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負けた、と感じるとき  2004年02月11日(水)
負けた、と明確に感じるときを10挙げよう。


|里蕕鶸屬僕達に恋人がおった。

・・・これは参ります。なんていうか、『俺の人生は妄想か?』と独りでへこんだりするのだ。知ってから二日間は重い。


▲肇ぅ豕嬶

・・・「今から料亭で会食」なんて多忙の時に限って、トイレが逆流しませんか。

寸分を争う一日の予定が台無しになる予感の中で、「自分の出したものが・・」と立ち尽くすのは、相当な敗北です。むう。


青信号でひかれそうになる

・・・人権を無視された、という確実な感触。相手が自動車なので追い駆けることも出来ません。ブブーーキキkィイイイ


は嗄て5回でダウン

・・・「俺の青春は?」という問に悶々とする深夜の僕ら。


ゥ董璽廛譽魁璽澄爾納分の声を聴く

・・・希望を打ち砕くったらありゃしない。モワアアアア。モゴモゴモゴ、ホワァアアアン。


Ε瓮襯▲品儿垢魘気┐討發蕕┐覆

・・・「あんたはいらん」という無言の声が、携帯の液晶から聞こえてきませんか。人は毎晩泣いている。


無意識でキムタクの口真似をしてたとき

・・・ドラマなんて観るだけにすべきです。ただの不良になるぐらいなら、東北弁で寺山修司の真似をした方がよろしいな。


┸佑料蠱未望茲辰討燭蘊茲蕕譴討

・・・遠距離恋愛の相談に付き合ってるはずが、1時間後には「俺はお前を友達やと思ってるよ」と慰められていたりする、これはいかなる関数が働いていたのでしょうか。ダメシグマ。


恋人ができないとき

・・・メンズノンノ、メンズエッグを熟読するという、一種の禁断症状が始まったものでした(1999年6月当時)


旅行の計画を立てずに2ヶ月棒にふったとき

・・・明智君、あの寺には君のかたきが眠っているよ。火を放つのだ明智君!!!!



(・_・)そんな感じ。




美術館・透明な回廊  2004年02月07日(土)
04.1.6(Fri)

美術館で私は遊んできたぜ。
ここ。

★リンク;アサヒビール大山崎山荘美術館

展示の趣旨として、世界の伝統的玩具。
世界各地の、動物を模した玩具が陳列されていた。

マー君『ぬうう、ううう、ぬがあ』

すず氏「なに? どうした?」

マー君『わ、わからんぞ、わからんのだァアア!』

すず氏「難しく考えんでも、これはこれとして純粋に観て楽しんだらええがな」

マー君『だああああああああ』

はた氏「この派手さ・・なんなんでしょうね、とりあえず派手っていう」

マー君『なんで小鳥の木細工の背中にまた鳥の絵を描くのだ! あああダブルバイーンド!!』


真冬の美術館で相当鬱陶しい私であった。

かくいう私はアートにおいてが全くの門外漢。
それでもなお、楽しい・やばい・面白い のがアートである。


展示品を紹介しよう。

まず私達は、本館の動物玩具を観て回る。本館は関西の実業家『加賀正太郎』という男の別荘である。優雅だ。

大正時代に建てた西洋風建築ということで、シャワーもある。当時にしては相当モダンだ。夏目漱石も来たという。へへ。一緒に風呂かい? ぼっちゃん、わしがお背中を流しましょう。ああ頼むよ加賀君。へへへへへ。

世界中の鶏の木細工。鶏に関してはどこの国も本気で、とても派手に造り上げている。火炎、太陽、宝石、一世風靡。

ありくい、つちぶた、きりんはふつう。ジャガーの面は派手に吼えている。神というか狂ったおっさんというか。

別館展示室は安藤忠雄の建築。

表からは白っぽいコンクリートの建物がツタに巻かれたり、木の陰になっているだけで、本当に何もよく判らない。

だが別館入り口への長い階段が凄まじくアタリであった。
写真はこちらのサイトに掲載⇒★リンク;『ARCHITECTUAL MAP』

かなり狭い階段が掘り下げられた下まで続く。両側のコンクリート壁はたった独りが歩くのが丁度いい狭さ。

壁は冷たい。まっすぐに切り立っている。

視界の向こうで僅かに開いた外界の光が、つめたい力を身体に突きつける。光と壁と階段とレーザーのような手摺。他には見るものがない。時間感覚が狂わされる。キンと冷え切った中で私達の視覚は強く光に集束してゆく。

靴音の反響は壁が徐々に高くなるにつれ、大きく響くようになる。今の歩調の音が、前の一歩の音と混じり合う。自我を意識させないところから、自分の存在感が跳ね返って、クリアに伝わる感じがする。


ふう。
手強いぜ安藤忠雄!!

