思うところあって...銀の

 

 

愛憎 - 2007年07月31日(火)

愛憎。


2時間ドラマを連想させる言葉だ。


愛と憎。

どちらもあるからややこしいことになるんだ。


でも、

「“愛”と“憎”の感情を勉強させてもらった」

って思うようにしたい。


もちろん、今の私は全くそんなこと思えない。
だから、そんな言葉は嘘。

でも、このまま歪まずに生きていって、
何十年か経ったなら、そう思うような
気がしてる。

だから、今はやせがまんでも、
そう思うようにしたいな、と思った。


ま、無理、っていうか、
そんな気持ちも崩れる日もくると思うけど。

長い目で見て、いろんなことを勉強させて
くれる存在なんだ、親は。
きっと。


...

幻想を捨てる - 2007年07月30日(月)

土用の丑の日。
うなぎを食べて暑気払い。


悩みってなんだろう?
思い出すと、頭がもやもやとして、
体が重くだるく感じる。

自分のことなら、なんとかなる。
しんどくても、なんでも、考えて考え抜いて、
なんとか何かを掴んだりできる。

でも、他人による悩みは難しい。

他人を変えることは不可能だ。
話して、話して、分かってもらえたり、
それをきっかけに、本人が何かを掴むきっかけを
作ることはできるかもしれないけれど。

ま、でも、他人を変えたいと思うこと自体傲慢だ。
自分の価値観に当てはめようとしていること
なのだから。

じゃあどうすれば?

自分が変わるしかない。

見方を変える。
考え方を変える。
話し方を変える。
距離の取り方を変える。
付き合い方を変える。

試行錯誤しかない。

依存し合いながら、関係を続けることはできない。
お互い、独立して、それぞれが“今”に満足している
状態じゃないと、良い時間を共有しにくい。

家族だと、客観的に見るのが難しいから、
よけいしんどい。


でも、嘆いていても、事態は変わらない。

自分のスタンスを探るしかない。


こうであってほしい、こうだったはずなのに、
という幻想を捨てて、今を見る。

そして、研ぎ澄まされている感覚で掴む
直感を頼りに、できることをする。

それしか、ない。


...

好奇心の蓋 - 2007年07月27日(金)

生活を大切にするようになったら、
余裕ができてきた。

余裕ができてきたら、
好奇心の蓋が開いた。

だから、今知りたいこと、求めてることに、
なるべく素直になって、いろんな理由を付けて
蓋をしてしまわないようにしている。

怖がりな自分の小さな冒険が楽しい。

カフェに入ったら、なにやら夏仕様の
期間限定ものを頼んでみたりとか。
で、成功、不成功が微妙だったり。
まるで、海外旅行をしているような
心境になる。
楽しい。



私は、具体的な事柄について恐ろしく不器用で、
悲しいくらいキャパシティがちっちゃいので、
事態がテンパッてくると、いらいらしてしまう。
パワーだけはあるので、なんとかかんとか
勢いで片付けてしまうことはできるのだけど、
人に八つ当たりしてしまったりして自己嫌悪になる。
そうまでして結果を残すことに意味はあるのだろうか?
大きな目で見て。

それでも、やりたいことをやっていて、
ゆずれない場面で人とぶつかるなら分かる。
でも、やらなければいけないことをやるために、
人を傷付けてしまうのは、あまりにも悲しい。
悲しかった。
ひたすら自分を嫌いになるだけだった。
これ以上、自分を嫌いにならないように、
今まで持っていたものをガッチリ守ること
だけに気を遣った。
何も変えたくなかったし、
何も変わりたくなかった。
好奇心の芽は全て摘んで、
新しく知りたいという気持ちがあることを
認めなかった。
もうこれで満ち足りている、
という暗示をかけた。

怖かったんだ。


でも、がっちり掴んで放さなかったものを、
ポンと捨ててみたら、
捨てても全然生きていけることが分かった。
むしろ軽くなったりした。
古くなった鎧を持ち歩いてたんだってことに気付いた。

私は、結果を残して評価してもらうことを
望んでたわけじゃなかったんだ。

自分の生活を愛して、自分を好きになりたかったんだ。


どうやって暮らしていきたいのか分かってきたので、
これからは好奇心の蓋は開けっ放しにしておく。

毎日の旅で起こる事柄や、初めて見るものを、
できるだけ多く胸に刻んで、
死ぬまで生きていきたい。

そこだけは、迷わない自分でいられますように。


...

