2002年11月30日(土)  大阪のおっちゃんはようしゃべる

■大阪の実家に帰る。パコダテ人大阪公開ぶり。夕食後から中学校時代の女友だち、ひーちゃん、みきちゃん、げんたが家に来てくれる。パティシエの勉強をしているげんたは、ブッシュドノエルを作ってきてくれた。中学校時代の昔話に花を咲かせる‥‥はずだったが、後からやってきたひーちゃんのおっちゃんが一気に話題の中心に。わたしも友だちづきあいをさせてもらっているこのおっちゃんは、けっこう大きな病院の理事長で、医者であり経営者なのだが、『白い巨塔』を読んだばかりで興味津々のわたしがいろいろ聞いたら待っていましたとばかりにしゃべりだし、止まらなくなった。「今まではひと部屋8人とかの大部屋があったけど、あれがひと部屋4人までに制限されるんや」などと医療現場でいま起きていることを話しながら愚痴ったり、「どう思う?」と意見を求めたり、すっかり「よくわかる病院経営」みたいになった。うちの両親も「生徒」に加わり、気がつけば午前4時。「あんたはネタが聞けておもろかったやろうけど、あとの三人はもっと自分らの話、したかったんとちゃうやろか」と母。まあ、こういう同窓会もありってことで。

2001年11月30日(金)  函館映画祭1 キーワード:ふたたび


2002年11月26日(火)  健康法

■いい年して注射が怖いので、健康診断は憂鬱なのだが、『白い巨塔』を読んだばかりなので、今日はめずらしく軽い足取りで病院に乗り込む。いつかは病院ものを書くかもしれないし、少なくとも病院のシーンを扱うぐらいはありそうだ。こういう機会にしっかり見ておこう。「あら、面白いシャツね」という看護婦さんの言葉に和む。短い出会いでも、いや短い出会いだからこそ温かい言葉がありがたい。部署の違う同世代の同僚二人と順番が続いていたので、ベンチで並んで待ちながら「終わったら、病院の近くでお昼を食べよう」と話す。『星の王子様』をモチーフにしたレストランへ。普段あまり話さない人たちなので、話題が新鮮。■夜は西麻布のカサ・デル・ハポンという隠れ家のようなレストランで食事会。脚本家二人(大物と小物=わたし)、記者二人、お医者さんという五人で、組み合わせの妙なのか話が尽きず、そこにいるだけで幸せな時間だった。「ストレス」 「過労」「健康不安」などの言葉も飛び出し、「お互い忙しい身なので体には気をつけないと」といたわり合う。おいしいものを食べて好きなことを話すのが、わたしには何よりの健康法。


2002年11月24日(日)  TAMA CINEMA FORUM

TAMA CINEMA FORUMでのパコダテ人上映へ。追っかけ仲間のあおいママ&妹ちゃん、星良ちゃん&ママと永山駅で待ち合わせ、まずはランチ同窓会。うちのダンナが加わり、会場のベルブホールへ。「来るぜ!北海道」と銘打った『パコダテ人』+『マンホール』+『大泉洋さんと鈴井貴之さんのトーク』企画を実現させた立役者・佐藤さんに挨拶。間もなく開演5分前のベルが鳴り、司会の女性の挨拶に続いて、星良ちゃんとともに簡単に挨拶する。撮影係を務めたダンナは「あんなかわいい子と並んで…君には酷だったね」と後でポツリ。星良ちゃんが受ければ、それでいいのさ。星良ちゃん効果はバツグンで、上映後「よかったよー」と星良ちゃんに声をかける人が続出。星良ちゃんはグッズ販売のお手伝いもして、売り上げに貢献していた。(グッズは『マンホール』のものがほとんどだったけど)。上映はお客さんのほとんどが大泉さんファンということで、大泉さんや安田顕さんが出るシーンの反応が大きかった。何度観ても、少しずつ違う反応が見られて面白い。■『マンホール』は「夢のかなう幻のマンホール」を探す話。夢をあきらめてるっぽい人が夢を信じていたり、親とうまくいってない人が他人には娘のフリができたり。もっとズッコケなのかなと思ったらロマンティックな話だった。大泉さんと安田さんがすごく若く見える。■定員200名の会場で、売れたチケットは250枚。通路までぎっしりの会場を観て、大泉さん人気は東京でもすごいんだなあと感心していたら、甘かった。トークがはじまると、黄色い歓声とカメラのフラッシュの話。トークの内容にも客席からビシバシ突っ込みが入る。関東でもオンエアのはじまった『水曜どうでしょう』をほぼ全員が観ていることが発覚。話題は水どう話に集中し、観客は大ウケ。番組を観ていない人にはわからないはずなのに、一緒に受けてしまう。大泉さんも鈴井さんもとにかくよくしゃべるし、しゃべりながら自分で笑っている。つられてこちらも笑ってしまう。なんだか場の空気を一気にもっていくパワーがある。二人ともじっとしている瞬間がなかったので写真もこの通り。


