TWILIGHT DIARY
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2002年12月30日(月) つつがなく。。

今日は、今年最後の仕事を終えた。

街を行き交う人達は、愉しそうに語り合いながら歩いている。
本当に年末なのだなぁ、と思う。

今、おせち用の堀川牛蒡を煮ながら、書いているが、
何もしなければ、いつもの冬の日の夜である。

さて、今年も残すところあと一日。

つつがなく、年末年始を過ごしたいと思う。





2002年12月29日(日) おせち料理の仕込み一日目。。

今日は、一日オフだったので、昼すぎから、娘とデパ地下でお正月用の買い物。

橙(だいだい)や、堀川ごぼう、小田原の蒲鉾、伊達巻。
お抹茶用のお菓子などを購入した。
娘は新しいお茶杓。

あまりに混んでいたので、予定していた全部の品目を買わずに、
後は、明日買うことにして、引き上げた。

夜に、まず日持ちのするおせち料理の何品か作り始めた。

去年はおせちの準備する時間や、作る暇がなかったので、
すっかり、おせちの作り方の勘を忘れてしまっている。

それで、まず何冊か、おせちの作り方の出ている本を取り出して、始めた。

今日は、黒豆の仕込み(砂糖蜜に生の豆を浸けておく。次の日に煮る。)と、
ごまめ(田作り)、紅白なますを作った。

おせちを作る家庭が、少なくなっているそうだが、わかる気もする。
作り方自体は難しくはないが、一品一品に時間や手間がかかる。
それに家庭用のガスコンロには、通常二口、多くて三口しかついていない。
一度に全部作ろうとすると、それは絶対に無理である。
時間を逆算して、始めなければならない。

三日前ぐらいから、日持ちのするものを少しずつ作り始めると、
大晦日の日に、うま煮ときんとんさえ作れば、結構な品数になる。

さて、今年は何品くらい作れるのか、ぼちぼちとマイペースでやろうと思っている。









2002年12月28日(土) 歳の市。。

今日は、今年最後のラジオ番組の生放送日であったが、
思わぬところで、年末の渋滞にはまり、車が動かない。

スタッフに電話で連絡して、何とかつなげてもらい、
5分遅れで到着、無事、番組を始める事が出来た。

年末の渋滞は凄い。
所々で、予想以上に混んでいて驚いた。

混んでいると、変な所で横入りしてきたり、
信号無視もする車もたくさんいて、
かえって渋滞をひどくする。

進まぬ車の中で、何だかなぁー、と思い、局に連絡した。
無理に急いで事故を起こしたら、それこそ洒落にならない。

「もう、なるようにしかならない」と思って、窓の外をふと見たら、
普段には見られない、歳の市をやっている通りに出くわし、
なかなか進まない車の中から、つい眺めてしまった。

