元・白血病患者の日記
 

2003年11月30日(日) のんびりとした日曜日

 天気も悪いので午前中は『ガッシュ』を見終わった後、全員でゴロゴロとしている。

 午後には雨が止む。夕方まで待って、久しぶりにみんなで買い物に出る。子供はフラフラとゲームコーナーに向かい、人がやってるムシキングに熱い視線を投げかけている。居並ぶ親がガンガン小銭を投入してるのを見てると、さすがに我慢できなくなった様子だが、昨日やっているので今日はダメなのであった。(と、説得したら納得してくれる所がエライ)

 その代わりというわけではないが、12月を前に月刊誌が並んでいたから買うことにした。いつもならテレビマガジンなのだが、子供にテレビマガジンと小学一年生、どっちがいいかを聞いてみると迷うことなく『小学一年生』を選んだ。ふうん。いいなぁ、自覚があって。

 牛乳パックがたまってきたのを見て、今度は馬を作れとせがまれる。馬ぁ? リクエストの通りに作っていたら、嫁さんがもう一つ牛乳パックを持ってきたのでそれはツノとなり、馬はユニコーンへとランクアップした。前に同じように牛乳パックで作ったロボットもそうだが、サイズがでかいんですけど…。いつまでこんなことで喜んでてくれるのだろうか。成長してもらいたくもあり、このままでいてもらいたくもあり。



2003年11月29日(土) ロスタイムの天国と地獄(浦和の悲劇…)

 朝から雨。

 残念ながら交通公園で自転車の練習はできないのであった。これでまた運転勘を忘れてしまわないだろうか? チト心配である。そういえば先週は謎の昼寝(疲労かな?)でスイミングを休んだが、今日は月の5週目なのでお休み。せっかく覚えかけてたクロールも大丈夫だろうかしら。

 午前中は児童館に。雨なだけに最初のうちは人手が少なかった。相変わらず先生方はうちら親子に揃って声をかけてくれる。子供も慣れてるので、是が非でも学童に入れたいんだけどねぇ。そのまま図書館に行き、今日は『怪傑ゾロリ』を集中的に読まされる。読めないこともないが、微妙に長いのよ…。すっかり味をしめてしまった子供に催促されるが、昼になったのでお開きにしてもらう。ゾロリ・シリーズ、かなりたくさんあるんだよなぁ。

 昼飯を食い終わっても嫁さんが疲れ気味なので子供と一緒に川崎に出かけて遊ぶ。ゲームセンターでは相変わらずムシキングにご熱心。いつものことだが、並んでる子供が手にしてるカードの量は半端ではない。今日はムシキング大好きなお父さんがいたので、その資金力をまざまざと見せ付けられたうちの子供であるが、俺の懐具合を知っているのか無茶な要求はしてこなかった。そのままプラモデル屋やら本屋を経由して(またゾロリを読まされた…)、ボチボチと帰ることにした。

 たどり着くころには、サッカー中継の後半に間に合う。…サッカーは大変なことになっていた。

 先週ほど複雑ではないが、最終節で優勝の可能性のあるのは4チーム。

 ◇市原・相手に6点差をつけての勝利と他チームの結果次第(無理無理無理)。

 ◇鹿島・浦和に勝利が絶対条件で、なおかつ横浜の勝利(頑張れマリノス)。

 ◇横浜・自身の勝利と、鹿島の引き分け以下が条件(とにかく磐田への勝利)。

 ◇磐田・引き分けでも自力優勝(断然有利)。

 NHKの総合が横浜―磐田の中継なのは仕方がない(浦和ー鹿島は衛星!)。仕方がないついでに、横浜の応援をする。しかし、前半すぐにGKが一発レッド、しかも1点を失うという展開。せっかく鹿島が2−0とリードしてるというのに…。

 横浜は、後半に入って同点に追いつく。ただ、引き分けでも優勝の磐田はまだ余裕?

 ドラマはロスタイムに待っていた。横浜、浦和、両方スタジアムが3分のロスタイムだという。いくらアントラーズが勝っても今回は他力本願なもので、必死にマリノスの応援をしていると、久保がヘッドで決めてくれた。これで鹿島の優勝!

 と、思った矢先、画面が切り替わると鹿島の選手がピッチに倒れこんでいた。まさか…と思ったら本当にまさかだった。エメルソンの同点弾が、同じような時間に入ってしまったのだ。ありか? 漫画でもこんな展開ないゾ! 劇的過ぎ…。

 なんか今年は浦和と相性悪過ぎだこと。これまでの鹿島は、こういう場面で絶対に失点なんかしないチームだった。それがこの展開というのは、世代交代を急がにゃいかんってことかねぇ。ま、とにかく今日の試合は『浦和(スタジアム)の悲劇』ということで、アントラーズサポータには忘れられない日になりました、と。

 夕方、応援疲れなのか、嫁はコタツで寝てしまい、こっちもウトウトしてしまう。いやあ、サッカーの応援は疲れるねい。(優勝を祝すビールは、残念な焼酎に変更となった)



2003年11月28日(金) 美味しい話にゃ裏がある、と

(前日の続き)
 本気で背中を切開して、そのまま面接に行くつもりだったから背広姿のままである。17時に新宿ということだが、面倒なのでそのまま新宿に出かけてしまう。せっかく新宿まで行くので入院していた病院にも顔を出しとくとしよう。

 新宿へ向かう途中、何を血迷ったのか違う会社の求人票を持ってきたことに気がつく。やはり多少なりとも切開することに同様していたのか? このままでは場所がわからない。とはいえ取りに行くのも何なので、部屋に電話をして場所の確認を…と思ったのだが公衆電話が駅にはない! ことごとく撤去されているのである。NTTは、国民全部が携帯を持ってるとでも思っているんだろうか。っていうか、災害があった時に公衆電話ないとマズイよ〜。

 やっと探しだせたと思ったら、駅のハズレだった。しかもカード専用。当然のように、こういう時というのは小銭しか持ってない。慌ててキオスクに走ると1000円用しかないという。小銭が使える機種はないかと駅員に聞けば、一回、外に出ろという。なんで電話するだけでこんなにウロウロするのだろうか。NTTめ!

 なんか懐かしい時間帯に新宿にいた。数年前までは、外来でよく来ていたものである。当時は人ゴミなんか怖くて仕方がなかったが、だいぶ慣れたもんだ。面会時間になってバタバタすると先生や看護婦さんに迷惑かけそうなので、そのまま病院に顔を出してみる。エレベータに乗り込むと、Y口Drが乗り込んできた。向こうは気がつかないので、しきりに笑顔を向けるとなんとなく気がついてくれた。やはり、髪の毛があると判断がつかないのだという。そうだよな、ほとんど丸坊主の姿ばかりだったもん。

 そのまま18階まで一緒にあがり、なぜかアントラーズの話で盛り上がる。来ることがわかっていれば、柳沢のサインを自慢したかったのだそうだ。職権を乱用した例の品だな…今となっては貴重品である、羨ましいぞY口先生。

 さて面接。なんか広場みたいな場所に、面接イスが乱立する場所に案内される。他にも面接希望者がいるんだけど、そんな大きな会社なのか? 人が来るたびに愛想を振りまくが、担当者がなかなかこない。いつ来るかわからないので緊張を持続したまま1時間…いくらなんでも待たせすぎだって。

 やっと担当者が来て面接になるのだが、いくつも想像していたのと違うことがあった。そもそも会社がクリスタル・グループの子会社で、募集していたのがパートだという。それでも腰を落ち着けられるのならと思ったのだが、甘かった。休日がウソ、給料がウソ、勤務地がウソ、表示してた会社名がウソ…真実を書いてたのは電話番号と担当者の名前だけか? 異業種ではあっても、やる気のある人間にはしっかりとした研修があるから、というので期待をしたのだが、実際は研修などしていないという…おい!

 しかも特別な器具を使うので、経験者でも苦労をするとか。最初っから無理じゃん。それでも雇うというのだが、そんな長続きしないような場所じゃ駄目なのよ。こちとら先がないんだから。とはいえ、このご時世に未経験者でもいいから雇い入れたいという会社って…。(派遣会社だから、とにかく人数が欲しかったわけだろか。入社しても時給扱いだから、本人に能力がなければ簡単に切れる、と。職安ももっと審査すればいいのに無駄足であった)

 (28日)
 天気が悪いのでクラブハウスに行きそびれる。(実はアントラーズのクラブハウスでの練習は、ここ数週間は午前9時からばかりだった。この日だけは午後2時。しかも運命の明日にむけて、ジッとしていられなかったのだが…)

 仕方がない?ので歯医者に行く。歯医者なんかシカトして茨木に行くつもりだったのだが、どの天気予報も雨だというのでは仕方がない。わざわざ体調を崩しに行くバカもいないであろうから東京に留まる。今回は歯の掃除ということだが、途中で虫歯が発見されたので、もう少し治療は長引くことになった。

 結局、雨は夕方前に霧みたいなのが散布されたけど、降ることはなかった。こんなことなら茨城に行っとくんだったか?(往生際が悪い)



2003年11月27日(木) 白い巨根?(ある大学病院にて)

 子供は小学校で入学前の検査があるんだとか。そうか、今日は書類受付の27日か。この日のために仕事探し頑張ってきたんだけどねぇ、パートも難しいとは…。どっかに光はないものか?

 心配事は少しでも減らすということで、紹介状を持って東邦医●(伏字)に背中のコブを見てもらいに行く。覚悟はしていたが、混雑しまくり。いつも行ってる病院の比ではないなぁ。とはいえ、紹介状があるので、窓口が違うからちょっとだけ早かった。

 カルテを持って診察窓口へ行くと、看護婦に「紹介状の中に依頼内容はキチンと書いてありますよね」といわれる。封印してんだから知らないよ、という顔をしているとため息をつかれた。「先生に私が注意されるんですよね。困るんですよね」と言われたが、知るわけないでしょ! 俺が紹介状を書いたのでも、書かせたのでもないんだからさ。なんだこの病院。

 かなり混雑した待合で週間プロレスを二回読みできるほど待たされる。で、やっと放送が入り『7番待合』の前に通される。しばらくして呼ばれ、中に入るとスケベな髭を生やしたジゴロみたいな先生が黒いシャツの襟を立て、ぶっとい金のネックレスをして椅子にふんぞり返っていた。俺は場所を間違えたか?