2002年11月23日(土)  MAKOTO〜ゆく年くる年〜

■自分と一字違いということで一方的に意識している今井雅之さんのお芝居『MAKOTO〜ゆく年くる年〜』を観に行く。坂本龍馬や土方歳三の生まれ変わりが現代を舞台に活躍する話と聞いていたので、派手な舞台装置を想像していたら、舞台に置かれたのは階段だけ。車輪のついた可動式の階段が4台。その配置の違いで舞台は暴走族の集会場になり、バスの停留所になり、紛争に揺れる大学になり、機動隊の訓練所になり、国会議事堂になった。鮮やかに転換する場面設定同様、登場人物の置かれる立場も大胆に変化するのだが、無理なくついていけた。途中、何か所か明らかに「即興芝居」のシーンがあり、いきなり台詞を振られた役者の力量の見せ場となる。750名の観客を前に役者がその場で台詞をつくる緊張感が面白い。アドリブでしっかり笑いを取りつつ、固い友情で結ばれたかつての暴走族仲間4人が『新・日米安全保障条約』締結に反対する学生運動に加わる側と、それを制圧する機動隊側に分かれて戦わざるを得なくなったという切ないストーリーは進んでいく。力のある役者ぞろいでないと、今どこにいるか見失ってしまいそう。いろんな意味で感心させられた。■芝居を観ると、「観るより作りたい!」という気分が高まる。出演している岡安泰樹さんとは一諸に舞台をつくる計画がある。今は「どういうのがいいですかねえ」と話し合っている段階だけど、この公演が終わったら本格的に話を詰めていこうという予定。上演後、楽屋を訪ね、観終わったばかりの興奮を岡安さんに伝え、「いいもの作りましょう」と話す。


2002年11月22日(金)  ザ テレビジョンお正月超特大号

■『ザ テレビジョンお正月超特大号』のTVCF撮影に立ちあう。広告代理店5社の企画コンテ競合で勝ち取った仕事。去年は惜敗しているので、今年は気持ちよく年を越せそう。タレントは嵐の二宮和也(かずなり)君。お正月番組の収録の合間に電話しているという設定なので、ふだんテレビ番組などを制作をしているスタジオにセットを組んだ。■「なるべくお正月感を出してほしい」とお得意先からリクエストがあったのだが、美術さんの遊び心で、これでもかというぐらいおめでたいセットになった。凧あり花餅あり門松あり。来年の干支、羊のかぶりものをした紋付き袴男もいる。テレビカメラの上にはなぜか獅子舞。こたつの上には、『ザ テレビジョン』といえばのレモン。二宮君は赤い袴と羽織姿。真っ赤ではなく、ワインレッドのような上品で華のある赤。袴は金の刺繍が入っているのか、キラキラした感じ。「あれを着こなせるのは、さすが」と現場一同感心。二宮君は本人の役という設定なので、基本の流れだけ伝え、自分の言葉でしゃべってもらう。アドリブの台詞が見事に笑いのツボをおさえていて、一緒にアイデアを考えたCFプランナーと「いいねー」とうなずきあう。企画意図は、「頭の中は『ザ テレビジョン』でいっぱい」。それをどう表現しているかは、オンエアを観てのお楽しみ。かなりバカバカしい発想だけど、『ザ テレビジョン』にしかできない15秒エンターテイメントなのではと思う。企画に乗ってくれたみなさんに感謝。年末に観た人は、笑ってやってください。そして、買ってくださいね。撮影現場を密着取材されていた記者の方によると、『CMクローズアップ』のページでこのCFを取り上げる予定とのこと。