お正月のお飾りや、松や千両などの生花などが売られている。
お餅を山ほど売っている出店もあって、この季節ならではの雰囲気である。

季節のものを仕入れようと、お客さんもたくさん賑わっている。
市(いち)がたつ、というのは本来こういう事かもしれない。

つかの間、一瞬の歳の市をめぐる小さな旅のようであった。



2002年12月27日(金) 盆栽と門松。。

いつも通っている花屋さんのウィンドウに、
寄せ植えの盆栽が飾られていた。

小さい白梅・紅梅や、松などが、お行儀良く、盆栽の鉢に植えられている。
盆栽だが、箱庭のようで愛らしい。

少しの間、眺めようとしたら、前を歩いていた人も、
そちらに気をとられて、見入っている。

こんな年末の人ごみの中、
同じように感じる人もいるのだと思うと、なんだか愉しくなった。

今どき、家の前に門松を立てるお家は少ない。
その愛らしい盆栽は、門松を見る気分に近いのである。
門松の代わりに、欲しくなる。

小さな頃、家に門松はたっていたが、
毎年、時期になると、知り合いの人が作ったのを持ってきていたように思う。

真白い雪の積もった家の周りに、その青々とした門松が立つと、
そのきりりとした姿と切り立ての松の匂いが、
気持ちを引き締めてくれたものである。

年末年始用のその寄せ植えの盆栽もなかなか姿が良い。
誰が考えたのか、今の住宅事情にぴったりな門松、或いは小さな庭のようである。



2002年12月26日(木) 罪と罰。。

毎日、帰宅してから、ニュースをチェックしているが、
今日は、立てこもり事件があったそうで、驚いた。

夕方から、仕事で動いていたので、ニュースを見る暇がなかった。
深夜、犯人は逮捕されたそうだが、事情が複雑である。

日本は法治国家であるし、例え、どんな事情があるにせよ、
法を破り、人に迷惑をかける事を、誰にも肯定は出来ない。

だがそこまでして、彼を決意させたものはなんであったか。
彼にはもう、失うものはなかったのだろうか。

何ヶ月か前に、ドストエフスキー原作の映画「罪と罰」をTVで見た。

「罪」には法で裁かれるものと、そうでないものとがあり、
その「罰」にも、法によって下されるものと、そうでないものがある。

明白なのは、人間そのものにとっては、「罪」というのは、
法に関わらず、日常のいたる所に満ち溢れている。

法や文書では正しい事が、人間的に見ると、
「罪」になることだってありうるのである。
だが、法的に見れば、法を破った方が「罪」であり、
当然「罰」を受けなければならない。

だから尚更、こういう事件のニュースを聞くたび、
何故そこまでしたのか、と疑問に思うのである。




2002年12月25日(水) ハンガリー・クリスマス・コンサート。。

深夜、帰宅してTVニュースを見た後、
BSで「ハンガリー・クリスマス・コンサート」というのを見た。

ハンガリーのオーケストラに何人ものソリストが絡む。

まずびっくりするのは、ハンガリーではバイオリンがまるでお家芸で、
日本でいうところのお三味線や民謡、和太鼓の世界のような感じなのである。
年齢も様々な名手が、次から次と出てきて腕を競い合う。

ハンガリー舞曲では、本物のハンガリアンダンスが繰り広げられ、
サラサーテのツィゴイネル・ワイゼンが、
ルバートたっぷりで、のびのびと歌い上げられる。
まさしくお家芸である。

と、油断している間に、難曲が多いパガニーニも、
まるで水を得た魚のように、早弾きも軽々こなし、完璧な出来なのである。

たまに、趣向で猫や雲雀の声のように弾かれる、
様々な色合いのバイオリンの音が、
歴史を感じさせる重厚な古い建築のホールに響き渡る。

司会の方が、
「1944年のクリスマスはハンガリーも戦争でたいへんでした。
今でも苦境や廃墟の中、過ごしている人々がいると思うと胸が痛みます。
全ての人が平和にクリスマスを過ごせるように願っています」
というような意味のことを、喋っていたが、
クリスマスというのは、誰でも、人々が愉しく幸せに過ごせるように思いを馳せる。
結果、平和を願う日でもあるのだなぁとふと思った。


すべての人に、平和なクリスマスを。



2002年12月24日(火) クリスマスイヴに竜馬がゆく。。

今日は、クリスマスイヴ。

昼間に一本仕事があり、それを済ませて一度家に戻り、
家族でちょっとだけクリスマスチックな食事。
夜の仕事の前に、文学講座「時代小説の世界」を受講。

今回は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」である。

この数日間で、第一巻だけを読んだ。
司馬さんのファンが多いのも頷ける。
まず非常に読みやすい文体で、すんなりと読み進む。

維新の風雲児と言われる竜馬。

出だしの、竜馬が江戸に発つ前、郷里での乙女姉さんにからむお話のところから、
私は「竜馬がゆく」をもとに制作された数々のTVドラマの映像が頭に浮かんだ。

竜馬のキャラクターは、魅力がたっぷりである。
司馬さんの語り口や、会話のテンポの良さも手伝って、
その魅力にひかれていく。

小さな頃はいじめられっ子、青年時代からは剣豪。
だが、ここぞと言う時までなかなか剣は抜かない。
豪快かと思えば、ナイーブ。
髪型や身だしなみにはあまり気を使わないが、ある一部分では潔癖症である。
動乱の維新の時代の中、色々な人との出会いがあり、
多くの人に愛され、頼られるが、自分では意外と人に頼らない。

三谷幸喜の「竜馬におまかせ」はドタバタコメディだが、
司馬さんのこの「竜馬がゆく」を読めば読むほど、
千葉道場のお坊ちゃん千葉重太郎に別所哲也、人斬り以蔵に反町隆史、
竜馬に浜ちゃんのキャストが目に浮かび、
不思議なほどにキャラクターがはまって、読書が愉しかった。















2002年12月23日(月) 映画「キスへのプレリュード」。。

深夜、TVをつけたら、
メグ・ライアンの映画「キスへのプレリュード」をやっていた。

実をいうと、私はどうもメグ・ライアンの恋愛映画は得意ではない。
というより、恋愛映画そのものにあまり食指が動かない。
小説も、いわゆる恋愛ものはほとんど読まない。