 「ふうん、背中の腫瘍を切開してしまいたいわけね。そう希望してるんだ」と、紹介状には書いてあるのだろう。まぁ、気にしないでもいいけど、治すには切るしかないと言ってたからなぁ。助手というのか、後ろにいた(若い)女先生がコブを見て、ポラロイドで撮影される。

 「なるほどね。これなら彼らでもいいか」あ? それってインターンの実験台ってやつですかい? まぁ、こっちは(午後に面接あるけど)今日にでも切るつもりで来てるからいいんだけど。

 「その前に、CTとか色々と検査してからにしよう」
と、言ってジゴロ…じゃなかった先生はアゴでPCを指す。助手の女性は、先生の後ろからやり難い体制でキーを叩く。なんとなく空気が重い。

 その間、質問をするが何か無視され続ける。いいじゃんか、予約の確認してる間なんて何もすることないのなら、患者に何をするかくらい教えてくれても。

 たぶん悪いものではないと思うけど、検査をすればかなりハッキリわかる(かも)。検査の結果、ズバッと切るのか、小さく切って内視鏡を使うのか判断する…こんだけ聞くのになんで気を使わねばいかんのだ? こっちは元・白血病患者なので(主治医のN橋Drが心配するように)いくつか聞きたいことがあるのだが、「もうさ、外に出てなさいよ。検査の予約を見つけたら教えるからさ」と外に出される。俺がいたらマズイのか?

 「いいかい、この前ではなく6番の前で待ってるんだよ」とはどういうことか? ここは長い廊下になっていて、端から番号があってココは一番端の7番。なんで前ではなく隣のソファーに行かにゃいかんのだ? ちなみに6番ソファーには荷物があって、誰か中で受診をしている。他のソファーには何もなく、いきなり荷物のある所に7番の患者がいるのは不自然なのでは?

 それでも性格がいいので素直に6番に座る。出てこないかとドキドキしながら。

 すると7番のジゴロ部屋からは、あきらかにイチャイチャした声がしてきた。会話の内容まではわからないけど、声の弾みがちがうぜヒゲ! このジゴロ! 中で何やってんだよ! ムカついたので7番の前に移動してやった。近くなったので途切れ途切れに会話がわかる。

 なんか検査の日にち、というよりも(なんとなく)手術をする人間の手配に追われてるみたいな…。あのね、向こうの病院では手におえないから、ということで紹介状をもらったのに。

 で、やっとこ中から若い女先生が出てきた。なんでも検査の予約が遠くの日なので、都合のよい日を予約しておいてくれという。は? こちとら今日、切ってもらうつもりで来てんだぜぃ。何で患者の都合ではなく、病院の都合に合わせにゃいかんのよ。そもそも検査ってどんな検査よ。あっちの病院じゃ触診しかしてないぜ。
 女先生に難しい検査なのか聞くと、あっちの病院でも出来るような検査だという。…あの医者、何を考えてやがんだろ。

 (ここで整理。白血病の外来で通ってる病院ならカルテがあるから、そっちの病院の皮膚科へ行く。最初の医者は手術を受け持ってる立場ではないので、木・金曜の先生にという。木・金の先生に診てもらうと、切るにしても紹介状を出すから東邦医●へ行けという。そんでこっちの大学病院に来てみれば、この始末。どうしろというのよ)

 どうせ実験台にされるのなら?カルテのあるあっちの病院にしょう。検査くらいは出来ると分かったので、いいかな。そしたら主治医のN橋Drも少しは安心するかしら。でも、あっちの病院だと検査したものを見てもちゃんと判断できるかしら。…心配は尽きないものである。どこかにブラックジャックはいないのか?



2003年11月26日(水) 痛いという自己申告

 久しぶりの晴れ。

 この間よりも明らかにカクカクしてるペダルを気にしながら職安へ。二次面接の連絡を待っている家庭新聞は、なんとファックスで断りがあったという。これはミニにタコではなく、寝耳に水か?「…パートだと思って連絡しなかったんでしょうかね」と職員はいうが、そんな殺生な。二次面接の話はどこへ? やはり目の前で面接してる時はいいんだけど、冷静に上の人に話しを持っていくと病気持ちは駄目ってことなのかしら。パート募集でこの惨状なのだよねぇ。

 午後から外来があるので、そのまま大森で飯を食う。繁華街を横切ったら、大きな欠伸をしながらホ●トが歩いていた。…20点。川崎、蒲田、大森は全滅ですなぁ。

 時間にキッチリ間に合ったのだが、いつものように外来は待たされる。風邪ひきさんが多いのであった。ゴホゴホするならマスクしてもらいたい人が多くいる。席は空いているのだが、なぜか年寄りは近くによってくる。こっちはわざわざ遠くに座ってんのに…。

 N橋Drに背中のコブのことを話したら、なんか心配そうな顔をした。「いや、別にすぐに大変なことになるというモノではないんだけど、万が一ということもあるから皮膚科から紹介状をもらっているのなら、出来るだけ早く診てもらったほうがいいですよ。本当ならココの病院の皮膚科で見てもらえれば一番いいんですけどねぇ」だと。そりゃ、こちいだってわざわざ何が悲しくて東邦医大に行くかにゃならんのかと思うのだが、紹介状を出されたんだから仕方ない。心配なので、明日行くことにした。

 担当者がいないので、自分から連絡をすることになっていた会社に電話。18時ってことだったけど不在、けっきょく何回か連絡して21時過ぎに向こうから電話がかかってきた。で、急遽、明日の面接が決まる。しかし就職場所が穴守稲荷? 自転車で行ける距離ではないか! 期待しなければ。

 10日ぶりにプールへ。こっちはリハビリで真剣にやっているのに、いつも水に浸かってるだけの3人のバアさんがいる(通称グライア三姉妹)。世間話もいいけれど、道を塞ぐのは迷惑だからやめてねと下手に注意なんかすると、あることないことを尾ひれつけて言いふらされるので、関わるなという伊藤さんの言葉を思い出して我慢。(伊藤さんは、グライア三姉妹に注意をしてしまったばかりにプールに来れなくされたという。ババアのネットワークは怖い!)

A「私なんか今日は3時間もココにいるわ」
B「あら、お元気だこと」
C「あなたもお元気そうで」というグライア姉妹は、誘い合って病院にも行くんだとか(ジャグジーで大声で話をしている…)。

A「明日は整形の日よ」
B「あぁ、そうでしたっけ?」
C「ところで…」
A「なあに?」
C「私はどこが悪いんでしたっけ」
A「嫌ですわ。あなたは右の膝でしょ」
C「あ、そうでした。忘れてましたわ」
B「そろそろ覚えないといけませんねぇ」

 別にボケているのではなく、どうやら悪くもないのに「痛い」ことにして、一緒に病院に行っているのだとか。…いつも医者が混雑してる原因はグライア三姉妹だったのか。



2003年11月25日(火) 歯医者なんてこんなものさ

 予報通りの雨は朝方に降ってきた。

 重い腰をあげて(やっと)歯医者へ。頻繁にズキズキしているわけではないが、水が染みる歯がある。鏡を見て素人考えで当たりをつけていた歯だと思っていたのだが、どうもエアーを吹きかけると違うらしい。なんか白いセメントみたいなのを塗られ、(この日は)終了した。えっ? これでいいの。こんなことならもっと早く来ればよかった。

 靴が雨漏りしている。たかが駅前の歯医者を往復しただけなのに、靴下までビッショリである。そういえば踵の部分が破れてるし、底が漏るのなら限界なのかしら。もう一つのは完全に晴れ用で、比較的こっちは大丈夫な方だったのに。

 大雨で出かけられない。仕方がないので履歴書を書く…のだが失敗しまくり。嫌いなんだよねぇ。なんでパソコンで文字を打つのに手書きの履歴書じゃないと受付ないのだろうか。あぁ、面倒だ。



2003年11月24日(月) F−14(トムキャット)じゃ不服なのかい?

 勤労感謝の日の振替で祝日。

 いつ泣き出してもおかしくないようなドンヨリとした空。天気予報では、夕方には降るという予報である。とにかく寒い。今日は例年よりも寒いのだそうな。

 嫁さんが布団にダウンしてる間に実家の大森に出かける。昨日、一昨日と子供の自転車練習風景を見せられた。一人で乗れるようになったら、父ちゃん→ジイさんバアさんという具合に自転車購入のお願いをする予定だったとか。で、実際に乗れる姿を目の当たりにしたので、バアさんにお願いに出かけたわけだ。

 実家に11時に到着してみれば、相変わらず部屋は暗くって誰もいない? と思ったらジイさんが一人で便所にいた。いいのか? ちょっと前まで全身麻痺だった人間に一人で留守番なんかさせて。

 身体障害者残してどこに行っているのかと思ったら、バアさんはいつものように会社に奉公に出ているという。会社の社長も(大森の)家庭の状況を知ってる割に、よく手伝いなんかさせられるなぁ。それよりも…バアさん。ちょっと良くなったと思ったらこれである。そんなに会社が大切か、ってその会社の配慮のおかげでここまでジイさんの処置できたんだけど。世の中のつながりというのは複雑である。

 親、子、孫と顔をそろえているのに、何の会話もない。いや、話は振るんだけどジイさんが続けようとしない。耐えきれなかうなったジイさんがテレビを点けると、もうテレビしか見なくなった。子と孫がいるんだから、他にすることないのかな?

 いつも12時には戻ってくるというバアさんであるが、なぜかこの日は戻りが遅く、12時半まで重い空気の実家であった。その間、子供と洗濯バサミ隠しで間をつなぐ(宝探しみたいなものだが、ジイさんは冷めた目をして参加してくれなかった)。バタバタ騒ぎをしたわけではないが、なんか疲れた。実家の独特の空気なのか何なのだろう、ジイさんの前ではあったがグッタリして子供に背中を踏んでもらう。(また冷めた視線を送られた)

 バアさんが戻り、子供が自転車のお願いをして一緒に昼飯を食う。なんか2時間程度のことであったが心底疲れた。ヘトヘトだけど気晴らしに蒲田へ子供を連れて行く。気疲れなので気晴らしは必要だ。で、この寒い中、風船ハウスで跳ねまくる子供。今日はいつも以上にハイテンションで、この寒い中、汗をかいてしまう。元気だ!

 おもちゃ屋に行くと、これまでひとつも興味を示したことのない飛行機(のプラモデル)が欲しいという。なんと、やっとその気になったか。父ちゃんはうれしいゾ(←航空工学科卒)。財布に金はないが、ポイントカードならなんとかなるのでJRで川崎まで出向き、ガンダムのプラモデルを購入してしまう。…なんでだ? 