2002年11月21日(木)  ファミレスの誘惑

■駅から歩いて家に着く100メートルほど手前にジョナサンがある。あまりに家に近いので、一度しか行ったことがない。そのときは、昔の友人にばったり出くわして、辺りで開いていた店がジョナサンだけだったので利用した。ところが数日前から、ジョナサンに寄り道したい、という誘惑にかられるようになった。すぐそこに家があるのにわざわざ寄って帰る贅沢に目覚めてしまったのだ。つけ足すと、最近入った折り込みチラシに『ドリンク無料券』がついていたことも、ジョナサン熱に少なからず影響していた。観たいテレビがあるから、昨日のごはんの残りがあるから、と何度かは誘惑をやり過ごしたが、今夜ついに誘惑を断つ理由が見つからず、ガラス扉を開けてしまった。終電で帰ったのだが明日は撮影なので早起きしなくてはならない。そんな日に限って夜更かしする道を選んでしまうのはなぜなのか。食べ物は軽くしておいたほうがいいと思いつつ、『ドリンク無料券』を使うのに380円のサラダでは申し訳ないと思い、よりによって『牡蠣と野菜のドリア』なんてものを注文してしまう。「それとハーブティー」と言うと、「ドリンク無料券でご利用いただけるのはドリンクバーのみになっております」という返事。ドリンクバーはすぐ近くにあり、ハーブティーのティーバッグもあるというが、疲れがドヘッと出て立ち上がるのも面倒になっていたので「どうしてもダメ?」とゴネた上に「じゃあドリンクはキャンセルしてください」とイヤな客になった。だったらサラダかスープにしとけばよかったよ。来店動機のひとつを失い、熱が冷めてしまったのでダンナに電話してみる。遅くなると言ってたけど、店の前を通りがかったら寄っていかないと誘うつもりだった。「もしもし、今どこ?」「家帰ってるよ」「うそ。ジョナサン来ちゃったよ」「なんで?」「なんでだろ…。牡蠣ドリア頼んじゃったよ」「キミ、何やってんの?」。ダンナの声は呆れていた。待つこと20分あまり。深夜1時過ぎ、ドリアが運ばれてきた。胃にもたれそうーと思いつつ、なかなかおいしくてハイペースで食べ進む。残り5分の1くらいは意地になって食べる。試験前にジグソーパズルに手を出してしまった高校生のようだ。ほんと、何をやっているのでしょう。