だが、ついつい見てしまった。

何故かと言うと、その映画の内容が、
ほとんど、大島弓子のある漫画のストーリーと、酷似していたからである。
他にも、似たような設定やストーリーは結構たくさんある。

ネタばれになってしまうのかも知れないが、
そこはちょっとだけ古い映画なのでお許し頂いて、
平たく言ってしまうと、人の心が一瞬で入れ替わってしまうお話である。

ここで、問題になるのは、入れ替わったのは人の心だが、
本人にとって、入れ替わってしまったのは、身体の方である。

さっきまで、新婚の花嫁だったはずが、
もう余命いくばくもない老人になってしまう。

それがいきなりでは、本人にも、パートナーにとってもそれは残酷な事である。

大島弓子の他の漫画で、人より早く老いてしまう女子高生のお話もあり、
それも読んでいてなかなか酷な話であった。

年末にこういう映画を見てしまうと、なるほど年をとるのは、
普通どおりに一つずつ取っていきたいなぁと思ったのであった。







2002年12月22日(日) 冬至。。

今朝は、今冬二回目の厳しい冷え込みだったそうで、
北海道中、マイナス二桁な気温である。

冬至は、ゆず湯に冬至かぼちゃがいいそうだが、
家は、気分がクリスマスモードに入っていて、
主人が、照り焼きチキンレッグとお刺身を買ってきた。
それで夕食は、昭和の時代のクリスマスの食卓のように、なった。

紅しょうがや錦糸玉子をのせた五目寿司に、
お刺身と照り焼きチキン。
それに日本茶。

あとから、チョコレートケーキを焼いたが、
なんだか、あのバタークリームのピンクの薔薇や、サンタさんのろうそく、
真赤なチェリー、銀色のアラザンがのった昭和の時代のケーキが懐かしい。

明日にでも、ちょっとケーキ選びしようかな、と思った、ちと昭和風な冬至の食卓であった。







2002年12月21日(土) チェロの音を愉しむ。。

今日は、wakaさんがチェロを持っていらした。
習い初めて八ヶ月だそうである。

演奏会などでは聴いてはいるが、
間近で、チェロの音を聴くのは初めてである。

ちょうど、店にいた方たちが、
チェロの生音を聴くのをとても楽しそうにしていたので、
習いたての曲を無理を言って、演奏していただいた。

生音を愉しむ、というのはこういう瞬間だと思う。

「弾かせて貰いませんか?」という方がいて、
おもむろにチェロを弾き始めると、
なんだかコントラバスのような、重い響きがする。
よくよく訊いてみると、その方は、
学生時代にコントラバスをやっていたそうである。

