2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて

■獣医師の石井万寿美さんが新著『ペットの死〜その悲しみを超えて』の出版にあわせ、大阪から上京された。打ち合わせでお忙しい合間の1時間をいただき、赤坂でお会いする。「3回目ですねえ」と言われ、「まだそれだけでしたっけ?」と驚いたが、お会いするのは今日でやっと3回目。ネットの力は恐ろしいもので、毎日のようにメールや掲示板でやりとりしていると、何十回と会っている錯覚を起こしてしまう。最近ニュースでも取り沙汰されている動物虐待の話にはじまり、石井さんの子育て話、わたしの仕事の話などをした。目を怪我したネコが運ばれてきたとき、「炎症が痒くて自分で掻いて傷つけてしまったのか、人間に故意に傷つけられたのか」を見分けるには、ネコの手を診るらしい。目を掻いたネコには「目やにやけ」の跡があるのだとか。「そういうことを飼い主さんに言うて聞かせるんです。推理探偵みたいですわ」と石井さん。■お土産に著書と叶匠壽庵の和菓子をいただいた。栗を大納言で包んだおまんじゅうを頬張り、早速読み始める。石井さんは、獣医学生時代に拾った犬のユキチと、ずっと一緒に生きてきた。結婚、開業、出産、子育て……生活の中にユキチがいるのが当たり前で、ユキチとの暮らしが永遠に続くようにも思っていた。だが、ユキチも老い、痴呆がはじまり、寿命を迎えてしまう。獣医でありながら「ユキチだけは死なない」と信じてしまったり、弱っていくユキチに何もしてやれない自分がもどかしかったり。飼い主としてペットの死を体験することで、石井さんは「ペットを失う悲しみ」の大きさと深さを知る。そして、これまでペットを失った飼い主たちの気持ちがわかっていなかったがために、飼い主たちの心のケアができていなかったことに気づく。ユキチが死をもって教えてくれた「いのち」の意味を、石井さんは今、日々の診療に生かしている。ペットにも高齢化の波が押し寄せ、痴呆や安らかな死は人間だけの問題ではなくなっている。人間と同じようにペットの死にも尊厳をと考え、終末医療の考えを取り入れようとしている石井さんの試みは、ペットを家族として愛しむ人々が待ち望んでいるものだろう。

2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』

『レイズライン』という不思議な映画に出会った。同僚の友人のダンナの福谷修さんが脚本・監督した作品という縁で、インディーズムービー・フェスティバル入選作品のプレミア上映を案内してもらったのだ。インディーズムービー・フェスティバルは全国から公募した作品から入選作品をビデオ化し、TSUTAYAでレンタルしたり、衛星劇場で放送したりし、その実績やネット投票の結果で「次回作のバックアップを受けられる作品製作者」を選ぶというユニークなコンテスト。作品の実力で映画の道を切り開くというのが、いい。名前に覚えがあると思ったら、横山亮子ちゃんのダンナのヨシキ君が撮った『現金に手を出すなら体を張れ』は、去年の入選作のひとつだった。

短編をいくつか観た後で、お目当てのレイズライン。舞台は中央線。何度も乗ったことがあるが、「中央線にこんな場所があるの?」「こんな景色が見えるの?」と驚かされる絵が何度も出てきた。日本では電車や駅での撮影は規制が厳しいらしく、そんな現状への批判も込めて、中央線を題材に隠し撮りとゲリラ撮影を敢行したという意欲と行動力に、拍手。リアルさと今の空気がよく出ていた。ストーリー的には、もう少し山場があってもいいのかなと思いつつ、この淡々とした感じが中央線なのかなと思い直したりもする。この作品は、イイ線行くんじゃないだろか。

レイズラインは、台詞が自然だったが、インディーズ作品を観ていると、「こんな話し方、絶対しない」という人物が出てくることがよくある。設定が中世のヨーロッパか大正時代の華族ならありえるのかもしれないが、女たちがみんな「〜だわ」調で話していると、変な空気を生んでしまう。ふつうの言葉のほうが感情移入しやすいんだけどな。


