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2002年07月31日(水) ミラクルが今ここに結実!!東山が甲子園切符掴む(3)

そうして迎えた8回表。立宇治は一死から早田くん(余談だが、この子のお兄さんは3年前のミラクルの夏に好投し、2年前の夏はエースナンバーを付けていたあの早田くん)がそれ迄のスクイズ失敗や度重なる守備のミスを返上すべくヒットを放つ。そしてすかさずエンドラン。一気に流れが宇治に傾きかけたその瞬間、セカンドの那谷くんがファインプレー。まだ少し幼さの残る顔立ちの選手だが、この人の野球センスは本当に素晴らしいものがある(確か昨夏も控え投手としてベンチ入りしていたと思う)。これで二死二塁。なお一打同点の場面で9番藤原くんが痛烈な当たりを右前へ。嗚呼、これで試合は振り出しに戻ったかと思われたその場面で、今度は同じく2年生のライト今堀くんがホームベースへストライク送球(ちょっと大袈裟かもしれないが、個人的にはあの松商−熊工の名場面とオーバーラップしちゃったよ)。二人の2年生のスーパープレイで東山が1点のリードを死守する。

そして、試合はいよいよ9回表を迎える。差はたったの1点、どちらがより平常心を保てるかが勝負のターニングポイントになってくる。先頭打者はセカンドゴロ。しかし、これまで毎試合好守備を見せてきた那谷くんがファーストへ悪送球し、無死二塁という立宇治側からすれば絶好の、東山側からすれば絶体絶命の局面となる。一塁側からは「いっけーいけいけ、いけいけ○○!!」三塁側からは「燃えろっ、燃えろっ、燃えろとうざん!!」というそれぞれの願いを託した大声援が場内にこだまする。打席に入った高橋くんはランナーを送らずバットを振っていくが左飛に倒れる。ここでの貝塚監督の采配には是非両論があるだろうが、恐らく監督さんはどうせ同点にしてもすぐ勝ち越されてサヨナラ負けしてしまうだろうから、一気に大量点を奪うべく強攻策を選択されたのだろう。一死二塁として、ここからは昨年と同じ顔ぶれのクリーンアップが打席に続く。しかし木村くんは落ち着いていた。3番日岡くんをあっさり遊ゴロに打ち取ってツーアウト。三塁側では甲子園コールが飛び交う。

そして打席に4番の西川くんが入る。放送では野球に撃ち込む為に寮を飛び出した、と紹介されていたが、素人目にも彼の野球センスは飛び抜けて素晴らしく感じる。主将で捕手で主砲。間違いなく立宇治の要といえる選手である。そしてここまで打率5割、この決勝戦でも鋭い当たりのヒットを2本放っている。剣が峰に立ちつつも一打同点の絶好の場面に中心選手が登場。見ているこっちも思わず手をぐっと握りしめる。だが、勝負はあっけなくついた。木村くんの3球目。西川くんの振ったバットに当たったボールは天高く舞い上がり、レフトの梅田くんのグラブに収まった。この瞬間、東山高校が平成では初となる夏の甲子園への出場を決めた。


2002年07月30日(火) ミラクルが今ここに結実!!東山が甲子園切符掴む(4)

19年ぶりとなる夏の甲子園が今その手中に。秋はベスト16で京都学園にコールド負け、春は一次戦の2回戦で5点差を守りきれず同志社に逆転負け。練習試合でも負けてばっかりだったそうで、そんなズタボロな状態からここまで本当に東山の選手たちは本当によく頑張りました。俺らはひとつや!を合い言葉に仲間を信じ、どれだけミスをしてもゲームをひっくり返されてもひたすら前向きに試合に臨み、日頃の練習の成果をフルに発揮してとうとう掴んだ甲子園。恐らく甲子園出場校の中では最弱クラスだろうけど(後日、甲子園の大舞台で7点も取ったのにはびっくりしたよ)、チームの結束力と応援のノリの良さは日本一だと思います。本当におめでとう。

そして、今回も京都の頂点に立てなかった立命館宇治。敗れはしたけれども、その強さは本物でした。正直なところ、宇治高時代のイメージ(敢えてここでは触れないが)と立命のカラー(なんでイデオロギーは暖色系なのに、お前は企業かと突っ込みたくなるぐらい学校吸収やスポーツ売名にあんなに熱心なんだろう?)が重なる同校にはあんまり良い印象はないんだけど(主観だけども、京阪沿線で見かける高校生の中でここの生徒がいちばん不作法だと思う)、この日は前日の成美と同様に平凡なミスが連発して結局最後まで流れを相手に持って行かれたままやったけど、今年のチームは実に素晴らしいチームでした。試合が終わり、整列して一塁側、そして三塁側それぞれに深々と一礼した後、次々と地面に泣き崩れ落ちていく選手たちの姿を一生忘れる事はないでしょう。3年生が流した涙を今度は歓喜の涙に変える為にも、引き続き新チームに残るこの試合に出ていた大勢の部員達には再度奮起して欲しいと思います。

ただ一点、立宇治の応援スタンドよ、お前ら試合終わった瞬間から「りっつうじ!りっつうじっ!」ってやかましいっちゅうねん。1点及ばず20年ぶりの甲子園は逃したけれども健闘した選手達をねぎらう気持ちはそら痛い程よく判るよ。けど、勝者を称える意味も込めて大きな拍手を送りつつ、自校の選手によく頑張ったよ〜と声を掛ける程度にしときなさいな。数年前、私が観ていた同校の負け試合でも、試合が終わった途端にブラバンが自校の学歌を吹き鳴らしていたし、どうしていつもこうなんだ。なんか、教育方針といい(ここに通う身内に聞いただけなので私が誤認識している可能性も大いにあり得るが)、いつも自分達が中心ってな現在のメリケンさんを見ているようでなんだかなぁ。校名が変わり、いつの間にか岩崎監督さんが更迭されて大学からやって来た指導者がチームをぐんぐん強くし、この度校舎も移転して(その建設で植物園横の林が凄い勢いで破壊されていたのにはビビった)より整った環境が用意されて・・・と、もう私の知ってる旧宇治学園の姿はそこにはなく、新たなスクールカラーの野球強豪校がそこにあるだけなのかもしれない。

