2002年05月31日(金)  ワールドカップ

■会社の人たちが、そそくさと帰っていくと思ったら、今日からワールドカップ。同僚もダンナも電車の中もその話でもちきりだが、わたしは「最も興味のない1%」に入っている自信がある。なぜ興味がわかないのか、自分でも不思議だが、普段からサッカーを見ないせいかもしれない。■4年前のワールドカップのとき、ちょうどフランスにいた。カンヌで泊まった安宿には、いろんな国のサポーターが集まっていた。隣の部屋に泊まっていたイタリアからのサポーターと仲良くなったり、朝食のとき食堂でアルゼンチンからのサポーターと話をしたりしたのは楽しかった。「君もサッカーの応援?」と聞かれて、「ううん、広告を見に来ている」と言うと、「おかしなヤツだ」と言われた。■どこが優勝するかにはあまり興味はないが、どんな人が日本に来て、何が起こるのか、オフピッチ(というのか?)のワールドカップには興味がある。サッカーが、ユカイな出会いをたくさん日本に運んでくれますように。

Friends #2

Anger is only one letter short of danger.
If someone betrays you once, it is his fault;
If he betrays you twice, it is your fault.
怒り-anger-は危険-danger-の一歩手前。
誰かがあなたを一度裏切ったら、悪いのは彼だけど
彼があなたをもう一度裏切ることになったら、悪いのはあなた。

2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2002年05月29日(水)  SESSION9

■SESSION9の試写会を見てきた。怖い怖いと脅されていた上に、ネットで予告を見て「最後まで耐えられるだろうか」と不安になったが、次回作のためにもホラーを研究しておこうと思い、見に行くことにした。舞台は、閉鎖され、廃墟となった精神病院。暗い過去と記憶がしみついた建物に、アスベスト除去の作業員らがやってきて……という話だが、「リアルスリラー」と銘打つだけあって、実話と言われても信じてしまいそうなリアリティーがあり、薄気味悪かった。「廃墟は心の中にある」ということを言おうとしているらしい。セッションとは、かつて病院で行われていた「診療」のこと。■話はがらりと変わり、関西にいる友人たちにドバッとパコダテ人案内メールを送った。「応援するよ」「早速友達にメール回したよ」と返事が続々。しばらく連絡を取っていなかった友からの近況報告もうれしい。これもみんな、しっぽ映画のおまけ。■友だちといえば、パソコンのファイル整理をしていて『Friends』という英語詩を見つけた。アメリカのホストマザーがずいぶん前に送ってきたチェーンメールで、最後に「10人に送って友情を確かめましょう」とあるのが興醒めなのだが、詩の内容はとてもいいので取っておいたのだ。わたしはチェーンメールは嫌いだけれど、ホストマザーとホストシスターの母娘は大好きらしく、せっせとジョークやら画像やらクイズやら送ってくる。先週は「このメールを10人に転送するとビルゲイツから入金される」というのが来た。ジョークのつもりなのかトクする話のつもりなのか、わからないので無視している。さて、数少ない「当たり」のFriendsをあらためて読み返すと、やはりいい。数行ずつに分かれているので、今日から日記の中で何回かに分けて紹介しようと思う。いまいまさこ訳つき。

Friends #1

Many people will walk in and out of your life.
But only true friends will leave footprints in your heart.
To handle yourself, use your head;
To handle others, use your heart.
何人もの人が あなたの人生を通り過ぎていく。
けれど あなたの心に足跡を残すのは 本当の友だちだけ。
自分に言うことを聞かせるには 頭を使いなさい。
他人に言うことを聞いてもらうには 心を使いなさい。