2002年07月27日(土)  上野アトレ

■「上野がきれいになった」と会社の人たちや雑誌が騒いでいたのは、ひと月以上前のこと。駅ビルがアトレとなって生まれ変わり、洒落たお店がたくさん入っているという。そろそろオープン当初の混雑もひいてきた頃かなと、散歩がてら見に行くことに。通りすがりのお店をいちいちひやかし、途中の上野公園で骨董市と植木市につかまる。念願の「石に植えた盆栽」を買う。あ、盆栽は陶器に植えたものを差すから、盆栽ではないか。『五色つた』といって、和風アイビーのような植物。色が緑から赤に変わるのでこの名前らしい。アトレに着いたら、家を出てから1時間半も経っていた。喉が渇いて、買い物どころではない。ハードロックカフェに飛び込み、フローズン・ピニャコラーダを一気に飲んだら、頭が痛い、背中が痛い。それにしても、すいているどころか、すさまじい人出……と思ったら、今夜は隅田川の花火。待ち合わせ、くりだしていく人たちの熱気が渦を巻いて、大変なことになっていた。さっさと引き返す。

2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件

銀座シネスイッチにて『月のひつじ』を観る。「本日レディースデー」で900円で観れた。おまけにトロピカーナのフローズンデザートを配っていて、とってもトクした気分。はじめて行ったけど、いい映画館だ、シネスイッチ。また行くぞ。本音は、作品を送りこみたい。スクリーンも大きいし、椅子もゆったりだし。

作品は、劇評を読んで思い描いていたものとは、ちょっと違った。「浮かれる町長」「ハプニング続出」という言葉にドタバタコメディーを想像していたのだが、いたって真面目でほのぼのした話だった。ところどころに起こる笑いも決して「ドッ」ではなく「クスクス」。もう少し面白い仕立てにできたんじゃないかなともったいなく思ったりしたけど、実話を基にしてハートウォーミング路線を取ると、こうなるのかな。

どこまでが実話なのだろうと思いながら観ていたら、先日同僚に聞いた「アポロ11号月面着陸やらせ説」を思い出した。「地平線の形が不自然」「無重力のはずなのに風が起きている」など不自然な点がいくつかあり、一部の科学者の間では「ミッションに失敗したアメリカ政府が成功を装おうためにねつ造した映像」という説が囁かれているらしい。でも、南半球のこんな小さな村まで巻き込んでデッチ上げる労力も相当のもの。やっぱりアポロ11号は月に行ったんだろうな。そんな歌もあったし。ちなみに着陸は7月20日。この季節の出来事だったんだなあ。

英語はますます聞き取れなくなっていた。オーストラリア訛りだからということではなく、わたしの耳がなまっているのだろう。「ァパ〜ラィレヴン」と聞こえる怪しい単語が「アポロ11号」だと気づくのにずいぶん時間がかかった。

帰宅してから新聞に関連記事を見つけた。パークスの天体望遠鏡が月面着陸の映像を無事キャッチできたのは、「飛行士が宇宙服を着るのに手間取ったから」というエピソードがあるらしい。その時間稼ぎがあって、牧草地の中にある天体望遠鏡が歴史的快挙を成し遂げた。現在は地球外生命体の存在を探っているとのこと。

2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月22日(月)  10年前のアトランタの地下鉄の涙の温度

本人がすっかり忘れていた出来事を、家族や友人はしっかり覚えていることがある。忘れていた過去を思い出させてもらうと、思いがけないヘソクリが返ってきたようで、うれしくなる。

先日、京都の結婚パーティーで再会した学生時代の先輩、辻本さんが「あんたらがアメリカから帰ってきたときな、旅行どうやったって男どもで追及したんや」と、わたしと当時は彼氏だったダンナがはじめて二人で海外旅行したときの話をはじめた。

「あの街が良かったとか、飯がうまかったとか、そういう話するかと思ったら、いきなり、彼女はすごい、言うてなあ」。辻本さんの記憶によると、「あんたらの前に黒人の男が立ちはだかって、金を出せって言うたら、あんたはこんなことしちゃダメよって説教したんやろ」。その勇気に彼氏は恐れ入ったらしい。

「美談じゃないですか。わたしたちの披露宴のときに話してくれれば良かったのに」と言いながら、記憶の底で凍りついていたエピソードを解凍した。

あの日の、真冬のアトランタの地下駅の光景を頭の中に呼び出す。発券機へ続く階段を下りきったところに、黒人の男性が立っていた。辻本さんが覚えている話は、かなり美化されている。実際は「金を出せ」ではなく「電車賃をくれ」だったし、言い方も遠慮がちだった。

わたしは説教したのではなく、お金を出すとき、一言添えたのだ。なぜ、そんなことをしたのか。

きっと、怖かったのだ。

銃を持っていたり暴力をふるったりする人には見えなかったが、小柄なわたしには、そびえたつ長身は十分威圧的だった。お金を渡さなければ通してもらえないと思った。英語がよくわからない彼氏(実際はわかっていたようだが)に余計な心配をかけたくないとも思った。だから、わざと余裕ぶるような態度に出たのだ。

