今日は仕事のあと友人たちと総勢五名で都心のスペイン料理店へ。このごろはやっているピンチョス(うーん、串ものを多様した小皿料理というか)の店でした。イカスミのパエリャがおいしかったね。 しかしオフィス街なのでその後のお茶の場所を求めて放浪。結局ほとんど新橋ちかくでやっと、でした。 その後本屋に寄って帰宅しました。・・・のが15分くらい前。
昨夜あれから『ハンニバル』をみました。 これが予想外によかった!以下ネタバレおよび妄想を含みますのでご注意ください。 原作の『ハンニバル』は、終盤で稀代の殺人鬼レクター博士(追われる者)とFBIのクラリス(追う者)がなんと一緒になってしまい、クラリスは博士に一種の記憶操作をほどこされたままずっと行動をともにするというラストでした。 これはこれでなんつーか、 「オヤヂの夢よね」というものがあり、かつ「クロクラ愛の逃避行」の一バリエーションとして脳内で位置づけることもまあ、可能かと思っておりました。
でも問題は、わたしにとってのクロクラは「個人的因果で結ばれている」というのがけっこう大切だということ。立場的対立(犯人と捜査官)というのでは甘いのです。
で、映画。 この内容だったらジョディ降板しなくてよかったんじゃないの?脚本読んだのかな。たしかに原作では、すでにレクターに取り込まれたクラリスが、レクターと一緒に犠牲者の肉や脳を食べてしまうのですが、映画バージョンでは違いました。
大きな違い。 1)レクターの過去はまったく出てこない。以前にも日記に書いたと思いますが、レクターの狂気あるいは正気はだれにも理解できない説明もつかないものだからこそ凄味があると思うわたしにとって、原作でのレクターのこども時代のエピソードはまさに蛇足でした。 2)クラリスは記憶操作されない。個人的妄執と復讐心によってレクターの命を狙う大富豪バージャーの手に落ちたレクターをすくいに単身のりこみ重症を負ってレクターに治療を受けるのは同じだけど、記憶操作はない。
そして緊迫感ある関係が保たれて、わたしはひとり「これは萌えだよ!」と小さく叫びつつエンドクレジットを見送りました。
ビデオのいいところは萌えせりふを巻き戻して聞き直せることね。 というわけで『ハンニバル』から。
”I came half a way around the world to watch you run."(きみが走る姿を見るために世界を半周してやってきた) そしてクラリスに、 「わたしを愛しているならもうやめて」と、言う気はあるかい?ときき、 「千年経っても言わない」と返答され、
"No, not in a thousand years....That's my girl." (千年経っても言わない、か・・・それでこそきみだ)とキスをするのです!
クラリスはそのキスの隙を利用してレクターに手錠をかけ自分とつないでしまいます。警察には通報済み、すでにパトカーやヘリが現場に急行中。 もちろん博士は鍵をよこせと言うのですがクラリスは拒絶。 で包丁(台所なので)を出した博士は、「痛いよ」と威嚇してガツンと!!
・・・自分の手を切って脱出したらしいです。 ああ乙男ソウルが目覚めたよ。
返却期限は金曜日なので、もう一度ここのシーンとかショッピングアーケードでのレクターとクラリスの会話(これも原作にはないの)のところとか見直そうと思います。
ところでハンターのOAVどうしよう。
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