さて、昨年は平安、今年は東山が京都の頂点に立ちました。平安、東山と来るとやっぱり次は大谷か花園に優勝して欲しいなぁ。高校野球3年周期から考えても来年は上位に食い込む年の筈やし。成美や宇治、鳥羽には少し気の悪い話やけど、やっぱり京都は佛教系の伝統私学でなくっちゃ。しっかし、京都は平安を筆頭に、甲子園出場で一応名門復活を果たした東山、鳥羽・立命館宇治・福知山成美といった成長著しい新鋭野球校に、この春の大会で大活躍した京都学園・大谷、忘れちゃいけない京都外大西・京都成章・北嵯峨、いつもいい所まで行く花園・洛星、頑張る公立勢の峰山・山城・洛北・桂・西城陽、一躍ダークホーク的存在となった洛水・韓国学園、その後を追う久御山・東宇治・東稜・莵道・綾部・加悦谷・福知山・京都両洋・京都翔英・南京都等の面々、そして何となく数年後に大化けしそうな京都明徳・・・と、有力校がわんさかいるもんなぁ。逆に言えば、これだけ分散している戦力が一つに集中すれば、和歌山や高知みたいに全国での常勝県になれるような気がせんでもないが(山形や鳥取のような悲惨なケースもあるけども)。まあ、戦力が拮抗した方が見てる側は楽しいし、一校独占状態は弊害も多いしねぇ。さて、来年の戦国京都はどのような戦いが繰り広げられるか、乞うご期待。最後に、部員難を克服して素晴らしい試合を行ってくれた西宇治・城南の両校が来年度も大会に参加できる事を切に願います。


2002年07月29日(月) ミラクルが今ここに結実!!東山が甲子園切符掴む(5)

背番号一桁だけではなく二桁も、3年生でベンチに入れなかった生徒も、すねることなく持ち場に徹して本当によく頑張ってくれました。ありがとう、と言いたいです。――涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらそう語る、山崎監督の姿に今夏のミラクル東山の原動力を見た気がする。この夏、球場に足を運んでまず東山の応援スタンドの明るさに驚いた。そしてフィールドに目を転じると選手たちはどんなに劣勢になっても終始暗い表情を見せなかった。いつでも前向きだった。そして、例年以上に礼儀正しかった。これがヤマさんの目指す野球チームなんだろうなぁ、としみじみ思ったのが3回戦の時だった。そしてこのチームはミラクル旋風を巻き起こし続け、今日の栄冠を掴み取った。山崎野球が完成した瞬間といえるだろう。今迄、試合に敗れた選手やチームに感情移入してこちら迄一緒に涙を流した事は数知れずあるが、勝利したチームの嬉し涙に誘われて大泣きしたのなんて初めての経験だった。この決勝戦に関しての雑記は少し興奮が冷めてから書こう、とかなり間を空けて、実際に5段ぶち抜きでこれを書いているのは甲子園の結果やその後の暴力不祥事も経てうんと後の12月なのだが(補足:この日以前のものはみんな夏のくそ暑い時期に極度の興奮状態で綴っております)、改めてビデオで準々決勝から決勝までの試合内容と監督インタビューを見ていたら、やっぱり少しウルウル来ちまったい。こんな罪作りな山崎監督率いる野球小僧軍団にありがとう、と言いたい。

大会が始まる前、平安・成美を本命として幾つかの優勝候補が挙げられていたが、そこに東山の名はなかった。私自身も今年の東山は緒戦で西城陽に敗れると思っていた(1回戦で西城陽が延長15回の投手戦を制した段階で、投手力に劣る東山が負けるのはもう決定的だな、とすら思っていた)。次の宮津戦の試合内容を観て、こりゃ次でシード校の外大西にコールド負けするな、と確信した。その西高に辛勝した時も、この内容では次はボロ負けするとしか思わなかった。その次も、さらにその次も。しかし、東山は全部勝った。メディアはこぞって「ミラクル」「シンデレラストーリー」と表現した。どの試合もガンガン打ち勝っていったが、その間も投手陣の失点は多かったし、守りはザルみたいだったし、ヤマさんの采配も度々裏目に出た。でも、全部の試合に勝利した。手放しで誉められるゲームは一度もなかった。秋春に比べてチームの実力が優勝レベルまで大きく上昇したという訳では決してない。でも優勝という結果が残った。それは何故かと突き詰めていけば、やっぱり山崎野球がチームに浸透し、日々の練習を疎かにせず、負け続けても腐ることなくキャプテンの藤井くんを中心に選手がよくまとまっていったから、と断言できるだろう。閉会式でグラウンドの中央に並んだ両校の選手達を見て、立宇治の個々人の体格の良さやその大人びた風貌と、東山のユニフォームを着た連中の体格やおぼこい顔とのギャップに驚いた。東山の面々はこんな凄い選手を揃えている宇治に勝ったのか、と。それまでのミラクルと相まって、本当に高校球児には無限大の可能性があるんだなとつくづく実感させられた。

東山が本当に強豪たり得たのは、京都成章相手にノーヒットノーランを達成した早野くんや速球派の秦くんといった好投手を擁しながらも、あとひとつのところで選抜を制した天理や川口投手のいた平安に甲子園を阻まれた5年前の夏までだろう。長谷部監督が勇退し、山崎部長が監督に就任してからの東山は3年前のミラクルでの準優勝が一度あるものの、なかなか上位へは進出できなかった。第2シードで望んだ4年前は鳥羽に緒戦完封負け。ここ数年はベスト8に入るのもやっとという状態で、3年連続春は一次戦で姿を消し夏は当然ノーシード。上位校相手にコールド負けも相次いだ。もはや、近畿大会で智辯や上宮に快勝し、甲子園でも優勝候補の一角に名を連ねていた時代の面影は全くない。しかしこの夏、東山は弱っちいながらも逆転とミラクルの連続で京都球界を制した。長谷部前監督時代とは全く違う、山崎イズムに満ちあふれた野球チームがそこにはあった(ちょっと美化しすぎですが...)。ひょっとしたらこのヤマさんカラーに染まった現在のガシ高という野球チームはただの一発屋に終わってまた暫く低迷するかもしれない。でも、私は強かろうが弱かろうが現在の東山が大好きだ。今後もずっと暖かくその奮闘っぷりを見ていきたいと思う。


2002年07月28日(日) 最強と呼ばれて僅か2日後に・・・17残塁で乱打戦に散る(1)

