鍵をかけない部屋
見てしまうのですね。。。

2003年12月31日(水) 年末、そして年始

年末だというのに23時までお仕事でした。
暇なんだけど、探せばいろいろ出て来るんだよな〜〜。

彼は今日休み。
仕事場の仲良しなみんなで年越し予定だったから、23時半に待ち合わせた。
とはいっても、飲み屋を探して、ちょ〜〜ぎりぎり24時前に、準備ができた。

お店の人がクラッカーを配って、カウントを始めた。
「5、4、3、2、1、……」


かんぱーーーい☆★

あけおめ、ことよろを言い合って私達の2003年は終わり、儚く新年が始まってしまった。


あぁ、変な感じ。
一瞬でもう、きのうと違うなんて。


朝4時頃まで飲み、近くの神社へ向かった。
混んでいて並ぶのも億劫なので(皆酔ってたし)私ともうひとり酔いの冷めてる女の子で
遠くから手を併せてお参り(もどき?ごっこ?)をした。
でもその子は彼氏とうまくいっていなくて、だから切実にお祈りしてた。
私も協力した。で、自分のこともお祈りした。
ちゃんと、私の想いが、届きますように。


朝の5時半に解散。

妹は実家に帰ってる。彼はそれをしってる。
彼が、ホームに入ってきた。
「…うちくる?」
「いく」

私は幸せな年明けに感謝した。



2003年12月30日(火) 彼の誕生日なのに。

彼の誕生日なのに。


プレゼントまだ買ってなくて(一緒に選びたかったの)
ケーキも食べてなくて(家族と食べるんだものきっと)
おかげに仕事だし。


だって彼はどうしても誕生日は仕事に出たい!と言って聞かなくて。
だからあたしは午後から仕事入れたら(朝から入れればよかった?)
彼は早々に上がってしまった。

彼は実家で家族が温かいから、パーティーぐらいやるはず。
それを考えるとむしろ私は日をずらすべきだし、それは構わないんだけど、
それならそうと言ってほしかったのはある。
だって好きな人の誕生日に、祝ってあげたくて、
そう言ってるのに「仕事場で会えるじゃん」って言ってて。
彼のことだから照れ隠しで、遠慮してるのも分かるんだけど、
それでも私を悲しくさせてるのに気付いてない。


この日運悪くも指輪を忘れてきちゃって。
いつも忘れた理由(寝坊とか)話すのに、今日は意識しちゃってそれすら言えなくて。
絶対気付いてる(ごはん隣で食べたし)けど、聞いてこない彼。

前の晩日付けが変わったと同時に「おめでとう」は伝えてたけど、
当日会ってからちゃんと「おめでとう」言えなかった。
仕事場の人にプレゼントでお菓子とか貰ってるだけなのに嫉妬してた。
仕事に夢中なふりして、彼の方向きもしてなくて、最低な彼女に成り下がってた。

友達に、「彼誕生日なんでしょ?なにしてるの??」って聞かれた時は、
流石に泣きそうになって。
「だって…っっ」と、愚痴をはいたら、少し楽になった。


付き合ってはじめての誕生日なのにこんな嫌な思い出ってどうよ?
しかしもう戻る事もできないの。

年始に合わせてる休みで、ちゃんとお祝してあげようとは思っても、
なかなかこの傷は癒えそうになかった。



2003年12月25日(木) サーカスじゃなかった。

クリスマスプレゼントは、
「何が欲しいの?」「え、いいよー」「何がいいのー?」「何もいらないよ」

と、永遠に続く私達のお互いの会話中に、
「そういうと思って…」と言いながら差し出した。

靴下とトランクスね(笑)
喜んでくれてその晩さっそくはいてくれました。
キダムでいい席をとって貰ったお礼(にもならないんだけど)。


時間まで代々木公園を散歩したり色々話したりして、いざ開場。
以外と狭い客席にびっくり、アンケートをネット記入にしてるのにびっくりー。

違うな…と思いながら本番が始まりました。
それはモダンアートな、アンティークで無気味な、芸術だった。
動物も命綱もないこれはサーカスなのか??これ人間技なの??みたいな。

道化師3人で日本ギャグ飛ばしまくりで、型はまりなさすぎというか(笑)

ストーリーと歌声と。世界観に圧倒されて、私は途中休憩も立てなくて、
終わっても、彼とともにしばらく放心状態だった。
あぁもう口では全然うまく言えない。言っちゃイケナイ。


だってそのあと、げんかや行こうとしてそのビルのエレベーターが開き、
中からオダジョー出てきたのにとっさに身動きとれなかったの。
(あとで考えたらちょー惜しいことした笑)

こりゃー見なきゃ損そん。
すばらしいサウンドアートが魅了してくれるぞ(回し者)



2003年12月23日(火) 浄化されたイブイブの夜

落ち着く暇もなくこの時期がきてしまって、わりと慌ててプレゼントを用意してる。


あれから、すぐ浮上できたのは、次の日パーマをかけた事と、
その後あなたからの沢山の愛情をうけたせい。
そのまま忙しく、仕事へ就いているせい。
あぁ、思い出す暇もなく。なんて単純なんだろう!?

