michiyonのしあわせ探し
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2003年02月17日(月) 悪のちから

最近 ”戦争”という言葉をよく耳にします。

アメリカで大規模なテロがあってから 世の中は大きく変わってしまいました。

”悪のちから”は計り知れないものなんだなと 改めて思います。


たとえ何億人の人が平和を願っていたとしても

たった一人の心に芽生えた”悪“が、簡単にすべてを壊してしまう…。

この地球をたった1日で廃墟に変えてしまうことだって可能なのです。


そして 悪は 簡単に伝染し、広がっていくものです。


昨日まで 平和を唱えていた人も いざ自分の身に災いがふりかかると

すぐに 気持ちを変えてしまいます。


今まで 信じていたものさえ 信じられなくなって

天使さえ 悪魔に見えてくるのです。


「右の頬を打たれたら 左の頬を差し出しなさい。」

このキリストの言葉の意味が 私にはずっと理解できませんでした。


傷つけられたのに どうして それを許すことができるのか…。


やられたら やり返したい。

相手にも同じ痛みを味わわせてやりたいと 思いこそすれ


何故、左の頬まで差し出さなくてはいけないのか!?


でも 今その意味が何となくわかるような気がするのです。


それはきっと「悪の連鎖を絶ち切れ」ということなのではないのでしょうか?


右の頬を打たれたからといって 相手の頬を打ち返したら

きっと相手は、自分の左の頬を打ち返してくるでしょう。


そして お互い 頬を打たれるたびに 憎しみは増大していき、

きっと 修復はできないほど 憎みあってしまうことになるのです。


「やられたら やり返す」 「やられる前に やっつける」


それこそが 悪魔の思う壺というものです。


相手を許す ということが 時にとても大事だったりするのですよね。

どんな人間の中にも 天使と悪魔は存在するものです。


でも 天使の自分を維持するのは とってもむずかしい。


認めたくないけれど 悪のちからの方が 強力だからです。


それは 日常生活でも よく感じられることです。


たとえば 今までずっと いい人にばかり恵まれて 人から騙されたことがない
人間がいるとします。


それが ある日 悪い人に騙されて とてもひどい目にあわされたとします。


その人の人生で、出会った悪い人間は そいつただ一人だけなのに

あとは み〜んないい人ばかりだったのに


その後の人生で その人は すべての人をいったんは悪意で見るようになって
しまいます。


人間とはそういうものです。


それは しかたのないことだとも思います。

でも、 それもやっぱり悪魔の思う壺なのだとも思います。


前に おもしろい映画がありました。

自分の願いを叶えてもらうかわりに 悪魔に魂を売る契約をした男の話です。


でも 悪魔のやることです。

彼の願いを素直に叶えるわけもなく、ことごとくヒドイ目に合わされます。


彼は 魂を売る契約を破棄したいと申し出ますが、一旦契約を交わしたからには

それを破棄することはできないと さらにひどい目に合わされます。


でも 悪魔との契約を破棄する方法がひとつだけあったのです。


それは 自分のためではなく 人のために願うこと。


自分のことなど どうでもいい。 

自分の愛する人を幸せにしてほしい と彼が願った瞬間、契約書は消えてしまいます。


何てステキな映画なんだろうと思いました。


1日も早く「戦争」という言葉が聞かれなくなる世の中に戻ってほしいものです。





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