1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2002年05月25日(土)  イージーオーダー

■ダンナの紳士服のイージーオーダーについていく。わたしのカラフルな安物服10着分の値段で、ダンナは地味なスーツを一着買う。しかもボタンの数やシルエットはデータ保存されていて、毎回変わるのは生地だけだ。似たようなモノトーンの中からひとつを選ぶ。さて、生地を選ぶと「データを出力しますので、名前と住所と郵便番号を書いてください」と申込書を差し出される。ダンナが記入して待つこと三分。前回オーダーしたときのデータが取り出されてきた。それを店員の男性がマークシートに書き写していく……と、ダンナが一言。「これ、僕じゃないですよ」。見ると、名字は同じだが、住所は茨城県。アカの他人のデータだった。これじゃあ何のために郵便番号まで書いたのか、わからない。■間違って出された別人さんのデータは、そのままテーブルに放置されていた。本来なら、その場ですぐ畳むかどけるかして、客の目から遠ざけるべきだったと思う。逆のことを自分がされたら気味が悪い。住所、電話番号、前回買ったスーツの値段、はと胸かいかり肩かといったことまで記録されているのだから。目の前の客だけが客ではないのに、高級スーツを買った客も、紙切れになると杜撰に扱われるのは悲しい。百貨店のサービスもこんなものかと失望しながら、「これがドラマの1シーンだったらどんな展開になるか」を想像した。間違いに気づかずに別人サイズのスーツが仕上がってしまったら、コメディーになる。データが妻のかつての恋人のものだとしたら、妻はすかさず電話番号を覚え、何年かぶりに彼に電話をし、恋愛ドラマが生まれる。あるいは、憎んでも憎みきれない男の名前を見つけ、復讐の鬼となるサスペンスドラマもありうる。それとも、イージーオーダーはデータ管理もイージーだったという告発劇、いやドキュメンタリーがいいだろうか。

1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2002年05月24日(金)  清川虹子さん

■清川虹子さんの訃報を夕刊で知る。名前と顔を見て、「あの人では」と思ったら、やっぱりそうだった。二年前の第26回放送文化基金賞の授賞式、元気いっぱいのスピーチで会場を沸かせたあのおばあちゃんだ。出演した中上健次原作のNHKドラマ『日輪の翼』が受賞し、ディレクターとともに登壇した清川さんは、「生きててよかったー!」とマイクが割れるほどの大きな声と、両手を大きく広げる仕草で喜びを表した。その日に聞いたスピーチはどれも気がきいていて、笑ったり感心したり忙しかったが、清川さんのこの短いけれど勢いのある言葉が、他のスピーチを吹き飛ばしてしまった。年輪のなせるわざなのか、全身からただものでない雰囲気を漂わせていて、「この女優さんはすごい!」と圧倒された。「将来何になりたい?」と聞かれたら、「かわいいおばあちゃんになりたい」と答えるわたしだが、こんなにチャーミングな目標が目の前に現れたのだ。ちょうど「元気なおばあちゃんが主役」の企画を思いついたときだったので、「この人は、ぴったりじゃないか!」と膝を打った。懇親会でそばまで寄ってみたが、声をかける勇気はなかった。新聞記事によると、享年89歳。当時87歳だった。■あれから二年。忙しくしている間に、清川さんのことも、おばあちゃんの企画も、しばらく忘れてしまっていた。奇しくも今日、第28回放送文化基金賞の受賞作品が発表された。清川さんにご登場いただく夢はかなわないけれど、元気なおばあちゃんの話でまた賞を取ってみなさいと言われているのかな、と思ったりしている。

1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」


2002年05月20日(月)  ともだちの写真集デビュー

ともだちがはじめて写真集になった。そのともだちとは、クマのブラウン。写真集「brown diary」は、青山ブックセンターやパルコブックセンターなどに並んでいるとのこと。照れくさいので、変装して買いに行くつもり。webからも購入できるらしい。くわしくはブラウンダイアリーで。6月には写真展「brown diary photo exhibition」を開催するとかで、今年はクマ年になるかも。とってもかわいくていいヤツなので、たちまち人気者になってしまいそう。ともだちの活躍は、うれしいけれど、あんまり遠くに行かないでね。

