独白「文字式」

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2003年08月27日(水) 床屋はどこや(細かい作業は苦手だ編2)

(前回までのあらすじ)
会社を休んで、いろいろな手続きを試みる私。すでに願書書きでやらかしているため、どうなることやら・・・・。

会社を休んだ22日当日、早起きをしてカーテンをしゃっと開け、気持ちよい朝を迎えようとしたのだが、気のゆるみからか、目覚ましの音を聞くことも無く、目覚めたのは10時であった。この段階で僕の休日はいったい、って感じなのだが、気を取り直して床屋に向かう。

床屋に向かった理由はもちろん、写真撮影のためである。一応大人なので、そんな悲惨な髪型ではなかったのだが、気合を込める意味もこめて、(かつ、23・31とイベントを控えていることもあって)さっぱりしに行ったのである。自転車に乗って近所の安い(1800円)の床屋に向かう。

床屋の椅子に座ったとき、ちょっとやな予感がした。だいたい良い予感は当たらず、やな予感はあたる気がするのだが、バリカンを当てられたときに、しみじみとこの予感が当たったなあと実感した。何せ、痛かったのだ。なんだかむしられているような感じである。この段階でがっくりなのだが、はさみを入れられている感じもなんだか乱暴で、仕上がりも納得がいかない。「もっと短く」と要望をつげて、さらに一言「もっと丁寧に仕事してください」

加齢に伴い、妙に強気な私なのであった。

床屋での辛い体験も終わり、お金を振り込んだり、道中某氏とおしゃべりなどしつつ、写真を撮りにいく。撮影して気づいたのだが、仕上がりが乱暴だったので、髪の毛が少しとんがっており、盛り上がったようになっていたのだ。もっとしかるべきところがあろうに、そんなところに盛り上がりはいらんのである。しょげかえりながら、いったん自宅にもどって願書に写真を貼り付ける。なぜ、インスタントの記念写真は、3×4より大きいのだろう・・・・。そんなことを思いながら、定規で長さを測り、はさみで切るという作業に取り組んだ。プリクラみたいなシールだったら楽なのになあ。糊を塗るときもはがれちゃイヤだと、目いっぱい塗る。それがはみ出て手にくっついて、写真を汚したりするのだ。(不器用すぎる・・・)

写真も貼って、いよいよ郵送である。その前に願書を2部コピーしなければならない。近くのコンビニで作業を行い、いざ、郵便局へ。

コンビ二でも記載事項を何度も見直し、その他書類もそうとうみ返した。あとは郵便局へ行って書類を出すだけだ。そう決心してコンビニから近くの郵便局へと向かう。郵便局でかばんを開いて、封筒に願書を、入れ、たいけど、

あれ、ない。

かばんをひっくり返しても、ない。

冷や汗がたらっと垂れる、なんて書きたいが、こんなとき頭は妙に静まりかえるのであり、「ああ、コンビニのコピーのところに忘れたんだなあ」とのろのろと郵便局を後にする。

自転車を漕ぎ出してその事態の重要性に気づき、ダッシュしたのであった。

おかげさまで、コンビニに案の定あり、郵便も済ませることが出来、ミスドでお茶をして今日一日をねぎらったのであった。

それにしても、肝心な願書をコンビニに忘れるというおろかさで、バチがあたらないと良いが。
(おわり)


2003年08月22日(金) ハニーにでもパニーニでも(細かい作業は苦手だ編1)

突然だが、私は語呂合わせが好きである。
年号やルート2等にとどまらず、友人の電話番号も、無理やり語呂をつけて覚えたりする。
また、ぞろ目等の語呂やリズム、キリのいい日付も好きであり、8月4日とか、1月23日とか、こういう日が近くにあると、よしこの日を区切りにもっとがんばろっ、て計画を立てたりする。

そして、今日は8月22日。なんか、妙にキリが良くて縁起がよさそうだ。ということで、かねてから取り組んでいた、産業カウンセラー試験の願書手続きを含めリフレッシュしよう、と決めたのだ。(年休消化)

せっかくの平日休み(しかもいい天気)で、8月22日。本来なら、ハニーに(82ー2)会いに行くぜ、としゃれ込みたいのだが、一身上、かつ、もっとも根本的な事情(皆までは言わない・・・)のため、それは実現できなかった。それならば働け、ってな気もするのだが、ここ未来1ヶ月、休日は予定が入りっぱなしなので、ごちゃごちゃとした作業に当てる時間が欲しかったのである。

