2002年03月31日(日)  レーガン大統領と中曽根首相の置き土産

12時より井の頭公園脇の鳥良(とりよし)で留学時代の同窓会。わたしが参加した交換留学プログラムは、当時「ロン」「ヤス」と呼びあっていたレーガン大統領と中曽根首相がはじめた通称「府県交流」と呼ばれる制度で、日本の47都道府県から一人ずつが一年間アメリカで学び、かわりにアメリカの50州から二人ずつが夏休みの一ヶ月半を日本で学ぶというものだった。同期の46人とは全米に散らばる前にワシントンDCで5日間の研修を共にしただけだが、帰国して15年経つ今も交流が続いている。

今回の参加者は10人で、同伴の家族を含めるとプラス8人。高校生だった頃に知り合った仲間が大学生になり、就職し、妻や夫になり、親になっていく。座敷を走り回る子どもたちを見ながら、時が経ったんだなあとしみじみ思った。

井の頭公園で散りかけの桜を楽しみ、ルノワールでお茶をして、夕方解散。このグループの特長は、とにかくみんなよくしゃべること。同時多発的に全員が発言している。見ず知らずの家庭に放りこまれ、言葉の通じない学校に転入し、自分の居場所を確保するのに多かれ少なかれ戦った人たちは、知らず知らず自己主張という武器を身につけてしまったようだ。

2001年03月31日(土)  2001年3月のおきらくレシピ


2002年03月30日(土)  映画『シッピング・ニュース』の中の"boring"

大阪から上京し、2泊3日の滞在を楽しんだ父と銀座で会う。娘の家には泊まらずホテルを取り、家に寄ろうともしなかった。気を遣ったというよりは、現実を見るのが怖かったのだろう。父が来るならと片付けかけた手を止めてしまったので、あいかわらずわが家は散らかったままになっている。めったにない父娘デートなので、帝国ホテルの『なだ万』へ。パコダテ人の話やインターネットの話が中心。父のホームページを作ってあげるよと約束する。ネクタイ労働を嫌って教職に就いたのに、なぜか旅先でスーツを着ている父。謎だ。この格好で、昨日は単身ディズニーランドに乗り込み、はしゃいできたらしい。怪しすぎる。

父と別れ、新聞広告を見て気になっていた『シッピング・ニュース』を見る。淡々としたストーリーで強く心を揺さぶられる作品ではなかったが、胸を締め付けられる台詞があった。主人公の新聞記者の妻は、ほとんど家に帰らず、子育ても夫にまかせっきりのひどい母親で、交通事故であっけなく死んでしまう。だが、幼い娘は母親の死を理解できず、「どうして、いなくなっちゃったの?わたしが退屈だから(Because I'm boring)?」と父親に問いかける。自分はつまらない人間だから、置き去りにされるという淋しさと焦りが、痛かった。

boringという言葉に過剰に反応してしまうのには、理由がある。アメリカに留学したばかりの頃、「Masakoと遊んであげなさい」と言うホストマザーに、わたしより8才年下のホストシスターは「ヤダ。だって彼女といてもつまんないんだもん(Because she is boring)」と言った。英語はちんぷんかんぷんだったのに、boringという単語は悲しいほどハッキリと聞き取れて、「ここではわたしはつまらない人間なんだ」と落ち込んだ苦い思い出がある。ちょっとした変化で人間は簡単に傷つくし、傷つくたびに強くなっていくのだと思うが、『シッピング・ニュース』の監督は、そのことをよく知っている人ではないかなという印象を抱いた。「落ちこぼれを優しく包む作品」という劇評があったが、そんな眼差しを持った作品だった。

夜はFMシアター『幸福な部屋』を聴く。30才を過ぎて授かった子を産むまでの夫婦の葛藤と成長の話なので、他人事ではない。ラジオドラマはboringだと集中力が続かなくなるが、ぐいぐい引き込まれる50分だった。


2002年03月29日(金)  パコダテ人トーク

■去年の夏に買ったジーンズに足を突っ込んだら、太ももで止まってしまった。GAPキッズのいちばん大きいサイズ。1900円で買って「いい買い物をした」と喜んでいたのに、デブっては意味がない。最近あまりによく食べるので、これで太らないほうがおかしいのだが、子ども服が入るサイズに戻すぞ。■来週木曜にテアトル新宿で行われる前田哲監督×田中要次さんのパコダテ人トークにわたしを呼ぶという話が急浮上。前田監督サイトにリクエストがあったとかで、見てみると、カフェの常連さんたちが盛り上げてくれていた。嘘から出た真実で、松田一沙ちゃんとともにスペシャルゲスト決定。いいのだろうか、わたしなんかが混じっても。なんとも、もったいない話。


2002年03月27日(水)  12歳からのペンフレンドと3倍周年

小学校時代のペンフレンドを経て、今も親しくしているさおりとは誕生日が近く、わたしの5日後に彼女が生まれている。東京で再会するようになってからは、何回か二人だけの誕生会を開いた。しばらく間が空いてしまったが、「今年は、ひさしぶりにやらない?」ということで、今夜、一か月以上遅れの誕生会となった。

二人の職場の間を取って赤坂で落ち合い、ベトナム料理屋で乾杯。出会ったときから、もう3倍近い年齢になってしまった。今の3分の1しか生きてなかった頃、さおりもわたしも、就職しても結婚しても友情が続いていることを想像していただろうか。不思議なことに、年を経ても共通の話題は尽きない。さおりは夕張生まれで、2才のときまで住んでいた。ダンナさんは映画やテレビの制作関係のお仕事をしている。最近、知人から大泉洋さんの面白さを聞き、インターネットで『水曜どうでしょう』を見て、ハマっている。大学の同級生にも会社の同僚にも、夕張と映画と大泉さんの話で盛り上がれる友達なんて、いない。

昔からの友だちは、わたしが忘れていることを覚えていたりする。「わたしが大阪行って雅子がアメリカ村を案内してくれたとき、店先のスピーカーから流れてきた英語の歌を雅子がその場で訳したんだよ」とさおり。その歌は知っているが、歌詞は覚えていないから、当時のわたしは英語の歌詞を同時通訳できたらしい。記憶にも残っていないということは、目に留まった看板の漢字を読むような感覚で、あっさりやってのけたのかもしれない。アメリカ留学から帰って半年後ぐらいのことだ。幼なじみのT君が、小学校の同窓会のあと「僕の少年時代の空白を、みんなの記憶が埋めてくれてうれしい」と言ったことを思い出す。旧友は思い出の出張所でもある。


2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)