2002年11月20日(水)  カタカナ語

■読売新聞夕刊に連載『新 日本語の現場』が面白い。連載がはじまって三か月以上になるが、「とか弁」「ほう弁」(「食事のコーヒーとかはよろしかったですか」「お釣りのほうは百円のほうになります」といった怪しい日本語)を取り上げたり、「チョー(超)のルーツ」「謝る表現のバリエーション」など、少しずつ切り口を変えて日本語の今に迫っている。ここ数週間はカタカナ語について。今日掲載された第103回によると、官公庁の中でカタカナ語率がいちばん高いのは外務省だとか。「テタテ(フランス語で「頭と頭」。転じて「一対一で会うこと」)でやらないと」「リトリート(英語で「隠れ家」「奥まった場所)ではこういう協議になりました」なんて本当に言っていたら、部外者には何のことやらである。「そのカタカナ語を知っているかどうかで、情報の差を作り、暗黙に上下の差を作る。外務官僚のカタカナ語にはそういう選民思想。エリート意識があるような気がする」と専門家のコメントが紹介されていて、苦笑した。広告業界でも同じことが起こっている。わたしの勤務先は外資系なので、とくにその傾向が強い。「おすすめ案」を「レコメン(=レコメンデーション)」、「代案」を「オルタナティブ」と呼び、「しなくてはならない」を「マスト」といい、「プライオリティ」「インサイト」「コラボレーション」といった横文字が飛び交う。「クライアントからプレゼンテーションのフィードバックが来たら、インターナル・ミーティングしましょう」、半分以上カタカナだ。あんまりよく使うので、誤用も目立つ。いちばん多いのは、「フィーチャー」(feature:象徴)と「フューチャー」(future:未来・将来)の混同。「今回のキャンペーンは古き良き日本をフューチャーしました」などとカッコつけて言うのは、思いっきりカッコ悪い。


2002年11月19日(火)  白い巨塔

■先日、いきなり熱い紅茶を浴びた。カップ片手に読んでいた本に気を取られ、カップをテーブルに置いたつもりが着地に失敗(ナナメになった)し、紅茶の波が襲いかかってきたのだった。厚着の季節で命拾いした。■その本とは、『白い巨塔』。読み進むほど面白さが加速し、いつの間にか空が明るくなった日もあった。寝食を忘れて、と言えるぐらい夢中になってしまったこの作品、5年前に友人に借りたままになっていた。もっと早く読んでおけばと思う反面、シナリオを書いてから出会えて良かったとも思う。描かれているのは昭和四十年代の出来事なのに古さを感じないのは、登場人物の性格づけとその配置のうまさなのだろう。医師たちは、医師である前に人間であり、人間であるがゆえに、悩み、揺れ、流され、傷つけあう。自分を守るために誰かを裏切るのも、嘘を守るために嘘を重ねるのも、人間だから。患者の生死を預かる医者だって、そんな弱い人間なのだ。むしろ、命に関わる決断を常に迫られている医者のほうが孤独で心細いのかもしれない。そう思うと、地位や栄誉を求めてあくせくと動き回る医師たちを憎みきれないのだ。目の前の患者や家族から寄せられる感謝よりも、不特定多数から集まる尊敬や名声によって自分の存在を確かめようとする姿には、苛立ちや憤りよりも同情を感じてしまう。うーん、うまいなあと感心。■あまり会う機会はなく、ほとんど記憶にはないが、母方の祖父は町医者だった。おじいちゃんは、どんな医者だったのだろう。大学病院とは事情がまったく違っただろうが、信じる医学の道を不器用なぐらい真っ直ぐに突き進む里見助教授のような人であってくれたらいいなと想像する。


2002年11月17日(日)  学園祭

■家の近所の大学の学祭をひやかしに行く。中に足を踏み入れるのは初めてだった。先日、正門の前を通ったときに『就活セミナー』のチラシをうっかり配られ、ひょっとしたらまだ学生で通るんじゃないか、混じっても大丈夫ではなかろうかと妙な期待を抱いてしまったこともあり、慣れたフリしてずんずん入っていった。門を入ってすぐの広場でフリーマーケット。校舎に入ると、展示(ビールケースを積み上げて作った壁に模造紙を張りつけていた)があり、地下の体育館では3オン3大会が白熱し、2階の屋外通路では屋台(韓国料理のトッポギなんて、わたしが大学の頃は見かけなかったなあ)が並んでいた。みんな若い。寒くないんだろうかと心配になるぐらい薄着して、男の子も女の子も「買ってくださーい」とかわいく甘えてくる。若い。罪なぐらい無条件に圧倒的に若い。完全に浮いてしまった。■いい機会なので校舎の中をウロウロする。「証明書発行機」なんてものが銀行のATM機みたいな感じで並んでいて、びっくり。学割証明などをボタン操作で取り出せる仕組みらしい。事務室の前に学生が並ぶのは遠い昔のことなのか、この大学が進んでいるのか、機械が並ぶ時代になってた。


2002年11月15日(金)  ストレス食べたる!