 どうも子供が欲しがっているのではジェット機ではなく、プロペラ機のようである。ヨドバシには、ゼロ戦のプラモがなかったのだ!(別にガンダム買う必要はないのだが…ハメられたか)

 駅に黒服を着たホ●トが数名いた。そんな中に推定45歳という強者が!いて、我が物顔で駅を闊歩している…。歳などナイスなホス●なら関係ないのだろうが、髪を茶に染め、ピアスをしてカラーコンタクトをしただけの、ふつう以下のオッサンである。待ち合わせで集う人も笑いをこらえるのに必死だ! 声をかけられたお姉さんは「なんであんたが声かけてくるか!」と怒ってる人もいるゾ。新宿を100として川崎は20点ではなく、15点に訂正だ(これでもオ・マ・ケ)。…そんな川崎のために泣こう。



2003年11月23日(日) よく連日通ってたもんだ

 埼玉のおじさんの用事で池袋へ。蒲田からだとけっこうな距離になって、道中退屈だと思ったけど子供が一緒に来てくれているので、それほどでもなかったか。来年は小学生、いつまで一緒にきてくれるんだろうか。退院してすぐに始めたバイトは池袋だった。毎日、電車で通ってた道のりなのだが、なんかココまで来ただけで疲れる。昔は元気だった。

 30分ほどで用事は終わる。おじさんに連絡をすると、池袋まで出張ったからというので(子供に)報酬が出た。しっかりと電話での用件を聞いてた子供は、レゴの組み立てロボット(ボロック)を要求してきた。いくつも持ってる物の新シリーズ…どうせならタイプの違う奴にすればいいと思うのだが、子供が決めたのなら仕方ない。当日はイベントをやっていて、その場で組み立てればパーツが持ち帰れるというのだ。いくつか約束事があり、武器パーツは2つまで、マスクのパーツは3つまで、そしてゴチャゴチャ部品を取り付けてもいいけど二足で立てること、そして店が設けた箱の中に収まる大きさ…ということだった。

 子供に混じってパーツの奪い合い?をしながらコツコツと組み立てる。結構、面白いパーツを取り揃えられたと自負してしまう出来だ。他のお父さんは子供と衝突しているが、うちは子供も納得してくれたみたいである。よかった、よかった。

 時間が昼になったので、地下で菓子パンでも買うことにした。ふだん目にしたことのない食材がいっぱいあった。それにしても高い! なんでスーパーで見かけるような煎餅が850円もするんだろ(スーパーじゃ250円)。菓子パンも微妙に高かったが、たしかに美味かった。子供の買ったチョコのパンをかじらせてもらったが、奪い取ってしまいたいくらいだったもの。

 戻ったその足で、今日も交通公園に自転車の練習に。たった一日の練習であったが、もう完全に一人で付き添いなしに乗れるくらいになった。一緒に走りまわらないで、公園の中心で動きをジッと観察する。まだまだバランスは悪いけど、あとは慣れだけだね。とはいえ、バアさんに自転車買ってもらうにはまだ早いかな。もう少し練習、練習。

 日曜ということで、昨日よりも人手が多い。寒い中、なんと小型のテントを持参という年寄り夫婦がいた。それを公園の中央にデーンと広げ、孫の行動を見守る…何もそこまでしないでも。

 夕方は、ニュースをチェックしまくり。テレビは云うに及ばず、ラジオ中継もなかったから試合の結果が知りたかったのだが、どこのスポーツコーナーも新潟のJ昇格を報道するばかり。…昨日のことでしょ! やっと見れた。なんと鹿島が首の皮を一枚だけ残す。(鹿島が勝利するのを絶対条件に)最終節は磐田と横浜がつぶし合うのである。で、磐田が勝利したら文句無し。ここは完全優勝を狙う横浜の頑張りに期待するしかないようだ。理想は引き分けだけど。その上でレッズにこの間の借りをキッチリと返す! 
 (後で知ったのだが、なんでも鹿島が4点以上の差をつけて勝利し、磐田が2−2の引き分けの試合になったら得失点差がまったくのイーブンになってしまうのだとか。リーグ戦も両チームは引き分けなので、優劣の決定ができない事態になるのだとか。…その時の優勝決定方法は、なんと中立地での両チーム代表によるくじ引きだとか。マジで? そんなことで決めるなよなぁ)

 土曜日のように鹿島に都合のいい展開にはならないだろうか。あぁ、引き分けばかりの試合のうち2つ…いやいや一試合でも勝っていれば楽な展開だったんだけどなぁ(C大阪、G大阪、仙台…勝てる試合はあったんだよね)。とはいえ、あんな土砂降りの期間があったから今がある、と。前向きに、前向きに。



2003年11月22日(土) 史上最大混戦のJリーグ(鹿島に日差しが!)

 午前中、昨日の約束の通りに交通公園へ行くことに。腰が重かったが、子供にせがまれたら仕方ない。取りあえず交通公園まで連れて行く。で、練習ってのは補助無しの自転車であった。ほうほう、いつの間にそんな練習をしていたんだか。

 体やハンドルを支えながら、蹴りの練習。自分も最初はこんなだったのかなぁ、と少し懐かしく思う。そういえば自分の時ってのは、小学校の3年だか4年だったか、なかなか自転車なんか買ってくれなかったもんなぁ。自転車は貴重品だったのだ。駅前にあんなゴミを捨てるように溢れるとはね。そもそも最初に買ってもらった自転車というのは親と共同だったもんなぁ。土曜とかは友達と出かける約束なんかすると、母親と取り合いになったもんだ。日曜になると、そこに父親も加わるわけで。最近は車でも一人に一台でしょ、時代も変わった…って俺もおじさんになったもんだ。

 子供は支えていると安心してペダルを漕いでいたのが、徐々に手を放しても走るようになった。ただ、近くにいないと心配というので一緒に走る。…何周もしていると、かなりの運動になるぞこりゃ。天気もいいし、おかげで気分が晴れた。なんか久しぶりに健康的なことをしたもんだ。もっと交通公園が近所にあればいいのに。(自分の頃は家の前の道で練習したんだけど。まぁ、あの当時は車が少なかったからね。つくづく、今の時代の子供には同情する。本当に遊ぶ場所ってないもんなぁ)

 飽きるまで自転車の練習をして、自転車を車庫にしまい、お約束のようにブランコを漕いでいた。自転車と同じく、ブランコも一人で漕いでいる。ちょっと前までは背中を押さなければ駄目だったのに、男子三日会わざれば…って毎日顔を会わせてるけど、やるじゃん。

 これまでブランコに乗っていたのは人気のない神社公園で、親子二人が多かった。今日は横に同じような年代の子が一人で漕いでいるので競争心が出たのだろう。自転車も同じようなのが、時にはかなり小さいのが補助無しをスイスイと乗りこなし、追い越されるのが悔しかったのだろう。そうでなければ、こんなに練習しないはずだ。あぁ、少子化で近所に子供がいないのが悔やまれる。兄弟もいないし。わが子の成長のためには、是が非でも学童さんになってもらいたいなぁ。その為にも自分がシッカリしなければ。

 嫁さんに200円(←お茶代)もらっていたが、練習続きで使ってなかった。マルエツに寄り道し、乗れたご褒美にムシキングをしてしまった。その後、駅前でパンを買い、午後のプールにそなえる。

 しかし、スイミングへの出発時間が近づいても子供のテンションが上がらない。っていうかなんか元気がなくなり、ついには寝てしまった。…これまで風邪でも「行く!」と抜かしてた水泳好きに何があったのか。こりゃ大事だ。(疲れなのか? 夕方まで寝て、夜も早くに寝る)

 嫁さんが用事を済ます間、寝てる子供の監視をする。こういう時にサッカー中継があればいいのだが、何もナシ! 仕方がないのでラジオでサッカー中継を楽しむ。ちなみに鹿島は明日なのであった。ラジオでは名古屋と浦和を実況。時々、仙台と横浜、そして磐田とG大阪というもの。他力本願の鹿島としては、最終節に当たる浦和に消えてもらいたいので、名古屋を応援する。かなりドキドキものの展開だったが、(見てないからわからないけど)アナウンサーの言葉を借りると、点差が開いて浦和はキレてしまったという。ここが常勝チームと一冠だけのチームの違いではないのか? 浦和にケチョンケチョンにされたナビスコ杯、4点も差をつけられたが選手もサポーターも最後まで点を取るべく頑張った。(約一名、小笠原はレッドもらってたけど)

 仙台相手に横浜が鬼のような試合をして得失点差をかせいで、最終節の磐田戦に望みをつないだ。相手は残留かかったチームなのに…。

 期待はずれだったのがG大阪。1点を先取、そして相手がレッドで数的にも優位だというのに同点にされるは、代わって入ってきた選手が退場になるなどお付き合いが良すぎる。相手は磐田だぞ! 結局、1点と退場一人というハンデがありながらG大阪は逆転負けを喫するのであった。いや…別にG大阪に期待なんかしてなかったけど。何が悲しいかというと、こんな程度のチームに勝ちきれなかった鹿島が悲しい。大阪に2チームもいたって仕方ないからどっちかJ2に落ちないかな。っていうか横浜M(とフリューゲルス)みたいに2つのチームを一つにしたらマトモなチームが出来るんじゃない? そんで仙台とか新潟、札幌と広域なチーム編成になればいいのだ。

 もう一つ、どっちも優勝の芽があった東京マッチは、FC東京が勝利! すると思ったのに読売に追いつかれて引き分け。鹿島ファンにとっては理想的な展開になったのである。これはもう、明日のレイソル戦は絶対に負けられない。(秋田、大岩が出場停止、名良橋が横浜に怪我させられ、相馬が手術…という信じられない展開だが、これに勝利してこそ劇的なのであ〜る)

 そういえば、明日は市原の試合もあった。事実上、可能性があるのは磐田(絶対有利!)、横浜(磐田とは直接対決!)、市原(…よくわからん)、そして鹿島ということになった!!!!!!! 




2003年11月21日(金) 意図してないモデルチェンジ

 久々の晴れ間。なんでも午後には23℃をこえる陽気になるという。

 掲示板の設定を調整してる時、設定を変更してしまう。デザインを色々と見ていたら、クリックの調子が悪くなり数回押してるうちにウィンドウが閉じてしまい表示画面の下にあったボタン『設定を変更する』を認識してしまった。文字にするとわけがわからないけど、いとも簡単に設定の変更をしてしまったわけね。なんてこったい。

 職安に向かう自転車が限界に近づきつつあるみたいだ。なんか左のペダルがフニャフニャ…というか悪い自分の膝みたいにカクカクと音がするのである。たしか以前いきなり外れた時も、こんな足応えだった。自転車によると、ここがこんなになるまで使い込むともう限界だそうで、タイムリミットも近いのかな。天気がいいので職安までの道のりもサイクリング気分、といきたかったがペダルを気にしながら恐る恐る走らせた。

 昨日に続き、もう何もする気はない。明日の土曜日、嫁さんがしきりに交通公園に子供を連れて行けと約束を迫られたが、行く気しないなぁ。飯を食うのも風呂に入るのも面倒な状態だというのに公園まで出向けって? そりゃ練習は続けないとせっかく乗れるようになった自転車のコツを忘れてしまうんだろうけど。あぁ、なんか面倒だぁ。



2003年11月20日(木) そして大学病院へ?

