2000年10月23日(月)  パコダテ人P面日記 誕生秘話

物語の誕生はカクテルの誕生に似ている。ラム酒をたまたまライムで割ったらとんでもなくおいしいダイキリが生まれてしまったように、偶然ときまぐれの組み合わせから思いがけない面白さが生まれたりする。『ぱこだて人』(当時はひらがなだった)が生まれた夜、わたしは函館山のてっぺんで函館ビールとワインの祝い酒に酔っぱらっていた。『昭和七十三年七月三日』ではじめてのシナリオ賞を取り、その授賞式に招かれたのだ。斉藤理香さんという女の子(彼女は脚本・監督し、水戸の映画祭で受賞した『一番列車に乗る前に』という作品をひっさげて映画祭に来ていた)と意気投合し、イエーイと盛り上がっていた。

どういう流れからか、「はひふへほをパピプペポにするとかわいいんだよ。ごきぶりもコキプリになると怖くないよね」という話をしたら、斉藤さんが「そういやパコ函館ってホテルあったよ」と言った。たしか映画祭のパンフに載っていた気がする。「パコ函館?かわいーい。じゃあ、ここはパコダテ?」とわたし。斉藤さんとわたしは上機嫌になって「パコ!パコ!」と騒ぎだした。「なんかパコダテってポップでいいなあ。パコダテ語の話を書こうかなあ」と言うと、「来年も賞を取って来ればいいじゃん」と乗せてくれた。

そうだ、賞を取ればまた函館に来て、たのしいお酒が飲めるのだ!今回は中年が主人公だから次は若い子の話にしよう。女子高生がいい。はひふへほにオマケの○がついてパピプペポだから…そこでハタと思い出した。何年か前の読売新聞の新春号のコラムに「近い将来、シッポが流行る」と大胆な予測があったことを。「人々は話すのが億劫になり、シッポをアンテナにしてコミュニケーションを取るようになる」といった内容だったが、日本中をシッポつけた老若男女が行き交う姿を想像して、「この絵は使える」と思った。ずっと忘れていたが、酔って頭の回転が良くなったせいで、いきなり記憶の引き出しが開いたのだった。

「パコダテ→おまけ→シッポ」という連想ゲームで「ある日突然シッポが生えてきた女子高生がシッポをオマケとして受け止め、明るく楽しいパコダテ語を流行らせる話」が生まれた。ホテルに戻り、部屋に備え付けた便せんに一気にあらすじを書いた。半年後に応募したシナリオの原型は、ほとんどその日にできていた。函館山ハイの勢いとしか言いようがない。

こうして生まれたシナリオ『ぱこだて人』は無事翌年のシナリオコンクールでも受賞した。めでたし、めでたし。だけど話はそこで終わらなかった。審査員じんのひろあきさんの家でシナリオを見つけた前田哲監督が連絡をしてきたのだ。はじめて会った日に新宿の談話室『滝沢』で6時間話した。父が教えていた大阪の高校に同じ時期に通っていたことがわかり、びっくりした。数日後紹介されたプロデューサーの三木さんは、数か月前に同じ飲み会に居合わせて名刺交換した人だった。さらに製作委員会の新谷さん(読売テレビ)は高校の先輩であることが判明。不思議な縁のオマケのおかげで、わたしの頭にあった話は、みんながたのしめる映画になった。


2000年10月05日(木) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/08)

「93-」9時半から勤務。

「グルメサンドイッチ」が昼食だった模様。グルメは会社のある青山ツインビルの地下食堂街にあった。わたしの生まれ育った堺市泉北ニュータウンの泉ヶ丘駅の駅ビル、パンジョにもあり、子どもの頃の誕生会などで華々しい存在感を放っていたグルメ。大人になって再会すると普通のサンドイッチ屋で、落差に困った。

「NBJミーティング」FOXチャンネルとチャンネルVを担当していたニューズ・ブロード・キャスティングジャパンの打ち合わせ。

「しゅーちゃん」大学の同期の体育会幹事長だったしゅーちゃんと会ったのか。ITに詳しいので、仕事のことでアドバイスをもらったのかも。

「プー打ち上げ」東京ディズニーランドの新アトラクション『プーさんのハニーハント』のCM完成の打ち上げか。


2000年10月04日(水) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)

「晴れ(お日様マーク)」

「A11 サンドリア片岡氏」名前を見るまで永らく忘れていた懐かしい名前。会社のある青山ツインビルと青山一丁目交差点をはさんだ斜め向かい、国道246沿いにあったケーキ屋。ミキハウスのスチール撮影用の誕生日ケーキをここで注文したこともある。