ストレスをためないには、好きな人と仕事をするのがいちばん。だから、わたしは好きな人としか仕事しない。というわけにはいかないのが現実なので、仕事相手のことはできるだけ好きになるようにしている。幸い会社の仕事では人間関係でストレスを感じることはほとんどない。いちばん密に仕事をしているデザイナーのE君とは同世代で関西人どうし。大阪弁で腹を割って話せる仲なので、チームワークもばっちり。「天気もええし、外でお茶しながらアイデア出ししよっかー」「今日は、はよ切り上げて明日続きやろっかー」と二人のペースで作業を進められるので、楽しいと思うことはあっても辛くなることはほとんどない。

キツいスケジュールも得意先からの赤字(ダメチェック)の嵐にも耐え、「がんばろなー」で乗り越えられる。なんて思っていたら、E君も同じことを考えていたらしく、今日、得意先に行ったときに「君は僕のストレスを食べてるで」と言われた。あんた、おもろいこと言うなあ、とひとしきり誉めて、「いつでも食べたるで」と答えた。


2002年11月12日(火)  棗

■棗と書いて何と読む?「なつめ」と読む、と今日知った。代官山駅から歩いて5分ちょっと。トントンと階段を昇った2階にその料理屋はある。看板もないし、ドアに『棗』のプレートがなかったら、お店だとは気づかない。ドアを開けると、いきなりテーブル、ではなくて、ぜいたくな玄関先のような広い空間があり、ほのかであたたかい灯りに目が慣れた頃、奥にあるカウンターやテーブルに気づく。デザイナーさんが経営しているお店と聞いて納得。心地よさがちゃんとデザインされている。これで料理がおいしかったら最高、と思ったら、期待を裏切らなかった。素材選びにも味つけにも心配りとセンスが感じられて、すっかり満足。何よりのごちそうは気の合う人たちとの会話。今夜は同僚のタカトモちゃんの誕生日を祝うという口実のもとに集まったのだけど、なぜか主賓に店探をさせてしまい、彼女の行きつけのお店を逆に紹介してもらう形になった。持つべきものは、いい店を知っていて、楽しく飲める友。

2000年11月12日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年11月11日(月)  月刊デ・ビュー

■六本木にある月刊デ・ビュー社で来月1日発売の『月刊デ・ビュー』1月号の取材を受ける。雑誌のインタビューは公募ガイドに続いて2誌目。ジャンルは違うが、どちらもデビューをめざす人たちの雑誌という共通点がある。『デ・ビュー』は、これまで歌手・タレントのデビューに集中していたが、今後はクリエイターのデビューも応援していきたいということで、クリエイター関連のページを拡充中らしく、そのひとつとして『クリエイター who's who』という新コーナーが今発売中の12月号から登場した。わたしが取り上げられるのは第2回ということになる。直接取材申し込みのメールをくださったのは、副編集長の水野さん。第1階が映像系の人だったので、次は文字系で脚本家などどうだろうとYahoo!で検索したら、* いまいまさこカフェ*がヒットしたとか。『風の絨毯』子役募集の記事を掲載したという縁もあり、興味を持たれたらしい。■取材は楽しく和やかに進んだ。インタビューの面白いのは、思いがけない質問を振られ、いつも考えたことのないことに思いを巡らせ、咄嗟に口をついて出た言葉に「ヘーえ、そうだったのか」と気づかされるところ。「作品を通して伝えたいことは何ですか」「シナリオを書く上でダンナさんはどんな存在ですか」「公告のコピーを書くときとシナリオを書くときで、切り換えていますか」「デビューをめざしている人たちに一言」。答えながら、今回もいろいろ発見があった。あと、写真を撮られるときは笑わない方がいいらしい。「そのほうが真面目に見えますから」とカメラマンさんは言ってくれたが、笑うと目元にも口元にも思いきりシワが寄る、と日頃自覚しているのを再確認。写真左は水野さんとインタビュアーの三宅林太郎さん。写真右は、わたしを撮るフォトグラファーの古賀良郎さんを撮るの図。