店中が、チェロの音を愉しんで、われもわれもと弾かせていただいた。

弦が鳴る音は、いいものである。

しばらくの間、BGMも何もない中、
ただただ皆んなで、チェロの音だけを愉しんだのである。





2002年12月20日(金) 童話ももんがさん。。

皆さん今日は、ももんがさんにあった時の事を、特別に童話にしてお話します。

今夜、ネット上でお付き合いしているももんがさんに初めて会いました。

ももんがさんは、今日は人間でした。

「今日は、この服なんです。」と人間の服を指差していました。

でも、その服はいつも着慣れている服のように私には見えました。

隣には、日本人離れしたkさんという人が一緒にいました。

ももんがさんと、日本語じゃない言葉で話しています。

私はどうしようかと悩みましたが、
その人は、日本語で「kです。」と自己紹介なさいました。
それで、安心して私も自己紹介しました。

そのあと「ヒズ・ハンドルネーム・イズ・モモンガ」と私は言いました。
通じたかどうかは、よくわかりませんが、通じたみたい。

「それではまた〜♪」と言って、私は仕事に出かけました。

そうその通り。ちゃんとお話する暇が全くありませんでした。

はるばる来ていただいて、ごめんなさい。ももんがさん。

これで、今日の童話:ももんがさんのお話、を終わります。



2002年12月19日(木) 風邪再び。。

ごうさんも風邪をひいたらしいが、私もひいた。

昨日から、何だかひどい頭痛があって、何だろうと思っていたら、
今朝から、鼻の調子がどうも良くない。

完璧に鼻かぜである。

今回また、重い病気でなくて良かったとは思うが、
鼻かぜも、結構歌にひびく。

葛根湯やら、風邪薬やら、色々とやってみたが、
お水が次から次とお出ましになるのである。

帰宅後、鼻の周りにヴィックスを塗ってみた。

ミントの匂いはするし、スースーして気持ち良いが、
いらないお水の供給(笑)は、まだまだ続いており、
年の瀬だというのに、本当に困ったものである。

今日一日で、鼻の周りが非常に痛い。

この鼻かぜは、早く治してしまいたい。
イヴに真赤なお鼻のままだと、いやはや、しゃれにならないのである。



2002年12月18日(水) 山中千尋トリオ。。

今日は、CDショップで試聴して何枚か購入した。

JAZZのクリスマスコンピレーションアルバム、
ピアノトリオやヴォーカルものを数枚。

さて、その中の一枚、
ニューヨークで活動中の山中千尋トリオを初めて聴いた。

彼女にとって二枚目のCDだそうだが、
とてもいい音で日本人贔屓を無しにしてもうまいし、
新鮮で自由でありながら、巧いコントロールと計算された音作りに驚いた。
それに、ピアノがよく歌っている。

彼女は、「八木節」を取り上げており、
それがなんとも緊張感のあるダイナミックなアレンジで、
これが本当に「八木節」か?と思うほど、疾走感もあり、聴かせる。

才能は、色んな所で着々と育っているのだな、と思う一枚である。
是非、ラジオで取り上げる機会を持ちたいと思う。








2002年12月17日(火) 庭駆け回る。。

今日は、昨夜来の雪で、午前中は交通機関もマヒしていたらしい。

家の周りも見渡す限り真っ白で、
猫やら犬の足跡が、あちらこちらにたくさんついていて可愛い。

バラバラの足跡を見てると、
よくもまぁ、こんなにアトランダムに歩けるものだと感心する。

真っ直ぐに歩いたと思えば、
途中から何の理由もなくカーブしたり、円を描いていたりする。

そうかと思えば、飛び回ったのか、たまに足跡が途切れていたりする。

雪が降る前よりは、気温が多少上がり気味なので、
お出掛けや散歩が、楽しいのかも知れない。


犬だけでなく、猫も雪を見ると、庭駆け回る、のか。。



2002年12月16日(月) 黒豆。。

今日は、丹波の黒豆を買ってきた。

「飛切」というシールが貼ってある大粒のを、いつも使っているので、
それを購入したが、その隣にそれより一回り大きい黒豆を発見した。

「極大粒」と書いてあるその黒豆は、確かに大きいが、
価格も大きい(笑)ので、今回は買わなかった。
ちなみに「飛切」の1.5倍のお値段である。

だが、「飛切」でも、煮上がると充分大きい。
柔らかくて、こくのある味の黒豆である。

黒豆の煮方は難しいとよく言われるが、
黒豆の袋の後ろの方に出ている煮方と調味料の分量を、
そのまま忠実にやると、ちゃんと柔らかく美味しく仕上がる。

後は、お醤油味が強い方が好みのお家や、薄味が好みのお家など、
本当にそれこそ、お好み次第である。

年末、この「飛切」を、味も飛切に煮たいものである。









2002年12月15日(日) えひめ丸に思う。。

今日は、あのえひめ丸に衝突した潜水艦の艦長が、日本で追悼、謝罪した。

えひめ丸の事件を思うとき、ふと私の頭に浮かぶのは、
映画の「白い嵐」である。

学生の楽しいはずの卒業航海で、突然、魔のような嵐に遭遇し、海難事故にあう。
船長は必死に、船のたて直しと、子供たちの救出を試みるが、
努力も実を結ばず、船は沈没し、何人かは、犠牲になってしまう。

沈没する船に流れ込んでくる大量の海水に泣き叫ぶ子供たち。
途中から、あまりに可哀想で、見ていられなくなるほどである。

映画の後半は、その船長の責任をめぐる裁判になる。

「白い嵐」は、誰にも予測できない局地的な異常気象であり、
船長は悪条件においても、精一杯対処している。

だが、えひめ丸のケースは、事件の発端がまったく人為的なものであり、
その責任は計り知れない。

奪われた生徒たちの将来や、家族の心の痛みを思うと、
その人為的な衝突の一瞬を、誰もが憎まずにはいられない。


犠牲になった子供たちのご冥福をお祈りしたいと思う。










2002年12月14日(土) 事始め。。

昨日は「事始め」。
新年を迎える準備を始める日である。

昨年は、12月にコンサートをやったので、
準備もままならず、クリスマスも年越しも、
手をかけて何かをするという事が出来なかった。

それで今年は、実は年末にかけて仕事が入っていて休みはないが、
暇を見つけてはクリスマスケーキを焼いたり、
おせちの準備をしたいなぁと思っている。

家で、おせちの三段重や五段重を作るとなると、
おせちの材料の買出しは、一度では済まない。

だがまた、それが楽しみでもある。
お気に入りの丹波の黒豆をデパ地下に探しに行ったり、
ごまめや、ちょろぎ、美味しい伊達巻、美しいお干菓子などを選んだりしたい。

そういった細々(こまごま)としたものを、
ゆっくり時間をかけて、一つずつ選んで買い揃えていくと、
何となく気分の方も、新年を迎える気持ちになっていくものである。

とかく年末というのは、
一年を振り返ってネガティヴな思考に陥りやすい。
だが、この「事始め」によって、一年を決算することよりも、
新年を迎える準備に気持ちを切り替える。
その方が心構えとしては、とてもポジティヴで、行動的である。

