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2018年12月18日(火)繋ぐ
あっという間に11月が終わり既に12月も後半になろうとしている。
師匠も走る、と書いて師走、とはよく言ったもの…。

書こうと書こうと思っても色々落ちつかず今頃になってしまったけど
1ヶ月経ち気持ちも大分落ち着いてきたので丁度”書き時”かもしれない。

サイトを始めた頃から仲良くしていたネットの友達リョウタが先日亡くなった。
享年31歳だった。
悔いが残るといえば一度ぐらい会っておけば良かったということ…。

当時彼は中学生で私の中では弟的な存在だったので
まさか私より先に、そしてこんなにも早く別れがくるとは思っておらず、
数週間はぼんやりとした毎日を過ごしていた。

彼の死を知ったのは実はYahooニュース。
金曜の夜、息子が寝静まり珍しくパソコンを起動してネットショッピングをして
さ、寝ようかと思い最後にチェックしたYahooのトピックスが目に入った。
”甥が亡くなり悲痛”というようなタイトルに背筋がスッと血の気が引いたのを感じた。

良太とチャットをしてるころから叔母である江口ともみさんの話は聞いていた。
俺の叔母さん美人だよ、から始まり、今日は叔母さんとどこどこ行ったとか、
叔父さん(枝豆)にギター教わった、とか夫妻の話は良太からよく聞いていた。
その江口さんの甥といえば、当然良太かもしくは良太の弟しかいないのだ。

悪い予感は的中して慌てて開いたFacebookには彼の死が報告されていた。
その夜は中々寝付けず、寝ても浅い眠りのまま目が覚めた。

彼自身もアメリカを拠点に音楽の活動をしていて
最近は日本でも活動していて、フジロックにも出演したことがあった。
その時、本当ならかけつけたかったのだけど偶然にも妊娠中のとき。
ましてモラ婚家のような環境で行けるわけもなく。

そして今年の春も東京大阪でライブがあったけどそれも職場復帰の日程で行けず、
でもライブならこれからでも行けるしいずれ会えると思っていた。

彼と最後に直接連絡をしたのは5年ほど前だろうか。
Facebookにハマった時期にリョウタを検索して申請してみた。
そのときに数回メッセージのやりとりと、そのあとLINEを交換して何度か。それ以来。

モラとのことがあって以来スマホの音そのものが恐怖だったので
LINEも電話も開きたくなかったので友達に追加したこと自体忘れていた。
あとはインスタでお互い無言で近況を知るぐらいだった。

良太が女の子とユニットを組んでから何となく連絡しずらくなったこともあるし、
私も結婚をして、あちらも何となく連絡しづらくなったことも原因だったかもしれない。

今覚えば婚家で地獄のような生活をしているとき良太とやり取りすれば少しは笑えたのかもしれないと思ったりする。
良太を思い出さないほど、サイトまで一緒に作った友人と
15年という月日の間に、何となく疎遠になってしまっていた。

だけど、彼が死んで改めて思う。
なぜ彼と出会ったのだろう。
歳も違えば、住んでいるところも趣味も何もかも違う。
なのにインターネットという近代の技術で偶然出会えた。

彼と出会った意味は何だったのだろうか。
私に彼を出会わせた意味は何だったんだろう。
彼は私に何を伝えたくて、逆に私は生きている彼に何を与えられたのだろうか。

パワハラな職場で病んでる頃は精神的に助けてもらったことも多く、
良太相手なら逆境もギャグで笑い話にすることも出来た。
正直、今まで付き合った男達よりも良太の方が私という人間をちゃんと知っていると思う。

当時喧嘩ばかりしてる不良な良太と仲良くなれたきっかけは
アメリカ育ちということもあるのか「男尊女卑」を感じない男子だったからかもしれないと今は思う。
サイトの日記では毎日ケンカばかりしていて暴力的な様子だったが、
自己紹介欄に「嫌いなもの:女を虐めるクズ野郎ども」の文言がきっかけだったように思う。

彼が以前組んでいたバンドSOUNDDRAGの「Noparts」のPVでは、
日本では男の食い物である女子高生が天狗のお面をペニスに見立てて男を犯してる描写がある。
表面的に見ると卑猥なPVなんだけど、私はあれをみたときに
女が男犯した(やっつけた)って別にいいのか、みたいに思った。
まぁ、あれはただ良太がマゾなだけかもしれないが…。(本人談)

あと、すぐキレるだのケンカしただの言っていた良太だけど、
私とチャットをしていて些細な言葉に機嫌を損ねただとか、突然キレただとか
そういったことは一度もない朗らかな男の子だった。
(どちらかといえば私がすぐ怒ってた)

彼が解説していたサイトはDRAGやら血やら黒や赤、アングラな趣向だったけど、
彼はいつも「まぁ、いいんじゃねw」みたいな感じで
私が知る彼本人は「死」だの「自殺」だのとは無縁な感じだった。

死に対する探究心が故に早くあっちに逝ってしまったのか、
それとも短命だからこそ死に惹かれてしまったのか定かではないけれど、
でも、だからってこんなにも早く逝くことなかったのにと思わずにはいられない。

だたただ、彼と一度ぐらいは面と向かって笑って話してみたかった。
その言葉に尽きる。

彼が死んで、今更ながら彼のユニットLOVE SPREAD(愛拡散)のCDを聴いている。
今まで聴いていなかったのが人生無駄にしていたと思うほど肌に馴染む曲ばかりで
Perfume調で近代的でありながらも何処と無く懐かしめのサウンド。
気が狂いたいときに聴くにもいい感じにトランスできる感じ。
SoundDragのときも思ったけど、良太のギターは泣きのギター。

英語なのでほとんどの曲の意味はわからないけど
次の電車に一緒に飛び込もう、みたいな歌詞の曲の中で、
君が死ぬ前に履いていたスカートとても似合ってたよ、という歌詞が
なんだか情緒的な感じがした。

彼は曲で何を伝えたかったのか、何を表現したかったのか。
彼が書き残したメモには「繋げる繋げる繋げる」と殴り書きがあったそうだ。

子供を産んで日々感じるのは、
この世の中で何が一番大事なのは「善」でも「正義」でも「勝ち」でもなくて
「繋げる」ことなんじゃないかと思うようになってきた。

仕事にしても何にしても相手に「繋げる」こと。
子供を産んで「繋げる」こと。(子孫の意味ではない)
洋服も生地と生地を「繋げる」。
ITなんて一見冷たそうなものだって、本来は人が便利になるための技術で、
実際ネットも結局はチャットだのLINEだの人と繋がるツールが普及している。

私は何を繋げるべきなのか、そう彼に言い残されたような気がする。
そしてアレやコレや言い訳して遠回しにしていても「人はいずれ死ぬ」ということを突きつけられた。
やりたいことをやって後悔のないようにしたい。

31歳という若さで逝ってしまったけど、
きっと良太は後悔なんて無いかもしれないな。