また、試験の申し込みに何をそんなに気合を入れて(苦笑)という方もいらっしゃると思うが、願書書きはもちろん、写真撮影・郵便局でのお金の振込み・簡易書留での送付等、結構めんどくさく、かつ、平日でないと出来ないことが多いのである。で、事前に、願書の必要事項は記載していたので、22日は写真・振込み等の手続きを行ったのだ。

実は、この願書がきにも、相当の時間がかかった。最初は、サクサクっと書こっ、と思ったのだが、願書の書き方を読んでいるうちに、この試験は通りたいなあ、って思いが募ってきて、なんだか妙に緊張してきたのである。で、マニュアルを丁寧に読みながら慎重に記載をしたのだ。しかも、作業をファミレスで行っていたので、コーヒーをこぼさないようと気を使った。

一番時間がかかったのは学歴を記載する欄で、指折り年号を数えるだけでなく、紙に2003年から過去の年号をずっと書いていって、その横に、たとえば、社会人3年目、2年目等、自分の状態を書いて、間違えないように確認するほどの念の入れ方であった。

それにもかかわらず、中学からの学歴を書くところを、高校から書いてしまった・・・・・。

そんな失敗を事前にやらかしていたので、今日の作業は慎重に、と思っていたのに、やっぱりいろいろとあったのである。
(つづく)


2003年08月20日(水) さわやか3組

(はじめに、8月19日、掲示板メンテのため使用できません。(25時現在も使えない模様)連絡遅れて失礼しました)

最近、スポーツクラブに通い始めている。近所のスポーツクラブが24:00までやっているので、空いている23:00ころを狙って、一泳ぎしてジャグジー風呂に入るのだ。
ううむ、さわやか。

で、そんなさわやかな私を神様も応援してくださるのか、このお盆休み、友人と湘南の海へドライブに行く機会に恵まれたのである。快適。しかも人様の車(かなり立派な車であった)で、かつ、人様の運転で海へと行ったのだ。実に快適である。個人的に、車の運転にきわめて向いていない性質なので、ドライブは人様の運転に限るのだ。

そもそものいきさつは、花火に行きたいなあ、ってな話から、どうせなら花火をしたい、さらにもっとどうせなら海にいくべ、と盛り上がったのであった。(この、結構えいやっ、とした企画で4人集まったのも幸いであった。)

8月17日の湘南の海、思いっきし曇りであった。しかもちょっと寒い。そのため、海水浴は残念ながら出来なかった。しかし、海辺でお弁当を食べたり(んまかった)、フリスビーをしたりと、きちんと海を満喫はしたのであった。

それにしても、フリスビーって青春ぽい。サンダルと短パン姿のまんま、海に飛び込んだフリスビーをとりにいって、海と戯れたりして。そして、そんな自分を、「ああ、さわやかだなあ、青春だなあ」と捉えている自分がいて、よりテンションも上がるのである。(傍目ではどう見えているかは、論点から外させていただく)

目いっぱい海遊びをする予定であったが、雨も降ってきたので、湘南の海を後にした。若人4人のドライブ(胸の中はさわやかな気持ちでいっぱい)・かつ湘南といえばもちろん、

「大仏」である。

ウェブ日記なので、いかにもオチっぽい書き方をするのがちょっとイヤらしいのだが、湘南と鎌倉は近く、海もお寺さん参りも満喫できるので、たいへん喜ばしいと思う。久々に大仏さんの顔を拝んだが、じつに柔和な顔立ちであり、本物は違うなあと実感。さらに鶴岡八幡宮まで足を伸ばしてお参り。雨に濡れた緑が印象的であった。

そして一日の最後は、花火である。このためにチャッカマンを購入する気合の入れっぷりであった。幸い、雨は小ぶりだったため、花火には影響しなかった。再び大仏から海辺に戻る。夜の海辺は、砂浜の多くが海で満ち満ちていたが、なんとか降りられるところを探して、花火をした。

さて、さわやかな一行の花火だが、ちゃんとバケツを準備して、花火の置いてある所から離れたところで火をつけ、ロケット花火を人に向けたりもしない、礼儀正しい花火であった。個人的には、打ち上げ花火ってちょっと怖いので、静かな線香花火が好きなのだが、安全な花火が出来て良かった。