階段を降りたところで早速美術品。

★リンク;セザール・バルダッチーニの金属的な昆虫とか。

はた氏「うわっこれいかしますね〜」

マー君『こんな透明な回廊に、こんな金属的で無機質なものを置くとは! すごい! 無機物が凝り固まって、生物になろうとしてるみたいだ!』

はた氏「ダッチーニ やりますね〜」

マー君『ダッチーニ きみはいだいだ』

私達は名前の響きに執着してしまった。ダッチ。粘着的だ。うへへ。

帰りの電車の中でも、

はた氏「ソ連の大統領っていい名前してますよね〜。ゴルバチョフ、チョフ、って。エリツィンも相当いいですよ。ツィン ってかなりいい」

他にも、フォークリフトの運転はくるくる回ったり、おっさんの運転が荒いと轢かれそうになる、という話をしてくれた。


話を戻そう。
美術品の数自体はかなり少ない。

★リンク;バリー・フラナガン『ボールを掴む鉤爪の上の兎』

もはや誤解の余地が全く無い作品である。

うさぎがボールの上のかぎ爪に立っている。その通りだ。そしてでかい。


はた氏「なんか股間で小さいの揺れてますね」

うさぎのちんぽの部分でほこりが揺れてました。アートだ。へへへ。


★リンク;ジャコメッティ『ベニスの貴婦人次

超有名すぎるアルベルト・ジャコメッティ氏の、極限人間造形シリーズである。あらゆる無駄というか有機的な実在性、イメージを殺ぎ落とす試行。

辛うじて残った小さな乳房と腹の膨らみが、これは人間であり、女としての性別を持った動物的な存在であることを示す。

その表情は説明不能だ。感情の中でも、喜怒哀楽のどれにあたるかは言えない。ただ、生きている人間の状況がする。


「人間に纏われた存在感を剥いでゆくと、どうにも拭えないものが最後に、極限の肉体に宿るのだ」的なキャプションがあり、最高だった。こういう人と友達になりたかったのだジャコ氏よ。


あとは数が多いのだが、モネの『睡蓮』。

これは純粋に油絵の美しさ、芸術的貴族的堪能を楽しむものだ。


無論、ぼんやりとした色合いなどをわざと混乱させて、何に見えるかを遊んでも面白い。


★リンク;モネ『日本の橋』は写真では綺麗に橋ってるが、実物はかなりぼやいでいて、形が浮かんでこなかった。

なので、オオサンショウウオが手と足を踏ん張って、立ち上がろうとしている図に見えた。渓流を大事にしよう。


ひとしきり安藤忠雄を褒めちぎったところで、私達はコーヒーを飲み、なぜか

★リンク;ヤノベケンジ

の芸術について話し、「太陽の塔は、残さなければ、ならん」という深刻な面持ちのムードに至った。


世界各国で共通して、鶏が人類の希望的・太陽エネルギー的な象徴であることについて話した。そのとき私は腹痛で、あたまの中身は正露丸になっていた。キュー。



美術館に来る前に、私とすず氏はカフェで『芸術を舐めてる人っていうのは、みんなから誉められるのを期待したり、すごいと思われてる状況を守るだけ。本当にイライラする』という話をした。


芸術や文学は本来、人の個人的意図や自意識を突破したり、それよりはるかに深く沈んでゆく力を持つものだ。なのに自意識や自己愛を守るための方便となっている場合の方が、とても多い。


私はこの日記を閉鎖するかを迷った。だがスミを吐けないタコはウツボに食われて軽く死ぬのだ。

では私はタコか、と言うと、案外ドチザメかも知れない。そうじゃないかも知れない。どっち。うーん。9981.




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