魂のジャンル - 2007年07月26日(木)

毎日、普通に暮らしてるだけで、
なんで、こんなにいろんなことが起こるんだろう?
なんで、こんなに心が動いてしまうことが
起こるんだろう?

自分から、行動を起こしたわけでもないし、
心の中ではいろいろあったとしても、
表面的にはただただ普通に、平穏に、
暮らしているだけなのに。


あってほしくないことと、
聞きたかった言葉が、
一緒にやってきた。


なんだ、これは!

これが運命ってもの?


不思議だ。


でも、何が起ころうと、
信じて流れていくしかないんだ。

離れてしまうかもしれない、という感覚は怖いけれど、
自分を偽った時が、本当にお別れしなければ
いけなくなる時だと思う。


伝えるべきことは、きっと、
相手のための言葉ではなくて、
自分の思いだ。


またもや抽象的なことを書いてしまったけど、
私にとって大切なことなので、覚書き。


自分の思いを、自分の言葉で、自分のトーンで、
話せるようになりたい。
好きな人に、好きだってことを、怖がらずに、
素直に、表せるようになりたい。


そして、今の自分を気に入っていて、
自分の生活を堪能している人達と、
出会っていきたい。


「魂のジャンルが一緒だね」

と、微笑み合いたい。


...

太極拳が好きです - 2007年07月25日(水)

太極拳にはまること、甚だしい。

かと言って、そんなに努力はしてないけど…。
つまり、今まさにはまり始めている時期なのだ。

私は、いい意味でも悪い意味でも一途なので、
好きになったら、好きじゃなくなるまで
とことんはまる。

飽きるのも早いが、これまでの経験から言って、
ゆっくりと、日を追うごとにどんどん好きに
なっていったものを飽きることはあまりない。
親しい友人みたいなものだ。

まさに太極拳がそう。
知れば知るほど愛が深まっている。
このまま行くと、私の人生の中心にくる
存在になりそうな勢いだ。


思ったのだけど、私は、“始め方が適当なもの”が
好きかもしれない。
というか、きっちりかっちりしてないことの方が続く。
取り組み方も、個人の自由、というような。

太極拳なんて、始めたばかりのころ、なんの説明も
受けずに、みなさんの真ん中に放り込まれ(入れて
いただき)、見よう見まねで体を動かした。

体を動かすと気持ちいいし、下手くそなままでは
恥ずかしいので、何が何だか分からないけど、
「やろう」って感じになる。

動きを覚えて、何をやっているのか分かってきた頃、
体と頭が繋がって、「なるほど!」と思う。

で、本当に上手い人を見分けられる目ができると
同時に、自分がいかにできていないか、を知る。

そして、もっと上手くなりたい、
もっと太極拳のことを知りたい、
と思うようになる。

なる、って言うか、それが今の状態。


やっぱり、体や五感で気持ちいいと感じるもの
以外のものを続けていくのは難しいと思う。


よく考えてみれば、小さい頃に習っていた、
水泳やバレエなんかは全て見よう見まねから
入っている。

その方が本当なんじゃないかな、と思った。
少なくとも、私はそうみたいだ。

もし、太極拳を、最初から誰よりも上手くなる
ことを目的として、マンツーマンで手取り足取り
教えてもらっていたとしたら、続いてなかった
と思う。

私の性格上、
「こんなに下手なのに、マンツーマンで教えて
いただいて、貴重な時間をすみません」
みたいな気持ちに押し潰されていただろう。

だから、
上手くなりたい人もいれば、
健康のためにやっている人もいれば、
社交のためにやっている人もいる、

みたいな混沌とした自由な状況の中で、
私の太極拳への気持ちも自由に変化して来れた
ことが良かったのだろうと思う。



これって、私の苦手な対人関係にも
当てはまるな〜。

こればっかりは…。

人との距離や、時間の流れを測るのは、
何よりも難しいことです。

太極拳を通して、成長できたらいいなぁ。

もちろん、
私だけの方法で、私だけが目指す方向に。


...