 朝方から雨。

 布団を片付けている途中、スライムを踏んで痛い目にあう。プラスチック製の玩具なのだが、あの形状からして先端はヤバイ! ちゃんと片付けないからと思ったが、夜に子供がヌイグルミと一緒に枕もとに寝かせていたものだった。(スイライムにも布団をかけている)いつもならあまりの痛みに怒り出し、スライムを粉々にしそうなものだが、ヘラヘラと笑っていた。なんかサイクルなのか落ち込みが激しいのだ。天気が雨だからか? それとも採用通知が届かないからか? アルバイト料の電話がないからか…。

 背中のシコリは痛みもないので様子見ということだったが、木曜なので医者に行くことにした。何せここの病院で頼りになる先生ってのが、木・金なのだから仕方がない。

 たぶん、生まれて初めて傘をさして自転車に乗る。…やるもんじゃないね。怖いったらありゃしない。子供を乗せて走ってるオバさんの気持ちが少しはわかった? 別に認めてるわけじゃないけど、買い物とか仕方ない場合ってあるもんなぁ。せめて遠回りになっても車のいない場所を走ってください。

 雨だというのに病院は混雑している。その木曜の先生というのに背中を見せる。カルテを見ながら「あ〜? 様子見にするんじゃなかったの」とボソボソと言う。さすが手術を出来る先生だけあって、態度がでかい。しばらく見てもらい、手術するならどんな手順になるのかを聞いてみる。「う〜ん、大きい。これは、ココじゃ無理だね」 は?

 紹介状を書くから、大森の医科大学病院に行けと。なんだよ、態度デカイくせに病状を選ぶのかよ。何のためにわざわざ雨の中を来たんだか。しかし、大森の医科大学病院って東●医大のことだよな。なんとなく嫌な予感がするのは気のせい?(←喘息で夜間に数回通い、あまり良い経験ナシ)

 部屋に戻り子供に絵本を読んでる間に少しだけ復活?

 学習書にあった牛乳パックでロボットを作ると大喜び。リサイクルに回す予定のパックをブロック状にして、ガムテープで貼り付けただけなのだが、結構、大きいので気にいった様子。名前をつけ、自分で顔を描き、夜には(ヌイグルミと同じように)布団をかけて寝かせる。あら、何に対しても優しいのね。



2003年11月19日(水) 柳沢に厳しく、中田に甘いマスコミ…

 本日はサッカー、日本代表のカメルーン戦。

 場所は大分県。スタジアムは開閉式の立派なものだが、ふだんは何に使用してんだろ? W杯が終わって、今まで何をしてきたんだか…。(全国にも似たようなスタジアムはあるが、新潟などはアルビレックス人気でJリーグNo1の集客である。ここもトリニータが使ってんのか? 県営スタジアムとか使ってんじゃないのかな)ってことで、久々に見る『不』の遺産は、そりゃもう立派なものだった。建物が無駄無駄無駄ぁ。

 中継をしたテレ朝が必要以上に中津江村の話題を取り上げるのも無駄だったような…。サッカーの話題とあんま関係ないじゃん。そもそもW杯時にカメルーン代表が何をしたかというと、延滞しまくって迷惑かけただけのことなのに…。中津江村の村民ってバカ?(おいおい)村の連中は「全員がカメルーンを応援します」だと。「代表試合は国同士の戦争だ」という人もいるのである、そんなにカメルーンが好きなの? さも(マスコミ相手に)親密そうにしてるけど、実際の交流って何もしてないくせに…。今回の代表試合もスタジアムの持ち回り使用で、大分県は話題になるからとカメルーンにしたんでしょ。今の時期、アフリカ勢と試合する必要ってどれくらいあるんだろ。対戦相手が無駄無駄無駄無駄ぁ。

 試合は0対0。坪井が(何度か危なかったけど)無難に守りきった。でもMVPは藤田にやってもいいだろう。いいぞ。最近、代表にあぐらをかきつつある俊介に危機感を持たせてやれ! 最近のジーコは妙な感覚で選手の固定をしてるけど、競争は大切だ。(とはいえ、藤田も海外に行ったから使ってもらったのでは?)

 しか〜し、点が入らない。マスコミは高原と柳沢を攻めているけど、ゴール真正面、しかも近距離のフリーキックを中田(英)は見事に外しているのだが…。あれはもう中村や小笠原なら目をつぶっていても入る位置、そして距離だった。(両者は怪我で辞退)これは問題にならんのか? おかしいって。中田なら仕方ないって風潮はよくない。引き分け試合であったが、MVPが藤田で、戦犯は中田!

 天気悪い中、職安でプリントした求人票を確認し、書類を揃えていたら『必要書類は19日に必着』とあった。そんな殺生な!



2003年11月18日(火) 子供と過ごす一日

 子供が最近、だまし絵にはまっている。紙を折った状態で絵を描き、それを開くと中から違うものが出てくる、ってやつ。保育園で覚えてきたのだが、次々にアイデアがひらめくらしく昨日から絵を描きまくっている。色鉛筆を消費しまくった大作で部屋中がいっぱいになっている。こちらシノプスが枯れ果てて思考が停滞気味の身としては、なんとも羨ましい限りである。

 そんな子供は本日スイミング。土曜日にデートしてた振替え。なんせプール命であるからして(でも、先週末はデート優先だった)。27日近いので、職安に行きたかったんだけど…。

 いつものことだが、曜日が違うので『いいとこ』の坊ちゃん、譲ちゃんが多い。見学イスにはマダム?が集まり、子供の姿など見ないでお喋りに夢中になっていた。…うるさい。なんか子供の水泳を出汁にお喋りの集会をしてるみたいだなぁ。少しはわが子の勇姿を見ませんか?

 いつもは左が男の子という着替え部屋だが、なぜか今日は女の子がいっぱいいるという。で、わが子は半べそになりながら「なんか今日は嫌だ」と言っている。恥ずかしいのは分かるが、曜日が違うから仕方ないのではないか? 着替える部屋のどっちも女の子なのだろうか。時間がないから着替えろと即したら「ついてきて」と言われたが、それは具合悪いでしょ。いいから我慢して着替えろといったら「それなら帰る」とまで言ったけど、なんとか説得して着替えさせる。思春期か。

 授業がはじまり、さぞテンション低いのかと思ったが、何のことはなかった。いつも通りに元気なものだ。そういえば男の子の姿少ないみたいだけど。

 今日も関東で地震があった。震度は4というが、小笠原とかかなり南下した場所だったので揺れは感じなかった。しかし…近頃、地震速報のない日はないんじゃないか?というくらに多い。多いぞ! 備えなければ。



2003年11月17日(月) やがて顔になる?

 背中に妙なシコリがある。土曜くらいに気がついたのだが、別に痛みもないし気にもしなかった。嫁さんはしきりに医者へ行けというのだが、そんな無駄金を使うこともあるまいと思っていた。しかし、ネットで調べてるうちに心配になって病院へ行く。

 何せロクなことが書いていなかった。自覚症状もないまま白血病になったし、背中のコレも今のうちなら、というものかも知れない。まったく次から次へと…親が不摂生をしていると病気がちの子供になる典型だろうか。

 何科に受診をすればいいのかしばらく迷う。受付の人が「そういったシコリは、当院では皮膚科に回っていただいています」というので皮膚科へ。

 受付時間が遅かったので、昼過ぎまで待たされる。順番になって背中を見せると、先生は「う〜ん」とうなりながら患部を凝視(たぶん)している。なんか言葉で伝えてくれればいいのに、いつまでも「う〜ん」と。気になる悪い腫瘍なんスか。

 「これは切開しないとダメですね」

 大きさは3cmばかりあって、大きくなることはあっても改善はしない。幸いに傷みはないからいいんだけど、実際は開けてみないとわからないんだとか。

 「じゃあ木曜か金曜に来てください。手術は、その曜日の人間がやりますので」

 木・金の先生はベテランさんということなのだろうか。ってことは、目の前の先生が最初にうなっていたのは、判断を迷っていたから? ま、痛みはないので、しばらく様子見ということにしとこう。

 昼飯を食ってる時、部屋の中にいると温室のように暑かった。暖かいのではない、暑いのだ。しかし、外に出ると風は冷たい。季節は例年通り冬に向かってるけど、この容赦ない日差しって…。風に飛ばされそうになりながら、職安に向かう。最近は大型バイクで来る人が多いので、自転車を止める場所を探すのも大変である。それにしてもいいな、バイク。



2003年11月16日(日) 今日も大田区フェスタ

 なんと9月下旬の陽気になる。上着がいらないどころか、Tシャツでもいいような天気。実際、夜になっても熱気は残っていた。11月だぜ。

 忘れ物を取りにいくついでに、今日も大田区フェスタ。

 何ものにも目をくれず、子供はソロバン滑り台へと走る。その後は起震車へ、乗用消防車、再度ソロバン滑り台、乗馬、高所ロープ渡りと満喫している。

 地震の多い昨今、起災車は貴重な体験だった。あんな長い間、揺れたのではボロアパートは持たないだろうなぁ。非常用給水袋やら乾パンをもらう。いろいろと助かる。最近の乾パンは、ブロックタイプになっているのだ。思わず食べてみたくなったが、これは非常食。

 昨日と同じく競艇場へも行き、スタンドで昼食。昼に『アバレンジャー』ショウがあるので、飲食テントは大混雑であった。店舗で多いのは焼きソバなのだが、よくよく値段を見ると100円から350円まで様々。どこが違うのか分からないので、100円の焼きソバだけ行列が途切れない。薄利多売で独り勝ちしている。当然だわね。屋台の焼きそばで350円もとってはいけないのだ。

 (今日は無料だという)アスレチックに向かう途中でバザーをやっていたが、目ぼしいものは何もなかった。去年と比べると規模が半分くらいになっているような。っていうか絶対に縮小してる。案外、好きだったので残念だこと。

 かなり久しぶりのアスレチック。子供は成長期ということで去年よりも機動性を発揮していた。高いところも怖がるかと思ったが、同じような子供が一生懸命にやっているので負けじとガンバっていた。やはり同世代の友達はいっぱい必要だよな。近所にいないもんかな。

 池を渡るアトラクションもあったのだが、さすがに遠慮してもらった。万が一にも水にはまったら風邪をひいてしまう。…とはいえ、ロッカーにはビショビショの男の子がいた。聞けばわざと水に入ったとかで、確信犯的に着替えも持参していた。いいな、楽しそうで。

 日中、こんだけ動きまくったのですぐに眠と思ったが、「一人じゃ怖くて眠れない」といってなかなか寝なかった。久しぶりに子供に添い寝をする。疲れ過ぎて駄目だったか?