■会社のM先輩が「とある制作会社の社員旅行」の話をしてくれた。毎年、企画委員会が結成され、凝りに凝った社員旅行をプランするのだが、前回は伝説になるほど気合いが入っていたという。目的地の沖縄でロケハンを重ねた企画委員会は、架空の『○×王国』を建て、某旅行情報誌そっくりなガイドブック(書体からレイアウトから挿し絵のタッチまで精巧に真似た芸術品!)まで作ってしまった。さらに王国のパスポートを配り、那覇空港の一画を借りて入国管理まで行う徹底ぶり。目玉企画のラリーがまたすごい。部署も年次もバラバラな4人1組が1台に乗り込み、与えられたヒントをもとに宝を探すのだが、「指示された場所に着くと双眼鏡が置いてあり、そこからぎりぎり見える看板にヒントが書いてある」といった凝りようで、なかなかお宝に辿りつけない。4人の中にプロデューサーがいると仕切りは完璧だが、理屈よりも直感で行動するプランナーがそろったチームは悲惨な目に遭う。各チームは羽田に集合したときからユニフォームを着込み、飛行機の真ん中の4席を1チーム1列ずつ占める。前から見ると万国旗のようだとか。面白い。面白すぎる。なんで社員旅行ごときに、そこまでやってしまうのか。言ってしまえば「ノリ」だろう。楽しませたい、楽しみたいというノリは、ものすごいパワーを生むのだ。■21:20よりテアトル新宿でENBUゼミの作品上映イベント『ドロップシネマ・パーティー』。前田監督と熊切和嘉監督の対談に続いて熊切和嘉クラスの『LOCK』、前田哲クラスの『はじめての白さ』、三枝健起クラスの『ジェラシー』を観る。対談では、前田監督は強引な話術でパコダテ人の売り込みに終始。落ち着かないのか、膝がパカパカ開閉してタンバリン状態。開けるか閉めるかどっちかにしなさい。客席にいる松田一沙ちゃんのことは「会って、みちる役は彼女だと確信した」と持ち上げておいて、わたしのことは「毎日のように無言留守電残してたら、変な人やと思われてたけど、会ってみたら、向こうが変な人でした」と落としてくれた。さて、『はじめての白さ』はコインランドリーを舞台にした11分の短編で、思いのほか楽しめた。ベートーベン『歓喜の歌』に合わせてブラやショーツが飛び交うシーンは最高。こういう絵をキュートに撮れるのはすごい。前田監督は監修とのことだが、とてもテイストが出ていると思った。口は悪いけどノリはいい。


2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?

■高山ロケから帰ってきた『風の絨毯』のプロデューサー、益田祐美子さんと山下貴裕さんのコンビと食事。日本部分の撮影は終わったもののイラン部分の再撮があり、それに続いて編集があり、全然気を抜けないそうだ。ひと月先の『パコダテ人』公開でバタバタしているわたしにしてみれば、来年の公開までずいぶん余裕があるように思えてしまうが、日本とイラン、日本語とペルシャ語を行き来しての作業なので、時間が倍かかるのだという。「今井さんの脚本があったから、ここまで来れた」と益田さんは言ってくださるが、最終的な脚本はフィルムの中にあり、決定稿といえるものもあってないようなもので、わたしもその内容をよく知らない。では、わたしが書いた脚本はどこへ消えたのか。■脚本は役者のアドリブや監督の演出、スタッフのセンスや個性を発揮するための手がかり足がかりである。料理で例えればレシピ、建築で例えれば設計図、絨毯で例えればデザイン画にあたるものだろうか。『風の絨毯』の場合、原案はプロデューサーの頭の中にあった。「こんな絨毯を編みたいんだけど、デザインにしてくれない?」と言われたわたしがイメージを画に起こし、見える形にした。プロデューサーはその絵を持って賛同者を募っていき、絨毯プロジェクトは実現へ向けて前進した。そして、実際の絨毯を編むにあたり、「イランでは、こういうデザインは使わない」「われわれなら、こう編む」といった視点でデザインは大きく描き変えられた。それを見た日本側が「最初に入れてたあのモチーフだけは残してくれ」「この部分は日本にはそぐわない」と意見を言い、絵はまた姿を変えていった。編みはじめる直前のデザイン画は、最初にわたしが描いた絵とは似ても似つかないものだったが、不思議なことに、エピソードも台詞もすっかり入れ替わっても伝えたいことは変わらない。魂は受け継がれているのだ。高山ロケで工藤夕貴さん演じる画家・永井絹江が「絨毯に魂が宿る」といったことを話すシーンに立ち合ったが、そういうことなんだろうなあと自分の仕事に置き換えて聞いていた。脚本は消えたのではなく作品の中に溶けこんだのであり、絨毯に編みこまれたのだ。だから、「脚本のない映画で、あなたは何をやったのだ?」と聞かれたら、「あの絨毯を一緒に編みました」と答えようと思う。


2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり

■電話をうっかり取ったら不動産屋だった。引っ越す予定はないと答えるが、見て欲しい家があるという。「行っても冷やかしにしかなりませんよ」と言うと、「見てくれるだけで仕事になるんです」。ノルマでもあるのかもしれない。家から歩いてすぐの物件だったので、散歩がてら行くことにする。断るのが下手で、顔も知らない相手に同情してしまう。騙されやすく付け入られやすいカモネギ型人間だが、本人は「いろんな人に会うのも芸の肥やし」と思っていたりする。■担当のSさんは高嶋政伸似の爽やかな兄ちゃんだった。「何でも聞いてください」と言ってくれたので、シナリオを書いていることを明かした上で、家のことと並行してお仕事について聞く。どんな風に営業し、契約を取るのか。何がうれしくて何が辛いのか。電柱に貼っているチラシは誰がいつ貼るのか。書き手としてではなく一個人として興味があるのは、人々が何をもって「この家を買おう!」と決めるのかということ。週末にドバッと折り込まれる不動産のチラシを見るにつけ、これだけの物件からひとつを選ぶ難しさを思ってしまう。しかも何千万という単位の買い物だ。「出会いですね」とSさん。「だから、いつか買われる日のために、たくさん見ておいたほうがいいですよ」。というわけで、建築済みの3件を内覧し、建築中の1件を見に行く。部屋を見て、そこで繰り広げられる暮らしを想像するのは楽しい。口八丁ではなく、Sさんは本当に見せるだけで売りつけてこなかった。会社の方針なのか、彼の性格なのか。わたしにとっては有意義な家めぐりだったが、彼はこれでよかったのだろうか。家を探している人がいたら、Sさんを紹介しようと思う。■夕方、ダンナとスポーツクラブへ。黙々とマシントレーニングをしているとブロイラーのような気分になる。ランニングマシーンを発明した人は、どうしても家を離れられない理由でもあったんだろか。走った距離にあわせて恐竜が育つとか、映画の続きが見られるとか、何か変化があれば楽しいのだが。キロ数と消費カロリーが刻々と増えていくだけで、面白みがない。退屈のあまり「このベルトコンベアーの上で転んだらどうなるか」などとバカげたことを考えてしまう。検品ではじかれる不良品みたいに、みじめに飛ばされるのだろうか。試してみる勇気はないけど。■ダンナの実家まで1時間歩く。やっぱり景色が変わるほうが楽しい。