ハーブ - 2007年07月24日(火)

コーナンで、ハーブの苗とプランターと土を買いました。
ローズマリーです。

ちゃんと育つといいなぁ。

順調に育ったら、
オリーブオイルで魚を焼いたものに散らしたり、
ふかしたじゃがいもにも散らしたり、
ポテトサラダの風味付けに入れてもいいかも…

と、夢は広がるばかりです。


他に、この間実家でもらったハーブの種も撒きました。
カモミールとルッコラとチャイブ。

カモミールはもちろんハーブティーに、
ルッコラはパスタの具に、
チャイブは…、チャイブってなんだ?

今、ハーブの本で調べたら、チャイブはネギのようなもの、
だそうです(ほんまかいな。違ってたらすみません)。


種からでも、きちんと育つんだろうか?

ま、でもハーブは雑草みたいなもんのはずだから、
雑草魂を発揮してもらって、過酷なベランダライフを
生き抜いてもらいたい。

鳩やスズメにゃやらないぜ。
死ぬときは、私の胃の中だぜ。

いや、むしろ私の血肉となって共に生きようじゃないか!

ぬははー




毎日、日記を書くと、こんな日も多くなります。やっぱり。



...

プレゼント - 2007年07月23日(月)

今日は梅田でうろうろと探し物をしていた。
人にあげるためのものだ。

結局、見つからなかったのだけど、
誰かが喜ぶ顔を想像して探していると、
明るい気持ちになるし、真剣にもなった。

なかなかいい時間だった。

見返りを期待せずに、純粋に、
「プレゼントしたい」
ってものがあって、それを探す、
っていいなぁ、と思った。

ま、自分のものだけ買ってしまったのだけど…。



明日、また探そう。


...

日々のカケラ - 2007年07月22日(日)

なんとなく、できるだけ毎日ここに日記を書くように
しよっかなーと思いついた。
(続くとは、あんまり思えないけど…)

しょっちゅう書くと、くだらな〜いことを書いてしまう
日が必ず出てきてしまうので、気が向いた時に書く
ようにしていたのだけど、まぁ、なんとなく。

日々、思っていることがあって、
強く思ったはずのことでも、だいたい忘れてしまう。

それでも、忘れようのないカケラが積もって
流れの中で“今の気持ち”のようなものになる。

だから、今の自分を形作った“カケラ”を散りばめて
残しておくのも面白いかなと思った。

カケラの一片一片はくだらないものでも、
それを適当に組み合わせて繋ぎ合わせたら、
キルトのパッチワークのような美しいものに
見えるのかもしれない。


日々のくだらないカケラが私の全てだ。


...

趣味の話 - 2007年07月21日(土)

昨日は、梅田シャングリラにライブを観に行きました。

しかし、急に降り出した雨の中を駆けて行った
にもかかわらず遅刻してしまい、大好きな埋火を
2、3曲見逃してしまいました。
しゅん(←古いな)。

埋火は、いつにも増してアグレッシブな感じがして
熱くなりました。
低音がぐわんぐわん来てました。
ドラムもがつんがつん来てました。
しびれました。
あぁ、最初から見たかった…。
でも、新曲のデモ音源も購入できたしホクホクです!

ザ・ドクロスは、MCの声の大きさにびっくりしました。
あと、“お客さんとの距離を詰めようと思う”という
発言に何故かぐっときました。
女性4人の四重唱があったのが良かったです。
合唱が、やっぱ一番好きかもです。

ミラーボールズは、やばい…。
かっこよすぎました。なんだろう?あのかっこよさは!
ノイズマッカートニーのCDに入っている曲も
やってはりましたが、ライブの方が5倍くらい好きでした。
子供のような歌声が最高でした。

VALVAは、音が重く渦を巻いた洪水のようで、
血が沸いてきて座ってられなくなりました。
でも、雨に濡れた後に、冷房に晒されたことで、
もの凄く冷えてどんどん具合が悪くなってきてるのも
分かってました。
次の日が太極拳の発表会だから無理したらあかんな〜、
と思いつつ、気が付けば最後までしっかりと見ていました。
でも、見てよかった。


帰って、すぐに風呂で温まり、上がって余韻に浸ろうと
思っていたら、呑んで帰ってきた旦那坊主が
居間ですわったまま眠りこけてました。
ズルッと体勢を崩して、扇風機にガンッと頭をぶつけて
目を覚まし、あたりを見回したあと
再び眠りに落ちてはりました。
きっとたんこぶになっていることでしょう。


