2001年12月31日(月)  祈り

■午後、北鎌倉を訪ねる。池袋から一本で行ける。便利。駅のすぐそばに、風情たっぷりのお寺がふたつ。『財浄』の箱を見つけるたび、願をかける。作品の成功と家族の幸せと世の中の平和と。手入れの行き届いた庭にはさまれた小道を歩く人影はまばらで、俳句でもひねりたくなるような趣があるのだが、半日後には初詣客でごった返すのだろう。年末年始臨時列車を案内する駅のポスターには「神様 仏様 皆様を乗せて走ります」と八百万の神の国らしいキャッチコピー。■夜九時。紅白のバックで踊っています…というのは嘘で、年賀状書きのラストスパート。今年一年お世話になった一人ひとりの顔を思い浮かべながら、来年もみなさんに抱えきれない贈りものがあるよう、お祈りする。■そばが食べられないので、義弟夫妻の大阪土産、蓬来の豚まんで年越し。

2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2001年12月30日(日)  アナログ

■年賀状を書きまくる。去年、いや今年受け取った年賀状を見ながら宛名書き。つい文面を読んでしまったり、書いた後で住所変更のハガキガ見つかったり、効率が悪い。住所録を作っておいて印刷すれば楽なのになあと毎年思いつつ、今年もやらずじまい。■お正月は東京でのんびりしつつ、シナリオ書きと企画出し。大量のプリントアウトに備えて、ワープロ用感熱紙百枚入りを三冊買う。パソコンのプリンターはあるのだが、接続のし方がわからない。


2001年12月28日(金)  捨て身

■ひたすら年賀状を書く一日。毎年枚数が増えている。ひくにひけない『年賀状界の小林幸子』の苦しみ。裏を返せば快感でもあるのだけど。『パコダテ人』DMを兼ねた2002年度年賀状は、レイアウトしたデザイナー自ら「こんなん出して大丈夫?」と不安になった問題作。これも、かわいい作品を売るための捨て身のサービスなのだ。でも、来年の年賀状は減るかもしれない。


2001年12月27日(木)  今がいちばん若い

■「ありがとうございました」という社内メールを何通も受け取る。今月いっぱいで会社を去る人たちからの挨拶だ。長年勤め上げた人が多いせいか、なかなか味わいのある文章ばかり。女性コピーライターの大先輩は「いろんなことに挑戦したい。今がいちばん若いのだから」。今より若返ることはないということをポジティブに言うとこうなるのかと感心。■会社に残る人からも「ありがとうメール」が届く。同じプロジェクトに関わったメンバー全員に宛てて、ねぎらいの言葉と「来年もいい仕事しましょう」と爽やかな決意。『全員に返信』で他のメンバーも「こちらこそありがとう」と言い合う。きもちいい。■夜は新宿でパコダテ人スタッフら映画関係者中心の忘年会。リクエストに応えて友人の美女たちを連れて行くと、「動物と人間ぐらいの差がある」と前田監督。おだまり。「顔なんか関係ないですよ。この人は役に立つ女ですから」と三木さん。フォローになってない。安ければ何でもいいのだ。パコダテ人ナマ応援団長の虎牙光揮君は、はじめてのドラマの役作りで北京語を特訓中。「勉強したいと思ってたのでラッキーです」と目がキラキラ。チャンスを栄養にする人だ。


2001年12月26日(水)  ロマン配合

今井雅子ファン最高齢の七十代のオジサマトリオが『囲む会』を開いてくださり、外苑前の点心・中国料理『ピート』でごちそうになる。看板の趣味が相当悪いけど、おまかせで他の店にはないメニューを出してくれ、そのうえ安いので、お気に入りのお店。四十ン才年上のオジサマたちは絵を描かれていたり、俳句をたしなまれていたり、とにかく行動的。話題も旅行のこと、テレビ番組のこと、戦争のこと、こわい奥様のこと、教育のこと、ポンポン飛んで追いつくのが大変なぐらい。わたしのこれまでの作品も熱心に批評してくださり、和紙にしたためた感想文まで頂戴する。「今井さんの作品には、リアリティーの中にロマンのエッセンスが入っています」と言われ、いいほめ方だなあと思う。自分を甘やかしてはいけないけど、ファンというのは、やっぱりうれしい。


2001年12月25日(火)  発見!