2003年11月15日(土) 年に一度のデートの日

 今から数年前、実家に転がりこんでいた当時、児童館で知り合いになった女の子と年に一度のデート。夏には同じ児童館で知り合いになった男の子と、こちらも年に一度、お祭りで遊んだのだが果たして互いに覚えているのか。ふふふ。

 去年もそうだが、どうも大田区フェスタの日は寒い日が多い。何が悪いかといえば、せっかく当選した競艇ボートの試乗が厳しくなる。もの凄いスピードなので寒いと非常にツライくなるのだ。

 ここ半年くらい会っていなかった知り合いと平和島で待ち合わせをし、一緒に競艇場まで歩く。生まれが大阪で、幼少のころから競艇を仕込まれた強者である。なんでも以前、仕事で滋賀にいながら平和島で大きなレースがあるので平和島まで参上した過去もあるという。…只者じゃない。子供に紹介したら、なぜか山ちゃんと馴れ馴れしかった。

 丁度、並ぶ時間になっていたので一番乗りとなった。昨年同様、ドキドキしながら身支度を整える。ガード兼浮力のあるプロテクターを被せてもらい、アメフトみたいなメットで準備完了。慣れないと身動きがとれない。選手はこんなの着て練習をしているというんだから大変だ。

 そして試乗。後ろで運転してくれる選手の方は、かなり優しい人みたいでターンの時には思いっきり減速をしてくれた(といっても、速いんだけど)。実際のレースでは、トップスピードのままターンする!と考えただけでも頭が下がる。モンキーターンつったら中腰でGに耐えるのだ。…凄い。

 試乗を見ていた嫁さんによると、後ろにいた山ちゃんボートは物凄く飛び跳ねていたとか。水面に投げた小石みたいなものだろうか? ふつうに走行してるだけでもモーターの振動で怖いというのに、バウンドなどされた日には。
 その後、子供達と別行動をとってフェスタをウロウロするのだが、どうも雲行きが怪しい。3時くらいに雨になるという天気予報が思いっきり当たり雨になった。残念であるが、そこでお開きとなった。

 今日は久々のサッカー中継。ここ最近、鹿島はテレビ中継で勝つ姿を見せてくれない。本日の相手は前期王者のマリノス。ビデオ録画はしているものの、30分しか過ぎてないからテレビ観戦をする。…いきなり失点してんのかよ(開始3分だそうな…)。しかし、不機嫌モードに入りかけた小笠原が一本決めて、深井が自在に動きまくって逆転勝利。ふふふ、他力本願の首の皮一枚状態ではあるが、まだ優勝の芽はあるぞ。時節はレイソルか、そして最終節はレッズ…。この間の仮はキッチリと返してやるわ!(と、思っていたが、マリノス戦で主審がカードを乱発。なんと秋田と大岩が出場停止! しかも名良橋が怪我! 加えて相馬も手術! ってことでディフェンス陣が全滅…。あり得ないって)



2003年11月14日(金) 膝年齢は80歳

 朝から好天。ただ自転車は、もうそろそろ手袋が必要だと思わせる陽気である。風は冷たいのだ。

 膝が痛いという子供共々、雑色の整形病院へ。一年とちょっと前、X脚では?との心配があり、ここの病院へ来ているのである。その時のレントゲンでは、曲がりの範疇ってことで様子見を続けていた。で、また一年後くらいでいいから再診してねということになっていたんだけど、ここ数日の間に子供が「膝が痛い」というので、時期も時期なので丁度いいかな、と。

 ついでに自分の右膝も見てもらうことにした。学生時代に某九州のヤブ医者の誤診で右足を(処置ミスで)ガタガタにされた経験上、そろそろボロが出てきたのかなと。何でもない時に膝がコキコキと音を出す。膝の変形が原因なのだろうが、どこまで悪いのか診てもらうことにしたのだ。

 結果としては、今回も子供の膝は範疇にあり、X脚については一応、問題なし。膝が痛いのは成長期だからか、もしくは膝を使い過ぎて遊んでるのではないか?ということ。若干、膝のサラの成長にバラツキがあるけど、これも様子見だそうな。

 で、こっちの膝も隙間やら潤滑油の枯渇傾向はあるものの、今のところ緊急で手術するまではない、ということになった。ただ、痛みはじめたら注射で潤滑油を注入するんだとか。40前でこういうことになるとは…。まぁ、ヤブ医者のせいで80歳の膝を持つ者としては仕方がないのかな。

 突然、バアさんが競艇の当たり券(お祭りの試乗当選券)を持参してきた。「これ、明日なんだと。だから今日持ってきたよ。間に合ったんだろ?」…数日前に当たったのなら(電話くれれば)取りに行くって言ったでしょ! さすがに前日では友人に連絡しても予定がつかない。もう!

 なんでも現在、ジイさん共々インフルエンザを迷っているのだとか。別に迷うこともなかろう。ジイさんの体があの調子なのだから、出来るものならやっておけばいいのに。歳なんだからインフルエンザにかかってからでは遅いのだぞよ。なんだかんだいって、夫婦そろって注射が怖いのであろう、きっと。



2003年11月13日(木) ほろ苦い結婚記念日(笑)

 本格的に冬が近い、というかもう冬だね。

 昨日の天気予報では、朝型に雨で昼過ぎから晴れというものだった。しかし、雨が降ることはなく、午後にズレそうな雲行きになった。こんなことなら午前中に職安に出かければよさそうなものだったが、ここ数日、なんか朝はダウンしている。

 とにかく体調が極端である。少し前までは朝焼け見るまで布団に入らないような不眠が続き、今は気だるさ満載で四六時中眠たい状態。鬱の薬を飲んでいないからだろうか、どっちにしてもロクな状態ではないんだけど。

 とにかく眠い。職安に向かう時も、戻る時も、自転車に乗りながら眠ってしまいそうだった。事故につながりそうで怖い。というのも最近、自転車が交差点で減速しないのを見かける。相手が避けてくれるとでも思っているのだろうか? バカは痛い目をみなければわからないのだろうが、痛い目を見てからでは遅いのだが。

 そんで今日は危ない目にあった。別にこっちが止まらなかったわけではなく、相手がノンストップで直進してきたのである。しかもスクーター。…土建業者の運転するスクーターは前々から危ないと思っていたが、ここまでマナーを知らん奴がいるとは。ナンバープレート折れてるし、何かあっても逃げ切るんだろうな。今日はヘロヘロなので怒鳴る元気もなかった。

 今日はテレビでスキンシップの大切さ、ってことをやっていた。残念なことに子供のころに母親からスキンシップをされたことのない人間は、そんなに大切なことだとは知らなかった。赤ん坊にミルクだけ与えてスキンシップを行わないと死んでしまうというのは、かなりショックだった。そうするとうちら兄妹、今までよく生きてこられたもんだ。

 そんな番組を見かからか、思い返してみるとここ数日、子供を抱きしめていることがある。なんか落ち着くのである。で、そんな子供は例のパンダのパペットを抱きしめている。落ち着くのだろうか。というより、何かストレス感じてるのかな。そっちが気になる。

 パペットといえば、職安近くのゲームセンター前を通り過ぎた時、UFOキャッチャーがパンダだけでなくカエルと馬も配備されていた。『今や大人気! あのパペットマペットと同じカエルと馬の人形が登場! 今から忘年会の練習をしよう』とあったが、パペットマペットはカエルとウシだろうが。単純に間違えただけなのか、便乗商法で売るつもりなのだろうか。ある意味、素敵だ。

 関係なくもないのだが、『年末』、そして『人形』といえば思い出すことがあった。結婚記念日である。(記念日というものに限らず)忘れっぽいので、結婚記念日は12月3日(1・2・3)に制定されている。金がないので結婚式やってないので、せめてこういった記念日だけは忘れないように、という嫁さんの配慮なのであるが、多くは忘れ去られている。

 届けをした年の12月3日は土曜だった。役所は休みなれど、嫁さんは大田区体育館のところにある出張所で受け付けてることを調べる。んで、当日は体調崩して大熱を出していたのだが、この日を逃してたまるか! という迫力に満ちた嫁さんと共に出かける。

 入り口で呼べど叫べど係員がなかなか出てこない。何か取り込んでいるのだろうか? やっと出てきたと思ったら、なんと職員の指はそれぞれにフラダンスの腰ミノがつけられ、顔を描いた紙が貼り付けられていた。

 なんと年末の役人による宴会の練習をしていたのである。練習を中断するの嫌だから?なかなか出てこなかったのね。…どうでもいいが、その間抜けな指のメイクを落とせ! 何が悲しくてフラダンサーに書類を記入されなきゃいかんのかい。人生の記念日にこんなアホウが相手をしてくれるとは! などと当日は熱でヘロヘロだったので思わなかった。…何年経過してもいい思い出にはならないのであった。



2003年11月12日(水) 女社長に当たりナシ

 珍しく編集の仕事の面接が2つ続けてあった。

 ひとつは教育関係の業界新聞のパート募集(…色々なものがあるのね)なのだが、もうひとつが新企画出版という、行政を相手にしてパンフレットやらチラシを製作する会社。現地に行って驚いたのだが、自社ビルであった。

 2年ほど前にグループホーム協会のアルバイトをしたことがあるのだが、あの時も制作費は一般常識を上回るものが支給されていた。(社長さんは、この予算をどうやって使い切るか、そんなことを悩んでいた…多いのなら返却できないのかね)行政は、もっともっと予算配分を考えなければいけないのである。まぁ、グループ企業で丸太りする構図というのは、こういうところにあるのである。

 なんか応接室で試験をさせられたのだが、相変わらず試験をさせるところというのは、PCに精通してる人とか書いてくるくせにアナログな試験をする。どうせ手書きなんかしないのだから、実際にPCで打ち込みとかさせてくれればいいのに。

 試験を終了し、場所を移動して!面接となった。本当に儲かってんだねぇ。応接室に作品が陳列してあったけど、あまり目にする機会のないパンフレットばかりである。そんな仕事でこれだけの自社ビルというのは…やはり国の予算はおかしいって。

 で、(無駄に広い)面接会場に通され、相手がくるまで20分以上も待たされる。これって相手がルーズなだけなのか、それとも部屋を自慢したいだけなのか?