日が変わり今日。
太極拳の発表会(団体)でした。
120組くらい参加する大きな会だったのですが、
そういったものに出場するのが始めてでちょっと
緊張しました。
ちなみに出場者の平均年齢は60歳くらいだった
でしょうか?私もまだまだひよっこです。

ところで、見に来てくれた旦那さんが、
舞台上の私達をデジカメの動画機能で録って
くれていたものを見て愕然としました。
「私ってこんなに下手なんや!」と。

自分の体って自分のイメージ通りに動いてないもの
なんですねぇ。
まぁ、どこが駄目なのかがよ〜〜く分かって
良かったってことで、これから練習していくとします。


そんなこんなも、楽しかったです!

全部、趣味の話です!!



...

パーマネント - 2007年07月11日(水)

3年ぶりにパーマネントヘアーにしてみた。

予想(予感?)としては、
大失敗して、ただでさえ多い髪の毛が、
「3万本増毛しました!」みたいな感じに
なるんだろうな…なんて後ろ向きなものだったのだけど、
案外気に入る感じになった。
ありがとう美容師さん!!

しかし、美容師マジックで“今日だけ素敵体験”は
今までにさんざん味わってきているので予断を許さない。
明日以降の自分の技量に期待。そして不安。

パーマネントとはいえ、永久に持続しないところが
パーマのいいところだと、私は思う。



...

夏の夜 - 2007年07月09日(月)

昨夜遅く、家の前の公園の方から
男性の大声が聞こえてきた。
海に向かって叫ぶ青春小僧のような声が
ずっと続いた。

夏の夜に飲み込まれてしまった人の悲しい雄叫びか?
と思いつつうるさくて眠れないことにイライラして
いると、午後10時には就寝していた旦那坊主が
むっくりと起き上がって、窓の方に様子を伺いに行った。

帰って来てひとこと。

「漫才の練習してる」


マジで!?と思って、私も窓の方へ行き
耳を澄ませてみると、

「ハイ、ドーモー!」

とか言ってる。

窓からは、公園の木が邪魔で1人しか見えなかったが、
明らかに2人で漫才の稽古をしてるのが分かった。

一応、公園の隅の方で練習しているつもりらしいけど、
住宅街の真ん中にある小さな公園なので、町内中に
ネタを披露している形になっていた。

なぜ、この日から?
なぜ、ここで?
なぜ、声量マックス?

疑問は尽きなかった。


漫才は好きだけど、こういった公園なんかでの
声を張った稽古風景は、見るのも見られるのも
なんとなく恥ずかしいものよ、と思ったのだった。


...

七夕の誓い - 2007年07月07日(土)

『プラダを着た悪魔』を観た。面白かった。
2つのことを考えた。

まず、やはり女性は美しくあるべき!あろうとするべき!
ってこと。
流行に乗る乗らないは、個人の自由だし、
昔からのスタンダードを良しとするかも、もちろんそう。
ただ、各々が目指す方向に自分を持っていこうとする
姿勢が美しいんじゃないか、と思う。

ちなみに、偉そうに書いたが、自分はてんでできてない。
主人公の、当初の自宅での格好を見て、
「うわ、ウチや…」
と反省した。
でも、こんなふうになりたいなぁ、という理想像はある。
だから、これから。これから。


もう一つは、仕事について。
この映画は、痛かった。
4年前まで正社員として働いていた時の自分とリンクした。
ネタバレというやつになるので、観てない人は読み飛ばして
欲しいのですが、映画の主人公は最終的に仕事を辞める。
自分の意志で、自分の頭で考えた結論でもって。
私も仕事を辞めた。
辞めたことは正しかった、と今でも思っている。
でも、逃げるようにして辞めてしまった。
それが心に引っかかったままだったんだ。
その時は、突っ走っていてきちんと考えられていなかった
けど、このままだと自分が大切にしたい部分が、
私の内側が壊れてしまう、と直感で分かっていたんだ。

でも、それも後付けの理由。
その時は、恐怖で思考をストップしていた。
思考を遮断しているからミスも多くなって悪循環だった。
もう少しだけ勇気を持って、最悪その場で辞めると言って
飛び出してもいいという覚悟を持って、
日々、自分の内側を大切にすれば良かった、
と思っている。