西京極球場。大会第14日、準決勝第2試合。逆転逆転でノーシードからここまで勝ち残ってきた東山高校とここまで全てコールド勝ち、一昨日には大本命の平安に圧勝してもう残すは甲子園に向けた消化試合、という感すらある福知山成美高校の一戦。3年前の決勝と同じカードである。両校とも、あの年以来の決勝進出を目指す。東山には柱となるピッチャーが不在、平安戦のあの完璧さをみれば誰がどう見たって成美の圧勝を予感させるカードである。スタメン発表。東山「8番、ピッチャー山内くん。」やっ、やまうちくん??彼にはとても失礼な話だが、今年の東山投手陣は3人だと思っていたので、かなりビックリした。山崎監督はダメモトで相手にデータのない投手を先発させて頭の3イニングぐらいを最少失点に抑えてあとは木村くん、関くんでなんとか試合を形成していく腹づもりなのかなー、と思いつつ試合を見守る。

1回表。先頭打者は三振。おー、やるやん山内くん。ひょっとして東山の秘密兵器かぁ〜、と思ったのも束の間、2番山本くんに左越え場外弾をぶっ放される。平安の時と同じ様な流れ。あっという間に成美に4点が入る。このまま行くと20点差ぐらい付くんじゃなかろうか、とこの先の試合展開が恐ろしくなる。が、兎に角今年の東山は底抜けに明るく粘り強い。すぐさま先頭打者の2年生今堀くんが綺麗なヒットを放って出塁、犠打で送って3番野口くんがあわやホームランかという当たりで1点を返し、5番渡辺くんにもいい当たりが出るなどして3得点。2回表は満塁のピンチを無失点で切り抜け、その直後に同点に追いつく。何かミラクルが起きそうな予感...。その後、2点を取られたものの、背番号12を付けた山内くんは実に粘り強い投球を続け、2点差のまま終盤へ。

終盤で2点差、今の東山の勢いからすれば充分に逆転可能な点差である。もはや一塁側のベンチやスタンドは負ける気がしないだろう。6回裏、無死一塁でピッチャー交代。背番号17を付けた2年生投手が3番手としてマウンドに上がる。選手層の厚い成美でベンチ入りしているのだから勿論素晴らしい投手に違いないのだろうし(この局面を投げ抜ければこの投手も一回りも二回りも成長して甲子園での投手起用もラクになるだろう)、京都一の破壊力を有する超重量打線をもってすれば簡単に点差を開ける事が可能だ、という自信がきっとおありだったんだろうが、例年終盤になると神懸かり的な猛攻を見せる「逆転の東山」打線に既に同点・逆転の射程圏内に捉えられているこの時点でエースを温存した田所監督は幾ら何でも東山を甘く見すぎたのではないだろうか。勿体ぶったエースを早く出しやがれ、とばかりに火を噴くとうざん打線(余談だが、同点打を取り損ねた成美のセンターの子がグラブからポロッとこぼれたボールをさっと掴んで“俺、ダイレクトで捕りましたで”とアピールしているのが何ともかわいらしかった)。同点となったところでいよいよ成美の背番号1がグラウンドの中央に歩を進める。


2002年07月27日(土) 最強と呼ばれて僅か2日後に・・・17残塁で乱打戦に散る(2)

失点はひとつあるもののここまで自責点ゼロで投げ抜いてきた男の登場に5500人以上もの観衆で埋まったスタンドが湧く。恐らく、大方の人達はこの安達くんが三振奪取でこのピンチを切り抜け、強力打線が残り3イニングで数得点して成美が快勝すると予想した事だろう。だが、私は彼が投球練習をしている間ずっと流れているとんぼの応援曲を耳にしていると、安達くんは打たれるやろなーと何故か思わずにいられなかった。そのとんぼの応援曲に見送られて東山の主砲・梅田くんが一礼しながらゆっくりとバッターボックスへ入る。一塁側の演奏がテンポのいい「岡島のテーマ」に切り替わる。2球目。力強いストレートが打ち返される。消音バットのせいかも知れないが、力強いというよりは鋭いと表現した方がすっきりする当たりがセンターの後ろへ抜ける。二者生還。2点をリードしていた側が一気に2点を追う立場に入れ替わる。しかも、エースピッチャーが完璧な当たりをされての逆転である。成美のご自慢の打線の凄さと、失礼だが東山投手陣のヘボさ、バックの脆さを考えれば当然このままでは終わる訳がない。まして安達くんは立ち上がりに長打を一つ打たれただけであり、次の回以降は立ち直ってくるだろう。でも、この時点で私はなんとなく、この後成美が追いついて延長戦に突入し、小刻みな継投で東山が成美打線を抑え込めば、今まで圧勝で勝ち上がってきた成美の選手達が予想外の接戦に浮き足だって足下をすくわれるんじゃないか、と思った。

7回表、成美が猛反撃を開始するも一死満塁で守備妨害を犯し得点は1点のみ。逆に8回裏にはミスの連続から東山に得点が入る。夏の大会に入って初めて経験する接戦というのはこんなにプレッシャーのかかるものなのか、というぐらいにこれまで鉄壁の守りを誇ってきた成美ナインが次々とエラーや凡ミスを繰り返す。そして、依然として2点差を付けられたままで成美は9回表の攻撃を迎えた。当然圧勝と思われた試合をリードされた状態で臨む最終回。成美の選手個々人には相当の重圧がのしかかっていただろうが、それ以上に山内くんからマウンドを引き継いだ東山のエース・関くんの投球は冴え渡っていた。走者を出しつつも緩いカーブでポンポンと三振を奪ってあっけなく試合終了、府内最強と騒がれた大型チームは準決勝で散った。


2002年07月26日(金) 最強と呼ばれて僅か2日後に・・・17残塁で乱打戦に散る(3)