と、まあ、なかなかお盆休みの一日を充実して過ごしたのである。
一日くらいは、こんな日があってもバチはあたらんかな。


2003年08月14日(木) ゴージャス(ポエケット編その4)

(前回までのあらすじ)
スミ1にパソコンをセッティングしたわけだが、あきらかにお客様の通りにくい所のため、どうしたらいいか思案に暮れるのであった。

くよくよしていてもしょうがないので、とりあえずの環境をととのえることにした。まずは、パソコンのデモンストレーションなのに、机の前に椅子がなかったので、椅子を持ってきて座れるようにした。さらに、奥のほうで客引きをしても、全然声が届かないので、机の前に出て客引きをするようにした。

隅っこにいることのしんどさは、人の目に触れないことにあるので、前に出てお客様に積極的に声をかけることで、大分多くのお客様に見ていただいたのではないか、と思う。(名刺も結構捌けたので、宣伝効果はあったのではないか)実際にマウスを操作して、自分のHPを見ていただいるところをナマで見るのは初めてなので、相当どきどきしてしまった。その様相を観察して、わかったことは、

1.更新記録から詩のHPに入っていく場合は少ない。
2.一つの作品を気に入っていただけないと、他の作品を読んでいただけない。
3.手ごろにいろいろ見られる一行詩が好評だったかも。

当然デモンストレーションであり、短時間しか見ていただけなかったことによる傾向もあるとは思うが、特に上記2.の発見は貴重で、一つの作品を大切に書かないとなあ、と思った。(一行詩も頑張ります・・・・)

さて、ポエケットには他にいろいろなブースもあったので、時間を見ては、ぐるぐると会場を回っていた。昭和20年代の「詩学」を購入したり、特別定価だった立野さんの詩集「皮膚のまわり」(ご本人手売りだよ、手売り)を買ったりと、なんだかお小遣いをつかってしまった。

よくよく考えると、作者本人から手渡しで買える即売会というのはゴージャスである。私は4コマ漫画ファンなのだが、もし、4こま漫画作家さん手売りのイベントがあったら、会場に行列を作るであろう。(自分の誕生日の日に丹沢恵先生(←ってご存知の方がいらっしゃるのでしょうか)のサイン会があって、デート中だったにもかかわらず行列に並んだ記憶がある)

詩の即売会で行列が出来る、ということは現在はあまりないであろうが、だからこそ、この作者に直接会えるというゴージャスな体験が手軽に出来る、と考えて即売会を楽しむのも悪くないなあ、と思う。

さて、ポエケットにはリーディングもあったのだが、これもすごく楽しかった。特に、大阪からいらっしゃっていた、かわかみまさやさん、やまもとあつこさんの作品がツボにはまり、朗読が終わってから、お二人のブースにまで行って、感想を伝えにいったのであった。(ちなみに、その際住所交換をして、やまもとさんから、ご本人が朗読された作品「駅鳩」が乗っている詩誌を自宅に直送していただいた。ありがとうございました。って、これもゴージャスな話だよな)

とまあ、イベントを楽しみ、2次会の飲み会も参加して、楽しくビールを飲んだのである。

最後に、今回のイベントに出て、思ったこと、
「売り物があったら、もっと楽しいのになあ」

ってなわけで、こんど即売会に行くとき(ぽえざる参加確率60%)は手作りでも何でも、売り物を作っていくし、詩誌も楽しいんだろうなあ、と思ったのである。
(なお、今回の日記は本人許可無く固有名詞を出しているのだが、ご海容いただきたい)

(おわり)


2003年08月06日(水) オセロと即売会の違い(ポエケット編その3)

(前回までのあらすじ)
ポエケットに参加を決め、名刺とかばんを導入。あっという間に当日になってしまう。

さしたる準備も無いまま、いよいよポエケットである。新たに導入したPC用のバックにノートパソコンをつめこんで、いざ、「江戸東京博物館へ」!
で、たどりついてみたものの、広い・・・。よくよく考えてみると、「江戸東京博物館」のどこか、を調べずに来たのである。ううむ、困った、が、たまたま山中さんと出会い、会場にたどり着けた。