1979年05月20日(日)  4年2組日記 はちがみねキャンプ場


2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん

安井寿磨子さんに、やっと会えた。パコダテ人のポスターやチラシやパンフに使われている、あのかわいい絵を描いた人だ。


ふだんは大阪住まいなので、会えるとしたら大阪公開のときかなあと思っていたら、東京の京橋で個展をやっているという。「前田監督のところにDMを送った」と本人は主張されているが、「絶対送り忘れです」と前田監督。ともあれ、安井さんと前田さんの共通の知り合いである赤星さんから前田さんに連絡が入り、わたしもぎりぎりで見せてもらえることになった。

「もっと早く知っていればチラシを置いてもらったのにー」と前田さんが悔しがると、「そうやねえ。ごめんごめん」とおっと〜りした大阪弁で応じる安井さん。

「かわいい人」とさんざん前評判を聞いていたのだが、見た目は、かなりの美人、しかも長身。しゃべりだすと、ぽわ〜んとした間と雰囲気が生まれ、かわいい人になる。「頑張ってや〜」と言いながら猫じゃらしのように振っていたシッポストラップは、前田さんの鋭い突っ込みを受けるとハンカチに早変わり。「そこまで言わんかて…」と涙を拭くフリをする。仕草がかわいらしくて、見ていて飽きない。

肝心の展示作品は、パコの宣伝用のイラストよりもぐっと大人っぽいタッチ。ほのぼのしたあったかさは共通しているが、「こんな絵も描くんだ」と新鮮だった。イラストに添えられた短い言葉には詩のようなリズムがあり、ちょっぴり不思議で、安井さんを見ているようだった。

1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ


2002年05月17日(金)  人生最高の日〜『パコダテ人』最終日

人生でいちばん感動した出来事は何だろう。真っ先に思い浮かぶのは、高校3年の文化祭にクラスで上演した『オズの魔法使い』。わたしは台本・演出・サルの役(ドロシーたちをさらうサル軍団のひとり)だった。前日のリハーサルが大失敗し、「6組は大したことない」の前評判が渦巻く中で迎えた本番。リハのときは動いてくれなかった気球も、まどろっこしかった場面転換も、すべてが奇跡的にうまくいった。

カーテンコールになって、鳴り止まない拍手が体育館を包んだ瞬間、わたしは舞台に崩れ落ちた。全身茶色づくめのサルの衣装だったので、しゃがんだ姿は、巨大な唐揚げのように不様だった。客席で見ていた友人は「気分が悪くなった」と思ったらしいが、膝が震えて、立っていられなくなったのだ。

その4年後、奇しくも同じ『オズの魔法使い』で、わたしはもう一度崩れ落ちることになる。今度は、舞台の上ではなく客席の通路で。教育実習で受け持ったクラスの上演をビデオに撮っていたのだが、カーテンコールで満足そうな生徒たちの顔が並んだ途端、今までの練習を思い出して涙が噴き出した。生徒よりも教育実習生が頑張ってしまっていたのである。

頑張ったことが報われたとき、わたしの感動メーターは振り切られるらしい。今日、『パコダテ人』東京公開の最終回、エンドロールが流れる直前に劇場に滑り込んだ。「一度はお金を払って見よう」と決めていたのに、残業で間に合わなかったのだ。

いちばん後ろのドアを開け、客席に頭がぎっしり並んでいるのを見ただけで、もうダメだった。すぐ横に立ち見の人もいた。席を立つ人はほとんどおらず、皆が画面に見入っているのを見ていた。いいタイミングで自分の名前が画面にせり上がった。スタッフ一人ひとりの顔を思い浮かべながら、名前を追っていたら、熱いものがこみあげてきた。函館市民のみなさんの名前がずらーっと出てきて、涙が止まらなくなった。感動すると、体が震えるんだなとあらためて思った。よりかかる壁がなければ、崩れていただろう。

出てきた知人たちが次々と声をかけてくれた。はじめて会う人も声をかけてくれた。親しい人たちが「祝杯だ!」とごちそうしてくれた。パコダテ人を書いて良かったと心から思えた夜。人生でいちばん感動した出来事は決められないけれど、今夜は間違いなく、そのひとつ。