投手起用を含め、敗因は色々とあるだろう。でも、私はこの試合を決したのは気迫の差によるものが大きいと思う。途中、打球がキャンバスに二度も当たったり、完全な送りバント失敗が相手のミスでフィルダースチョイスになったりと、神懸かりとしかいえないような幸運が重なって東山が掴んだ勝利ではあるが、成美に比べれば体格も小さく、実力も劣る東山がただひとつ負けなかった「この試合に勝って甲子園に行くんや!」という強い意志こそが、日頃の練習の成果を100%引き出して勝利の女神を東山に振り向かせた。昨夏から京都で負け知らずだった平安に勝った、という事は成美ナインをほんのちょっと慢心させた事だろう。当然、田所監督はじめ成美の指導陣は引き締めにかかっただろうが、選手達は高校生、やはりどこかに隙が生じていたのかも知れない。一戦必勝、優勝候補に一発かましたろうと必至に戦いに挑んだ東山はその隙を見逃さずに風穴を開けていったという感がする試合だった。
それにしても、今年の東山はベンチの内も外も非常に明るい。どんなに点を取られても、どんなにプレーにミスが出ても悲壮感がない。全員がうつむかずに常に笑顔でいるようなチームカラー。昨夏に続いて昨秋もベスト16でコールド負け、春は格下校相手に5点差をひっくり返されて一次戦敗退と名門チームがここまで全く振るわずどれ程辛い状況だったのか外野の私には判らないけれど、相当苦しかったに違いない。その状態からこの明るいチームを形成まで持ってきただけでも、「目標人間育成、結果として甲子園」をうたうクラブとしては成功といえるのではないだろうか。2回表に無死満塁のピンチを天ぷら3つで0点に抑えたバッテリーを山崎監督がベンチで頭をなでなでしている光景を見ていて、あー甲子園が眼中に拡がってきても普通に野球を楽しんでいる感じでいいチーム状態だなー、と実感した。明日の優勝戦も部員59人による文字通りの「全員野球」で是非とも栄冠を掴み取って欲しい。

そんな東山の選手達と対照的だったのが成美の4番を任されていた大原くん。プロ注目の逸材と騒がれるも、自慢の打棒が全く振るわずここまでの打撃成績が1割を切るという状態で臨んだこの試合。初回のチャンス時にこそタイムリーを放ったものの、後は全て凡退。守備でも2失策、と完全に成美のブレーキ役となってしまった。彼の心中は恐らく何も出来なかった無念さと自責の念でいっぱいだろうが、北近畿最強といわれたチームの主砲を張っていたんだ、胸を張って今日の涙を今後の選手生活に生かして欲しいな。3,4年後か来年か判らないけど、是非ともプロ入りして日本のトッププレイヤーを目指して欲しい。


2002年07月25日(木) 最強と呼ばれて僅か2日後に・・・17残塁で乱打戦に散る(4)

負けた側にはその健闘を称えるのは当たり前の話だが、最後にひとつだけ負けた成美の選手の一部に敢えて苦言を放つ。自軍の最後のバッターが三振に終わり高校野球生活は終焉を迎えた。きっと最大の敵である平安を倒して後は甲子園に行くだけの筈だったろうからその悔しさは既に敗れた他校の選手よりも数段大きいだろう。それは痛い程よく判る。でも、最後の挨拶はきちんとして欲しかった。自らの最後の公式試合であり、3年間の選手生活を締めくくる挨拶なんだからしっかりやんなきゃ。即座にベンチに引き上げる数名の選手を見て、「これだから福商は・・・」と思わず言ってしまったやんか。でも、その直後に同じ成美の選手が笑顔で東山の選手達と握手を交わした後、ベンチ前に整列する途中で泣き崩れてしまった姿に思わず感情移入してこっちまで涙腺が熱くなり、そんな事はどうでも良くなった。全て力を出し切って戦い抜くも夢叶わず涙を流す―野球だけでなく様々な高校スポーツで数え切れない程見てきたこの光景。残酷だが美しいこの光景はそこに立ち会う度に見ているこっち迄もが苦しくなる。悔し涙でただの観戦者を辛くさせる位に完全燃焼した選手達に心からお疲れ様、と言いたい。今一度、福知山成美高校野球部の健闘を称えて本日の長ったらしい雑記を締めくくる。ただ、礼儀・挨拶だけはきちんとしようね...。

※追記 後に試合記録を見てみたら、東山の山内くんは秋季大会でエース並みにバンバン放っていました。活躍していたのに全然知らなくってごめんね...。

※更に追記 その後、成美のスラッガー大原くんはキャッチャーの横山くんと共にドラフト会議で指名され、スワローズに入団する事となりました(横山くんはバファローズ)。プロ野球界での大活躍を影ながらお祈りします。


2002年07月24日(水) 連覇なし、第1シードは勝てない・・・今夏もこのジンクスは続いた

(7月26日分の雑記です)
この日は西京極総合運動公園の野球場で高校野球の準々決勝が行われた。
第1試合は立宇治が山城に圧勝。先発の北村くんは昨夏の成美戦で初めて見た時に「こんな奴がついこないだまで中学生やったんかー、末恐ろしいなー」と思ったが、今年は一回りガタイがでかくなって球速もアップしており、来年以降の成長が恐ろしい。今大会優勝候補の一角で春にはあの報徳(フルメンバーじゃなかったそうやけど)に土を付けた大谷を下して準々決勝に進んできた山城だったが、完全に力負けしていたようだ。

第2試合は今大会屈指の好投手・大隣くんを打ち崩して峰山が快勝。久し振りにここまで勝ち進んできた(今の名前になってから初めてかな?)京都学園だったが、11残塁となかなか流れを自らに引き寄せる事が出来ずに敗退。早く古豪復活が果たせるよう、秋以降の活躍に期待しています。

第3試合は乱打戦。北嵯峨・成章を負かした洛水・永友くんに投げ勝った立命の谷角くんはヒットを打たれながらも要所を抑える粘投を見せたが延長戦で力尽きた。9回二死から同点に追いつき、4回戦に続いて延長戦を制した東山は2番手で登板したエースの関くんがよく頑張った。投手陣が踏ん張りきれれば、自慢の強力打線が必ず追いつき勝ち越す―今夏の東山はなかなかいい感じで勝ち進んでいる。

そして第4試合。4強入りした残り3チームの実力を鑑みてみれば事実上の決勝戦とみて間違いないだろう平安と成美の一戦。初回、平安のエース高塚くんがとんとーんと三振を連取した後、横山くんにボールをレフトスタンドに運ばれる。えっ、ストライクを取りに行ったボールが甘く真ん中に入ったんかなー、でも平安の事やからすぐに逆転するやろうなぁ、と思ったのも束の間、続く2回も成美に得点が入り、3回にもあっさり3点を奪われて昨夏甲子園ベスト8のエースがKO。逆に成美のエース安達くんは絶好調。打力に難あり、と言われ続けた平安打線ではあるが、3季連続優勝、今大会もここまで全てコールド勝ちと府内では向かうところ敵なしの打線である。その平安打線が大型扇風機と化している。7回表、スコアボードに「3」の文字が入る。8−0、まだ準々決勝だからこの裏の攻撃で2点取らなければ常勝平安がコールド負けしてしまう。んなアフォな、2点ぐらい返せるやろー、という期待も虚しく前の回から6者連続三振を喫して王者の夏が終わった。