パーマは軽くかけたのが失敗、もう下手するとストレートへ戻る。(頑固な髪質で、、)
でもいい切り替えになった。
痛むからちょっと間をおいて。。来年またかけに行こうかと思ってる。

不評だけど彼がいちばん私の髪で遊んでいる。
新鮮なのか?笑
気のせいかあの愛情は新鮮が故にふりまいてくれたものかもしれない。
(そのお陰で浮上できたのだけどもさ)


今日は、この前彼のかわりに仕事を出た代休だった。
あしたのイブは仕事おわってからお泊まり(妹にはみんなと飲むと言っている)
してしまうので、1人にさせてしまう。
そこで今日は早いけど、二人でクリスマス会をした。
コートを買ってあげた。
ずっとほしがっていて、明日私だけ幸せな思いをしてるから(内緒にしてるし、、、)
罪滅ぼしの気持ちもあって、こげ茶の可愛いやつを買ってあげた。
こんな気持ちで買ってるなんて知ったら、妹にはいらないっていわれそう。
まだバラせない、というかずっと言わないつもりだけどね。
とにかく喜んでくれてよかった〜。
記念にプリクラをとって、帰りにでっかいチキンとシャンパンを買って帰って、
ふたりで美味しくたべた。


私は、ただ理想に酔ってるかもしれないなーとよく思うんだけど、
でも、そうしてくうちにどんどん普通になってくものってあるじゃない。
だから今はこんなのが当たり前なのがすごい、嬉しくていい感じなんだ。


彼へのプレゼントは、すぐ先に誕生日もあるから安ものなんだけど、
靴下4種類と、友達の彼氏も愛用しているユニクロのトランクス(笑)
ずっと買ってあげる〜って言ってたんだよね。ほほほ。
彼は、なんとキダムの前から5列目という席をオークションで落としてくれて(ほぼ定価で)
最高に嬉しいプレゼントを用意してくれた。
私だけ、、とかもう思ってる場合じゃないね、楽まなきゃ恨まれる。
楽しんできます。
まずいよ、あした仕事になんないよ!



2003年12月17日(水) 自然ではないんだ

明日で9ヶ月だね。
半端な数字だ。

あの日なんで泣いたんだろうって後悔してる。
会うと緊張してる。
あの日は先生のこともあって気付かないうちにけっこうボロボロだったんだ。
仕事場でもかなり暴言はいてたね。
君の呆れた顔見てもなんとも思えなかった。

もう、だいぶ平気になった。
今日はブーツも服も買ったしご機嫌だよ。
明日会う時間約束してないや。
メール、しなきゃ。
メール、してくれないのは私に愛想つかしてるかも。
美容院に行ってから行きたいんだけど、パーマとカラーとカットとかいってたら
きっと時間かかりすぎちゃうね。
でも明日は少し自分を高めていかなきゃと思うの。
今の私は毎晩涙が出てしまうし。
そんなこと言っても重くなっちゃうし。
ほんとは早く元気になればいいんだけど。
多分会えば元気になるとは思うんだけど。

意味もなく怖くて。
自信がないとかいうより自分に呆れてるの。
どうしようもない感じなの。
誰かに叱って貰わなきゃ、自分で自分を丸め込んだまま出れない気がする。


例えば恋人には何でも言うべきで。
例えば恋人には言えなかったり、恋人にその力がない場合、絶望をするのだろうか。
誰に頼ればいいの?と、途方にくれるのだろうか。
私はいつだってひとはひとりぼっちだと思ってる。
でも大事なひとがいて、その人に頼らないのは失礼なのではないか?とも思う。
自然ではないんだ、私達。
きっとそうだ。



2003年12月13日(土) 目覚めてもかわらない

後悔をすることの惨めさがあるならどうして私はそれをしなかった?


それは、未来の私を知らないからなだけ。



できるだけ笑顔でいたし、
いつもみたいに大声で愚痴を吐きながら仕事した。
文句を吐いて、どうしてか度が過ぎてしまう。空しいだけの空間。
ああ惨めだ。ああどうにでもなればいい。
私はこういう人間。
私は所詮汚い人間。


あんなに泣いたのに、あんなに彼の肩を汚したのに、私はまだ綺麗に戻れない。
何なのか自分でもわからない。
先生の死をきっかけのように後から後から流れ出るもの。
毎晩のように押し寄せて私の目を腫れさせるものが止まらない。
私は私を許したくない。


あなたは何も聞かなかった。
ただ優しくて、ただ私を見て抱きしめて涙を拭ってた。
だから一層、醜すぎる自分に泣けているだけなの?
私はただ謝ることしかできなかった。