2002年11月10日(日)  黒川芽以フォトブック

脚本家・演出家・劇団ストレイドッグ主宰の森岡利行さんと知り合って、もうすぐ1か月。木下ほうかさんの友人である森岡さんは『パコダテ人』を観てわたしに興味を持ってくれたそうで、一緒に作品をつくりませんかと声をかけてくださった。

そういうわけで、劇団ストレイドッグの黒川芽以ちゃんのフォトブック『路地裏の優しい猫』をお手伝いすることになった。森岡さんの書いた同名の戯曲があり、劇団公演でも上演されている。森岡さんの叔父でメキシコオリンピック銅メダリストのボクサー、森岡栄治を娘の治子の目からとらえた物語で、実話が基になっているだけあって、栄治も治子も生き生きしている。

今回のフォトブックは黒川芽以ちゃんが治子という設定。治子の心情を語る大阪弁のモノローグが写真のキャプションになっている。構成案のラフをめくりながら、直感で1案、想像を膨らませてもう1案、変化球でもう1案、と楽しく悩みながら書いている。会社に入った頃、カレンダーの写真やイラストに言葉を添える仕事をいくつかやったが、その感覚を思い出す。一枚の写真が呼び起こすインスピレーションは人それぞれ。写真に言葉がつくと見方が制約されるという人もいるかもしれないけど、それによって想像をかきたてられる人もいるはず。フォトブックがフォトストーリーブックになればいいなと思いながら、言葉探し中。


2002年11月09日(土)  大阪弁

■昼、新宿で前田監督と短編のアイデア出し。団子食べながら大阪弁であーだこーだ(あーやこーや)言う。東京に来てからしばらく大阪弁を話す相手がいなくてレベルが落ちていたが、パコダテ以後は「立て板に水」のごとくすらすら出てくるようになった。■夜、相米慎二監督の『お引越し』と市川準監督の『大阪物語』をビデオで観る。洋画の台詞より邦画の台詞のほうが感情移しやすいように、大阪弁の台詞は標準語よりもビシビシ伝わってくる。熱い台詞はより熱く、冷めた台詞はより冷たく響く。『お引越し』の田畑智子も『大阪物語』の池脇千鶴も関西出身なので、伸び伸びとしゃべっているように見えた。わたしも子どもの頃はあんな風に親に悪態ついたなあとか、普段観る映画以上に登場人物と自分を重ねてしまった。大阪弁のシナリオは今まで2本書いたが、どちらもコンクールでは相手にされなかった。審査員によっては大阪弁を嫌う人がいるという噂もあるけど、単純に話が面白くなかったのだろう。いつか大阪弁の映画を書けたらいいな。


2002年11月04日(月)  ヤニーズ4回目『コシバイ3つ』

■劇団ヤニーズの4回目公演『コシバイ3つ』を前田監督と見に行く。会場は前回と同じく新宿御苑のシアターブラッツ。今回もほぼ満員だった。3回目公演の『命』とは趣向を変え、今回はタイトル通り、小芝居3連発。役者さんが慣れてきたというか、こなれてきたというか、成長を感じた。客席と間合いをはかる余裕が出てきたのか、前回よりも上手に笑いを集めていた。途中、台詞ド忘れで役者が舞台から消えるハプニングもあったが、それをネタにして笑いを取るたくましさがあった。幕間の場つなぎに流していた『ヤニーズに聞く!』というインタビュービデオも爆笑を誘っていた。大蔵省君は3話とも登場し、あいかわらず、とぼけたキャラで異彩を放っていた。松田一沙ちゃんは3話目だけの登場。言葉を発さず画用紙で筆談という役だったけど、仕草まで表情豊かで魅力的だった。見終わった後、まわりのお客さんたちが「面白かったねー」と言い合っているのを聞いて、妹や弟がほめられているみたいでうれしくなった。「もう少しコンパクトにできたら良かったなあ」と前田監督。3話で2時間。確かにちょっと長いし、テンポがだるい部分もあった。今のものを研ぎ澄ましていけば、もっといい作品になるはず。がんばれヤニーズ!