「仕事を見つけるのよ」と言うと、黒人の男性は「I will」と答えた。

次の瞬間……最初は何が起きたのかわからなかった。1ドル札を差し出したわたしの手の上に、水滴が落ちた。続いて、また一滴、そしてもう一滴。

滴は、男性の目から滴り落ちていた。わたしは雷に打たれたようになり、身動きできなくなった。自分以外の誰かの涙を手に受け止めたことなどなかったから。人の涙がこんなに温かいなんて、知らなかったから。

今となっては、あのとき感じた涙の温度までありありと思い返せるのに、どうして忘れていたのか不思議だ。10年前の出来事をダンナは覚えているだろうか。いつか聞いてみたい。


2002年07月21日(日)  関西土産

1泊2日京都〜大阪の旅から帰ってきた。結婚パーティーが目的ということで、懐かしい人たちとの再会がうれしい旅だった。新郎のキャーミルが住んでいた学生寮にわたしがよく遊びに行っていて、そこでダンナとも知り合ったという縁で、ダンナともどもパーティーに招かれたのだが、昨夜は二人そろって学生時代にタイムスリップしたような気分を味わった。何年も忘れていた「事件」や「伝説」が掘り起こされ、あらためて大笑いした。共通の友人に恵まれているのは幸せなことだなとつくづく思った。

昨日のパーティーのはじまる前、京都に住むダンナの親戚の方の家にお邪魔した。約束もなしに「近くまで来たので」と突然訪問したわたしたちを温かく迎えてくれた。少し前に亡くなった身内の方のお骨が帰ってくる日だったそうで、「呼んだのかもしらんなあ。ええ日に来てくれはった」と喜んでくれた。土用の丑の日には、京都ではあんころ餅を食べる風習があるそうで、出していただいた。甘いスタミナ源ということか。

今日は、大阪に住む妹夫婦を訪ね、今月4日に生まれた甥っこと対面。といっても、よく寝る子で、目を開けたのは、ほんの一瞬だった。ダンナの弟夫婦が近くに住んでいるとわかり、呼び出すと、カメラとビデオを持って駆けつけた。熱心に撮影する姿に、「あっちがほんまの親みたい」と、産んだ妹。マイペースに子育てを楽しんでいる様子だった。

大好物の『蓬莱の豚まん』をお土産に買って東京に戻り、ダンナの実家へ。この二日間に会った人たちのことを報告すると、義母は自分が行ったかのように、うれしそうに聞いてくれた。何よりのお土産になった。

2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月20日(土)  トルコ風結婚式

■巷ではトルコ風アイスが大ヒットしているようだ。記事もいくつか見たし、先日、スーパーで「きゃー!あった!これ、チョーうまいんだよ」と騒いでいる高校生がいた。もちのように伸びる不思議食感が受けているらしいが、まだ食べたことがない。だから、トルコ人の友人キャーミルから結婚パーティーの案内が来たとき、真っ先に思ったのは「アイスは出るだろうか?」だった。■新郎のキャーミルは、最も日本語のうまいトルコ人という噂で、外国語大学でトルコ語を教えている。日本文化にもどっぷり浸かっていて、トルコの首相が来日したときは、徹夜でマージャンした後に通訳に向かったという逸話がある。去年、深夜番組で「こんなトルコ人がいる!」と取り上げられてもいた。結婚も日本人とするのかなと思っていたら、そうなった。見た目は日本美人だけど、快活でよくしゃべる女の子を選んだ。パーティーは京都のパレスサイドホテルで行われ、大阪にあるキャーミルのお気に入りのレストラン『イスタンブール コナック』(大阪市西区南堀江1-11-1栗本建設ビルB1F TEL06-6534-7277)のトルコ料理がふるまわれた。見たことのない珍しい食べ物が続々。飲み物は塩味のヨーグルト。バックに流れるのはトルコ行進曲。うーん、トルコ風。アルコールが入ると、テーブルの間で踊り出す人が現れる。トルコ人はこういうパーティーでは踊るものなのか、トルコ人らしき人が輪の真ん中に進みでては順に踊りを披露する。小さな女の子もくるくる回って、拍手を浴びていた。肩を組み、会場を練り踊る集団もいる。圧倒されて見ていると、キャーミルがテーブルに回ってきて、「見てのとおり、何の計画もありません」と言った。開宴のときいた司会はいつの間にか消えていた。6時に始まったパーティーが10時過ぎにお開きになったとき、「受け付けで配られた百円玉はどうするんですか?」と質問が飛んだら、「最初、ゲームをやるつもりでしたが、やめました」。いいなあ、トルコ風。楽しみにしていたトルコ風アイスにはありつけなかった。アイスを錬る機械が75キロの重さで、大阪から運ぶのを断念したらしい。「本物のトルコ風アイスを食べたかったなあ」と言うと、「だったらトルコに行かなきゃ。牛乳が違うからね」とキャーミル。いつか行ってみたい国だ。