まぁ、でもそれはもう終わった話。
次に活かそう。
そんな、“まとめ”をさせてくれたこの映画と出会えて
良かったと思っている。



最近、このような“出会い”に対して、“運命”“縁”
といったものの存在を濃く感じる。
今、自分に必要なものに、今、出会ってしまうこと。
私が今ふと手に取ったものが、私を変えることも
あるだろう、と思うのだ。
しかも、それはあらかじめ決められているのかも
しれない、くらいに。

それは、怖いことでもあるけれど、心底『面白い』とも
思っている。
選んだのが偶然であっても、選ぶのは私なので、
その何かに影響を受けて変わる部分があっても、
底の底で流れ続けている“私”は“私”だ、と思う。
そういうのを魂と言うのかもしれない。

そう思うから、本の装丁やDVDのタイトルを見て、
ちょっとどきどきしながらそっと手に取る時も、ある。
何も考えないで、ガサッと掴むときもある。

なんだか怪しい感じの人に思われそうだ。



今、一番大切にしているのは、生活。
私が大切にしている生活とは、うまく言えないけど、
考えと行動が一致しているもの。状態。

以前は、例えば仕事している時は、
「これは本当の私じゃない」
と思っていた。
実家で暮らしていた時も一人暮らしをしていた時も
「ここは私の暮らす場所じゃない」
と思っていた。

私は、自分に言い訳しながら、自分の頭の中の世界と
体が住んでいる世界を別のように感じていた。
だから、「こんなはずじゃない」「本当はこうじゃない」
と言い訳しながら、今を終わらせるのに必死だった。
何も楽しんでいなかった。
本当は、その頭の中の世界を持つ“私”は
そこにしかいないのに。

あまりにも下手くそだった。
今もまだ、下手くそだ。
生きるのが下手くそな方だと思う。
こんなところに思っていることを吐き出さないと、
にっちもさっちもいかなくなってしまう。

でも、
吐き出して、考えて、何かを必要として、
探して、得て、変わって、ラクになって、
また分からなくなって、吐き出して、考えて…

というサイクルを知ったことは良かった。


そのサイクルの中で得たのが、
考えと行動が一致した生活をすること。

シンプルだけど難しい。

自分の考えたことをとにかくする。
それを楽しむ。
嫌な時は、嫌と思う。
他の人がどう、とかじゃなく。
それが自分の内側を大切にすることだと
今は思っている。
(もちろん、他人を傷付けたり、嫌な思いを
 させたくない、という思いは基本にあるので、
 そうすることも自分のしたいこと)

ほんと難しいけど。

今、それを実践できるのは太極拳。
自分の身体と対話しながら動く。
考えと行動が一致する瞬間。

それを、生活の中の料理や仕事や、その他の
なんだかんだに広げていきたい、と思っている。


...

良かった - 2007年07月01日(日)

昨日はお母さんの誕生日を祝いに実家へ。

先斗町にある中華屋でたらふく食べて呑んだ。
ワインと紹興酒のちゃんぽん。
食べ終わって実家に戻ったら、黒霧島の一升瓶が
あった。
2時まで呑んだ。
神経が昂ぶっていて5時頃まで寝つけなかった。


おとんもおかんも濃い。
なんて濃い〜人たちなんだ、と、思った。
全てが過剰なおとんに、ずば抜けて天然なおかん。
面白いんだけど、例えばまた一緒に暮らそうと
言われたら無理だと思う。

何年か前まで同じ屋根の下に居たのが不思議。
若くて体力があったからやっていけたのだろう。
もう、無理、無理。


こうやって、離れて、一人の人間として冷静に
付き合うから、優しくできるし理解できる。
ま、それも1泊2日が限界やけどね。


でも、怖がらずに、もっと早くに家を出ていれば
良かったな、ってちょっと思った。
そうすれば、もっと早く、優しくできたかな、って。

そんなん分からんか。

何がきっかけかなんて分からんし。
きっかけなんてないのかもしれないし。
時間が流れているだけな気もするし。
何も取り戻せないから今が貴重やし。
これから、なんてもっと分からんし。
だから、良かった。

嬉しそうな顔が見れて、良かった。


...




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