■渋谷『しゃぶ禅』にて会社のグループの忘年会。「牛は絶対イヤ!」と発起人が主張して、海鮮・豚・鳥しゃぶしゃぶを予約したら、発起人は風邪でダウン。ありがちなことだ。■同じグループにいても、同じプロジェクトに絡んでないと、ほとんど交流がない。今日の会は送別会も兼ねていて、送られる三人のうち二人は、この日はじめて一緒に飲む人だった。ご一緒するのは最初で最後かなあと思ってたら、宴席はやたら盛り上がり、「また飲みましょう」となった。こういう発見は、うれしい。


2001年12月24日(月)  イベント大好き

■ミキちゃんミナちゃんの美女コンビがあまたのお誘いをことわり(!?)、わが家でクリスマスを祝ってくれる。めったにしない料理をして、とっておきのお皿に盛り付け、いつもは聴かないCDをかけて、真新しいキャンドルを灯して、明かりを消して。ともだちが来てくれるだけで、イベントになる。


2001年12月21日(金)  サプライズ

■『パコダテ人』のプロデューサー、三木さんより「函館からクリスマスカードが着きました」と電話。ロケのときヒストリープラザの郵便ポストに投函したカードが忘れた頃に届いたのだ。「この映画ができたことをあなたが本当に喜んでいるのが伝わりました」と、普段アホなことばっかり言っているオッチャンが珍しくマジメな台詞。何を書いたかよく覚えてないけど、ありがとうって気持ちで書いたのがちゃんと伝わってうれしい。■家に帰って集合ポストを開けると、函館消印のカードが。『パコダテ人』で知り会い、『風の絨毯』の出会いを運んでくれた小山さんからだった。映画祭で函館に行ったときに出してくれたらしい。「××さんが今井さんに送るものがあって自宅の住所を知りたいそうですが」と聞かれて答えたのに届かないなあと思ってたら、こういうことだったのか。ヤラレタ!


2001年12月20日(木)  幸せの粒

■いったいどこ行ったんだ!と死ぬほど心配した相手が目の前に現れたとき、まず思いきり怒鳴りつけ、怒りにまかせてまくしたてるうちに泣いてしまうのだ。ということを身をもって実感。張り詰めていた気持ちがゆるむと、ためていた涙が一気にあふれ出す。号泣しながら、ああ、あのシーンの彼はこうなるのか、と今書いている登場人物の心理を想像している自分がいる。悲劇も芸のこやし。■新聞のインタビュー記事で今井美樹さんが「わたしたちのまわりには幸せの小さな粒がいっぱい転がっている」。かわいいこと言う人だ。


2001年12月19日(水)  害虫

■『パコダテ人』監督の前田さん、アシスタントプロデューサーの石田さんと渋谷のサムラートでカレーを分け分けしながら映画の話。二人とも体調が悪いと言いつつ、よく食べる。函館映画祭で会った片岡礼子さんの『ハッシュ』について語っていると、製作・配給のシグロの方が近くのテーブルに。前田さんに紹介していただく。ここでもシンクロニシティに遭遇。■広告の世界から映画の世界に飛び込んだ石田さんに「第一線の監督と脚本家をつかまえてるんやから、企画を立てないと!」とハッパかける前田さん。え?わたしも第一線?「いま動いてる人は、誰かて第一線です」。ある映画関係者の話になったとき、「いつか見返したろと思てるんですけどね」とさりげなく言ったのも印象に残る。上映30分前に『害虫』試写会会場へ。10分前には満席だった。あおいちゃんは13才の役。


2001年12月18日(火)  シンクロニシティ〜天使からの小さな贈り物

新聞のコラムで阿木燿子さんが「最近シンクロニシティに出合うことが多くてうれしい」と書いていた。直訳すると共時性。なんとなく思い描いていたことと同じことを考えている人に遭遇したり、無意識のうちに欲しかったものがひょっこり手に入ったり。運やタイミングやいろんな偶然のかけ合わせで、思いがけない意味やドラマが生まれること。阿木さんは「天使からの小さな贈り物」と名づけていた。