2000年07月20日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月19日(金)  少林サッカー

■う〜りゃ!ついに少林サッカーを観た。ゆうばり映画祭からずっと気になっていて、同僚のE君と「少林サッカーに熱狂する会」を結成して「いつ行く?いつ行く?」と言い続けてきたのだが、E君の体が空きそうにないので、「熱狂する会」のもう一人のメンバー、タカトモちゃんと二人で行くことにした。映画はあまり期待しすぎると「思ったほど面白くなくてガッカリ」することがあるので、期待にブレーキをかけていたつもりだったが、社内では「今年最高のエンターテインメント!」(パコダテ人ではなかったのね……)「いや、ここ十年で最高!」と絶賛の嵐で、そんな声を聞いていると、これはもうとんでもなく面白いに違いない、と期待はむくむく膨らむばかりだった。■映画館は渋谷の東急会館。座席数が多い。スクリーンがデカい。こんなところで一度は自分の映画を……と思ってしまう。本編がはじまったら、のっけから引き込まれた。派手な少林拳法アクションは予告で何度も観たけど、ストーリーは全然知らなかった。長年の屈辱の後に知らされた、かつてのチームメートの裏切り。それを復讐ではなくサッカーで見返すという構図が痛快。少林寺を広めたい男がサッカーに飛びつく。自分に自信のなかった女が自分の魅力に気づかせてくれた男に恋をする。登場人物の行動や心の動きに説得力があって、すんなり感情移入できる。こういうわかりやすい話は大好きだなあ。伏線も明快に仕掛けられていて、「次はこうなる」とわかっていながら、ドキドキしながら展開を見守ってしまう。ラブストーリーもかわいくて、継ぎ当てだらけの靴や閉店後のデパートの束の間の逢瀬やしょっぱい饅頭のエピソードは、良かった。上映中に何度も拍手が起こる、こんな映画はじめて。■予告編で気になったのは、『SPY-N』。藤原紀香がアクション映画に出ることをまったく知らなかったので、びっくりした。英語の台詞も決まってた。大阪弁も英語も喋れるってすごい。

2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月15日(月)  パコダテ語

*いまいまさこカフェ*の言葉あそび掲示板では今、パコダテ語をお題に遊んでいる。「アナウンサーの世界では、紛らわしいニホンとニッポンを区別するために『日本°』という表現がすでにあった」「自分がいる制作本部という部署は、パコダテ語にすると『制作ポンプ』になってしまう」「Bush大統領は、パコダテ語でPush大統領になっても性格が出ている」「便器にマル(°)をつけたらペンキになる」などと発見があって面白い。でも、膝を打つほどの名パコダテ語をひねるのは、むつかしい。一年ほど前にバラエティー番組で「ハ行をいじってあそぼう」企画をやっていて、「これはパコの世界だ!」と興奮して見たのだが、そのときに出た『外人墓°地(ポチ)』の化けっぷりは見事だった。■今年の年賀状には「パコダテ語で流行語大賞を狙う!」と書いたが、世間では意外と流行っていない。先日、エビ(海老)と打ったつもりがエピになっていて(無意識のうちにパコダテ語を打ってしまうとは相当重症!)、気づいた同僚に「広告にパコダテ語を使って、マスメディアの勢いで流行らせようとしている?」と突っ込まれた。たしかに、その手はある。パコダテ語にしたらチャーミングなネーミングでも考えようかな。おかたい企業名が「°」をつけた途端に親しみやすくなって好感度アップ、有頂天の社長が「人気のピミツはズパリ……」なんてパコダテ語で答え、たちまち流行語に……そんなユカイな話はないだろか。■写真は最近通勤に使っている激安トートバッグ490円。パコダテ人大阪公開に合わせて帰省したときの収穫で、キラキラスパンコールのチープさも最高。