安打数3、0−8の7回コールド完封負け。鳥羽も成章も大谷も学園も西高も花園も既にみーんな散っている。輝かしい歴史と共に常に京都球界の覇権を握ってきた平安高校が完膚無きまでにやられた。恐らく決勝のカードは福知山成美−立命館宇治になるだろう。別に成美は戦前からちょくちょく上位に来てはいるけれどもめきめき力を付けてきたのは校名変更以後、この夏は新鋭勢力が古豪の伝統私学数校に取って代わって京の高校野球の主役に躍り出た転機の年として記憶に残る事になりそうな予感がする。


2002年07月23日(火) バックネット裏、ナイター、団扇と珈琲が付いて600円也(前編)

(7月24日分の雑記です)
再び西京極へ。今年はKBSが準々決勝からしか中継してくんないから(KBSが潰れずにテレビ・ラジオの中継がまだ存続してくれているだけでも本来なら有り難い筈なんだが、年々明らかにやる気のない中継になってるし文句の一つも言いたくなるぅ〜)、観たい試合は自分で足を運ばねばなんない。4回戦に突入、そして大会も終盤に入り試合会場はここ西京極のみという事で、平日ながら観衆は結構多い。もう4回戦なのに誰もいない実況席(ちなみに、前回行った時には北部勢の宮津の試合という事でKBS舞鶴・福知山向けのラジオ実況を宮本アナがしていた)が寂しいな〜と思いつつ通路をうろついていたら、“KBSの偽カビラ”ことマック梶原アナウンサーが歩いてはった。サンガ戦の中継前に高校野球の取材なのかな。相変わらずKBSのスポーツアナは年がら年中フル稼働で大変そう。ネット裏のプロ野球なら物凄く高い料金を取られるであろうシートがまだ空いていたのでそこに腰を下ろす。

大会12日目第2試合、峰山高校対京都翔英高校。北部の雄・峰山は今年は強打が売り物のシード校。99年春以来の甲子園が充分に狙える戦力を持つ。翔英は洛北との投手戦を1−0で制した好チーム。この名称になってからは時々ベスト16前後まで勝ち進んでいる。好ゲームを期待していたのだが、峰山打線が圧倒、洛北戦では3安打完封と好投した納谷くんは味方のエラー5つにも足を引っ張られ9点を奪われた。後は両チームとも凡ミスが連発するわ合わせて18もの四死球で毎回ランナー出るわでダラダラの試合内容に。この展開でコールド勝ち出来なかった峰山はきちんとティームを立て直さないと今後の戦いは苦しいだろう。

第3試合は90年代の京都球界をリードしてきた京都外大西高校と東山高校の対戦。既に、第2試合の段階から両校のうちわを持った観衆がスタンドを埋めていたが、試合開始時刻が近づくに連れ場内の空気が張りつめていく。やはり双方落ちぶれたとはいえ、ビッグネームの対決とあって球場の雰囲気は結構重苦しい。東山は昨年の春に外大西にコールド勝ちしてはいるが、長年苦しめられてきた三原監督(この度復帰された)率いる西高を打破して勢いをつけたいところ。他方、シードの外大西としては昨春の大敗や3年前の大逆転負けの雪辱を果たしたい。強豪私学の意地と意地とがぶつかり合う。

1回表に西高が先制、すかさずその裏にガシ高も追いつき敵失で逆転。2回以降も打ちまくり、前半終了時には6−1。このままコールドゲームになってしまうのでは、と心配していたら今度は完全に西高に流れが傾いていく。6回に3安打3得点で反撃開始、以降毎回の様に連打を浴びせ、ついに最終回に8−8の同点に追いつく。9回裏、スコアボードにゼロの文字が刻まれた時点で外大西の勝利はほぼ決まったかと思われた。そして10回表に1点を挙げてついに勝ち越し。これで終わりだろうと大方の観衆が感じたに違いない10回裏にドラマは起こった。


2002年07月22日(月) バックネット裏、ナイター、団扇と珈琲が付いて600円也(後編)

一死一三塁とした東山はまずはセオリー通りに盗塁を決めて逆転の走者を二塁へ。直後に7番立本くんがきっちり犠牲フライを打ち上げて同点。二死二塁となったところで東山サイドは勝負に出る。代打、川上くん。マウンドの池田くんが放った直球を見事にミート。打球がセンターの頭上を越す。劇的なサヨナラ勝ち。照明灯からのカクテルビームの下で抱き合う選手達。場内アナウンスが試合時間3時間23分と告げる。実に壮絶な好ゲームでありました。

この日もミスが目立ったものの、今日のガシ高は大谷・京都西・平安との強豪対決を全試合劇的な逆転勝ちで勝ち進んでいった3年前のミラクル東山を彷彿とさせる勝ちっぷり。実に粘り強くて精神力の強い好チームだと思う。帰りの市バスを待っている間に東山の植山投手のお爺さんとお話をしたのだが、物凄く喜んでおられてこっち迄無性に嬉しくなった。秋、春、そして初夏の練習試合とボロ負け続きの試合の殆どを観てこられたお爺ちゃんにとって今夏の八強入りは語り尽くせない程の喜びがある。是非、お孫さんにも登板の機会がありますように。それにしても今日の試合はブラバンが格好良いお馴染みの学校同士の対戦で楽しかったな(実際は息詰まる展開で常時胃痛と酸欠状態だったが...)。敗れた外大西は1・2年生の多い若いティーム。三原監督も復帰という事でこの秋以降、また西高が京の上位を伺う様になりそう。ところでこの試合、外大西はのべ16人が出場し、のべ10人がマウンドに上がった。サヨナラ安打を打たれた主将の池田くんは初めライトを守っていて途中からピッチャー、一旦ファーストに退いて終盤以降は東山のバッターが左右変わる毎にマウンドと一塁を往復していた。ほぇ〜、これが百戦錬磨の三原マジックってえヤツかぁ〜、と半分関心、半分軽蔑。確かに今年の戦力ではこういうプロの継投みたいな戦術取らなきゃ勝ち上がれないのかもしれないけど、一応は「教育の一環」として行われている(嘘くせぇ〜)高校野球なんだから、そりゃ負けたらおしまいで3年生には次の試合はないけれども、そこまでして何が何でも勝ちに行くってのはなぁ〜(こんな私は勿論アンチ○京、アンチ○徳、アンチ高○連です)。それよりもガシ監督のヤマさん!!連続スクイズ失敗とかバント失敗の後は決まって盗塁敢行の采配ぶりはまあええとしよう、成功したら一気に流れを呼び寄せれるし。問題は伝令や。9回のピンチにナインを落ち着かせたいのは判る。でも、思いっきり規定回数使い切ってたやんけっ!!あれっ、あの子マウンドに走って行こうとしているけど、これって4度目ちゃうんけー、と思って見ていたら案の定主審の方に怒られてるやん。きっと伝令に走らされた子は判ってたけどよう監督に言われへんかってんやろなぁ...。