2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』

■インド映画『ミモラ』の試写会チケットをもらった。2名入場できるというので、気軽に誘える唯一のシナリオライター横山亮子ちゃんに声をかける。会場近くのインド料理屋でバイトしているので、ちょうどいい。チラシには「インド版『タイタニック』あるいは『風とともに去りぬ』」と書いてあったが、夢見心地なロケーションと豪華な衣裳、突然歌い踊るサマは、インド版『ムーランルージュ』。凧上げのシーンは空を舞う凧と地を舞う登場人物の共演が楽しく、印象的だった。ストーリーは「結婚したら心も体も(家同士が決めた)夫のもの」というインドの価値観に反発するヒロインが真実の愛を勝ち取るまでを描いたもの。わたしの幼馴染みのインド人、ポピーちゃんの披露宴に出席したとき、「花婿とは今日はじめて会う」と言っていたことを思い出しながら観る。幸いポピーちゃんは電子メールという文明の利器で事前に彼とコンタクトを取っていたので、メル友と結婚したとも言える。『ミモラ』のヒロインは、好きな人がいるのに無理矢理結婚させられてしまうのだが……。一見遠回りしているような前半部は、ドラマチックな後半部のための助走。途中でintermission(休憩)のテロップが入る3時間7分の大作だったが、ラストに近づくにつれて引き込まれていった。■台詞はヒンズー語と英語のちゃんぽん。何度か出てきた「愛」を意味するヒンズー語「ピャル」のかわいくて甘い響きが気に入ったのだが、「その言葉、厨房でよく聞くんだけど」と横山ちゃん。男性シェフどうしで「ピャル」を使うのはどういうシチュエーションなのか興味がある。店では『横山ジー』と呼ばれてる横山ちゃんは、『ジー』という呼び名に『先生』と字幕がついているのを観て、「わたし、先生だったのか!」と驚いていた。


2002年03月22日(金)  遺志

■大阪の母からA君のご両親からの挨拶状が転送されてきた。大学は別々だったが応援団仲間のA君は、豪快で美男子で男から見ても女から見てもイイ男だった。北大で行われた大会で仲良くなり、「記念にその履き古した草履をちょうだい」と冗談で言ったら、京都の下宿に宅急便で送りつけてきた。わたしの留守の間に束の間のひとり暮らしをしていた妹は、北海道土産が着いたと喜んで開封し、あまりの臭さに気を失いかけた。応援団と切っても切り離せない三大液体(汗、酒、○○)がしみ込んだ強烈な臭いだった。この話を思い出すたび、涙が出るほど笑ってしまうが、今は別な涙が混じってしまう。A君は去年の暮れ、突然倒れて、あっけなく逝ってしまったのだ。持ち前の潔さが死に様に現れてしまったようだった。葬儀に参列できなかったこともあって、今だに彼がこの世にいないという実感が湧かない。だが、百か日の法要を済ませたご両親からの挨拶状を読むと、あらためて、やはり、彼はいないのだと思い知らされる。寄せられた志は有珠山洞爺湖温泉の復興資金と吉野川の自然保護運動の活動資金に寄付されたとのこと。どちらも報道番組を作っていたA君が取材し、その後も気にかけていたことなのだそうだ。彼の遺志は、たしかにそこに生き続けるだろうし、わたしも有珠山や吉野川に、今後は特別な思いを抱くことになるだろう。死んだ者の居場所は、生きている者の心の中にある。応援団仲間と会うと、「あっちで元気にやってるかなあ」「あの世では、あいつのほうが大先輩だから、俺たちが後から行ったときには飲まされるんやろうなあ」などと話したりする。生きているわたしは、これからもたくさんの人と出会いと別れを繰り返すのだろうが、心のどこかにA君の場所は空けておきたいと思う。


2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画

■『月刊シナリオ』に載せるシナリオは採録(完成フィルムから起こしたもの)ということで話が進んでいるのかと思っていたら、いざフィルム起こしが終わってから「え、決定稿じゃないの?」と言われてしまった。ちゃんと確認しておかなかったのがいけないのだが、最後に刷った台本から撮影ぎりぎりまでにいくつか変更があったものを「決定稿」として載せる、と監督もプロデューサーも考えていたようだ。前田監督はわたしの作業が無駄になってしまうのを気遣い、「採録を載せてもええけどなあ」と言ってくれたが、わたしは「どちらでもいいですよ」と答え、二人で「どっちを載せるのがいいか」と客観的に話し合う。採録は今後世に出る可能性がある(たとえば「前田哲作品シナリオ集」とか)が、決定稿が世に出るとしたら、月刊シナリオに載る今回しかチャンスがない。採録はかなりアドリブや演出が入っており、シナリオに再現すると、あまり面白さが伝わらない。完成版との違いを劇場で確かめてもらうのもいいんじゃないかということで、決定稿のほうを載せることにした。「字幕つくるときに採録は必要になるんで、やってもらったことは助かるんですけど、そういうヒマがあったら次の作品書いてくれたほうが……」と前田監督。でも、初めてやったフィルム起こしは、ずいぶん勉強になった。役者さんの言い回しで台詞が化けること。シーンの順番を入れ替えることによって生まれるテンポ。シナリオではどうってことないシーンをハッとした印象的な場面に変えてしまった監督の演出。シナリオとあわせて掲載されるコメントにも書いたが、オリジナルのシナリオからフィルムになる過程で、監督に「かわいい魔法」をかけられたというしかない。脚本家や映画監督を志す人は、コンクール受賞シナリオ『ぱこだて人』・決定稿『パコダテ人』・劇場公開作品『パコダテ人』を比べてみると、発見することがたくさんあると思う。


