騙しながら明日を怯えるも忘れていくわけやろ。都合のいい場所だけで愛を語らってんな。

悔しいけどな、どない足掻いてもこれ以上のことをワシは出来んのか、不自由やな。一番羨ましく思うのは、結果ではなくてその結果に至り得る過程や。やさかい、見えない誰かを傷つけて、脆弱い己らを欺いて、そんなことしながらこれ見よがしに愛を語らうな。




何が違うのか判らんのやけど、異様なまでに相違を感じてしまうんよな。いや、表面的な部分では感じてるし、掴んでいるとも思ってる。やけど、その大元にあるのが何なんか、それがさっぱり掴めんでいるからイライラしてしまうな。アカンな、めっきりストレス状態になってるわ。別に守ってきたつもりもないし、それ以上にさっさと消え去ればいいと思ってここまでやってきたんやけどな、やさかい好き勝手なことしてきたんやけどな、せやない。そんなんを評価されても全然嬉しない。

ホンマはいっつも恐怖心で一杯一杯なんや。何時、真実が曝されるかわからん、何時掌が翻るのかわからん。そんなんやさかい、近々破綻してしまうんやろう、そないな結実が目に浮かぶわ。ワシの中には、もう一片の余剰も残されてない、そないな沈深の淡泡が溢れ出しそうやわ。なんでそないな面造るんか?てか。この怯慄の醜顔を塞ぐためやろ、そら。

んならずっとこんなんやったんか?てか。んなわけないやろ。自分で世界を産み出さならんことぐらい、熟知してたわ。それは今でも変わってないやんけ。やけどな、この世界が余りにもチンケで湿っぽいことがワシを一層不自由にさせとるんやんけ。こんなんやったら、誰かて出来るやないけ。こんなんするために、ワシ此処居るんちゃう。

負け犬としては、「社会が…」「世間が…」「家庭が…」なんぞ繰り返すんやろうけどな、それやったら打破したらエェやないけ、て、そない信じてたわワシもな。やけどな、己自身が敗れ去ったんは、そこちゃう。どないしたらエェんやて?政治家は政治家になるんか?パイロットはパイロットになるんか?野球選手は野球選手になるんか?ちゃうやろ。そない信じ込んでたでワシも。自分で思っていたを遥かに凌ぐ強敵やったわ。正直敵うとか、今となっても全然思えんよ。


待ち望んでも、もう話せるはずもなく、もしかしたらあの当時のほうがむしろ夢の中にあったのかもしれんな。この十年、何もかもが変わってしまった。ワシの心さえも不動ではあり得なかった。願いのうちの、何を叶えたか?てか。いや、何も。何も変わってないことが、ワシの心が変わってしまった非贋の証かもしれんな。危ういよ。己の責を棚に上げて快楽に溺れようとするに等しいよ。

でも本当は助けて欲しい。もう疲れた。


2005年04月12日(火) こういう話ってのは

長く居てくれたヤツにはしやすいんやけど、どうしても、な。半年少々のヤツ相手にやと探りながらになってるんが事実でな。こないな図体でこないなナリでこないな声色なくせに、結構ビビリやねん。

結局な、他人のことなんか全然信用しとらんのやな。やさかい、デカイとこ見せて高いとこ見せて、そないして清ましておんねん。寧ろ役者に向いてたんちゃうか?て心底思ったりする。ィャ見てくれなんかどないでもなる。成りきりやったらそれなりかもしれん。まだ10代の、出逢う前には少しだけ考えてたこともある。

やっとること一緒やな。近寄ってくるんはいつも怖いもの見たさの興味本位な連中ばっかしや。やさかい、そのご期待に沿うようにワシも振舞ってきただけや。本性見たら去っていくんが常や。

もう少しまともやったら違ったか?見落としてきたんもワシ自身やん。何がどうなったかて、変わりはせんよ。やからせめてな、己のことは己で責任とっておきたい、それだけや。