片岡氏はソリューションXという会社をやっている元電通マン。わたしの書いたJAAA入賞論文(カンヌ広告祭での「JAPANESE論争」を書いたもの)を読んで、ご自身が編集されている『広告マンになるには』という本への寄稿を依頼してくださった。この日が初顔合わせ。仕立てのよい詰め襟のスーツ(イタリアのマフィア風)を着こなし、業界用語を連発する片岡氏の第一印象は、電通OBっぽい人。店を出た後、「これから石原慎太郎に会ってきます」とタクシーに乗り込んだ。

「オレンジ棚 移動」オレンジ棚=独り暮らしのアパートの前に捨ててあったオレンジのカラーボックスのこと。このときは今も住んでいる文京区のマンションに移り住んだ後だったか。

「立田野(抹消線で消してある) 萩」どちらも会社の地下にある和食の店。立田野ではなく萩で昼を食べた。

「たくや アンダンティーノ」たくや=大学の同級生の松本拓也君だと思われる。電通で何年か勤めた後独立してアクションクリックという会社をやっていた。今は芸能とITを自在に行き来する世田谷のプロデューサー(自称せたP)として活躍、本もバンバン出している。アンダンティーノは会社のあった青山ツインビルの双子の片割れ、西館の一階にあった喫茶店。広い割にお客さんが少なくてゆったりできたけれど、商売としては厳しかったのか、ampmにとってかわられた。赤坂御所の向かいという配慮からか、ここのampmの看板はモノクロだった。

「エルグレコw/望月 藤本」夕飯はINAひまわり生命の仕事で組んでいた先輩アートディレクターの藤本さん、パンフのレイアウトをやってくれていたプロダクションDADAのデザイナー望月さんと会社の地下にある喫茶店で。

青山一丁目まわりで5軒の店を行き来した一日。


2000年10月03日(火) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)

「曇り(雲マーク)」

「渥美受賞」NHK札幌放送局のオーディオドラマコンクールの同じ年に入賞し、授賞式で意気投合した渥美珠己さんが他の賞でも受賞。独特のファンタジー色を持った世界を描く人で、あちこちのコンクールで受賞を重ねていた。今どうされているのかな。

「半休〜20」午後出社で8時まで勤務。

「渋谷ロフト」渋谷ロフトと東急ハンズはよく行った。

「生協惣菜」が晩ご飯か。

「鹿島電話(電話マーク)」獣医ドラマを開発していたNHK札幌放送局の鹿島さんに電話。


2000年10月02日(月) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)

「雨(傘マーク)」

「オードリー開始」大石静さん作の朝ドラオードリーがこの日から。その十年後の朝ドラてっぱんを書くことになるとは思っていなかった。

「93-213」勤務。

「勘八 w/藤 田中 くずや」会社の地下にある寿司屋でお昼。ここは仲良しだった一期上のミキとよく行った。

「P2 INAインターナル」午後2時、INAひまわり生命の社内打合せ。関西ノリの担当者さんの多い得意先で、打合せでたくさん笑わせてもらった。とくに鮫島さんという男性が面白く、名刺を差し出すと「今井さん? 今井美樹ちゃんや」といったベタな反応が楽しかった。

「P43 NBJ」FOXチャンネルとチャンネルVを担当していた得意先ニューズブロード・キャスティング・ジャパンで4時半に打合せ。

「勘八(源中さんより)」昼を食べたお寿司屋さんのお弁当を上司の源中さんに差し入れられたと思われる。

「じゃんが 電話(電話マーク)」じゃんが君は当時酪農学園大学にいた獣医の卵君。ネットで知り合い、電話で取材させてもらったりしていた。公式にも取材させてもらっている大学だったため、取材ルートが複数になって混乱を招き、注意を受けた。今よりもネットで取材先をつかまえることへの抵抗もあった時代。


2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)

2000年10月のスケジュール帳は見開きで発掘。

「103up」十時半起床。

「隣の中村さん」記憶にない。お隣さんにご挨拶を?

「冷うどん」がお昼だった模様。

「男子マラソン」をテレビで観たのか。

「タマゴ時代打つ」獣医の卵ということで『タマゴ時代』というドラマのプロットを書いた。NHKドラマDモード『彼女たちの獣医学入門』の本作りに入る前に、この時期はプロットでどういう物語をやるのか模索していたらしい。

「サラダ ポテグラ」夕飯にサラダとポテトグラタンを作った模様。

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