映画をやりたいという気持ちに応えるようにかかってきた前田監督からの電話。そこからはじまった『パコダテ人』の映画化。アメリカのテロの後、「平和のために何ができるのか」を考えていたら舞い込んだ日本イラン合作映画の仕事。わたしは、たくさん贈りものをもらっていることになる。


2001年12月17日(月)  映画を編む

■会社が終わってから五反田イマジカへ。普段はTVCFの編集などでお世話になっているスタジオだが、この一画に「風の絨毯」の詰め所がある。日本側の制作スタッフの方々と名刺交換もそこそこに日本ロケ部分のシナリオ打ち合わせ。今まではプロデューサー二人と膝を詰めてやっていたが、一気に倍以上の人数になる。その場で意見をまとめて打ち上げる。帰り道「人が増えた分、いろんな意見が出て、いい方向へ修正できたと思います」と言うと、プロデューサーの益田さんが「シナリオも編むんですよね、絨毯と一緒で」。いろんな人が絡んだとき、糸がこんがらがるか、色彩豊かで温かい作品にできるか。そこで脚本家は試されるのかもしれない。書くのではなく、編むのだ。


2001年12月16日(日)  こだま

■シナリオセミナーに出席。石井ふく子さんが金子みずずの詩『こだまでしょうか』を引用され、「原稿用紙に向かうときは、その向こうにいる人間と向かっている。書くことで誰かからこだまが返ってくるのがシナリオの醍醐味」と話される。講師の鴨下信一さんは、出席者が提出したシナリオをメッタ斬りした後、「楽して書くな。苦労して書いて、書くことで豊かになれ」と激励。喝を入れていただく。


2001年12月11日(火)  『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト

ハッシュ!』を観た。函館の映画祭で見れなかったので、見たい見たいと思ってたら、会社の隣の席のチャチャキ君が「こういうの興味ある?」と試写会のチケットをくれた。念ずれば通ず。橋口監督と片岡礼子さんの舞台挨拶の後、上映。132分の長さを感じさせない。登場人物がカワイイ奴らぞろいで、愛せる作品。台詞も音楽も洒落てて、日仏同時公開と聞いていたせいかフランスっぽいにおいを感じた。ヤラレタ!っていう台詞が結構あったし、ちゃんと笑わせていた。チラシにあった「1本の傘からはじまり2本のスポイトを経て彼らは……」というコピーもうまい。

少し前、『パコダテ人』の前田哲監督が「今井さんならこれを持って歩けるでしょう」と『ハッシュ!』プロモーション用の手提げをくれた。黒地に白でタイトルが入り、そのまわりに精子君たちが泳いでいる。義母は「あらかわいい。おばけ?」と言った。

いまいまさこカフェbag gallery


2001年12月02日(日)  函館映画祭3 キーワード:Enjoy



Enjoy丼!
■ホテルリッチ函館をチェックアウトし、木下ほうかさんとともに前田監督の宿泊先へ。「朝市の丼は高いから他で食べよう」ということになり、「そういやホテルのレストランの看板出てたけど、イクラ丼300円て書いてたよな」と、ほうかさんとわたし。「何それ? むっちゃ安いやん!」と前田監督。看板をよくよく見たら2, 300円となっていた。「千の位が離れ過ぎでわからんかった」「何言うてるねん。こんなデカい文字、どうやったら見逃せるんや」。関西人が三人寄ると漫才になってしまう。結局、丼のチェーン店に入る。かき丼を頼んだらかき揚げ丼が出てきた。店員さんもボケてるがな。ほうかさんが三人分出してくれる。ごちそう様。


Enjoyコーラ瓶
■「僕ね、全然観光してへんのよ。ロケのときスケジュールがパツパツやったから」とほうかさん。市電で元町へ行く。ふらりと入ったガラス工芸屋の店先に首がぐにゃりと曲がったコーラ瓶があった。ひとり1800円で体験制作できるとのことで申し込む。炉で熱して瓶の首を溶かし、首先をつかんだ鉄鋏を素早く動かして一瞬で形を作るという作業。いい感じのS字になった。