2002年03月20日(水)  はなおとめの会

■三軒茶屋の驚くほどおいしく、驚くほど安い店『伊勢元』で第2回『はなおとめの会』を開催。メンバーは同じ会社のクリエイティブ8人に、年末に退職したM氏と制作プロダクションのN氏を加えた、男女5人ずつの10人。もともとM氏の送別会で飲んだのがあまりに楽しく、「またやろう!」ということで今日の会となった。わたしが今一緒に仕事をしている人は一人もなく、普段はほとんど口をきくこともないメンバーなので、会社の人と飲んでいるという感じもせず、話題も仕事抜き。株価や映画や政治の話題の間を下ネタが飛び交う、なんとも豪快な宴となった。男性陣には『寝返りのリュウ(寝返りしただけで女性がなびくという噂)』『ノルウェー(ノルウェーの漁師のような風貌)』『仙人(隠居生活をしているから)』といったあだ名がついている。髪型が役所広司に似ているという理由で『役所』と名づけられたT氏は、最後は『うなぎ』と呼ばれていた。『はなおとめ』の名は、銀座の飲み屋に行くと必ずスカウトされるというU嬢が、酔ってゴキゲンになると鼻が鳴るのが由来。「ブヒッ」と鳴るたび、「入りました!」と拍手が起こる。鳴らそうという狙いが見え見えなものはかえって空振りし、邪念のない会話のほうが素直に受けてもらえる。「なんかさー、こういう意味のない飲み会って、ほっとするよね。鼻の鳴る音数えて盛り上がるなんてさあ」と役所あらためうなぎ氏。店のお父さんお母さんもあたたかくて、おいしく飲ませてくれて、すっかり上機嫌。でも、どんなに酔っても、お店にパコダテ人のチラシを貼ってもらうことは忘れないのだった。


2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画

■夢は願い続けていれば叶う!を現実に体験しつつある今、『映画』についで、もうひとつの夢は『本』である。自分の考えた話を、それを手に取った人たちと分かちあえる幸せ。パコダテ人のノベライズは絶好の機会だったが、タイミングが遅すぎたらしい。「公開前に書店に並ぶのであれば、この内容でゴーサインが出せたが、公開後の出版となると、映画にない付加価値が求められる」と編集者。読者の立場になれば、その通りというしかない。原稿は11月に書き上げいたから、その頃から動いておけば、東京公開に間に合ったはずだが、今さら済んだことを悔やんでもしょうがない。映画を見た人が読んでもトクした気持ちになる本の仕掛けを考えるとしよう。映画とラストを変えるか、サブキャラクターを主役に持っていくか、言葉遊び中心にするか……。「コピーライターの得意分野でしょう」と前田監督。楽しく悩むことにする。


2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光

今日のロケは永井家のシーン。屋内での神経を遣う撮影だということで、見学を遠慮する。わたしが行って邪魔になることはあっても役に立つことはない。ロケ地となる民家は一昨日見せてもらった。すでにペルシャ絨毯が何枚も運び込まれ、雰囲気が出ていた。ゆりちゃんは出演するかもということで、ひろちゃんと高山観光することに。

通りがかるたび気になっていたカフェ(夜はバー?)『バグパイプ』でカフェオレを飲み、名物朝市を冷やかし、そのそばの団子屋(写真)で1本60円のみたらし団子をペロリ。甘いタレのやつではなく、しょうゆ味。古い街並みをお店めぐりしながら歩き、和紙屋で手すきの葉書を買ったり、おみやげを探したり、飛騨牛の串焼きにかぶりついたり。ランチは『LE MIDI』というフレンチレストランへ。朝方通りがかったとき、窓に書いてあるフランス語をひろちゃんと解読していた店。外観がフランスにある小さなレストランっぽくて、ぜひ味も見てみたいと思ったら、期待以上に盛り付けは美しく、料理はすばらしく、大満足。「けしって英語で何ていうんだっけ? オズの魔法使いに出てくるんだけど……」「POPPYでしたっけ?」「ああ、それそれ」などと話しながら食事する。かわいくて好奇心旺盛な大学生、ひろちゃんにつきあってもらい、たのしい高山観光となった。

3時半発のバスに一人乗り込み、新宿へ。宇多田ヒカルのCan You Keep the Secret?をひたすら聞きまくる隣席のお姉さんは何者なのだろう?今度のライブでやる曲なんだろうか。すごい音漏れで、歌詞まではっきり聞こえる。前々から「近づきたいよ 君の理想に」の部分が「近づく太陽 金色に染まる」に聞こえてしょうがなかったのだが、そこに差しかかるたびに気になり、眠れなくなった。一生分の「近づく太陽」を聞いた気がする。


2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場

午前中は『茶の湯の森』の茶室で撮影。中に入れないので、建物の前で昨日に引き続き、ゆりちゃんひろちゃんと「見っけ」で盛り上がる。屋外での宝探しも面白い。昼食のとき、中田金太役の三國連太郎さんと永井誠役の榎木孝明さんにご挨拶し、幸運にもお二人にはさまれる形で食事。どちらも知的で気のきいた会話をされる方だった。三國さんは「京都のとある古い寺になぜかイスラム教のマークが刻まれている」など、歴史の神秘を興味深く話されていた。榎木さんは「脚本がすっかり変わってちゃってすいませんね」と気遣ってくださったが、「イラン流に巻き込まれるのを楽しんでいますよ」と答えると、「僕も楽しんでいます」と、くらっとするような笑顔。後で榎木さんの追っかけという女性に遭遇したが、「全国どこでも追いかけています」という気持ちがわかる気がした。

午後は観光客が行き交う『まつりの森』で屋外ロケ。三國さん、榎木さん、永井絹江役の工藤夕貴さんに思いがけず遭遇した観光客たちが、キャーキャー言いながら人垣を作っていた。着物姿の工藤さんには、あちこちから「キレイねえ」のため息。取材のカメラもすごい数。永井さくら役の柳生美結ちゃんとお母さんに再会。お父さんもサングラスで登場。「目立つとアカンし」と言うが、サングラス姿のほうが目立つのだった。撮影したのは金太と絹江のシーン。どちらも設定だけ与えられ、台詞は自分の言葉で喋っている。かなりの長台詞になっていたが、まるまる使うのか、切ってつなげるのか興味がある。

別の作品の取材で知り合ったS君が岐阜から車で来てくれる。メールと電話のやりとりだったので、会うのは初めて。ゆりちゃんひろちゃんと四人で高山ラーメンの店『ききょうや』で夕食の後、まつりの森のドーム(『地中大空間高山祭りミュージアム』という大仰な名前)内での撮影を見学。誠が金太に絨毯のデザイン画を見せるシーン。ひろちゃんとS君は祭屋台に見入る観光客役でエキストラ出演。祭屋台が18台並ぶドームは面積も天井高もあり、かなり広い空間だが、三國さんと榎木さんの演技が始まると、空気が締まる。さすが。