2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月14日(日)  戯曲にしたい「こころ」の話

戯曲のことを考える。昔書いたコメディーを書き直す方向で……と演出家との間で話はできているのだが、「いっそ新しいものを書いては、どうだろう」と思いはじめている。演じるのは、プロの役者になる前の研修生たち。コメディーよりも泣かせる話のほうが演じやすく、お客さんを引きこみやすいのではないか。大切なのは、その舞台で「味をしめてもらう」こと。自分の台詞が人の心を動かせるのを身をもって体験することが、役者の卵たちにとって、何よりの栄養になるのではと思う。

時間ができたので、書きためておいたプロットに目を通した。シナリオを書きはじめた頃、あたらしい話を思いつくたびに、原稿用紙4枚分ほどのプロットを書いていった。順番に肉付けし、シナリオにしていく予定だったが、思いつく早さに書く早さが追いつかなくて、ほとんどが骨のまま残されている。ひさしぶりにデータファイルを開いたら、書いた本人が忘れたような話が次々と出てきた。ひらめいた瞬間の「冴え」のようなものは、時間が経っても残っていて、「我ながら、面白いこと考えるなあ」と感心するアイデアがいくつかあった。反面、「変なもの考えるなあ」「つまらなさすぎるなあ」とあきれ返るものも。同じ人間が生み出したものなのに、時期や気分によって全然違ったものになるのが面白い。

ファイルの中に、プロットになる前の走り書きのようなものがあった。その中に「戯曲にしたい」と、そそられるアイデアが1本見つかった。『こころ』の話。どんな物語も多かれ少なかれ『こころ』を描いているが、これは直球ストレートで『こころ』に迫る。テレビドラマだと熱すぎるかもしれないが、舞台だとちょうどいい温度ではないだろか。台詞もまっすぐ心に届くものにしよう。プロットを起こしはじめると、涙がじわり。こういうスタートを切る作品は、うまくいく気がする。

2000年07月14日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月13日(土)  『寝ても覚めても』『命』

■ひさしぶりにお芝居をハシゴする。昼は、下北沢の駅前劇場でIOH(アイオー)の『寝ても覚めても』。誘ってくれた元同僚デザイナーのアサミちゃんは、コンクール応募時代のわたしのシナリオを「お芝居好きの目」で読み、的確なアドバイスをくれた御意見番。彼女のような友人を持つことが、プロへの近道かもしれない。アサミちゃんのダンナ、CF制作プロデューサーの山下さん、同僚のフセさんも加わって、5人で鑑賞。5年ほど前にIOHという劇団を教えてくれたのもアサミちゃんだった。彼女がチラシを作ったときは、わたしがキャッチコピーをつけた。IOHの公演を見るのは今回が3度目。家族をテーマに「問題を乗り越えて絆が強まる」展開が持ち味で、毎回、気持ちよく泣かせてくれる。今回はいつもよりコメディー色が強く、謎解きも入っていたが、最後はやはり「家族っていいな」の涙と笑顔だった。役者さんが皆達者なので安心して物語に入っていける。■夜は、新宿のシアターブラッツで、ヤニーズの『命』。『パコダテ人』でみちる姉ちゃん役だった松田一沙ちゃんの初舞台。函館スクープ社員役だった大蔵省君が制作・出演している。『パコダテ人』で頑張ってくれた感謝の気持ちを込めて、一沙ちゃんにはオレンジの、大蔵省君にはブルーの花束を贈った。お芝居の後、近くの中華屋へ。『パコダテ人』の前田監督、アシスタントプロデューサーの石田さん、木下ほうかさん、宮川宏司君に、『sWinG maN』つながりの小島可奈子さん、『はじめての白さ』(宮川君と大蔵省君が出演し、前田さんが監修)を撮影した松本さん(あるいは松下さん)も加わって、にぎやかに円卓を囲む。そこに後片付けを終えた一沙ちゃんと大蔵省君が合流。「どうでしたか?」と聞く二人に、「ストーリーの目のつけどころはいいけど、テンポが良くない」「後半は面白いけど、前半がたるい」「暗転が多くて長い。せっかくつかんだ観客が現実に引き戻される」「あのシーンは手紙にしたほうが良かった」などと口々に感想を言う。ほめるところは誉めた上で「こうしたらもっと良くなる」とアドバイスするのだが、大学の応援団時代を思い出して、青春だなあと思った。真剣に耳を傾ける大蔵省君や「明日の公演までに直せるところあるかな」と一生懸命考える一沙ちゃん。彼等はまだまだ伸びるぞ。