1979年05月17日(木)  4年2組日記 今日から日記


2002年05月16日(木)  パワーランチ

夜の予定がなかなか立たないので、ランチタイムを人に会う時間にあてるようになった。どんなに忙しくても、ランチはなるべく外で食べるようにしている。太陽を浴びて、おいしいものを食べて、ついでに刺激とパワーをくれる会話があれば最高。

月曜日は留学時代の友人たちと表参道に集合。会うと元気が出るので、定期的に「パワーランチ」を合言葉に集まる。妻だったり、母だったり、会社員だったり、フリーだったり、それぞれの立場で抱えている悩みや痛みを分かち合い、時には笑い飛ばす。現実はドラマの世界よりもずっとドラマチックで、登場人物も魅力的だったりする。あまりにありふれているせいで、ほうっておくと忘れてしまいそうな「いいシーン」や「いい台詞」を形にとどめたくて、シナリオを書くのかなと思う。

水曜日は応援団の先輩、Nさんの職場近くに行く用があったので、茅場町で会う。大学は違うが、飲み会で「お前ならもっと飲めるぞー」とかわいがってくれた人だ。三年ほど会っていなかったが、パコダテ人トークイベントの案内を出したら、大きな花束を持って駆けつけてくれた。そのお礼を言うと、「どんな映画だったか、わかんないんだよ。はじまってすぐ爆睡してさー、三十分ぐらい寝て、仕事戻っちゃったから」。「それはないでしょう!金曜までやってるんだからもう一回観てよ」と言うと、「今井の話が映画になったってだけで、俺はうれしいんだよ」。喜んでくれる気持ちはうれしいけれど、応援団は選手を応援するだけじゃなくて試合をちゃんと見届けないと。

今日はテレビ局のプロデューサーをしている同級生のY君と会う。電通の就職試験の帰りに新幹線の中で知り合って以来のおつきあい。彼がプロデュースした番組をわたしが書く可能性も、なきにしもあらず。人生何が起こるかわからない。


2002年05月15日(水)  パコの不一致

■ダンナがサッカー中継に見入っているので「パコダテ人とどっちが面白い?」と聞いたら、「サッカーに決まってるだろ!」と言われた。関係者試写で観たときは感動していたくせに、「ストーリーが荒唐無稽すぎる」「大人にはついていけない」と今頃になってあら探しを始めた。『海の上のピアニスト』を一緒に観たときも、「船に何ヶ月も閉じこもっていたピアニストが、こぎれいなカッコしてて、髪も伸びてないのはおかしい」と難癖をつけ、作品を全否定した人なので、ファンタジーを受けつけないのかもしれない。(ちなみにわたしは、あのピアニストの時間が止まっているのは、訪ねて行った友人の見た幻だからだと思っている。そうでなきゃ、ピアニストの乗った船が大破されるのは残酷すぎる)。人の作品で意見が分かれるのは許せるが、自分の記念すべきデビュー作をそんな風に思われていたとは。つじつまとか理屈とかすっ飛ばしているところがパコダテ人の面白さなのだが、それを欠点だと指摘する意見もある。でも、世界中を敵に回したって、自分の家族にはわかってほしいのだ。しっぽごとひかるを受け入れてくれた日野家のように。「あの作品はわたしそのものって言ってくれる人もいるのに、それを否定することは、わたしを否定することだ!」と暴れていると、サッカーから片時も目を離さないダンナは、「いや、君そのものは見てて面白いよ」。そんなこと言われてうれしいもんか。あーあ、パコの不一致、とスネた。■後日、友人E君に話すと、「サッカー観てるときに、そんな野暮なこと聞くのは、飼い犬がご飯食べてるときに手を出すようなもの」と言われた。つまりはタイミングが悪かったということ。「今度、目の前にごちそうがないときに聞いてみたら」とアドバイスされたので、あらためて同じ質問をしてみよう。


2002年05月14日(火)  戯曲

■ラジオ、テレビ、映画に続いて、はじめて舞台の脚本を書くことになった。「戯曲を書きませんか」という人が現れ、企画を提案したら、具体的に書かせてもらえることになった。『パコダテ人』と『風の絨毯』の縁で知り合った方から舞い込んだ話。仕事が仕事を呼んで、わらしべ長者みたいだ。決してお金持ちになっていってるわけではないが、豊かな経験を手に入れていると思う。