 やがて社長という人がやってきたが、やばいことに年配の♀だった。編集者という肩書きを持った女性は多くいるが、その多くはいい人である。こんな苦労だらけの仕事をソツなく行えるんだから。ただ…妙な肩書きを持ってる女性編者には偏屈な人が多く、っていうか●●な人にしか会ったことがない。これは私見というわけではなく、出版に関係する人間の総意なのだから仕方ない。俺だけじゃないのだ!

 ってことで、面接は我慢大会へと名称を変更することに。しかし、子供のためにお父さんは我慢しましたよ。(万が一にも)こんな人の下で働くことになったら苦労は目に見えてるけど、可愛い子供のために笑顔で我慢。

 そして夜は飲んだくれる。



2003年11月11日(火) 睡眠3時間→12時間

 今日も雨。なんでも数日前までは10月の陽気だったが、昨日、今日は下旬の寒い気温だとか。相変わらず極端な気温の変化が続くのであった。

 極端といえば、これまで鬱に悩んでいる時は不眠に悩んでいたが、ここ最近はダルくて眠くて困っている。春先ならまだしも、この時期にこれでは冬眠前の熊である。

 ずいぶんと前にあった子供の遠足の写真が現像された。数枚あったが、中に意味不明なものがあった。イカの写真なのである。水族館で、イカと一緒に子供が写っているとかの類いのものではなく、単体でイカが泳いでる写真…。間違いか?

 なんだこれは? と思って嫁さんに聞いてみれば、どうしてもイカがいいと駄々をこねられたのだとか。何故にイカなのだ。そんなに食卓にあがるものでもないし、子供がそんなにイカ好きだとは知らなかった。…不思議だ。

 パソコンをやっていたら、子供にせがまれムシキングを検索する。で、カードの一覧みたいなHPが表示された途端、パソコンを独占されてしまう。

 マウスに接続してないノートパソコンなのでパッド操作なのだが、なぜか操作を知っている。人が夜遅いバイトをしているここ数日の間に、練習をしていたのだとか。さすが電脳キッズ。でもテレビゲームはさせないわよ。



2003年11月10日(月) おすぎは嘘をつきません、というウソ

 ここ数日とは打って変わって冷たい雨が降る。寒いんだけど、これが11月の平年並みというものだろうか。これまでが暖かい、というか暑いくらいだったから。
先週はなんか昼夜が逆転したような生活をしていたので、どうも調子が出ない。なんかまとわりついてくる子供も久しぶりのような気がする。そうか、土日に遊んでないからだ。

 雨の中、久しぶりに試写会へ出かける。19時からの試写会なので(バイトしてたら)間に合わないと思っていたのだが、あぁいった結果になったのではせ参じることができた。2枚あったうちの一枚は知り合いに渡しておいたので、有楽町で待ち合わせをしてヤマハホールへ。夜の銀座はリッチそうな人と店であふれている。ここしばらく、同じ夜のネオンでも違う種類のネオン(チカチカしてるやつ)を見ていたので、なんかワクワクである。

 地図を頼りに歩いていると、人の列があった。開演30分前で余裕があると思ったが、とんでもなかった。飯を食ってる余裕もなく並ぶことに。

 中に入って思い出したが、ここって20年くらい前に『ナウシカ』の試写会を見た場所だ。昔は、映画って試写会も含めて沢山見てたんだよなぁ、としみじみ。今日の映画は面白いのだろうか、と思いながら列に並んでいると「俺ら招待するくらいだから、それなりに面白い映画なんだろうな」とか「なんか宣伝に金使ってるのかね、試写もヤマハホールだろ。どこまでやる気あんだか」といったような映画評論家モドキの声がしてきた。いちおう、招待券ではあるが、今回のは抽選で当選しただけのはず。評論を生業にしてる人達には別に試写をしてるはずなので、この人達はもちろん素人さん。映画館に通うのではなく、ツタヤが常連の評論家である。大きな声で…うるさい。

 試写会だからゆっくり見れると思ったら、シッカリと飲食物を販売していた。ガサガサと音のするポップコーンなんか売るなよな。音楽のコンサートの時もこんな音のするもの販売してるのか? とはいえ、試写会はこちらが金を払ってるわけではないので文句はご法度なのかも知れない。我慢、我慢。見せてくれてありがとうございます。

 ってことで『フォーンブース』を観たのだが、予告編でのワクワクは欠片もなかった。あぁ、劇場に金を払って行かないでよかった、って感じ。こういうのを見ながらも(広報の人に接待されてるから)『面白さ最高!』とか『今年最高の出来!』などとはやし立てなければならないんだから、少しだけ評論家には同情する。でも、一般人は雑誌やテレビにおける評論家の意見を参考にして足を運ぶかどうか決める場合もある。少しは責任をもって批評してもらいたいのだが…。

 ってことで、試写は口コミを期待してのことだと思うので、何かの役にたてればと思うから日記に記しとこ。『フォーンブース』はビデオで十分! よほど無駄な金と時間のある人は暇つぶしにどうぞ。でも面白くないから(キッパリ)。



2003年11月09日(日) いや〜んソープ

 あやしい曇りの投票日。行きたくはないが、夕方からまた川崎に行かねばならんので、朝のうちに投票に出かける。それにしても、なんでこんなに年寄りは投票に熱心なのだろうか。ココ蒲田地区は●●が強いからねぇ。ゾロゾロと蟻みたいに投票所に向かう年寄りに組織票の恐ろしさを見る。

 投票所となった小学校は、子供が入学を予定してる学校。だもんで、通学の練習とばかりに登校の練習をする。曲がり角では必ず止まり、左右の確認をするのだが、なかなか道を渡らない。なんでかと思ったら、はるか遠くの自転車を気にしているのだとか。…そんなことでは人通りのなくなる夜まで横断できないぞよ。まぁ、なんとも初々しい姿ではあるが。

 アルバイトは、今日で最後ということなので?なかなか簡単には終わらせてくれなかった。昨日の話では事務所近くのソープに取材に行き、広告のレイアウトから一切を作ることになっていたが、そんな楽しげ?な仕事は駄目だという。3時から営業で歩きまわれというのだ。営業といっても広告取りではなく、設置店を集ってこいというのだ。

 新しい冊子は原則、駅前などで配布するのだが(いいのか?)、それとは別に店にも置きたいらしい。まぁ、気持ちは分かるけどね。

 「あ、重複するといけないから、この3店は除いてお願いしてね」というので喫茶店、ラーメン屋、カラオケ屋の名前を聞く。…ひょっとして、今まで設置店を探してて、OK出たのこんだけ?

 「専務も俺(社長)も営業も、かなりお願いしたんだけどな。難しいよな」

 これまで社長、専務、営業で回っててこの3店なんですかい。それを一日でやれと? 今日は夜から雨なのに…。まぁ、最後のご奉公ってことで精一杯やりましょ。

 「あ、ちょっと。どうしても東急ホテルとかに設置したいんだよな」って、自分達は喫茶店とかラーメン屋で精一杯なのに、なんでそんな場所に置けるのか! …リクエストとあらば行くだけ行くけどさ。薔薇●を児童書コーナーに設置するくらい難しいとは思うのだが。

 で、怒られ、叱られ、無視されながらも12件のOKをもらう。こんだけ貢献したら充分だろうと思って事務所に戻ると、「ま、発刊までに20は設置店を見つけときたいんだけど」と、時間ギリギリまで続けろといわれる。いくら時給計算とはいえ、少しくらいは休ませろっての。靴は雨水が入ってきてグシャグシャになっているし。加えて歩き続け、怒られ続けで気力も萎えるなぁ。

 結局、その後はOKなかったけど、後日連絡待ちを8件もらう。…こんだけ風俗店を集めた見本誌を持って色々な店に行ったので、かなり嫌な顔をされました。もう充分でしょ? 充分だといってちょうだい。



2003年11月08日(土) プロが教えるその怪しさ

 10時に来いというので朝から事務所に行くと、誰もいなかった。ご丁寧にシャッターまで閉めてある。このまま帰ろうかと思ったが、しばらく待っていると事務の女性がやってきて中に入れた。…何か間違ったか? などと考えていると、専務が眠そうな顔をしてやってきた。

 「なんでこんな時間にいるの?」って、アルバイトは10時〜18時ではないのか(やはり深夜の仕事しかさせる気がないのであった。…ウソつき)。
 昨日はあの後、みんな午前5時まで仕事してたんだとか。ふうん。壁にかけてあるのが作業結果だというが、贔屓目に見ても点数が少ない…と思うのは気のせいか? いいや気のせいではない。

 名刺もないから広告とりに出られないし、コピー考えるにも肝心の広告もない。ってことでヤルことがないので、営業さんのやってくる3時に出直すことにする。

 その間、床屋に行ってみる。まだ昨日一日だけの仕事復帰であるが、気分は充実。やっと社会復帰をしたもんだ、と小奇麗にした。

 しかし、そんな気分は長くは続かなかった。

 夕方になって営業さんが到着したので、一緒に広告とりに出かける。この方、某スポーツ新聞の営業マンだとか(プロレス大好きな東●ポ)。本職が風俗関係多いので、ちょっと手伝いをしているという。そんなプロが歩きながら「駄目なもんはダメなんだよ」という。

 なんじゃろと思ったが、会社への疑問や不満だった。まず広告のオペレータ×2は専門学校を卒業してスキルはあるのだが、どうも仕事の率が悪いと。凝り性とかそういう問題ではなく、イジリ過ぎて作業が進まないことが多いと嘆く。その挙句、いいものが出来ればいいが、クライアントに失笑くらうようなものになるんだとか。「色々とコンピュータで遊びたいのなら、プライベートでやれよ…。仕事なんだぜ」

 ここいらまでは、営業と製作のズレと思えるけど、その後、ブラブラと夜の街を歩きながら決定的なことを聞かされる。基本的に川崎は、●●で××なのだという。だから冊子を作ろうにも●●なんだとか。(←怖い話だこと)

 ってことで就職どころか、アルバイトを続ける気にもなりませんわ。本当に怪しさMAXだったわけね。ってことで、辞退を申し出るがせめて明日までは手伝ってくれと言われる。え〜、なんでぇ〜。



2003年11月07日(金) 新宿を100とすれば、蒲田は50で川崎は20…(さて何の数字?)

