FILL-MIND [フィルマインド]心情記 

   
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2003年03月26日(水)  ■春雨の夜■

ここのところ、何かに取りつかれてでもいるように、本を読みあさっている。

いや、時間は相変わらず。さしてゆとりはできていない。

なのに、通勤時間と深夜にかけて、ほとんどの自分の時間を当てて、文芸書を読み進めている。
こんな意欲的な読書は、そう23才の頃の、はじめて本の中から響く声を聴いた、作家になれと向こう岸からの叱咤とも言うべき叫びに胸が潤んだ、少し神がかり的にオカルトチックに暮れた秋以来のことだ。

読む本に不自由はしない。散々に買いためて放ったままにしてあったハードカバーの山はまだ半分も崩れていないし。商店街のはずれにある深夜まで開いている古本屋の居場所は、とぼとぼとひとり帰路につく途中だし。

この現象は現実逃避の末だと、思ってやまないけれど、23才の頃私は、間違い無くその多くの偶然にも必然的に知り合った物語たちから、行き止まりだったはずの行く末の指針をみつけ出せていた。

などと、かなり、入れ込んだ文学に影響されて書きはじめたこの文章。
大袈裟な模写に映し出せる日常を思い出せる脳の活性くらいには、効果があったようだ。


感慨深げに、春の雨の夜はふけて。

あとわずかに、ほんの少しだけ。あと1時間程度でも。読み切ってしまいたい誘惑にかられながら、眠い目をこする深夜1時。

いつまでたっても、寝不足癖は治らないようだ…。







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2003年03月19日(水)  ■パーツだけ■

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 許されぬ道を行った時、人はなぜそこに気付いてしまうのだろう。いつ、何ゆえに間違いと正さねばならなくなるのだろう。

 故意的に間違おうとなど、誰も思ってやしなかった。取り返しがつかない場所に来て初めて、その場所の不穏さを感じ取れる。それを愚かと責めて過去が取り戻せるなら、想いは少しは軽くなるのだろうか。

 その時、人はどうすべきなのか。やり直すのか。突き進むのか。一度信じて進んだ行方に、引き返す勇気と突き進む勇気……。どちらを選んだとしても、嘆かずに力を生み出せるなら、その奇跡を信じたい。

 出直すという言葉は、あまりに未来を潔く映し出す。でも自らの判断を肯定と貫く意思もまた、真摯であるはずなのだ。後悔に悔やむ未来に、夢を望むことはできないのだから。

 もしも胸に残る苦さを拭えないなら、それでも選ばなければならない一歩を踏み出して、自分の前にあらわれる選択をただ信じていくしかない。

 息を絶やさぬように、心は形を変えていく。生きる所在を認めたくて微笑みは返される。寄り添って人の持つ温もりが浄化なら、幸を忘れることなかれ。まだそこに潜む熱を深く熱く。

 間違いを犯す今に、注げるなら愛をすべて。心ごと体じゅうに。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 断片的に紡ぎ出されてくる言葉を記しておくことが、私にできる今のところの精一杯なので、ただここに置いておきます。

 ほとんど、メモ帳のような使われ方をするようで、いいのだろうかと少し胸は痛むのですが…。

 きっとそのうち、断片は繋がってひとつの線を描けます。
 できれば、気を長く持って、のんびりと道草しながらFILLを眺めていてくれたら嬉しい。

 すっかり人の寄り付かなくなった、場末のバーの片隅で、気付けば静かなメロディが肌に染み込むように流れている。
FILLに、そんな仕事ができていたら、幸せ。と思うこの頃。

こんなんでも覗きに来てくださる皆に、そういう形の恩返しをいつかできれば、良いと思います。いつもありがとう。





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2003年03月13日(木)  ■喪失■

言い訳に迷う混迷自体が正当ではないとするなら、どう筋道は組み立てられていくのだろう。
正解は万人に同じように与えられるものではないのに、行く道は常に真っ当さを重んじる。視点を変えた時の逆転。正当性の危うさ。

本当の行動理由を知る勇気? 
正義とか常とか、当たり前の言葉に表せぬもの。
絶対数ではない理由。

逆説に説くなら、一貫するだけが正義と言えなくなる時の迷い。


いや、ふとね、争いごとを傍観して矛盾をみつけて、わだかまって、とどまらずに書きたくなった単なる言葉です。

紙一重な思考回路。

「FILL MIND」はこういう私のわけのわかない理屈が綴られる創作の素だと題目に記してある。でも今創作に結びついていかない。

そんな時、唐揚げ食べた風日記のような代物と化していく。

ロストインロジックな思考回路。

思い出して読み直して、まさに論理喪失。
創作を置き去りにしたまま、要の勢いを随分とまき散らしてしまったらしい。

あとは拾い集めて、つなぎあわせる集中だけか…
3ヶ月以上も創作をさぼってしまったツケは大きい。

まだ書けるだろうか…続きを。いや書きたい。



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2003年03月09日(日)  ■ここのところの心情記■

いくつか、書き綴った文章はあったのに、ずっと更新せずにいました。
晴れた陽気とは逆行するように、曇った気分が立ち退かなくて…。

通っていたいくつかのサイト、交流させていただいてたネットでの知り合いとも、リアルでのそれと同じように、年末からの仕事に忙殺されて、とんと御無沙汰になったままでいます。

みなさま、お元気でしょうか?

すっかり創作も途絶えてしまっているFILLだというのに、ぽちぽちと足を運んでくださる方がいることに、感謝の意が尽きません。今なお、ご閲覧にお応えできていなくて、ごめんなさい。

最近書きなぐっていた言葉は、創作の基となる発想と本心の根底にある迷走とが混在していました。
先月はそんな更新ばかりで、その露出自体、熟させるべきものだったことに気がつき、更新を躊躇したまま今日にいたってしまいました。


できれば、誰とも争わず誰の言葉にも翻弄せず、誰も責めず怒らず、誰に咎められ叱られもせず、辺境地でひっそりと暮らしたい。と逃げ腰の願望を潜ませながらリアルでの佳境を過ごしています。

かつかつでも食べて行けるだけのわずかなお金と、ぎりぎりでも心を知れるだけの感性と、不器用でも表現できる言葉と。
心を灯せるほんの少しの理解者があればそれでいい。私の本心はずっとそこにあるのですが…。

気づけば逆の局面ばかりが詰め寄ってきています。

気性や価値観や判断力や選択基準で、自らその場所を選んだわけで、それも因果応報とでも言うべきかもしれませんが。

逃げきれるなら逃げ出してしまいたい。と膨大になっていく妄想。
逃げないという選択もまた紛れもなく自分でしたというのに。

私には努力という言葉が欠落しているようです。すべては必然が運んでくると思うから。努力だけでは得られない運を過信しています。

苦悶というには陳腐すぎる。なのに苦しいと吐き出す吐息にさえ、立ちすくむ。

今をやめてしまう手はずばかりを考えては、春にさえ不安を抱いています。

今私はどうあるべきか。
まだ、答えは出そうになくて。
まだ、行き着けそうになくて。








 
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