2000年07月13日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録

人に会いたくない日がある。気分の浮き沈みはあまりないのだが、たまにひどい肌あれに襲われる。今日は鏡を見てギョッとするほど深刻だったので、塗り壁作戦に出たら、ひび割れたアスファルト状態になってしまった。家族や友人は「どうしたの、その顔?」と突っ込んでくれるが、つきあいの浅い人たちは、そうはいかない。口に出せないかわりに「どうしたのだろう」と心配されるのが、かえって申し訳ない。でも、どうしても出かけたい用があった。『真夜中のアンデルセン』のピアノ収録。ひびわれた壁に霧を吹き、渋谷のNHKへ向かった。

『真夜中のアンデルセン』は30分のドラマ。といっても、出演者は市村正親さんひとり。『BARアンデルセン』の謎のマスターであり、『人魚姫』の世界へ案内するストーリーテラー、さらに人魚姫や魔女や王子を巧みに演じ分ける。ドラマより舞台に近いかもしれない。歌(歌詞はわたしとディレクターの井料拓也さんの共作)も3曲あるので、音楽劇ともいえる。この歌の作曲はもちろんストーリー全体にオリジナルの曲をつけたのが、ピアニストの小原孝さん。つなぎ終わった映像に合わせて小原さんが弾くピアノを収録するのが、今日だった。

「涙が出そうなくらい、きれいな曲ができました」と井料さんから聞き、期待は膨らむばかりだったのだが、想像以上だった。人魚姫の住む深く澄んだ海の底へ誘う、透明でイノセントな音。人間の世界に憧れる人魚姫の高まる気持ちも、はじめて海の上へ向かうドキドキ感も、表情豊かな音で表現してしまう。荒れ狂う嵐の海、人魚姫めがけて落ちる雷が「見えた」!小原さんは、「ピアノを自在に歌わせられるピアニスト」と言われているらしい。あれは何というのか、音の波動を表す放射状の光が明滅する装置があったのだが、ピアノの音に合わせて無数の星がまたたきながら図形を描いているようで、それもまた神秘的だった。

映像には映らないけれど、鍵盤たちも、彼らを伸び伸びと歌わせる小原さんも役者だなあと思った。肌あれのことも束の間忘れて、紡ぎ出されるメロディに引き込まれていた。心が洗われると言うと月並みだが、美しい音の波が押し寄せて、心の中のもやもやしたものを洗い流し、みずみずしさで満たしていく。贅沢な時間だった。(画像は番組ロゴ COPYRIGHT NHK 2002)

2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』

■大阪弁の映画を作りたい。それも痛快なやつ。ドン底に見える状況で、たくましく生きている人たちの話がいい。たとえばホームレスとか……という企画を、しばらく口にできなくなってしまった。今出したら、「それ、三池崇史監督の『桃源郷の人々』やん」と言われてしまう。今日、東映本社で試写を観てきた。原作は、『ナニワ金融道』の青木雄二氏が映画のために書き下ろした初の小説。『パコダテ人』を制作したビデオプランニングが企画・制作協力している。プロデューサーの三木さんが「傑作です!」と百万回言うので、得意の口八丁かと思っていたら、本当に面白くて、吹き出す場面が何度もあった。思いきり笑わせて、ちゃんと泣かせてくれて、終わったときにはスッキリした気分になっていた。「目的」のために団結し、突き進む人たちは、生命力にあふれていて、見ていて気持ちがいい。主役の「ホームレスのリーダー=村長」を演じた哀川翔さんの飄々とした感じが良かった。この人の台詞でいちばん気に入ったのは、「お」という独り言。大阪の人は「お」と「ん」の間のような微妙な相槌を打つ。青木雄二氏本人がモデルと思われる小説家の鍬田役の佐野史郎さんも、村長の恋人役の美容師役の室井滋さんも、いい味が出ていた。台詞は全体的に生き生きしていて、うまいなあと思った。脚本は高橋正圀氏。■『パコダテ人』のキャストとスタッフの姿を劇中の至るところで発見。お父さん役だった徳井優さんが、チラシ印刷の得意先だったスーパー、上底屋の倒産で路頭に迷う梅本印刷の社長役を好演。情けなさ、やるせなさ、切実感がよく出ていて、涙を誘われた。編集局長だった木下ほうかさんは、ホームレス役で出演。興信所にいたという設定で、裏の手を使って情報をかき集める。函館スクープ社員だった大蔵省くんは印刷会社の社員役。やっぱり、えなりかずきに似ている。その大蔵省くんより思いっきり目立つ役で女優していたのが、パコダテ人でも桃源郷でも衣裳デザインを手がける小川久美子さん。梅本印刷社長の義理の妹役で何シーンも登場。助監督だった塚田さんも一瞬出ていた。後から聞いた話では、スチールの石川登拇子さんも出ていたらしい。『パコダテ人』関係者ではないが、原作の青木雄二氏も弁護士役で出演していたとか。さすが錬金術師、三木さん。