2005年04月10日(日) 2ヶ月ぶりの

全休日やったんで、朝からウマしよう、とか思ったんやけど、なんか今ひとつ気持ちが乗らんかったんで、9Rのオリエントチャームもケンしてまぁ、結局負けたさかい、取れん馬券になったやろーからケンして正解やったわ、とか思って、肝心要の桜花賞もな〜にがど〜ぉ悪かったんか今でも判らんねやけど、アンブロワーズど本線の馬券構成やったんで、ものの見事に玉砕してしまって、あまりに悔しいさかい最終で怒りの3連単410倍引いて、今日の収支わチャラで終わらせて、そのレースの終わるか終わらんかで卒業生のI藤が電話くれて今から母親セットで挨拶来るってことで、一月ぶりに会ったI藤わ見違えるように高校生んなってて、他所の子らでも大きくなっていく様を見てるのが嬉しいし何より可愛いわ、って思ってたら、夜の●る●る大辞典で●びるが彼女に対して「欲求不満が」とか言ったら隣から「ェ?彼女いるんですか?」て突っ込まれて即「ボクもう30ですよ!いるに決まってるじゃないですか!」て応えてて、ふ〜んそれぢゃ〜30になろうとするワシに彼女どころが女性関係ゼロなんわ大問題やねんな、と少々自覚が芽生えてたところで、やっぱ自分の子供ってのは、欲しいな…て妙な父性本能?みたいなんが沸いてて、よくよく考えたらシングルファザーなんぞありゃせんがな、てな常識に辿り着いてしまって、それやったらそれなりの人を見つけて結婚でもすりゃエェねんけど、人の話を聞いててワシみたいな我儘太郎にわ到底辛抱できるモンぢゃねェ!って思うような、そないな1日やった。…休みを満喫したんやろか?

価値観の異なる人と生活を共にするというのは、きっとワシの描く程とは遠いものなんやろな、て思う。そもそもワシ自体が常識から懸け離れた生活をしてるんでな。隠遁?厭世?そないなワケでもない。人付き合いは苦手やし、むしろ人見知りな部分もあるし、人間関係の面倒なんわ嫌いやな。やけどそれを差し引いたとしても、ワシが今こないしとるんわやっぱ辛抱しとるからやと思うで。きっともう10年以上見ていないから判りにくいと思うけど、『世話させてあげなアカン』感覚ってあってな。あの人はそういう『誰かのために』的概念で生命力を得ているところがあるんでな。まぁ、ドラマ仕様で言うところの、
母「頑張ってね、お母さん期待してるわ!」
娘「アンタの期待がどれだけ重たいか、判ってるの?ワタシばっかりに期待期待しないでよ!」
ま、こないな感じかな。やけど、そない言えるんもそ〜ら高校生くらいまでやで。。。誰かのために何かをすることでしか、生きられない、そういう人も大勢おるんちゃうかな、やさかい、自分にとっての一番の足枷でもあるんやけどな。それを認めていくしかないんよな。

生命を維持するための価値観、ってのは人によって全く異なるんやろうけど、それが根底にあって初めて幸福への到達感であったり、困難への克服感であったりが決定されてるんやろうな。まぁ、そない堅苦しいこと考えて家族生活を送ろう、なんてのは既に普通やないんかもしれへんけどな、少なくともワシらみたいなんわ、ソコを見逃すわけにはいかへんやろうな。いやいや、もしかしたら互いが感情論になってしまってこそ、本当の意味での家庭なんかもしれへん。やけど、それを目の当たりにしてきて、自分たちはそうなりたくない、と心に刻んできたわけやしな。ホンマ難しいな。

目指すものが何処に在るのか、ってのが不鮮明なんやろうな。今日か?明日か?10年後?老後?来世?今この瞬間だけを見られれば、人はラクに生きていけるんやと思うし、それも可能な場所やったんちゃうんかな、この国の大半は。やけど、この現在では、大半が今に逃げ込むことはあっても、今だけで生きられない、そないな場所になってしまったんやな、て思う。じゃあワシなんかは、何を求めてここにおるんや、ってなるんやけどな、1つははっきりしとるんよ。それはこの10年以上に渡って普遍の願望であって、そのために少しずつワシ自身を磨かなアカンと思ってるんやけどな、時には押し流されそうになる。明瞭な言葉で語られる『夢』との決別があって、喪失感に覆われてしまったりもするし、それを慰める如く言葉を構築してみたりもする。んでも、とりあえず此処まではどうにか踏みとどまってるみたいや。それは己の生命の価値の無さに対する、反駁に得られる衝なんやろうな、て思う。結局はプライドであって意地であって、頻出化石のような扱いとなった根性なんや、て思う。

どうあっても逃げられん。己から絶つの選択を失えば、どうあっても逃げられん。やから背水としてこそ、この一歩の重みが全ての平衡に左右する、を知るんであって、曖昧模糊に封じ込めてしまうのは、どうせワシもオマエも許せん気質に出来ている。ならば、その一歩を如何に踏み出すべきか、を考えればいい。実際の処、今を生きるこそが最も難しいことなんやしな。つまり、「真物」が幻物で「偽物」が原物で、「現物」が見え始めれば、今日を生きるよりも明日を求めるに価値を覚え、そこに籠められる秘話は、実は今日を生きることに全てを注げ、という不断の貫流だということ。手前の糸口を解決の出口と勘違いしないで、最後まで追い詰めてください。