2002年05月13日(月)  ディレクター

■今週はラジオCM録りが二つ。ラジオの現場では、コピーライターがディレクターになる。台詞の言い方をディレクションするのは難しいけれど、うまく意図が伝わると面白い。音だけで表現するラジオは、コピーもシナリオも、映像がない分、より「言葉勝負」になる。会社の仕事で5分ぐらいの長尺CMをドラマ仕立ててやれたら、しかも自分でディレクションできたら、というのが会社員コピーライターとしてのささやかな夢。地道に提案し続けるとしよう。■今日のパワー源は、表参道のケーキ屋「キルフェボン(フランス語で、なんていいお天気!)」の苺のタルト。ここのケーキはダントツの幸せ度。一年ぶりぐらいに食べたけれど、とろけた。最高。


2002年05月09日(木)  奇跡の詩人

■昨日の夕刊に「奇跡の詩人についてNHKが説明」の記事を見つける。脳障害を負いながら、文字盤を指差すことで言葉を紡ぐ日木流奈(ひき・るな)君を追ったNHKスペシャル
(4月28日放送)に対して、「信じられない」の声が殺到したため、急きょ11日のスタジオパークで時間を取り、説明を行うことになったらしい。番組内容を告知するだけの小さな囲み記事の中に、「奇跡はニセモノではないかという疑惑に答える」というニュアンスが感じられた。放送を見て、震えるほど感動したわたしは、奇跡をまるごと信じていたのだが、奇跡に疑問を抱いた人がいたこと、しかもどうやら相当の人数だったことに驚いた。■帰宅したダンナに聞いてみると、「週刊誌にも載っていたよ。賛否両論で話題になっているみたいだね」とのこと。「お母さんが読み上げる言葉は、本当に流奈君が指差しているのか」という根本的な訝りの他に、ドーマン法の有効性への疑問や、意思表示ができるようになった科学的根拠の欠落などが視聴者だけでなく医療関係者からも指摘されているという。だけど、あの番組はドキュメンタリーであって科学番組ではない。奇跡を実証するのが目的ではなく、奇跡が生まれたという事実がドラマだったはずなのだ。他にも様々な憶測や噂が飛び交っているようで、「流奈君のお父さんお母さんは、この騒ぎをどう受け止めているんだろう」「傷ついているんじゃないかな」と考えていたら、眠れなくなった。■ネットで調べてみると、今回の視聴者の反応について、すでに流奈君の家族に取材が行っていて、「真実であるとしかいいようがなく、どう言っても、分かってくれる方は分かるし、分からない方は分からない」とお父さんのコメントがあった。奇跡は、希望であり光であると思う。奇跡が傷つけられたときには、希望は絶望に変わるのではないかと心配だ。11日の番組でどのような説明がされるのか見る前にあれこれ言うべきではないかもしれないが、わたしは、奇跡を信じたい。