ごめんなさい。

ごめんね。

遠くをみつめても何かに興味をわかせても私の中しか見ていない。
私の中はまるで蘇った記憶の宝庫で、残飯入れで、嗚咽しそうになる。

逃げ出したい。

あなたを離す勇気なんてこれっぽっちもないのに。



2003年12月12日(金) どうか、安らかに。

沢山迷惑をかけてしまった先生。

中学3年間担任で、一番辛かった時期にお世話になった先生が亡くなった。

原因は癌。発見の遅れ。若干、33歳。
おとといのお通夜の日に連絡がきて、その時私はスキー場でスキーしてて。
帰ってようやくちゃんと考えた。
「帰らなきゃ」と思って、友達に連絡をとって、翌日早朝に出て、お葬式に出た。

いっぱい、先生の写真が飾ってあった。
いっぱい色紙とか手紙が並んでた。
全部嘘みたいで、お焼香をすませた後に別クラスの先生に会った。
「あれ?あぁ…!しのぐかぁ。大きくなったなぁ…」

一気に込み上げたなにかが、私の涙腺を緩めた。止まらない記憶と一緒に。



当時25歳だった先生は社会科担当。
「金八先生に憧れて」先生になったと言ってた。
まさか受かると思ってなかった教員試験に1発合格して、
大学教授にも「まさかお前が教師になるなんて」と言われたそうだ。

「茶髪にしてはいけない理由は、俺もわからない。が、立場上言わなきゃいけないだ」
先生はバイクか車で事故って肋を折って学校にきたりしてた。
ちょっぴりジャニーズ系で、皆の友達みたく慕われていた。

私が登校拒否をしたとき、何度もきてくれて、私は何も言わず先生を困らせた。
私だけじゃなくうちのクラスは問題児だらけで。
地元にいた男子達はよく先生と今でも飲んだりしていると聞いてた。

私達の卒業と一緒に、先生は教師という職を一旦離れた。
若かったし、色々やりたいことがあったと思う。
確か遺跡を掘るとか言ってた。その後ピアスを開けていた(笑)
同窓会の時は、ハワイに行ってるとかで不参加だった(爆)

自由奔放で好きだった。私もいつか遊びに呼んでもらいたかった。
成人式で写真をとったのが最後の思い出。


何も返せなくて、本当にごめんなさい。
遅すぎるけど、いつか言えると思ってた「あの時はありがとうございました」と。
「いつか」なんて、浅はかなこの世でどうして思ってしまうんだろう。

先生は病気と戦って死んだ。
思い残したこと、どのくらいあったのでしょう。
私は、自分が情けなくて涙が止まらなかった。


東京に着いて、冷たい雨に濡れながら彼と会った。
はじめて彼の中で泣いた。



2003年12月07日(日) おおさか

じつは3日〜5日まで大阪いってきました。

ユニバーサルスタディオゥ!! と、その他もろもろ。

3日に仕事終え夜行バスで朝つき、まるまる1日遊び、その晩はホテルに泊まり、
次の日天保山を回って大阪駅周辺を散策し、また夜行バスで6日の朝新宿へ到着でした。

激ハードだったけどすんごい楽しかった。
ほんっと帰りたくなかった。
運悪く5日に生理きちゃったけど全然がんばれた。
大阪はもちろん良かったし、あとは彼とずーーっと一緒でとにかく嬉しかったの。

ホテルとかバスとか今回全部彼が手配してくれて、
ああぁぁと思ったら私何もやれなかったよ。


ユニバーサル、ほぼ周り尽くした。
狭くてディズニーと同じ音楽流れて風景はロスとサンフランシスコの模型っぽかった(爆)
けど、いっこいっこのアトラクションはすごく凝ってて、
面白かったし芸達者が多くてかなり驚いて。
新鮮!!!
濡れるアトラクションがやけに多くて寒かったけど(笑)
スヌーピーの浮き輪下りみたいのが一番ひどかったなぁ!
もうおねしょしたみたいになっちゃったよ!!ずぶぬれ!!(笑)
二人でひーひー言って震えながら大笑い。
今度は夏に来ようねーって言って帰りました。

夜のパレード(クリスマス仕様)もなんとか見れて満足…。
その夜はほんとうに死ぬように寝た。
(バスは爆睡できなかったので私←帰りはちゃんと旅枕買いましたとも!)

美味しいタコ焼きもお好み焼きもいただいて。

大阪でっかいなぁ。
新宿も大きいけど、細々した大きさなんだよねぇ。
大阪弁が心地良いんだなぁ。いーなー。

知らない場所をあまり行きたがらない彼が楽しそうでよかったさ。
体中で楽しんだから疲れてしまった。

次はもっとちゃんと大阪を満喫したいなぁ。
また、行こうね。


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