ちょっと早めについたので、ぶらぶらと外に出てみる。地味に人見知りするので、最初はなじめないのである。気分も落ち着いて戻ってみると、会場設営が大分すすんでいた。しまった。まあ、気を取り直し、お手伝いする。今回は「ネット詩」ブースの一員として参加しており、机にはりがみを貼ったり、チラシや名刺を並べたりする。実は、沼谷さんがパソコンにデモ画面を落として見られるようにもしてあったのだが、ずうずうしくもパソコン持参だったため、机の角にマイPCを設置する。

隣を見てみると、多くのスタッフを抱え、大量の本を持参し、正装している方が指示を出している。おっ、ごっついぜ、なんてみていると、実はポエトリージャパンの皆さんのブースであった。いろいろな方にお会いできて、嬉しかった。(しかし本は買ってないことをこっそりと付記する)

さて、会場は会議室で、上手にはリーディングのステージ。壁際と真ん中に机がおかれ、口の字に通路が作られている。今回私がいたところは、角の机の隅っこのほうであった。即売会が始まり、人の流れもぼちぼちと出だしてきたのだが、どうにも、お客さんを呼び込みにくい。そもそも、人がいるのに、人が通っていない感じがする。

あれっ、と思って原因を考えたとき、どうも角の角は難しい、ということに気づいたのである。

部屋の掃除をイメージしていただけると良いと思うのだが、角の角って、掃除機がかけにくく、本当にモチベーションをもって掃除しようと思わなければ、四角い部屋を丸く掃除する傾向があるであろう。人の流れも同様、「ふーん、ほほう」ってな気持ちで歩くときは、四角の通路の辺をきっちり歩くことなく、丸く歩くのではないだろうか。そうなると、角っこにある物というのは、実に目に留まりにくいである。

人の目についてナンボの即売会なのに、ちょっと困っていたのであった。

(つづく)
(つづく)


2003年08月01日(金) どうしても語らなければならないこと

前回までのあらすじを無視して、どうしても書きたいことがあるので、今日の日記はそれを書く。

私、実は(って隠してるほどでもないが)「たま」ファンでして、中学生から、おっさんの階段を昇りかけている現状に至るまで、結構一生懸命聞いていて、パーカッションの石川さんのHPも毎日覗いていたのである。で、いつもどおり、ブックマークからHPを眺めて、とんでもない文字を見つけてしまったのである。

解散

ええええっ

思えば、「たま」との出会いは中学生のころである。そのころ、ばりばりの管理教育の学校に通っていて、ただでさえ息苦しかったのに加えて、クラスの中でも、いささか暗くて幼かったため、クラスのマジョリティに参加することが出来ず、お世辞にも楽しいスクールライフってやつに恵まれてなかったのだ。そんな鬱屈したときに出会った音楽が「たま」。彼らの演奏スタイルに加え、歌詞の言葉の奔放さに触れ、

「あっ、普通の日本語を壊しても人に何か伝わるんだな」
→「別に、普通であることや、マジョリティの中にいることが絶対じゃないんだな」
→「もっと、人は「自由」になれるんだな」

ってなことを思い、彼らメロディーの中で、魂の開放感を感じたのである。

で、その解放を与えてくれたバンドが解散する。ちょっとショック・・・・。でも、そのことで、新たに一つの決意をしたのだ。

それは、「自分の言葉で自分の魂の解放をしていくんだ」ということなのである。

「たま」が解散しても、自分の心を解放し軽くしてくれる音楽、言葉を探すことは出来るであろう。(現に、たま以外の曲もたくさん聞いている)しかし、たとえ他の人が出てきたとしても、彼・彼女らだって、いつ止めるかはわからないではないか。

その点、「自分」は生きている限り「自分」であり、「自分」を止めるときは無い、と思うのだ。(もちろん、忙しかったりして、なにも書けない時だってある。しかし、人の復活を待つよりは、自分の復活を待つほうが、よっぽど気持ち良い。復活を待てるということは、生きている以上、「自分」を止めることはないということだと思う。)

だからこそ、「自分」で「自分」を解放出来れば、(というより出来る、と信じていれば)なにかにすがったり、棚ボタを待つことなくやっていけるんだ、と思う。

そして、もっとつっこんだ話をすると、「自分の解放」(自分が書きたい、と思ったモチベーション)に何かしらの普遍性がある、と信じているからこそ、HPを通じて詩を発表しているのである。

なにはともあれ、自分に正直に自分が頑張るしかないんだなあ、ってことを「たま」解散で改めて思ったのだ。


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