2002年05月06日(月)  古くても新聞

>■ゴールデンウィーク最終日。午前中はワープロを打ち、午後からはたまりにたまった新聞を整理する。朝刊はダンナが持って行ってしまうので、夕刊と土日版だけだが、1か月も経つと、ずいぶんな量になる。それを一気に読んで、資料になりそうな記事をチョキチョキ切っていくのだ。新聞を読むたび感心するけど、あれだけの紙面を毎日毎日埋め尽くすって、すごい労力だと思う。しかも、地域から全国から世界中から、よくぞまあ面白い話題を集めてくるものだ。■たとえば朝日新聞から、フランス大統領選の「主な弱小候補者の訴え」。「すべての人に快楽を」と訴え、「コンドームを1個0.1ユーロで配布」し、「失恋者を救う救急車を」と主張する快楽党のシンディー・リー候補は、ホームページでヌードを披露。ピーターパンと名乗る候補のポスターは、シザーハンズがガリバーになったようなイラストだ。「私の政策を知るには、私の小説を読んで」と訴えていた候補者は、支持者より愛読者を釣ろうという考えなのか。23歳以上でフランス国籍と公民権を持つ者なら誰でも大統領に立候補できるらしいが、「ソーセージ(犬)」なる候補者も名を連ねている。目が離せない国だ。■これも朝日で、デパ地下用語の「兄と弟」は「売れ残りを再利用するときの業界用語」と知る。兄は昨日出したもので、弟は今日のもの。太郎はゴキブリで、次郎はねネズミなんだとか。■フカヒレは「サメのヒレ」で(フカという魚のヒレだとばかり思っていた)、「捕獲されたサメはヒレを切り取られたあと海に捨てられ、死んでしまう」こと、「出ますよ」とご案内をいただいていた永井一郎さんの本がとっくに出ていたこと、「サントリー緑水のCMについて教えてください」という読者からの投書に「女の子は女優の宮崎あおいさんです。(中略)現在、主演第二作目のパコダテ人が公開中です」という答えがパコダテ人東京公開初日の読売夕刊に載っていたこと、パコ広告も東京公開一週間前に掲載されていたこと、なども知る。古くても、新聞には驚くことだらけ。


2002年05月04日(土)  フランスのパコダテ人、函館のアメリ。

■ついに『アメリ』を見る。去年公開したときから、見た人たちから「絶対好きだと思うよ」と言われ続けてきたのだけど、ずっと機会を逃してきた。先日『パコダテ人』を観た人が「函館の『アメリ』だ」と言ってくれたので、さすがに観ないわけにはいかなくなった。超ロングランだし、いい加減すいている頃じゃないかと思ったら、シネマライズに30分前に着くと、すでに長蛇の列。反対側のパルコ前には『ハッシュ』の行列。この人たちの半分でもパコに流れてくれないかなあ。■想像していたのは、メアリーポピンズみたいなドタバタした話だったけど、アメリは背伸びしたおとぎ話のような作品。全体を流れる空気が、おしゃまというかオッシャレーなのだ。ブラウスやアクセサリーや家具がひとつひとつ可愛くて、いちいち欲しくなるし、ちりばめられているエピソードもほどよくエスプリが効いている。三分間写真の箱の中にミステリーが詰まっているとか、公衆電話で人をつかまえられるとか、横取りしたいアイデアも続々出てくる。そもそも「いつか使いたい小ネタ」を一本にした映画じゃなかったっけ。それにしてもフランス語ってずるい。あのボジョボジョした響きだけで、お洒落で小粋な雰囲気になるんだから。アメリが日本人で日本語をしゃべっていたら、鼻につく女の子の迷惑エピソード集になっていたんじゃないだろか。おフランスだから、幸せの魔法は成功している気がする。アメリを「フランスのパコダテ人」、アメリ・ブーランを「フランスのひのひかる」と呼ぶには無理があることがわかったけれど、あえて二つの作品の共通点を探すとしたら、「自分をたのしむことが、幸せになるきっかけ」ってことなのかな。


2002年05月03日(金)  スペクタクル・ガーデン「レジェンド・オブ・ポリゴン・ハーツ」

スペクタクル・ガーデン(通称スペガー)の旗揚げ公演「レジェンド・オブ・ポリゴン・ハーツ」を観てきた。チア仲間で女優の宮村陽子が出演しているからだ。先日解散した劇団MOTHERにいた頃から彼女の出ている芝居はよく観ているが、スペガーはMOTHERの若手メンバーが中心になって立ち上げた新ユニットなので、出演者のほとんどは「観たことある顔」そして、「安心して観られる実力派ぞろい」だ。「混んでるから覚悟してやー」と脅されていたが、30分前に着くと、すでに席はほとんど埋まり、いちばん前の体育座り席に通された。かぶりつきでよく見えたが、おしりが痛くて、途中何度か失神しかけた。それでも気を失うのを忘れるほど面白く、二時間たっぷり笑わせてもらった。どんな話なのかまったく前知識なしに行ったのだが、「ゲームソフト会社のリストラ対象者のふきだまり部署がとんでもなくい面白いゲームを作ってしまう話」で、スクリーンに映し出されるゲーム画面(オリジナルで作ったらしい)との連動でストーリーが展開していく。「開発者が愛を注がなければ、どんなゲームもクソゲーになる」など、モノづくりの姿勢を問いかける台詞がちりばめられていて、メーセージもビシバシ伝わってくる。やはり脚本のますもとたくやさんは天才だとあらためて思う。この人は役者としても注目していたのだが、以前手がけられたMOTHERの若手公演の脚本にも唸らされた。わたしも戯曲を書くならこれぐらい観客を楽しませられるものを書きたい!と、いい刺激をもらった。おしりの痛みも余韻もしばらく続きそう。