2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目

今日から『風の絨毯』日本ロケ。午前8時新宿発の高速バスで高山へ。8名ほどのスタッフの方と同行したが、顔合わせにも出ていないので、知らない人ばかり。13:30高山駅着。ロケバスで『茶の湯の森』へ向かい、お弁当。今日の撮影はなくなったということで、いきなりヒマになる。立派な茶室と美術館を備えた茶の湯の森は、『風の絨毯』が生まれるきっかけを作った地元の実力者、中田金太さんが建てたもの。少し下った場所には高山祭りの祭屋台をずらりと並べたドームや昆虫館が並ぶ『まつりの森』があり、二つの森を結ぶミニモノレールまである。ちょっとしたアミューズメントパークだ。『風の絨毯』は、三國連太郎さん演じる金太さんが「匠たちの技と心を後世に受け継ごう」と伝統の祭屋台を蘇らせる実話から始まる。その見送り幕にイランの伝統芸術であるペルシャ絨毯をかけることで、過去と未来、日本とイラン、そして人と人、心と心を結ぼうという話。

プロデューサー益田さんのお嬢さんのゆりちゃん、姪っこのひろちゃんと手持ち不沙汰な者どうし、行動をともにする。宿も同じ(益田さんの実家の時代宿『やました』)で、一緒にごはんを食べ、お風呂に入るうちに、初対面なのにすっかり仲良くなる。ゆりちゃんが「見っけ」という遊びを教えてくれた。もとはコラージュ写真の本で、小物写真を集めた中に「爪切りどこだっけ?」といった一言があり、それを探して「見っけ!」と指差すのだそうだ。一時期はやった『ウォーリーを探せ』の雑貨版といった感じだろうか。宿のガラスケースに宿泊客から贈られた全国各地の土産物が並んでいて、それを題材に「見っけ」遊びをやってみた。ずらっと並ぶ人形や置き物の中から「キラキラ光るルビーの腕輪」「僕だけ仲間はずれ」「いい湯だな」といったお題に当てはまる物を探し出す。宝探しゲームみたいで熱くなる。夢中になって、今度は自分たちで絵を描いて、問題を出し合った。こうして高山ロケ一日目は、二人合わせてわたしの年の女の子たちと遊んで終わる。


2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド

■『月刊公募ガイド』という雑誌がある。コンクール情報(ハガキで応募できるお手軽ものから文芸、写真、アート、料理などなど)、入賞のノウハウ、輝かしい受賞作品、受賞者の言葉、第一線で活躍する人たちのアドバイスなどがギッシリ詰まっていて、好きなことを極めて賞金やプロの座を射止めたい人にはサイコーの手引書である。ここまでヨイショするのは、コピーもシナリオも公募ガイドに教わったから。わたしにとって母校ともいえるこの雑誌に、今日取材を受けてきた。8年前に一度取材していただいた時は『公募ファン』というページだったが、今回は『シナリオライターのお仕事』というカッコいい連載ページの一回分を飾ることになっている。■取材は渋谷の喫茶店で編集者さん、ライターさん、カメラマンさんと女性ばかりで和やかに進行。4月9日売りなので、27日公開の『パコダテ人』を紹介するには絶好のタイミング。ストーリー発想の裏話、前田監督のシナリオ発掘、映画化にこぎつけるまでの道のり、函館市民の協力、全国に広がる応援の輪……幸運な出会いに恵まれ、世界が広がってきたエピソードを披露する。昨日プレス試写を見たばかりのライターさんが「この映画をつくる過程そのものがドラマですね」と熱心に耳を傾けてくださるので、気分がよくてついつい話しこみ、1時間の予定時間を30分オーバーしてしまった。写真撮影は「なるべく引きで撮ってくださいね」とお願いし、バッグにつけたピンクのシッポを強調。カメラマンさんは、シッポが風になびく瞬間を狙ってくれた。■取材後、「今井さんからお便りを受け取って、わずか1週間。まさに引かれ合っているとしか思えません」と編集者さんからメール。「次号は誰を取材しようか」と彼女が考えあぐねていたところに、「公募ガイドから生まれた映画のご案内です」と封筒にデカデカと書かれたパコダテ人試写状が届き、すぐさま取材を申し込んだとのこと。こちらこそ、シナリオを書くきっかけをくれ、函館の映画祭の存在を教えてくれ、『パコダテ人』誕生に導いてくれた雑誌に紹介してもらえるとは、願ってもないことだった。相思相愛の取材の成果をお楽しみに。


2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表

■夕方6時半より『風の絨毯』製作記者発表。会場の銀座ソミドホールに開始5分前に到着。用意した席はプレス関係者で埋まり、作品紹介パネルを並べた左右の壁には製作関係者がずらり。最後列に居並ぶテレビカメラの数も半端じゃない。司会者の紹介でプロデューサーの益田さん、ショジャヌーリさん、タブリージーズィー監督、主人公さくら役の柳生美結ちゃん、その父・誠役の榎木孝明さん、母・絹江役の工藤夕貴さんが登壇し、それぞれが作品に込める思いを語る。企画段階から作品に関わっている工藤さんは、「こうして製作発表できるところまで来たんだなあと感無量。9月のテロ以降考えさせられることは多いが、みんな同じように家族がいて笑ったり泣いたりするんだというこんな作品が今こそ必要だと思う」。イランから帰国したばかりの榎木さんは、1か月半に及ぶロケを振り返り、「大変面白い経験をした。台本は、あってないようなもの。監督は映画は生き物だと言い、役者のそのときの実感を言葉にさせる。さくらには一切台本を読ませず、撮影当日になって設定だけ与えた」。美結ちゃんは「撮影は大変だったけど、みんなが優しくしてくれて楽しかった」。監督は「日本は急速に未来へ向かうなかで、大切なものをどこかに置き忘れている。だが、過去がなくては現在も未来もないわけで、この作品では過去の尊さを見つめることをしたかった」。ショジャヌーリ氏は「ペルシャ絨毯はたくさんの結び目からできている。この映画も絨毯のように編んでいる最中だが、合作映画を撮る作業そのものが文化の架け橋だ」。映画初プロデュースの益田さんは高山の祭屋台の写真を見せ、「伝統の祭屋台の見送り幕にペルシャ絨毯をかけるという実話から生まれた作品。日本とイランの文化交流になることを願う」。続く質疑応答では、監督に日本の印象を聞いたり、榎木さんにイランロケの様子を聞いたり、次々と手が挙がる。熱心にメモを取るライターさんたちを見ながら、この人たちの書いたものがすべて記事になるのかなあと圧倒される。フォトセッション中も質問が飛び交い、記者発表後には各社の個別取材が続いた。■会場で「パコダテ人の今井さん?」と声をかけてくださった映画ライターさんと名刺交換して、びっくり。会社の先輩コプーライターの知り合いということで、昼間ウワサをしていた人だった。