※追記 文中に出てきた植山くんですが、この次の準々決勝で先発、走者を背負いながらも粘り強い投球で見事チームに勝利を呼び寄せました。きっとお爺ちゃんも大喜びされていた事でしょう。ほんの十数分程度お話ししただけでしたが、お孫さんの健闘にこっちまで嬉しくなりました。


2002年07月21日(日) 熱闘スケッチ〜スタンドの中で外で〜(場内編)

(7月25日分の雑記です)
いやー、それにしても今年のガシ高は3年前のミラクルを彷彿とさせますな。各選手のヒッティングマーチもあの年と殆ど同じだし(色んな学校でよくチャンス時に使われるアッコちゃん風?orラーメン大好き小池さん風の曲と阪神の捕手や非主力打者の応援曲の代わりに、勝手にシンドバッドとSAMBA DE JANEIROが入ったぐらいかな)、柱となる投手がおらずバックもザルみたいな守備だけど打線は驚異的に粘り強い、という点もよく似ている。あの年も西高に嘘みたいな勝ち方してたっけ。ひょっとするとひょっとしたりして・・・。

昨日はネット裏で試合を観ていたんだが、お隣には少年野球の指導者らしき面々が座っていた。京滋エリアの野球場比較や球種の解説、昨今の京都球界戦力分析などをずーっと話したはるので、こりゃいい席に座ったなー、と耳をダンボにして聞いていたらこんな話が始まった。「いや〜、ウチのチームから5人程東山を受けさしてんけど全滅やってん〜。」おいおい、京都の私学の入試は大概に於いて内申重視で試験は飾りみたいなもん、ガシの専願なら平均3.5位の成績があれば余裕で入れてくれるやろーに(そもそも各校とも専願試験では一桁程度しか落ちひんしー)。ゆとり教育で我々の頃よりも内容も易しいそうやし、フツーにおべんきょしてればそれ位の成績取れるやろーに(今の京都市立の中学校が相対評価なのか絶対評価なのかは知らないけども)。少年野球に携わる人は純粋な意味で教育者とは異なるけれど、野球ばっかりやらして日々の学習がおざなり、ってのは如何なもんかと思う。それよりも東山の学園よ、あんたんトコは共学効果で絶好調のタニ高や公立にお客を取られて昨春100人前後の定員割れを起こした(ちなみに志願者数は微増してたらしい)んやろ?ここんとこ硬式野球部もさっぱりやし、ちぃーっとは下駄履かせてあげろよ。あまりにも野球バカなのはアレやけど、野球に秀でているってのも一種の特技なんとちゃうかなぁ。ま、文武両道主義でごく普通の生徒が各運動部のレギュラー選手になっている、というのが東山のいいところではあるんだが(もしこの学校が訳の判らん進学校化を図ったり、各地から有望選手をスカウトするようになったら私は応援するのを即座に辞めるだろう→そういや割と府外者の含有率の高い卓球部はどうなんやろ〜?)。学校の思惑に関係なく、そこに憧れた中学生が自らの意志で集まって切磋琢磨してティームが強くなっていく、ってのが私の理想の高校スポーツなのだが、綺麗事すぎるかなぁ...。


2002年07月20日(土) 熱闘スケッチ〜スタンドの中で外で〜(場外編)

さて、3時間23分の試合が終わり、安堵感とどっと押し寄せてきた疲れをせたろうてサンガ戦を見に来た人々の濁流を鮭のように這い上がってバス停に向かっていたら、突然「すいませ〜ん、京都駅に行きたいんですが道が判らなくって〜。」と女子高生3人組が現れた。行き方を教え、どうして京都駅みたいなすぐ行ける場所(西京極のプールの前からバス一本)への道順が判らないのかと怪訝な顔をしつつ尋ねてみたら、何でも京都・奈良に修学旅行に来ていて、自由行動の日にたまたま新聞を見たら京都西−東山という知ってる学校同士のカードがあったので折角だから観戦しにやって来たとの由。確かに寺社仏閣ばっかり参詣しても退屈やろうしなぁ。それにしても行動力のあるすごい連中だぁ。なにげに応援していた東山が物凄い勝ち方をしたし、うちわやお茶も貰えたし、とってもいい想い出になりました〜、という彼女らが「どうして京都の代表は私立の学校ばかりなんですか?」と聞いてきたので、「京都が革新府政だった頃に総合選抜制度ってのが導入されてねぇ〜(中略)それでみーんな私学に流れるって訳。ほんで、一応公立にも幾つかの府立校に三類体育コースというのがあって、鳥羽や西城陽、久御山といったところは毎年有力校なんだよー。」と事細かに教える。その後、往路のバスが怖かった、という話をするので、思わず我々京都市民の公然のタブーであるあの問題を説明してあげようかと思ったが、引くだけやろうし京の街に良い印象を持って帰って欲しかったので自主規制。嗚呼、それにつけても硬式野球はいいなぁ〜。我々なんて他府県からわざわざ試合を見に来るヤツいないもんな〜。あっ、でも天理の試合を観戦しにわざわざ奈良まで行ったっけな、拙者...。


2002年07月19日(金) 紫うちわと虫網と・・・(1)