Enjoyティータイム
■イギリス領事館のティールームでお茶。「スコーンのお客様?」「え、酢コンブ?」 「シナモンティーのお客様?」「品物(しなもん)はこっちに置いてもろて」。どこへ行ってもボケをかましてくれるほうかさん。■『いつかギラギラする日』でほうかさんが函館に来た十年前からのファンという中川さんと合流。ロケのときはカニを差し入れしていただいた。今日もごちそうになる。■金森倉庫で映画祭の写真展をやっているというので、中川さんの車で移動。パコダテ人の撮影風景のスナップもあった。備え付けのノートに『パコダテ人』の感想が書き込まれているのを見つけて、うれしくなる。

Enjoy鮨
■ほうかさんたちがロケのとき中川さんにごちそうになったという湯の川温泉近くのお鮨屋さんへ。何を食べても新鮮でとにかくおいしい。塩で握った鰺は最高。とろけるウニもプリプリのイクラも至福の味わい。しばらく東京ではお鮨を食べる気にならない。仕上げの赤だしも魚の出汁がよく効いて、最後の最後まで楽しめた。中川さんは用があるといって引き返してしまったが、お会計を済ませてくれていた。わたしまで、ごちそうになって、いいのやら。すっかりコバンザメ状態。■ひと足先に出発するほうかさんは空港へ、わたしと前田監督は市街へ。1時間ほどヒマができたので、インターネットカフェをはじめて体験する。飲み物つきで1時間300円。お茶するより安い。空港バスを待つ間、前田監督とパコダテ人のチラシのキャッチコピーのアイデア出しをする。「ハッピーって言葉を使いたいなあ」と監督。最終の空港行きバスで函館市街を後にする。前田監督は明日、青森に渡って相米監督のお墓参りをするので、もう1泊。


2001年12月01日(土)  函館映画祭2 キーワード:これが有名な

これが有名ないくら丼
■小山さんと待ち合わせて、ロケのとき食べそびれた『きくよ食堂』のいくら丼にありつく。カウンターに見覚えのある顔が……と思ったら、警官役で隼人を追いかけていた男の子だった。あおいちゃんの大ファンで、シネマネーの出演者募集に応募し、ロケも映画祭も大阪から自腹で参加しているとか。「今井さんのロケ日記を読んで、こちらのお店に来たんです」と言われる。期待に添えただろうか。わたしは、はじめてこの店でイクラ丼を克服したときほどの感動は味わえなかった。舌が大人になってしまったのかも。


これが有名なイカ飯
■あおいちゃんのメイキングビデオ追加撮りがあるというので、小山さんは大正湯へ。BONI(棒二)デパートでプリンを買い、牛乳おじさんちへ向かう。大町の電停で降りたら、ひとつ先のどつく前が正解だった。少し遠回りしてしまう。おじさんちに着くなり、「手紙送ったのに、ウンともスンとも言ってこねえから、都会の人間は冷てえって話してたんだ」となじられる。「(ビデオプランニングから)礼状は来たけど、隣(駒止保育園)と同じ文面だった」とも愚痴られる。「こうして会いに来たんだから許してよ」と言うと、「そうだな」と目尻を下げた。■「本物を食わしてやる」と運ばれてきたのは、自家製のイカ飯。もともと好物だが、これは今まで食べたどんなイカ飯とも違うおいしさ。とにかく柔らかい。イカと具の米が溶け合うようにひとつになって、米にイカの風味がしっかりしみこんでいる。「また食いに来い」と言われたが、この味のために函館に来るのもいいなと思ってしまった。■おじさん、奥さん、お嬢さんとしばらくお話しする。三人は『居酒屋兆治』にけっこうはっきりと出ているらしい。ロケ現場を通りがかったらスカウトされたのだとか。駒止保育園の前で大泉さんと撮った写真も見せてもらう。「函館に来て、おらと写真撮らないわけにはいかねえって言ってやったんだ。あの有名な大泉洋と並んでも負けてないだろ」と胸を張る。