2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会

■大阪にいる幼なじみのミツノリ君が、劇団オフィス・シンクロナイズの公演の音響を手伝うために上京してきた。時を同じくして、幼稚園時代から何度か同じクラスになったN君が長野から東京に遊びにきた。東京に住んでいる幼なじみの太郎君とわたしが加わり、ミニ同窓会を開くことになった。N君と太郎君がミツノリ君の舞台を見終えた後に合流。銀座のヤキトリ屋で「高っいなー」と言いながら、大阪弁でしゃべりまくる。小学校の同級生に会うたび思うのは、「いろんなヤツがおるなあ」ということ。学生時代は劇団で美形役者として活躍し、今は裏方として演劇の現場を支えているミツノリ君。鉄道や切手のマニアだったN君は植物博士となって林野庁に入り、念願かなって小さな村の営林署の署長をしている。田中康夫知事と名刺交換したという話で大いに盛り上がった。昔からマメだった太郎君は神社仏閣専門の建築事務所に入った。仕事で全国を飛び回りつつ、『ほんまもん』やら『24時間テレビ』やらそのときどきで気の向いたものを追っかけている。次は来日するポール・マッカートニーについて回るらしい。この三人にわたしを加えて、まさに四人四様だが、高校や大学の同窓会に出ても、ここまで変化に富んだメンバーは集まらない。他にもチェロ奏者やら、山のことを語らせたら止まらない男やら、単純にしゃべりだしたら止まらない女(今はドイツ留学中なので日本は少し静かになっている)など、思い出すだけでも面白い人間がぞろぞろいる。幼なじみ同窓会をやるようになったのは、ここ二、三年のことだが、彼らに会うたび、新しい引き出しが増えていくのが楽しい。


2002年11月01日(金)  異種格闘技

■会社では制作本部第2クリエイティブという部署にいる。クリエイティブ・ディレクターをのぞくと、ほぼ同世代の集まりで、学校のような雰囲気。といっても、わたしがいる9人の島(デスクのかたまりをこう呼ぶ)で女性はわたしだけなので、男子校の雰囲気である。「経理にかわいい子が入った」とか「営業のあの子が髪を切った」という話題で無邪気に盛り上がるのを見ながら、心は学ラン時代のまま大人になってしまったのねと微笑ましく思うわたしは、購買部のオバサン目線になっている。今日も男どもは「自分たちの仕事を担当している営業の女の子自慢」を繰り広げていた。声が好き、酔うとかわいい、最近キレイになった、ちゃんと仕切れる、昔のアイドルの雰囲気がある……女の子のどういう点を評価しているのか聞くのは興味深い。フムフムとひとしきり聞いて、「で、いちばん近くにいるあたしはどうなのよ?」と水を向けたら、男どもはいきなり静まり返った。まるで、そこにオンナがいたことを忘れていたかのようなリアクション。一瞬の間のあとに「今井ちゃんは、別次元だよね」「っていうか別ジャンル?」「他の女の子と一緒には語れないよ」「うん、君は君で十分魅力的なんだけどさ」と口々にたたみかけてきた。愛すべき同僚たちにとって、わたしは「女の子」とは別世界の住人であるらしい。うちのダンナはこれを「異種格闘技」と呼ぶ。

2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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