(7月21日分の雑記です)
ふらーっと西京極に行く。ふらーっと、と言っても我が家の前から日に数本出ている(地下鉄開通するまでは1時間に4本はあったのにぃ...)三条京阪行きのバスに乗って50分程かけて河原町まで出てから阪急に乗り換えて・・・あーしんど。それにしても、阪急はどうしてああもコロコロ列車種別や停車駅を変更するんだろう。急行が京都口で各駅停車になってるなんて知らなかったよ。昨年は太陽が丘球場でのみ観戦、一昨年は1試合も観られず、という訳で実に3年ぶりの西京極での野球観戦。3年前と言えば今から試合を行う東山高校があのミラクルを連発してたっけ。今年はかなり弱っちいティームだけど、勝ち負け関係なく兎に角いい試合をやってくれる事を信じて、駅前のコンビニで飲み物を仕入れ、線路下のトンネルをくぐり、相も変わらず信号のない横断歩道を渡り、石段をとんとんと上がった後に天神川を跨いでやっとこさ(←この間所要90秒)野球場に到着。泣きじゃくりながらミーティングをしている洛北の選手達が視界に入る。月並みな表現だが、勝者があれば必ず敗者がある。全国制覇した学校以外は皆いずれは通る道である。3年生はこれで引退になるだろうが、悔いなく全力を出し切れただろうか。辛く厳しくもありちょっぴり楽しくもあったこの3年間の経験を今後の糧としてこれからも頑張って欲しいな。心の中で彼等にエールを送りつつ歩を進め正面ゲートへ。切符を買って、一塁側スタンドに足を踏み入れる。夏の西京極の独特な雰囲気が自ずと気分を盛り上げてくれる。でも、物凄く暑いなー。あっ、屋根の下の席は既に埋まりきってるやん...。

京都大会第9日西京極球場第3試合。三塁側は宮津高校、一塁側に東山高校、大正年間からここ京の地で活躍してきた学校同士が4回戦進出を賭けての激突である。歴史の長い学校同士の一戦、しかも日曜日という事もあって大勢の人がスタンドに詰めかけている。こんな大観衆の中で試合の出来る選手達が羨ましい。やっぱり硬式野球は華があっていいなぁ。太鼓の連打と拍手が巻き起こり、両校選手がダッシュで中央に整列して挨拶、宮津のナインが守備に散り、東山校歌、攻撃前のファンファーレ(国士舘高校の安打時に吹かれるものと同じメロディー)に続いて試合開始を告げるサイレンがけたたましく鳴り響く。1回表、ぽんぽーんっと東山が3点先制。おっ、こりゃ一方的な展開になるかも、と思ったのも束の間、失策と四球が続き、宮津は労せずして同点に追いつく。なるほど、東山が前の試合で被安打5かそこらにも関わらず大量失点していたのもうなずける。今年のと〜ざんにはひとつのミスから連鎖的に大量失点してしまう様な守りの脆さがある。早い目にそれを何とかしなければ上位進出はかなり難しいだろう。せめて最少失点で抑えられるようにはならなければ。


2002年07月18日(木) 紫うちわと虫網と・・・(2)

この日の東山の先発は背番号10を付けた2年生右腕の木村くん。立ち上がりの連続押し出しを観ていた時にはこりゃ3イニングも持たへんな〜、と思っていたのだが、続く2回の裏には三者連続三振。ここから完全に立ち直る。6−3と東山がリードした3回以降、宮津打線はほぼ完全に押さえられ、他方東山は毎回得点圏に走者を進めるも残塁の山を築き試合は膠着状態。少しダレてきたので、試合を眺めつつ、球場内の様子を観察する。外野の芝生席では小学生が大きな網を手に虫取りに興じている。おいおい、なして野球観戦に虫取り網を持っているのだ?ホームランボール狙いなのか端から昆虫狙いなのか果たしてどっちなんだろう...。続いて内野席に目を転じる。京都ではお馴染みの東山うちわが大人気な様で、老若男女が続々とうちわを求めて東山応援席に。便乗して私も数枚ゲットする。不思議だったのが他校の野球部員が嬉しそうに紫のうちわを手にしている光景。成章・外大西・鳥羽・京学・立宇治・峰山・乙訓といった強豪校の制服を着た丸刈り少年達が満足げにうちわを持ち去っていく。私の後ろにいた花園の2年生は「おいっ、アレ貰ってこい」とパシられていたし、翔英の控え部員に至っては10枚以上抱え込んで走り去っていった。そんなに価値があるもんなのか、私が手にしているコレは?と少し扱いを丁寧にする。余談だが、前方に座っていたガキの御一行様が、宮津のブラバンが鳴っている時だけ東山のうちわを打ち鳴らしていたのだが、何か恨みでもあったのだろうか?話が大分逸れたが、終盤に東山3点、宮津も山崎くん河島くんの連打で得点して9−4で9回裏を迎え、そのままゲームセット。少し中だるみした感も否めないが、なかなか面白い試合でありました。

負けた宮津の方もピンチで三塁手がファインプレーをしたり、点差が開いてからも気迫の打撃を見せたり、と随所に見所のある好チームでした。東山の方は控えの木村くんが7被安打完投、3安打の主砲・梅田くんを中心として打線が相手3投手から17安打の大活躍、と収穫が多かったものの、ザルの様な守備にことごとく犠打を失敗するなど、課題面も顕著に現れていたと思います。ただ、印象的だったのがスタンドの控え部員達。物凄く元気で明るい。積極的に一般客もリードしていてなかなか好感が持てた。ただ、相手投手の制球が乱れてきた時に「ピッチャーびびってる〜ヘイヘイヘイ」とやるのは幾ら何でも相手に失礼だと思う。少年野球やないんやし。そんなこんなでさてそろそろ帰ろうか、と荷物をまとめていた時に耳にした宮津側のエール交換。「フレッフレッひがしやま〜」X2。おいおい、随分とガシも落ちぶれたもんやなぁ...。

※註 東山高校へのエールは通常「フレッフレッとうざん〜」というのが京都球界での慣例になっています。


2002年07月17日(水) 京の佛教系男子校各校は未だにグラウンドで合掌してんのかなぁ?