2002年03月12日(火)  FOODEX

FOODEX

■フーデックスというなんとなく大阪弁っぽい響きのイベントは、英文表記にするとFOODEX、食べ物の国際見本市のこと。『風の絨毯』がらみでお邪魔した『JAPANTEX』はファブリックの見本市だったが、こちらの主役は口に入る物。会場の幕張メッセは世界中の食べ物のにおいと、それを売り込む人々そして新しい食材を求める人々の熱気でムンムン。ほとんどのブースで一口ずつ試食が用意されていて、来場者はそれを飲み食いしながら広い会場を回り、商談を繰り広げる。うどん、草餅、生春巻き、黒タピオカ入りミルクティー、野菜ジュース、シャンパン、チリワイン、ニュージーランドのビール、ハンガリーのチキン煮込み、チーズ、ガーリックトースト、クランベリーチョコレート、鮪のパエリア……もう胃の中は万国博状態。会社のお得意先が出展している関係で視察に訪れたのだが、広告代理店のコピーライターなど出展者にとっては商談の対象外(色分けされた名札を見ただけで関係者かどうか識別できる)なので、誰も話し掛けてこない。それでも「おいしいですねえ」「原材料は何ですか?」とこちらから質問したり、見本をもらったり、ペルシャフードのブースでは『風の絨毯』の話をしたりして楽しむ。一緒に回ったデザイナーのF氏は「俺は意味のない会話はしない」と遠巻きに見ていたが、要はいろんな人と話をするのが好きなのだ。■昨日からカバンにシッポをつけて出歩いている。撮影で使った全長50センチほどのショッッキングピンクのシッポ。上司や同僚は、わたしが何を身につけていても、もはや驚いてくれないが、世間の視線も拍子抜けするほどあっさりしている。せめてFOODEXの来場者の目に留まっていればいいのだけど。


2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』

■漫画をあまり読まなくなった。興味がなくなったわけではなく、時間と機会がないだけだ。目の前にあれば、むさぼるように読む。今日、美容院で手に取ったのは一条ゆかりの『デザイナー』。親の顔を知らずに育ったトップモデルが、母親だと知ったトップデザイナーを失脚させるために執念を燃やし、ファッション界を舞台に骨肉の争いを繰り広げるジェットコースターな展開。自分の髪の毛そっちのけで読みふける。「私は漫画中毒ですね」と言い切る美容師さんが「今はまっている」と紹介してくれたのは、『軍鶏』。刑務所を出て更正する男がボクシングに目覚める話!?タイトルのつけ方が渋い。


2002年03月10日(日)  循環

■春らしい晴天。ルッコラとデージーを植える。ルッコラはゴマの香りのハーブ。おいしく育ちますように。■夕方、スポーツジムへ。講習を受けてから初めてなので、指導員さんがつきっきりでマシンの使い方を説明してくれる。2時間で十分汗をかく。何年も見向きもしなかったスポーツ飲料を飲み干す。晩ごはんがおいしい。米が進む。ダンナの沖縄土産の紅いもスイートポテトをぺろりと食べ、さーだーあんだぎーに手を出す。さーだーは砂糖、あんだぎーはドーナツを意味するらしい。運動不足解消のつもりが、食べ過ぎて太ったら悪循環だ。■今夜の『あるある大辞典』のテーマは、リサイクル。自分のゴミの捨て方が間違いだらけなのを知る。ティッシュの箱やDMの封筒からビニールをはがして古紙回収に出すのはえらいと思っていたが、新聞と一緒に出してはいけないらしい。新聞と折り込みチラシ以外の紙は雑誌扱いで別にまとめるのが正解。正しいリサイクル方法を知らしめるには、テレビは手っ取り早い。「地球の健康は人間の健康につながる」という視点で取り上げた番組の姿勢に共感。ドイツに行ったとき、ガラス瓶を色別に分別する細かさに驚いたが、「地球を大事にする」教育が徹底しているせいかもしれない。


2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』

■今日は一人だ。何をしよう。映画を観よう。何にしよう。新聞の映画情報欄とにらめっこ。『アメリ』がいっぱいと思ったら『アメリカン・スウィートハート』が混じっていた。アメリはタイミングが合わず、予告を見て気になっていた『カンダハール』(監督・脚本・編集 モフセン・マフマルバフ)を選ぶ。それにしても東京で上映されている映画の数と言ったら!■新宿武蔵野館で単館上映。早めに着いて新宿で買い物する。大阪で一目惚れしたファッションブランド『EL RODEO』がルミネに入っていたはず。「そっちからDM送らせますわー」と大阪の店の姉ちゃんは調子いいこと言ってたが、いまだに来ないので、探し当てて乗り込む。こちらの店員さんもノリノリで、「お姉さんが入ってきた瞬間から、おすすめしたい服がぱーっと浮かんだんよ!」と大阪弁で次々と勧めてくれる。襟と袖に毛糸のフリルのついた長袖Tシャツと裾がカギ裂きになった黒いパンツをお買い上げ。パコダテ人のチラシを渡すと、レジの後ろの壁にバンッと貼ってくれ、「映画好きなんですよ。うちの兄貴もむっちゃ好きでねー。今日はお姉さんに会えてよかったわー。また来てねー」。大阪弁の買い物は気持ちいい。■新宿武蔵野館に入るのは初めて。入場券売場で「学生さんですか?」と言われる。観る目あるのかないんだか。作品のセレクションはなかなかよく、『少年と砂漠のカフェ』『鬼が来た』などそそられる予告編がいくつかあった。さて本編。カナダ在住のアフガン人ジャーナリストが、命の危険を冒してカンダハールをめざす。地雷に両足を取られてアフガニスタンに置き去りにされ、自殺を思いつめる妹に、生きる希望を届けるために。救いのないラストはいただけないが、アフガンに生きる厳しさの一端を垣間見れたようで見ごたえがあった。とくに強烈だったのは「地雷」という現実。道に落ちた人形には地雷が埋め込まれているから触ってはいけないと指導される子どもたち。地雷で手や足を吹き飛ばされた人々。その生々しい傷口。数が間に合わず、サイズも合わない義足。落下傘で降りてくる義足に向かって先を争う松葉杖の集団。海外の公共広告で「LANDMINE」撲滅を訴えるメッセージをよく見かけるが、地球のあちこちにこんな恐ろしいものがまだいくつも埋まっているなんて、とんでもないことだ。劇場を出て、新宿の雑踏を歩く。踏んづけて困るのはガムぐらいだ。平和だ。同じ星に生まれてきて、この差は何なのか。