2002年05月02日(木)  永六輔さんと「しあわせのシッポ」な遭遇

またまたシンクロニシティに遭遇。昨日の日記に書いたタロウ君より、今朝メールが届いた。

ザ・ピーナッツの歌に「しあわせのシッポ」というのがありますが、永六輔が作詞をしています。サイン会で本人にパコダテ人の映画の話を伝えてみました。「なんでぼくの歌をテーマソングに使ってくれなかったの?」と冗談を言った後、「今やってる同じタイトルのドラマがあるのも知ってる。この年まで生きていると、いくつかのメッセージにはローテーションがあるのが、ぼんやり判ってきた。新しいように見えるものばかりだけど、作家本人無意識でも過去の繰り返しは多いと思う。誰か好きな作家(出来れば永六輔)を見つけて凌駕し、自分なりに味付けし直してみてほしい。世の中上質になっていく」。以上、今井雅子さんに伝えてください。とのことでした。加えて「伝統建築が美しいのはそれを繰り返しているから」だそうです。

とあり、入手したての永六輔のサイン画像が添付されていた。このメールを読んだ数時間後、赤坂で宮崎あおいちゃんのマネージャーの小山理子さんとお茶していると、店を出ようとしている紳士の後ろ姿を見て、「永六輔さんです」と小山さんが囁いた。同じ日に別々の人から彼の名を聞いたのも初めてが、間接的にメッセージをくれた本人に直後会ってしまうなんて、なんという偶然!

興奮していると、「追いかけて伝えたら、どうですか?」と小山さん。「でも……(ご迷惑では? はあ、とか言われちゃったら?)」と迷っていると、「こんな機会、もうありませんよ」。その一言で飛び出し、お会計を済ませた永さんを呼び止めることができた。「あの……はじめてお目にかかりますが、今井と申します。先日サイン会されましたよね? そこでわたしの友人が『しあわせのシッポ』と『パコダテ人』の話をしたと思うんですが」と一気に話すと、「ああ」と何となく思い出された様子。「わたし、そのパコダテ人を書いた者です。で、いま、しあわせのシッポに出てる女優さんのマネージャーさんと一緒にいて、こんなところでお目にかかれてびっくりです」と支離滅裂になっているわたしに、永さんこそびっくりされたはずだが、「あの歌は三十年前につくったんですよ」とにこやかに微笑み、去って行かれた。

雲の上の人との距離感が一瞬ふっと縮まったような、「しあわせのシッポ」な出来事だった。


2002年05月01日(水)  きもち

■幼なじみのタロウ君から電話。「パコダテ人の大阪公開の前売り券ってもう出てんの?京都の井上君が買いたいって」。京都の井上君は、わたしの高校・大学の同級生。偶然タロウ君と同じ会社に就職し、現在タロウ君は東京、井上君は京都で仕事をしている。「大阪の前売りはまだ見てないけど」と返事すると、「じゃあ、手に入ったら二枚よろしく」と太郎君。「でも、東京から送らなくても、大阪のチケット屋さんで買えるよ」と答えると、「そういうこととちゃうねん。井上君は、今井雅子を直接応援したいって言うてくれてるんや」。そう言われて、ハッとなる。「そうか、気もちやね」「そうや、気もちや」。電話を受けたときは義父母の家にいた。「今こんなやりとりがあってね」と二人に伝えると、「ありがたいことだね」と言ってくれた。そう、気もち、気もち。

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