 嫁さんが事務できるから調べてもらった『資料』を持参してまたも話し合い。さっさと決めてくれればいいのに、と双方が思っているのだが(←たぶん)、会社のいいなりになって変な妥協をして長続きしないのは非常に困るのよ。お仕事なんだからチャンとしましょ。

 と、こっちが資料まで揃えてきたのは予想外だったのか突如「よしわかった。しばらくでいいから、どんなものかアルバイトみたいに手伝ってよ」ということになった。アルバイトは募集してないって言ってたくせに。締め切りは近いので、猫の手でも借りたいからだろう。とはいえ妥協案としてはいいのかも知れない。急遽、そのまま(18時から)仕事を開始することになる。

 まず何をするのかと思ったら、広告のコピー。ずっとPCに張り付いて作業をしているオペレータの兄ちゃん×2は、パソコン操作には長けてるが、実際の広告作成をしたことがないのだとか。だもんで、キャッチを捻り出す。風俗店のコピーなので、すき放題に考えたがそれがいいという。なかなか楽しい作業であった。

 「これでやっとフィニッシュまで持ってけそうです」って、こんな作業に数日もかかっていたのか? このペースでは、締め切りに間に合わないぞ、絶対に。大丈夫なのか?

 続いて今度は店に出向いて写真撮影をしつつ、広告を作る。DJバーということだったが、ここは社長の経営する店。なんか自社広告の多い小冊子になりそうだ。イメクラも全部、専務の店ということだし…。いや、創刊号だからなんだろう、たぶん。

 他にもホストクラブに行く。仕事とはいえ、いい経験なのだがなんか想像とは違っていた。個人的な感想なのだが、川崎のホストのレベルってさぁ…。私ゃ客として行くことはないのだが、それにしてもねぇ…。店にもピンキリがあって、さらに店員にもピンキリあるわけね、と強引に納得することにしよう。(万が一、俺が客なら金は払わんぞ)

 作業をしていたらなんだかんだで時間は11時を過ぎる。駅まで遠いので歩きの時間を気にしていると終電のリミットなのであった。しかし、誰も時間を気にしてない。(就職の)相談の展開によっては辞退をしてくるということになっていたのに、いきなりこんな時間までバイトして、しかも嫁さんに連絡を入れていない。こっそりと部長に終電の話をしたら、駅まで車で送ってくれた。なんか怪しさ満載の事務所ではあるが、この部長さんだけはまともな人である。別に送迎してくれたからというのではなく、一緒にいくつかの店舗に行った時の仕事ぶりがプロだった。こんな人がいるのなら大丈夫か?



2003年11月06日(木) 所詮は他人ということか

 結局、昨日も会社に出向いて偉い二人と話をしたんだけど、なんかハッキリしないことばかりだった。いくら買い手市場とはいっても、最低限のことは決めておきたいだけなのに何故に平行線なのだろうか。

 このまま勢いで就職決めるの怖いので、事務をやっている嫁さんに給料のことを調べさせて連絡を待つ。やっとこ金銭面の話になったのだが(たぶん会社としては入る気のない)健康保険やら年金を差し引くとどんな感じになるんだか。夜の仕事になっても割増ナシだし、定時が23時終了とはいえキッチリ終わるというものではないらしい。「終電なくなったらソファーで寝てね」…媒体が夜の店相手なので百歩譲ったにしても、そんだけやって超過分に反映ナシというのは流石にキツイもんなぁ。

 このままではこういう所になってしまうので職安にて何かないかと調べるが、本当に何もない。パートで探しても「今はパートも厳しいですよ。例えばココ、あなたと同じような経歴の人が7人受けてて、全員が不採用。そんなもんですよ」と職安の人。何を人ごとみたいに。公務員なんかアテにはしてないけど、もう少し優しい言葉はないものか? …やはり履歴書を見ないで簡単に就職決めてしまうような会社に身をまかせるしかないのだろうか。悩むなぁ。

 一番、気になっているのが昨日、給料のことで電話をした時の「金のこと心配してるみたいだけど、そんなの税務署に深刻しなきゃいいんだろ」という一言。嫁さんは「(専務クラスで)そんなことを言う会社だと、何かことがあった時に悪いことをなすり付けてくるわよ」と心配していた。笑えないなぁ。だって仕事の内容からして裏社会っぽいんだもの。社長やら専務って、夜の店を10近くも現在経営してる海千山千の人らしいから、下っ端を切るの上手かも。新しい会社がかなり無茶な展開してるのも、失敗しても自分達は店があるから大丈夫、そんな感じだろうか。

 悩むなぁ。白髪が増えそう。

 と、胃をキリキリさせていると埼玉のおじさんからの電話があったという。外にいたので公衆電話から電話をしたら「外からだと長くなるから戻ってから連絡しろ」とのことだった。嫌な予感がする。ジイさんが首を折って入院しても実の息子に連絡しないような実家、というかバアさんである。何か大変なことがあっても「あんたが心配するから」とか抜かして表に出さない。なんでも隠す性格は昔からである。そんで事態が二進も三進もいかなくなってから口にするんだけど…今回もそうだろうか? 次から次へと。

 なんかヘトヘトになっていたら、嫁さんにOTAふれあいフェスタの通知がきてるよといわれる。あ、当選したんだ。これで今年も競艇ボートの試乗(平和島競艇も区のお祭りに参加してるので特別試乗をしてくれる)が出来るわけだ。あぁ、ささやかな幸せ?



2003年11月05日(水) 実態はこんなもの

 朝、ネットを使用していたんだけどインターネットセキュリティの設定のなんかしらをいじくったら、ネットがつながらなくなる。お知らせ画面が表示されて、なんかがアクセスしようとしてるよ、っていうから得体の知れんものならダメ!とやっただけなのに。困ったらネットで相談とあるが、肝心のネットが使えないのだから電話で対応してもらうしかない。しかし、これがまた繋がらないのなんの。何度もかけなおし、やっと録音のガイダンスが流れたので、そのままオンフックで待つ。ソースネクストは相談は無料だが(普通そうだろ?)電話は普通の電話なので30分も1時間もそのままにしておくというのは…。いったいいつになったら出るんだろ。

 40分ばかり待ってタナカさんという方が対応してくれた。なかなか一生懸命な人で、一緒に悩んで解決をしてくれた。一部ソフトの再インストールなど、素人じゃわかんないもんね。ありがとうございました。

 昨日の例の会社は夕方に返事をくれというので連絡をする。てっきり昨日の人が出てくるのかと思ったが、チンプンカンプンの社長が登場。なんかハキハキしてて社長という感じの人であるが、なぜか専務には何も聞いていないのだという。本当に雇う気があるんだろうか?

「で、そちらはどういう人なの」って、昨日面接をしてもらった者だよと何回説明したんだろ。

 時間があるのなら、出かけてる専務が7時を過ぎて戻ってくるというので話をしようということになった。いつまで仕事してんだろ。

 夜の南町というのは、煌びやか。むか〜し大学生のころバイトをしていたのがこの近所だったが、なんともいえない淫靡さが満ちている。道端のアチコチに高級外国者が止めてあり、中にはそれもんであれもんの夜だというのに黒いサングラスをしてる人がいて、店に通う女性従業員の送迎をしている。おぉ怖い。

 事務所に到着。昨日とは違い、紙に事務所名が書いてあって風にヒラヒラと揺れていたが、なんか物悲しい。てっきり社長なる人に待遇の説明を聞ける…と思ったのだが、この方も履歴書もロクに見ないでなんか会社の夢を熱くというより暑く語っていただけだった。

 「川崎は、もう独占したようなものなんですよ。ゆくゆくは東京にも進出を考えています。忙しくなりますよぉ」とのこと。まぁ、設立当初はどこもそんなものなのでしょう。一年で倒産?した前の会社も設立時には「ゆくゆくは全国紙に」と語っていたような…って何か同じ匂いを感じるのは気のせいか。

 一通り夢を語った社長が去り、専務が登場。俺が(会社に)来るならこいといってるのに、まだ何をグダグダして決めかねてんだよという態度であるが、だって働くに際しての待遇を何も決めてないのに来いといわれても…。あとでトラブルになるの目にみえてる気がするんだけど。こっちは仕事本気で考えてんだから。

 んで再度、仕事の内容とか聞く。昨日よりは本音をいってくれたみた。どうも相手は製作といより営業を募集しているという感じ、というか営業扱いなのであった。それでもいいんだけど、そしたら完全に夜のお仕事である。最初っからそういえ! 



2003年11月04日(火) 胡散臭い

 先週末、突然に決まった川崎での面接。(思えば編集の仕事で即面接という時点で怪しいのであった?)職安の女性が丁寧に地図をコピーしてくれた時は大げさなと思ったが、正直、今回は助かった。何せわかりにくい場所にある事務所だったのである。しかも場所が南町。知る人ぞ知る、川崎における堀の内と双璧である風俗の町…。だもんで、あまりウロウロできる場所ではなかったのであ〜る。

 禁止されてる客引きを振り切って、なんとか記載された住所にたどり着く。しかし、事務所らしきものがない。

 時間も迫っていたので職安の案内にある親会社に電話をして見当をつけてもらおうとしたのだが、事務の女性は「川崎の事務所には行ったことないから分かりません」とのこと。それでも事務所の名前を聞いたので探す…けど、やはりどこにもない。

 また親会社に電話をして、今度は事務所の電話番号を聞く。が、「お客様のお使いになった番号は、現在使われておりません」と不通。

 またまた会社に電話。なんでも事務所の電話は明日にならないと繋がらないという。…大丈夫か、この受付嬢。今度は事務所にいるという人間の携帯の電話番号を聞く。が、非通知の番号ではつながらない設定になっていた。こちとら公衆電話なので無茶をいわれても…。

 またまたまた会社に電話をする。「あ、それでしたら折返し電話をさせますのでそちらの電話番号を…」って、公衆電話からだから繋がらないって最初に言っただろ! わ・た・しは事務所に向かってるの。外なの!