2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)

■台風の中、出版社に勤める知人と飲む。去年の秋に知り合い、「ぜひ一緒に飲みましょう!」と言っているうちに今夜になった。帰り際、「今売れているんですよ」と渡された本が『朝2時起きで、なんでもできる!』。著者の枝廣淳子さんは、同時通訳にして環境ジャーナリスト、さらに主婦と母親の顔も持つ。お子さんと一緒に夜8時に寝て朝2時に起き、家族が起き出すまでに通訳の準備をしたり、メールを書いたりする生活を送っていて、このノンフィクションも「朝飯前」に書いてしまった。■帰宅し、読みだしたら、止まらなくなった。シナリオの仕事をするようになって、気づいたこと、悟ったことがたくさんあるが、わたしの頭の中でふにゃふにゃしていた気づきや悟りを、この本は実に的確な表現で言い当てている。「いやな気持ちには賞味期限をつける」「脚がたくさんある椅子は倒れにくい」(仕事も人間関係も分散投資を)「目的が北極星のように煌々と輝いているとき、目的は引力をもち、その方向に引き寄せてくれる」などなど、挙げだしたらキリがない。引用されていた「ゲシュタルトの祈り」(フレデリック・パールス)の「あなたはあなた、わたしはわたし。だけど、もしわたしたちが互いを必要としているなら、それは素晴らしいことだね。しかし、もしそうじゃなければ、それはそれでしかたがないこと」というくだりに来て、わたしの膝打ちは最高潮となった。イライラやギスギスの多くは「自分の期待と相手の反応(あるいはその逆)のギャップ」が原因、ということに気づいたのは最近なのだが、それでずいぶん気が楽になった。「引き算より足し算のほうが幸せになれる」という枝廣さんの言葉は、そのまま「人生」のキャッチコピーにしたい。『朝2時起き〜』は、「上手な時間の使い方」の本であると同時に「上手な気持ちの使い方」の本でもある。読み終えると、時計は午前2時過ぎ。枝廣さんが起き出してくる時間だ。せめて彼女を見習って6時間睡眠にしよう、8時に起きれば家を出るまでの1時間の間にシナリオを1本読むか、プロットを1本書くか、できるじゃないか。そう誓ったのに、目が覚めると、9時を回っていた。すっかり魔法がかかった気になっていたけど、生活パターンを変える効き目まではないらしい。ま、いっか。わたしはわたし。

2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年07月09日(火)  マジェスティック

■ついに『マジェスティック』を観た。有楽町マリオンの9階で左右に並ぶ丸の内ピカデリー1と2では、今わたしの中で「見たい映画ナンバー1」を競っている『マジェスティック』と『I am Sam』が究極の選択を迫ってきたが、前者を選んだ。あらすじをよく調べずに観たので、主人公が「デビューしたての映画脚本家」と知ってうれしくなる。おかげで思いっきり主人公に感情移入して観ることができた。「わたしが同じ立場に遭ったら、パコダテ人を観て記憶を取り戻すのかなあ」と考えたりして、人と全然違うところで涙ぐんだりした。感心したのは、ストーリー展開。「赤狩りで自由を奪われた男」と「自由の国のために戦死した英雄」の対比がうまい。思想・言論の自由を守るという説教くさくなりそうな題材を涙で包んでしまう持って行き方。それで彼女は、試験にうかったばかりの弁護士だったのね、なるほど。やっぱり、シナリオは人物の置き方が大事だなあ。いちばん泣けたのは、ルークが戦地から恋人アデルにあてた手紙の「もしもそよ風が君の頬を撫でたら、僕だと思って欲しい」という一節。この手紙でぐっと心をつかまれたので、クライマックスの証言シーンも心に響いた。フランク・ダラボン監督は、『ショーシャンクの空に』がデビュー作で、『クリーンマイル』『マジェスティック』で3作目。人間讃歌の作品を着実に紡いでいる。■MAJESTICと聞くと、カンヌ広告祭のときに飲み明かしたホテルの名前を思い出してしまう。とても高いホテルなので、ペーペーの若者たちは、そこで飲むことはできても泊まることはできなかった。気持ちのいいテラス席で「広告とは」「今日見た中のベストは」などと熱く語り、安宿の「路地裏ビュー」(「オーシャンビュー」に対抗して、若者達がつけた)の部屋に帰っていくのだった。