2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。

友達の男の子から頼まれた「詩の捜索」をメールでもやってみる。「ある詩を探しているんだけど、心当たりある人いますか。10年くらい前、朝の番組で紹介(たぶんテレ朝)。障害をもった子供の親たちの会の会報に掲載されたらしい。作者はイギリス人でフツーの女性。天国?で天使たちが、生まれてきたある子供の行き先について話し合うという内容です」と送ったところ、「テレ朝には聞いた?」とミナちゃんから。「友達が心の中で大切にしまっていた詩だから、人の記憶をたどって探したい」と返信すると、「『クイックレスポンスが一番大事』って思っちゃって、こころの余裕がなくなってる自分に気が付いたよ」と返事。続いてNちゃんから「ダウン症って別名:エンジェル病って言うんだよね。ダウン症の子供って、とっても心が綺麗で天使の様ってところからついてるらしいけど。そのあたりから探すと分かるのかな?」とアドバイス。「お母さんから子どもの頃によく似た話を聞いた」という情報も。そしてMちゃんから「Edena Massimilla(エドナ・マシミラ)の『Heaven's Very Special Child(天国の特別な子ども)』じゃない?Edenaは米ペンシルバニア州にあるマクガイア・ホーム(障害児療育施設)のシスターのはず。この詩は日本の障害をもつ子の両親へのメッセージらしいけど」と原詩と訳詩(大江裕子訳 『先天異常の医学』木田盈四郎著 中公新書より)が送られてくる。これから生まれる命の行き先を話し合う天使たちが天の神様に向かって「この子は特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要」だから「この子の生涯がしあわせなものとなるように この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい」と訴える。読んでみて、きっとこれだと思った。依頼人にメールを転送すると「ビンゴ!」。この詩を届けたい人がいるらしい。お騒がせした友人たちも「いい詩だね」「わたしもこころが豊かになったよ」「言葉って難しいけど感動もさせれるから凄いよねぇ」と言ってくれる。こうして『言葉の探偵』の初捜索は無事終了。

HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD

A meeting was held quite far from Earth!
It's time again for another birth.
Said the Angels to the LORD above,
This Special Child will need much love.

His progress may be very slow,
Accomplishments he may not show.
And he'll require extra care
From the folks he meets down there.

He may not run or laugh or play,
His thoughts may seem quite far away,
In many ways he won't adapt,
And he'll be known as handicapped.

So let's be careful where he's sent,
We want his life to be content.
Please LORD, find the parents who
Will do a special job for you.

They will not realize right away
The leading role they're asked to play,
But with this child sent from above
Comes stronger faith and richer love.

And soon they'll know the privilege given
In caring for their gift from Heaven.
Their precious charge, so meek and mild,
Is HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD.

天国の特別な子ども

地球からはるか離れたところで話し合いが開かれました。
また新たな命が生まれます。
天上の神に向かって、天使たちは言いました。
この特別な子どもには、たくさんの愛が必要です。

この子の成長はとてもゆっくりかもしれません。
成果は目に見えないかもしれません。
だから、地上で出会う人々に
人一倍目をかけてもらわなくてはなりません。

この子は、走ったり笑ったり遊んだりしないかもしれません。
この子の考えていることは、わかってもらえないかもしれません。
何をやってもつまずき、
障害児として認められることになります。

ですから、この子の行き先は慎重に選ばなくてはなりません。
幸せな人生を送れるように。
ですから神様、あなたのために
特別な任務を果たせる両親を探しましょう。

両親はすぐには気づかないかもしれません。
自分たちに求められている特別な役割に。
けれども天から遣わされた彼らの子によって
二人の信仰は強まり、愛は深まるでしょう。

やがて両親は悟るでしょう。
天国から贈られたこの子を育てることは
神様の思し召しなのだと。
優しく穏やかな、彼らの尊い授かりものこそ
天国の特別な子どもなのだと。

By Edna Massionilla
December 1981
The Optomist- newsletter for PROUD
Parents Regional Outreach for Understanding Down's Inc.
訳:今井雅子


2002年03月07日(木)  誤植自慢大会

会社の仕事では企業の広告を書いているが、先日ヒヤッとする出来事があった。「1,000円」と打つべきコンマがピリオドになっていて「1.000円」と1000分の1にデノミされていたのだ。恐ろしい価格暴落!初校(印刷屋さんから最初に上がってくるチェック用の刷り原稿)段階で気づいたからよかったものの、見落としたまま雑誌に掲載されていたら、首が飛ぶところだった。1000円だったら欲しくても買わない物でも、1円だったら要らなくても買ってしまうのである。誤植はコピーライターの命取りだと常々脅されているが、慣れは油断を生む。たまにこういう緊張が走ると、しばらくは血眼で校正するようになる。

コピーライターが集まると「今までにやった、いちばんすごい誤植自慢」話になる。「活き活きキングほっき貝」の「ほ」に濁点をつけたまま世に出してしまったE氏が、わたしの知る最強の誤植王。彼を超える失敗はまだ聞かない。「植」は「写植」の植。誤植は文字の植え間違い。この頃はコンピュータで作ったデータをそのまま印刷に回すので、写植を使うこともめっきり減った。

文字を見たら校正してしまうクセがついているので、人よりも誤植が目についてしまう。職業病だ。函館港イルミナシオン映画祭から送っていただいた前回のシナリオコンクールの入賞作品集を一気に読んだが、「てにをは」や漢字の間違いがあまりに目についたのが惜しまれた。せっかく作品の世界に入り込んでいるのに、誤植のたびに立ち止まり、現実に引き戻されてしまう。校正したのに作者が見落としたのだとしたら、もっと自分の言葉に責任を持つべきだし、出版する側も気をつけてあげて欲しい。かく言うわたしも、ちょくちょく誤植をやらかし、気づいては訂正している。


2002年03月06日(水)  家族

■ひとりで食事をするのが苦手なので、仕事が早く終わってしまった日は、ダンナの実家に行くことが多い。「おかえり」とダンナの両親に迎えられ、一緒に晩ごはんを食べる。「お嫁さんが一人で来るの?って珍しがられるわよ」と言うお義母さんは、うれしそうだ(多分)。パコダテ人のチラシを特製プレスリリースとともにせっせと知人に送ってくれているお義父さんは、嫁がかわいくてしょうがない(恐らく)。円満のコツは、「相手に好かれていると自惚れること」かもしれない。もうひとつは、「思っていることは遠慮なく言うこと」。わたしが美容院の兄ちゃんの気まぐれで金髪にされたとき、「あら失敗?」と正面から突っ込んできたのは義母だけだった。わたしも気がねなくダンナが酔ったときの醜態や料理の失敗談を披露し、笑い飛ばしてもらう。ダンナの無断外泊に怒り狂ったとき、「うちに家出する?」と言われたのには笑った。実家に帰るならともかく、ダンナの家に帰らせていただくなんて、聞いたことない。■嫁というより娘(この年で図々しいが)になれたのは、高校時代の留学経験が役立っているとも思う。写真でしか会ったことのないアメリカ人一家にいきなり送りこまれ、家族として過ごした一年。アメリカ人とだって家族になれるんだから、好きな人の両親やきょうだいと家族になれないわけがない。