 ウロウロしていると、携帯をかけてる人の声がきこえた。「そうか、事務所の看板まだ出してないもんな。困ったな。次に電話があったら、ハンコ屋を曲がったところにあるって伝えてよ」と。この人かな?と思って近づいてみる。人気のない場所で、ものを探し気にしていたら向こうから声をかけてきた。ビンゴ。

 専務なる人が対応してくれた。なんでも事務所は5日に開く予定なので、バタバタしてるという。ま、別にどうでもいいんだけど。応接室っぽくなっている場所で面接。テレビがガンガン音をさせている。せっかく面接してくれるんだから、テレビなんか消してくれればいいのに。これまで経験したことのない面接だと感じだとのは、履歴書を広げただけでロクに見てもないこと。しまいには上でタバコを吸いはじめ、灰を落としていた。そりゃ綺麗な履歴書ではないが、そりゃないぜ。

 職安に掲示された案内によると、11月に無料情報誌を新たに発行とあった。将来は横浜や東京でも発行する予定がある、と。雇用・労災には加入すべく手続き中ということだが、その他は退職金共済のみに加入? 時間は10〜18時と、12〜20時の2通りで、時間外労働が平均10時間、云々を書いてあるが、どうも胡散臭い。(結局、職安に届けるためだけのウソだったんだけど)

 一通りの話を聞いてみたけど、なんかピンとこないものがあった(←都合の悪いことは伏せてたんだから無理もない)。

 驚いたことに、その場で即決だという。マジ? 明日にでも来てくれといわれたが、肝心な給金とか決めてないじゃん。当面は手取り20万という話なので嫁さんに相談するということで返事を明日にした。さて…。



2003年11月03日(月) 10冠は遠く…

 文化の日ってことで祝日。

 仕事が忙しいのか嫁さんは休日出勤しているので、朝から子供と留守番することに。とはいえ別に何をするでもなく、かってに遊んでいるので職務経歴を印刷するのに必要なプリンターのセットをしなおす。本当にパソコンの再インストールというのは面倒な作業である。

 実は今日は大一番、鹿島アントラーズ(国内)10冠がかかったナビスコ杯の決勝なのであった。相手は苦手清水ではなく、昨年と同じく浦和レッズ…。連中、これに勝てば初カップになるもんだから国立のチケット買占めたらしく、競技場はレッズのフーリガンが8割以上を占めるという異常事態に…。雨の中、ご苦労さま。

 相手は負傷、退場者もなく万全で雪辱というのに、アントラーズは中田、本山が手術。エウレルは負傷明け、何をしたんだか平瀬とクラウデシールが出場停止。なんか明るい材料がひとつもない。システムも滅茶苦茶…。大丈夫か? と思ってたら4−0で破れてしまった。厳しいね。テレビで見てても辛かったので、国立に行った人は公開処刑みたいだったのでは? ジュビロと同じく黄金期からのメンバーのシフトを図ってる中での現状なのだろうか。…違うな。チーム強化を怠り続けたフロントがいけないのでは。柳沢、鈴木、長谷川という異常事態だというのに何のフォローもしないのでは仕方がない。それでも決勝までくるのは流石なんだけど、天皇杯に続いて10冠に失敗か…難産だね。今年は無冠で終わるのかしら。

 そんな試合の間、ちょうど退屈してきたUFOキャッチャーでゲットしたお茶パンダで遊んでる子供がちょっかいを出してきた。こっちが屈辱的な点差でイライラしてるのを見越してるのか、コイツは。しかし、冷静に受け答えをするあたりは我ながら寛大である。サッカーにおける私情を子供に向けてはいけないのであった。

 これで明日の一面はレッズが飾るのか、ちょっと嫌だなと思っていたらなんと日本一になったホークスの小久保がジャイアンツに電撃トレード。(しかも金銭なしの無償トレード!)フロントのゴタゴタとしか思えない大ニュース! 加えて阪神がパレードで60万人の人手だとか。星野最後のタテ縞ということで、これも一面候補だね。

 とどめとしては、試合の後にオフト監督が今期限りでレッズを辞任だとか。(理由は守り重視で面白くないサッカーをしてるオフトとフロントが衝突。首を切られる前に自分から見切りをつけたんだとか)

 ってことで、レッズは一面を飾れないのであった。敵ながらちょっと可愛そう?



2003年11月02日(日) 理学科のみなさん、卒業、おめでとう

 当日レンタルで借りていたビデオを朝、子供と一緒に返却に。まだ眠そうな顔をしているけど「自分が借りたのだから返却するのはお仕事」というわけね。当日レンタルにすると160円でビデオって借りられるのね。

 今回、子供に好きなの選んでもいいといったら『モンスターズインク』ではなく、なぜかドラえもんに走る。借りたのは『ドラえもんズ』と『帰ってきたドラえもん』のカップリング。自分が小学生の時から何度も見ているので当然、内容は知っているのだが、これは泣けるんだよね。まさか本当に泣くとは思わなかったけど…。 

 過剰すぎる演出はさておき、やはりノビ太の声優さんは上手い。

 作者の藤子F先生が亡くなった時、ニュースステーションでコーナーのナレーションを担当したのがこの小原乃梨子さん。番組はノビ太がホストとなって先生の生い立ちを紹介していくのだが、冒頭の「ぼく、ノビ太。いつもドラえもんを応援してくれてありがとう。(中略)でもね…ぼくの大好きな先生、亡くなっちゃんだ…」という最後の悲し気な声でニュースの冒頭で泣いたことがある。すげぇなドロンジョ様って。

 ここ数年の恒例になっている?蒲田の工学院祭に家族で出かける。昼の時間だったので、去年と同じくタコライスを食す。子供はラーメンやチョコバナナ。なんか祭りってだけでウキウキしてしまう。

 食事を終えて理学科でマッサージ(足裏10分、300円)してもらってる間、子供はおとなしく『となりのトトロ』を見ててくれた。去年はハリーポッターを途中までしか見られないから泣いたんだよな、確か。

 で、これも例年のようにスタンプラリーをする。毎年、同じような内容の発表が多いが、建築学科が今年は自分達が製作したペーパークラフトの自慢ではなく、ウッドモデルを作らせてくれていたので参加。恐竜の骨の木細工、子供のころからやってみたかったんだよね。学生さんは「残り少ないので恐竜しかありません」といっていたが、恐竜がいいのよ。

 環境整備科は、地球のエコ環境についての発表をしていた。屋上緑化とか興味があるので質問したのだが学生さんは「…そういうことは教授に聞いてください」といって何も教えてくれなかった。授業でやったんだろうから、それくらいは教えられそうな気もするのだが。なんかほとんどの学生さんが、代々木アニメー●ョン学園の生徒のように覇気のない顔をしていたのが印象的だった。現代っ子よ、祭りを楽しもうよ。(医療関係のオシロスコープのほとんどが、ケンウッド製品だというのは驚きだった)

 昨日と同じく、蒲田駅周辺では足長おじさん募金をしていた。子供も理解したらしく、すんなり100円を入れてきてくれた。「(昨日のもあわせて)これでムシキング2回できたんだけどね」といってはみたが、どういうことをしたのか分かってるみたいでホッとしている。昨日は100円を渡した途端に「なに? ムシキングやってもいいの」と言っていたが、事故でお父さんお母さんがいなくなるということが、どんなに大変なことかわかってくれたかしら。「助けてあげられるなら、もっとあげようよ」…本当はもっと募金したいんだけど、しっかり働きはじめたらにしてください。

 同じように街頭で自民●がマニフェストを配っていた。おばさんには熱心に配っていたが、欲しそうな顔をしていた俺にはくれなかった。投票しないということが気配で伝わるのだろうか。



2003年11月01日(土) お母さん、そんな子育てはダメ駄目

 今日は児童館で学童保育の説明会。ここ糀谷へ引越してきてから頻繁に通っていた児童館。子供も慣れているし、顔も売れてて先生にも知り合いが多いので上手くいけばいいんだけど。

 ってことで嫁さんは久しぶりに児童館へ。友達が児童館にいるので遊びに行くのかと子供に聞けば、蒲田に行きたいというので自転車で出かける。自転車を止めてふと工学院を見れば、今日から学園祭をしているではないか。様子見で行ってみれば、例年と同じような雰囲気で開催されている。昼の少し前だったし、初日ということか店は準備におわれていたので、嫁さんを帯同して明日に出直すことにする。ひとつ目を引いたのが学生プロレス。なんか初めてでないのかな。でも、日程と時間がサッカーと重なっている…。

 バアさんがやってきた。今日はテレビCMで見かける浄水器持参してきた。本人は会社の若奥さんにもらったといっていたが、なぜか箱がきれいなのである。何度か問いただしたが妙にオドオドしていたのは気のせいだろうか。おかしな商品を購入してそうで怖い。押しに弱いタイプだし。アドバイスしてくれる人なんかいないし。何も正直に言わないし。…気になる。

 それと一緒に教科書を持ってきた。来年は子供が小学生なので、俺が使っていた小学校時代の国語の教科書と中学校の教科書を持ってきた。ふうん、こんなこと勉強してたんだな。小さいころから本が大好きなうちの子供は、教科書をスラスラと読みながら、その内容を小ばかにしていた。…確かに変だぞ昔の教科書って。

 しかし、中学校の教科書なんて何するつもりなんだろ? 振り仮名がついているとはいえ、さすがに漢字は読めないって。そもそもピカピカの中学校の教科書を見ていると、物悲しくなってくる。中学校なんて行ってないもんなぁ。誰のせいで教科書ピカピカなんだと思ってんだろ、目の前のバアさんは。実の親のデリカシーのなさに嫌気がするが、本人は子供の不登校なぞ心の片隅にも残っていないんだろう。強く書き、消してまた書き直した『もう誰も信じられない』という自分が書いた言葉は、なんか色々と痛いなぁ。実の親に相談しても駄目だった惨めさって誰にもわかんないだろうな。(同じように不登校になった)妹の教科書も綺麗なんだろうか? 同じような言葉が書いてあんだろうか? 兄弟そろって同じメにあわせてんだから、少しは責任を感じてくれないかしら?(ってことで教科書は即座に嫁さんが廃棄処分!)

 そんなバアさんに200円をもらい、子供は蒲田の屋上で今日もムシキングをやる。で、ピカピカカードを初ゲット。…よかったね、と思いながらもこれで更にハマルのかと思うとため息が出てきそう。ムシキングといえば、見慣れた光景とはいえ小銭を大量に持つ子供の多いこと。そんな中、茶髪のガキがゲームに負けた腹いせに母親を蹴飛ばしていた。「お前がパー出せっていうから負けたじゃねえか」だと。見てたけど、何を出していいかわからないから「母さん教えて」と言ったのはお前だろ。しかし…母親を蹴飛ばすか? 実の親が注意しないのなら他人だけど男親であるワシが…と思ったが「ごめんね、ごめんね」といいながら「じゃあもう一回やろうね、今度はがんばってね」などといってなだめる親の姿を見て幻滅する。お母さん、それじゃ駄目だって。

 少し前の進級試験を合格したのか、スイミングは見事に進級していた。ついにクロールをはじめた我が子である。…凄い上達だなぁ。親の強制ではなく、自発的に通うだけのことはある。やりたいことを全部やらせてあげられないけど、俺はバアさんみたいに子供から逃げないからな。頑張れ。


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