2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日

■ロマンチックなものが好きなので、もちろん七夕が好きだ。短冊に願いごとを書いたりはしなくなったけれど、「無事二人が天の川を渡って会えますように」と星空を見上げる気持ちが好きだったりする。一年に一度しか逢えない、雲の上の遠距離恋愛。織姫と彦星の世界には、いつまで経っても携帯電話やメールのような便利なものはなくて、時間と距離を埋めるのは、気持ちしかない。二人は、痛いぐらい純粋な恋をしている。■友人のよっちゃんが去年の今頃『七夕のひみつ』というメールをくれた。いい話だったので、ファイルに保存しておいたら、今年も同じメールをくれた。「仮説実験授業研究会の藤森さんが発行していたミニコミ『たのたの』に載っていた」というその話は、「彦星も織り姫星も恒星だから位置は変わらず、この時期だけ近寄るってことはないはずなのに、何でこの時期に会うって伝説ができたんでしょうか?」という謎にはじまり、「もともと七夕は旧暦の7月7日の行事です。旧暦ということは太陰暦ですから、日にちと月の満ち欠けは一致しています。すなわち、7月7日は月齢7、『上弦の月』の日です。七夕の夜には、上弦の月がちょうど天の川あたりに位置するのです」と謎が解かれていく。なんと、昔の人は、この上弦の月を『船』に見立てたというのだ。「月の船に乗って、彦星と織り姫星は天の川を渡って会うわけです。昔の人って、結構ロマンチストですね!七夕の夜が晴れればいいな、と思います」と結ばれたこの話を書かれたのは藤森氏本人なのか、研究会関係者の寄稿なのか。こんなところに目をつける人は、昔の人以上にロマンチストだ。■はじめてシナリオで賞を取った作品は『昭和七十三年七月三日』。昭和七十三年は平成十年でとっくに終わってしまったので、『昭和七十七年七月七日』にリメイクして、今年の七夕に放送できたらと企んでいたが、その日も終わってしまった。初恋の二人が三十年ぶりに函館で再会する話なので、内容的には七夕にぴったりなんだけど。■織姫と彦星が天上で再会している頃、わたしとダンナは今夜から始まった『太陽の季節』を見ていた。昼間に予告を見て、「ワルなタッキーを見なきゃ!」とすっかりその気に。つきあわされて見ていたダンナが途中から身を乗り出し、「僕もワルになってみようかな」と研究していたのが、笑えた。

2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月06日(土)  とんかつ茶漬け

■午後から休日出社。上のフロアが工事中なのでガガガガガとすごい音がする。■今日のハイライトは、ずずや)のとんかつ茶漬け。パコダテ人のクランクイン前に、プロデューサーの三木さんと前田監督に教えてもらった味で、ひさしぶりに無性に食べたくなったら、もう足が新宿へ向かっていた。偶然にも、前に来たときと同じテーブルだった。「あの話はまだオフレコやんか!」と言う三木さんに「そういうあんたの声がデカい!」と突っ込んだなあと思い出す。あれからもうすぐ一年になる。あの日は、妙にテンションが高くて、じっくり味わえなかったが、今日あらためて、とんかつ茶漬けのただならぬおいしさに気づいた。とんかつがウマい。キャベツがウマい。テーブルに置いてあるイラストつき解説によると、もともとまかない飯だったのが口コミで広まり、名物になったらしい。行列のできる店になっても研究を怠らない姿勢に好感。

2000年07月06日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日

学生時代、森高千里の『わたしがオバサンになっても』がカラオケの十八番だった。社会人になってからも、しばらくは歌っていたが、もう何年も歌っていない。「オバサンになっても」という仮定形を堂々と歌うには、微妙な年頃になってしまった。「もうオバサンやん」「まだまだイケるよ」と意見の分かれる(!?)ところだが、否応なしに、今日、事実上のオバサンになった。大阪の妹が男の子(あれ、女の子だっけな)を産んだのだ。でも、たぶんわたしは「オバチャン」とは呼ばせず、意地でも「雅子姉ちゃん」を押し通すのだろう。わたしが小さい頃、親戚にオバチャンがなぜか一人もいなかったように。

今日のお茶うけは、キャンティの焼き菓子。キャンティは、1960年開業の有名レストラン。昔担当していた得意先の近くに本店があり、何度も通りがかっていたのに、こんな綴りだとは知らなかった。「シャンティ」と読んでしまった。

2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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