独白「文字式」

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2002年12月31日(火) きちんとした人に

さて、正月一歩前である。
今年を振り返ってみると、まあ、なんのかんのと
盛りだくさんであったが、その割に、自分の人生に深みが生まれず、
ついているのは脂肪だけ、というていたらくである。

で、新年を気持ちよく迎えようと、
風呂掃除をはじめたのだが、
はじめてみると、まあ、あらがめだつことめだつこと。
一通り床をこすって、お湯をさっと流してみても、
微妙に汚れが残っている。
「もう、掃除なんていいやっ」と
スポンジを投げ出して、はたと自分のダメダメっぷりに気づいたのである。

なにがダメなのかというと、
「掃除して汚れが見つかる」
→「掃除しない」という論理思考が
人生のいたるところに散見される、ということなのだ。
嫌なところが見つかると、投げ出してしまう。
それだとまるで成長しないではない。

ちょっと不都合があっても、
なんかやってみたほうがいいんだよねえ。

つい、年末なので神妙になってみたのだが、
といいつつも、来年もある程度はぼんやりしているのだろう。
一味くらいは違っているといいのだが。


2002年12月18日(水) 魂の軟着陸

実は先日、詩のボクシングの予選に行ってきたのだが、
残念ながら負けてしまった。
前日に友人と電話で長話をして、なかばさぼろうかなあ、
と思っていたくらいのテンションなので、負けるのが当然だが
いざ負けてみると、ちょっと悔しいのが不思議。
んで、かなり面白い体験をしたので、日記にまとめてみる。

予選参加人数は約100人、予選会場は、ビルの中の広い会議室で、
参加者のほとんどが会議室の中にいて、他の参加者の朗読を聞いている。

つまり観客は100人。

正直私の参加したことある朗読イベントは、
実際に詩を書く人(知人が多い)が十数人いるくらいなので、
とんでもない観客を前にして読むことになる。
正直、かなりシビレた。
特に、待機しているときは(次に読む人は前にでて待機している)
久々に手の震える経験をであった。

と、いいつつも、いざ自分の朗読が始まってみると
意外と読み出しは落ち着けたので、
おっ、うまくいってるんじゃないか、と思っていたのだが、
ふっと審査員を見たのが悪かった。

そのとき、ずうずうしいことに
審査員に受けてるぞ、と思ってしまったのである。

そうなると妙に力が入り、
わけがわからなくなってしまう。
そんなわけで、後半は間の取り方が詰まってしまったのである。

この自意識過剰は病気かなあ、とちょっと思っていたりする。

自分が読んだら、ハイサヨナラ、っていうのもなんなので、
しっかり他の方のを聞いていたのだが、
まあ、バリエーションは豊富だった。

しっとりとした女性の朗読があったり
壊れそうなものばかり集めてしまいそうな若い男の子の朗読があったり
微妙にラップ調の朗読があったり、
読みの技術、間、パフォーマンス等敬服するものがあった。

で、こんだけ聞いていると、自分の聞きたい
(ということは実施したい)
朗読がなにかが見えてくるのである。

それはどんなのかというと、
見かけ、間のとりかた、読み方、パフォーマンス
すべて普通なのだが、
ふっと言葉が引っかかって、よくよく聞いてみると、
魂の惰弱さがしみじみとあふれてきて、
「こいつ、とんでもないやつだ」
と思わせるような朗読である。

それは、おそらく
「静かに魂の理想郷に軟着陸する」ようなものなのだ。

そういったものに出会うためにも
いろいろ動いてみないといけないのだろうなあ。


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