これが有名なパコダテ人作者
■牛乳おじさんをお借りして、函館観光につきあってもらう。「これが有名なXX寺」「これが有名な外人墓地」。おじさんは、何にでも「有名な」をつける。知り合いだというお寺に上がらせてもらう。庭の木にぎっしり雀がとまっていてビックリ。■おじさんと歩いていて驚かされるのは、その顔の広さと人懐こさ。自転車に立ちはだかってびっくりさせたり、車に手を振ったり、通行人に抱きついたりと忙しい。会う人ごとに「これが有名なパコダテ人を書いた人さ」と紹介してくれる。「ああ、パコダテ人ね」となる人と「パコダテ人?」となる人は半々ぐらい。「知らねえのか? 有名な映画だべ」とおじさんは強気。「誰が出てるの?」と聞かれると、「おらが出てる」。面白すぎる人だ。歩き疲れると「休むべ」と八百屋の中にずかずか入って椅子に腰かけ、「あんたも座れや」と手招きする。ここでも店主やお客さんにパコダテ人を宣伝。この調子だと、函館中に知れ渡る日も遠くなさそう。■函館でいちばん古い現役エレベーターがある建物は、土曜日なので閉館。近くにある五島軒で休憩することに。オムライスとカレーが有名な洋食屋だ。昆布入り函館カレーとロシアンティーというご当地らしいメニューを注文する。■牛乳おじさんと別れ、一旦ロープウェイ山頂へ。誰もいないので、ふたたび麓に下り、西波止場まで歩く。巨大クリスマスツリー点火の瞬間を見ようと、すごい人出だ。フェリシモ郵便局へ行き、クリスマスカードを一通書いて、クリスマスポストに投函する。パコダテ人の冒頭シーンを思わせる、女の子が窓辺で星に願いをかけているイラストに、作品がたくさんの人に届くよう願いを込める。

これが有名なダジャレ監督
■パコダテ人の前に、『まぶだち』が上映された。sWinGmaNに出ていた男の子が主演だというので、ほうかさんと並んで見る。最近あちこちで取り上げられていたので、気になっていた作品。中学生の男の子たちの友情がすがすがしい。『STAND BY ME』をまた観たくなる。■いよいよパコの上映。土曜の夜ということで、今夜の人出はすごかった。階段の下まで続く列を見て、感激する。補助椅子を出しても座りきれず、かなりの立ち見が出る。最後列の後ろに立ち、人で埋め尽くされた客席を見ながら、公開もこうであってほしいと願う。上映ごとに涙する場所が変わるが、今回はエンドロールに泣かされた。「函館市民のみなさん」に連なった名前を数えていると170を超えている。少なくともこれだけの人々が力を貸してくれたのだ、その本人や家族が見に来ているのだと思うと、文字がじわっとにじむのだった。舞台挨拶で、好きなシーンを聞かれて、「屋根の上」と「雨宿り」と答える。今夜は前田さんのギャグが走っていた。「北海道で先行公開し、本州に下りていくわけですか?」と聞かれ、「どう南下わかりません。公開せんと後悔するかも」。ロケ地の金森倉庫の話になると、「すぐ倉庫にありますけど」。作品よりも笑いを取っていた。上映前にやって、客席を和ませておくべきだったかな。■上映後、バーカウンターのある店で映画祭の人たちと飲む。前田監督と『ぱこだて人』シナリオとのキューピットとなったじんのひろあき氏と初めてじっくりお話しする。NHKのオーディオドラマを百八十本以上手がけたと聞いて驚く。テーブルの反対側で『まぶだち』の古廓監督を取材していた函館ラサール高校新聞部の男の子が、「パコダテ人の話を聞かせてください」とメモ片手にやってきた。わたしよりも饒舌に質問に答えるじんの氏。行ってないロケの様子を手に取るように生き生きと話しだしたのには舌を巻いた。卓抜した想像力と創造力。脚本家の真髄を見る。

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