今年はかなりしんどいであろう私が愛してやまない東山高等学校の甲子園への道・第1戦。周りは仕事だ試験だで皆忙しく(そうでないのも若干名程おったようだが)、一人であんな遠い野球場=灼熱地獄に行くのもためらわれたので、大人しく親の頼まれ仕事を黙々とこなしつつ、速報サイトのスコアボードを凝視する。中盤、相手チームの所に「5」の表示。がくっ、仮にも戦前から京都球界を引っ張ってきた名門チームのエースが緒戦で1イニング5失点もするかぁ(後日談だが、この失点は失策絡みでボロボロと奪われたらしい、んで蛇足だが一応相手校の西城陽はご存じの様に甲子園出場経験もあってここ2年間は常に東山よりも上位に進出している三類体育コース設置のかなり強い好チームなんだが...)と一気に意気消沈。あー見に行かなくて良かったよ、せめて完封負けはするなよー、と祈りつつ数十分経過。6回裏にやっと1点。ほっとしてたら7回裏に「5」の表示が。ぎゃ、逆転しとる。8回表相手は0点、うしっ、ひょっとしたらひょっとするぞ〜、と少し期待が出てきた所で8回裏の空欄に「3」の文字。うそー、4点リードやん、このまま逃げ切れ〜、と祈りつつスコアボードを見つめる。5分、10分、15分、20分・・・。一向に画面が変化しない。うわ〜、9回表に怒濤の攻撃喰らってるんや〜、今のチーム力やと4点ぐらいすぐに取られそうやしなぁ。心配で仕方がないので2つの速報ページをひたすらリロードしまくる(どこぞのネット市民による抗議活動みたいだ・・・)。そっから数分が過ぎ去り、やっとボードに0、そして試合終了の文字が入った。はぁ、なんとか勝ったよ。で、数時間後に試合詳報が出ていたので読んでみると、ガシ高はホームラン2発ぶっ放して逆転、ダメ押ししたらしい。あーん、やっぱり観に行ったら良かったよぉ...。今年のKBS京都の中継スケジュールはラジオは準決勝、テレビは準々決勝からだそうで、こりゃ今年はせっせと西京極まで通わんにゃいかんようだなぁ。次もなかなか手強いチームとの対戦やけど、なんとか勝って、ついでにその次の試合でなんども涙を飲まされてきた、あの名監督の復帰したあそこを打ち破って、せめてベスト8には行って下さい。いや、そんなちっせえ目標はいかん、99年みたい(全く前評判が低かったチームが全試合神懸かり的な逆転勝ちで準優勝)な例もある、おいお前ら、絶対に甲子園に行くんだぞぉぉぉっ!!!

※追記 この時点では半ば冗談で書いていましたが、周知の通りこの弱小チームは本当に奇跡を起こしてしまいました。近年の東山にはきっと何かが憑いている・・・。


2002年07月16日(火) 湖国の球児達に幸あれっ!!(前編)

(7月19日の雑記です)
昨夏、近江高校が「3本の矢」の投手リレーで見事に準優勝に輝き、ようやく近畿最弱の汚名をすすぎつつある滋賀の高校野球。なんせ一県一代表制度になる1978年までに夏の甲子園に出場したのはたったの8回(うち4回は記念大会で予選は滋賀だけ、ちなみにその間センバツへは14回出場)。ことごとく京滋・福滋大会で負け続け、甲子園での夏初白星はなんと1979年(全国最後)という不名誉な記録まで存在する。余談だが、私が高校3年生だった年の初夏、我が校の硬式野球部員が交流試合で比叡山高校に22点差で圧勝し、クラスメートの硬野部員からそれを聞いて、うわー凄いなー、あの叡高に圧勝したんやし、こりゃこの夏は絶対に甲子園に行けるぞ、と同級生らと大興奮していたのにその後母校は予選の準決勝で敗れ、件の比叡山は順当に滋賀大会を勝ち上がって甲子園出場を決めて物凄く恨めしかった、ってな想い出がある(きっと大敗後に彼等は死に物狂いで切磋琢磨して見事に甲子園切符を勝ち取ったんやろうなぁ)。そんな「弱小県の代名詞」とか「近畿のお荷物」等と揶揄される滋賀ではあるが、近年は秋の近畿大会で勝ち星を挙げてセンバツに出場したり、現ベイスターズの村西投手が悲運のエース(春夏とも優勝校相手に素晴らしい投手戦を演じたが、どちらも打線の援護なく力尽き完封負け)として甲子園を湧かせたり、前述の近江の活躍があったりと存在感を示しつつある。とはいえ、県の予選を勝ち上がって甲子園に出てくるのは一握りの学校。ここ15年でみてみると伊香・八幡商(以降4連覇)・近江・近江兄弟社・近江・比叡山・近江・比叡山・近江・比叡山・八幡商・近江、とほぼ3強状態にある。別に露骨な囲い込みの話も聞かないので、県内の有望選手がみんなこの辺の学校に集中しているとは限らないが、その他の学校の試合は実にほのぼのとしている。


2002年07月15日(月) 湖国の球児達に幸あれっ!!(後編)

数年前に私が観た試合では、満塁ランニングホームランあり、サイクルヒットあり、おまけに5回コールドながら完全試合、なーんていう物凄い試合があった(ちなみに負けた方の学校は今夏は順当に勝ち上がっていたりする)。そんなある意味で目が離せない滋賀大会の1回戦。

BBCテレビをつけると、今春惜しくも甲子園を逃した彦根東高校と伊吹高校の試合を中継していた。3−1と2点リードを奪われた彦根東が一死満塁のチャンス。動揺したのか、投手の制球が定まらず押し出しで1点差。そして次の打者。スクイズの構え。それを読んでた伊吹バッテリーが上手く外してスクイズ失敗。三本間にランナー挟まれる。あーっ、送球が逸れたぁーっ、同点だぁーっ。おぉーっと、今度は本塁への返球までとんでもない方向にぃーっ。その間にもう一人生還して逆転。気落ちする伊吹の選手達。おおっ、またスクイズだぁ、でも今度もバッテリーは外したぁ、今度は慎重に飛び出した走者を追い込んでサードにボールを・・・またしても逸れたぁぁ!!ノーヒットで2点差にぃぃ。こうなれば、後は番付通りである。彦根東の勝ちは決まりやな、とテレビを消す。

翌朝、新聞を見る。7−5で彦根東の勝・・・いや、負けとるやんけー。見出しには「伊吹、敵失に乗じ決勝点」とあった。やっぱり、高校野球ってえのは往々にして四死球とエラー絡みで勝負が決まるのよねぇ。打線は水物、一発勝負のトーナメント戦では守り勝つ野球が出来る所でないと上位は伺えないんやなー、としみじみ痛感。


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