2002年03月05日(火)  情熱

■秘書のKちゃんと会社近くのアジアン・ヨーロピアンダイニング『STYLO(スタイロ)』でランチ。このお店の人気メニューはトマト風味のイタリアン石焼ビビンバ。すぐに売りきれてしまうのだが、今日もまた「ついさっきまであったんですけど」と言われてガックリ。そこに隣のテーブルについた外人さんの男性二人組が「ビビンバ!」と注文。ないと告げられた途端、男の一人が"Oh,no"と身もだえして、全身で不満を表現し、相棒の男に「Sorry.俺が誘っておきながら、なんてザマだ」と頭をかきむしって悔しがった。「That's OK.他のものを注文しようよ」と相棒がなだめても、「It's my fault.すべて俺が悪いんだ。俺のせいだ」と頭を抱える。「お前は悪くないよ」「いいや、俺は悪者にされたっていいんだ。だけど君はわざわざこの店までビビンバを食べに来たというのに……」と延々とやっていて、わたしとKちゃんは「ビビンバ一杯でこんなドラマチックな展開になるとは」と顔を見合わせつつ、「この剣幕に気おされて、ビビンバが出てきたら、今度はわたしたちが暴れよう」と話した。結局、男二人はカレーを食べることで落ちついたようだ。向かい合って座っている相棒君に「ねえ、こっちに来ない?」と自分の右横の席を指差す、かきむしり君。ビビンバにかける情熱の正体は、こういうことだったのか。


2002年03月04日(月)  感想

■実弟でも義弟でもない弟君から「ネット上で『彼女たちの獣医学入門』の感想を見つけた」とメール。家に帰ると、母からも「見た人たちからの感想を送ります」と葉書や封書のコピーが届いた。いい感想にしろ悪い感想にしろ、「見て思ったことを書く」という行為を取らせること自体が「作品が人を動かした」ことになる。「見ました」という一言だけでもありがたい。■函館のラッキーピエロからは「アンケートをホームページに掲載させていただきました」と葉書が来る。映画祭のときに人見店で書いたもの。思いっきり年齢が出ているんだけど、まあいっか。


2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ

肥満と花粉症を運動不足のせいにしているダンナが「スポーツクラブ!」とうるさいので、インターネットで調べてみると、わたしの住む地域には二つあることがわかった。ひとつは月額15000円。もうひとつは月額2500円。なんだこの落差はと思ったら、後者は区の運営だった。1回ごとに利用料を払う場合は、たったの520円。「別途ロッカー代が10円かかります」と言われ、安さに腰を抜かしそうになる。「会員制で、講習を受けるのが条件」とのことで、善は急げと夫婦の休みがそろった今日、講習会に参加する。

行って驚いたのは、施設の新しさと設備の充実度。エアロバイクもランニングマシンも物々しい筋トレマシンも何だって揃っている。全身マッサージ機まである。講習は2時間。マシンの説明が1時間、残り1時間で実際に使って慣れる。ランニングマシンで5分ほど走っただけで汗が噴き出す。走るのなんて、通勤の階段ぐらいだから、地面を蹴る感覚すら快感。ダンナもうれしそうに筋トレマシンはしごをし、「ワンセットこなすだけで効くぞ」と早くも効果を実感している。ついでに、家からは歩いて往復1時間ぐらいの距離なので、行き帰りもいい運動になる。「これで税金の元を取るぞ!」「週末は早起きするぞ!」と張りきっているが、飽きっぽい二人なので、いつまで持つやら。


2002年03月02日(土)  手づくり

■友人たちに紹介された映画評論家や映画ライターの方に、パコダテ人マスコミ試写の案内を出す。年に何十通という試写状を受け取る方々だから、その一つに紛れてしまう恐れがある。少しでも心に留めてもらいたい。自己紹介も兼ねて、作品の生い立ちを紹介する。紙切れでしかなかったシナリオが前田監督に見出され、プロデューサーを巻きこみ、映画化にこぎつけ、多くの人の情熱に支えられて、予算やスケジュールの制約を感じさせない作品に仕上がったこと。大人も子どもも笑って泣けるファミリーエンターテイメントであることなど、作品に込めた思いを手紙に託す。ひさしぶりのペンだこの痛み。封筒に「パコダテ人試写の案内」とピンクのペンで大きく書き、色紙を切り抜いてしっぽを張りつけ、「ハッピーが生えてきた」とキャッチコピーをつける。切手は、ちょうどいいのがあった。シッポをピンと立てた犬の変形シール切手。わたしのことなど知らない方々に、作品の持つ手づくりのあたたかさが伝われば、いいなと思う。


2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』

■昨晩、大学時代のクラスメートI君行きつけの『たまねぎや』というお店で飲んだ。自称「神楽坂のおしゃれでない一杯飲み屋」で、自慢は日本酒。『美丈夫 舞』という発泡日本酒にはじまり、『蘭者侍(らんじゃたい)』『磯自慢』『醸人 九平寺(かもしびと くへいじ)』と飲み進み、気がつくとすごい時間になっていた。最後は「漂流」をテーマに店のおやじさんと三人で盛り上がった。■いつも以上に起きるのが辛いが、朝いちばんに新製品開発のアイデア出し。変なものを思いつくまま言っていけばいいので、得意分野だ。みんなも面白がって聞いてくれるが、得意先に持っていくまでに幾つものふるいにかけられて、ほとんど消えると思われる。お菓子、ジュース、お酒……口に入れるもののアイデアを思い巡らすのは楽しい。もちろん薬は除く。■会社近くにインドカレーのサムラートが昨日オープン。先輩お姉さまたちと行ってみると長蛇の列。開店早々で慣れていないのか、インドの言葉で怒号が飛び交い、カレーも飛び交い、注文するほうまでジェスチャーが大きくなる。なんとかテイクアウトし、オフィスの一角の丸テーブルで食べる。「いやあ、どっと疲れたねえ」「片手でナン3皿どうやって運ぶんだろうと思ったら、ナンの上に皿重ねてたよねー」と戦場さながらだった店内を振り返るお姉さまたち。わたしがインドで遭った『髪の毛事件』の話をする。レストランで注文した鳥の串焼きと平行に、針金かと見まごう剛毛が横たわっていた。ボーイを呼び、「別の皿を持ってきてくれ」と言うと、真っ白な皿が恭しく運ばれてきた。「そうではない!これじゃあ食べられないから作り直してくれ」と言い直すと、串焼きが煮こみに化けて戻ってきた。話に笑ったお姉さまたちは、「でも、その店の人たちも、噂してるんじゃない?髪の毛一本で大騒ぎした変な日本人がいたって」。そうかもしれない。あんな大らかな国で、髪の毛ごときに目くじら立てるのは、場違いな気もする。本場のインドカレーを口に運びながら、ひさしぶりにインドのことを思う。

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