2005年04月08日(金) そういう兆しも

感じてはいたんでな、今更驚いたりもせんけども、それでもワシの器の小ささを目の当たりにして、何とも情けない気持ちで一杯やわ。あぁ、所詮この程度なんか、ってな。


2005年04月06日(水) まぁ、そういうわけで

新年度がアッサリモッサリスタートしたんやけどな、確かに昨年度は2軒目の開校もあったし、結構緊張感もあったし、いかにも新鮮な気持ちで始まったんやけどな、なんやろ今年度わ…なんか惰性で動き出したようにしか思えん。ィャ疲労困憊過多蓄積云々な現状も大きく作用してるとも思うけどな、朝から新年度の準備で2軒目に行って昼から本店の中3講習やって夜の授業終わってからまた2軒目で準備して…そないな流れでココんとこ過ごしてたさかいな、そない感じてるんかもしれへんねんけどな。今年度にかける期待みたいなんが希薄なんやろか。受験生わ多いで。高3で8人、中3で5人。過去最高レベルの受験生の数やわ。やねんけどな…なんかワシの求めるものとの誤差が大きくなってきた気がしてる。塾、て何なんやろな。


大人でも子供でも、みんながこぞって「ボクが…」「ワタシが…」を繰り返すばかりで、その右前足を少し後ろへと置くだけでこんなにも物事が流れ好くなるというのに、そういう意味において、大人も子供も小人に成りすまして、まるでそれが『生き抜くための術』と大きな顔をして闊歩するなんて姿を、誰も許せぬはずではなかったのか?私たちが失ってしまったものは極めて大きく、その欠落は人々を限りなく小さく見せてしまい、私はまた失意と失望の中で、在りはしないものへの渇望を覚えてしまう。真の美しさを、真の優しさを、真の強さを、真の儚さを、どうして誰も語ろうとしなくなったのか?そうじゃない、もう無いものなんだ、だから枯渇して探浪して蜃気楼の中で夢を見て砂嵐に埋もれて、また忘れ去られていくだけなんだ。そうやって、人々は簡便で理智で斬新で現代を語らう未来人と化していくだけで、そういうことなら消し去ることに些かの未練も持たぬから、また「ボクが…」「ワタシが…」と輪廻していく。こんなものを歴史と呼ばう心理は、今日を見据えず昨日を顧ず明日を望まず、唯肉塊が時の中で漂たうの功罪諾し難いものであって、それならばせめてあなた達には、気付いて欲しい。此の地に臨む真理を照らす珊阜からの素晴しき眺望を。


2005年04月04日(月) 昨日は

新年度受講登録・テキスト販売やって、一通りの受講状況とか把握に忙しかったわ。んやけど、正直結構書籍買い漁ってたんやな、て思った。これがなかなかぎょーさんあってな。しかも在庫とかも1部ずつ多めで入れてたさかい、なんか…4万ほど未回収なんですけど。。。ェ〜ナゼか経費でわなくワシの赤字として計上されてしまいましたっ。。。どないやねん!

でもって明日でいよいよ春の講習も終わって、明後日からわ新年度開始になるんよな。ェ〜…ハンパじゃなく忙しいんですよ!そらま、復習試験作成なんぞわ今更そない時間もかからんし、当然念頭にある作業やさかい問題ないんやけどな、高校部の平常予習が全っ然出来てません!貯蓄ゼロ作戦ですか?(←は?)キケンやわ。。。

やけど新顔も増えたな。この一年見当の連中も7・8人おるんかな。ェ〜と、中24名、中32名、高11名、高21名、高32名、か。ぉぉ、相当な数になってるやんけ。そーかぁ、ナルホドな。。。去年の中3なんかやったら二人が長いことウチおってくれて、所謂生え抜き小学校上がりやったんでな、相当授業なんかもやりやすかったんよな。やけど、最近の中学部わ、ほとんどがこの一年でウチに来てくれた子ぉらばっかしなんでな、まだまだコッチの声が届いてへんのよな。。。ワシ自身も以前ほど中学部に全力でわないんも事実やしな。

ま、そんなわけでワシとオマエとの区別も連中には無いんよな。やさかい、元気な連中だけに時には大きな負担にもなってくるかもしれへん。でもな、近い将来ちゃんと上手にこなしていけるようなってくれる、て確信しとるねん。知識も経験もまだ浅いんやし、慌てたりせんでもえぇし、ましてやそないな顔する必要もない。覚えてるかもしれへんけど、こないな言葉。
「格好なんぞつけようとするから恥をかく」
泥臭いところからでも始められる実直さも、若いうちには大事にせなな。まぁ、いずれにしてもオマエらしく、それだけや。ワシなんかに気ぃ遣わんでエェようにやってみることや。


浪奴社員 |HomePage

My追加