先人の知恵なのかも知れない。





2002年12月13日(金) ささら電車。。

今日は、朝方の降雪で、ささら電車が初出動した。

ささら電車と言うのは、札幌の冬の風物詩の一つで、
積雪があると、路面電車が安全に走行できるように、
線路上を綺麗に除雪する電車である。

電車の前面の下方に、細い竹で出来たブラシのようなものが付いており、
それが走りながら回転して、雪を飛ばす。

その竹でできたブラシのようなものが、ささら、である。

何回か、走行しているのを見ているが、気持ち良いほど、綺麗に雪を飛ばす。
大雪の時は飛ばす雪の量も多くて、見ていて爽快である。

家にも、一台欲しい程である。

あのささら電車があれば、
玄関から駐車場にかけての雪かきが、ほんの一瞬で終わるはずである。

家の前には10台ほど置かれている駐車場があり、
だがそこを通らないと、道路に出られない。

あぁ、あのささら電車があれば、冬が快適に過ごせるのだが。。






2002年12月12日(木) ピアニッシモ。。

今日は、深夜から雪が降り続いて、街中が真っ白である。

さて、帰宅してから、あるピアノソロのテスト録音を今聴いている。

ピアノの音というのは千変万化で、音域もオーケストラ並みに広い。
よって録音方法も、マイクの本数、マイクの種類や指向性、
マイクの立ち位置などで、全然違った印象になってくると思う。
私はエンジニアではないので、要は聴こえてくる音が好きかどうかである。

ピアノの音で、ちょっと思い出したことが一つほど。

それは私がまだ高校生の頃、レッスンに行った際に、聴いた音である。
先生は音大の教授だったので、音大生だけでなくピアニストもレッスンに来る。
入室前に弾いている人がいても、ノックして、
黙ってドアを開けることになったいたので、
その日も、誰か弾いていたが、ドアを開けた。

開けた瞬間、そこはコンサートホールかと思われるような大音量で、
何かのピアノ協奏曲のソロ部分のような音が部屋中に広がっていた。

うわぁ、と思って聴いていたら、何のことはない、
それはスケールをただ弾いていただけだったのである。

私は、それでかなり圧倒されたが、
「彼女も色々とたいへんでね」と先生はおっしゃっていた。
大音量でバリバリ弾けるピアニストは、世の中にたくさんいるのである。

実は大音量で弾くことよりも、最小の微音量で美しく弾く事の方が、より難しい。
タッチが弱くて、ただ表面を触っているだけでは、音はちゃんと出ない。

音のばらつきが一番よく出てしまうのは、実はピアニッシモの時なのである。












2002年12月11日(水) 凍てつく空の星。。

ここのところ、ずっと、札幌は冷え込みが厳しい。
昼から、マイナス気温である。

仕事が終わって帰宅し車から降りた後、
玄関に入る前に、毎晩、何となく必ず夜の空を見上げる。

気温が低くて、晴れた空だと、
ほんの小さな星でも輝いて見えるように感じて、ふと見入ってしまう。

数年前の事だったか、そうして凍てつく空の星をジッと見ていたら、
突然、その星が動いた。

流れ星も見ることはあるが、
大概、斜め上から、すうっと、斜め下に下降して消えて行く。
だが、その日のは違っていた。

移動はするが、その星は移動先でしばらく留まっているのである。
地上から見る空の盤上で、何枠か動いては、また違う方向に何枠か、移動する。

そうかと思えば、たまに、ジグザグに動く。
そして、急に北の方にものすごい速さで、瞬間移動した。
だがその後は、あまりに遠くに行ってしまったので、見えなくなってしまった。

それは、星なのか、星に姿を借りた宇宙船なのかは、定かではないが、
確かに今日と同じような凍てつく空の上での出来事であった。










2002年12月10日(火) 渡辺貞夫コンサートinKitara。。

今日は、キタラでの渡辺貞夫コンサートを見に行った。
渡辺貞夫さんを見るのは、昨年の芸術の森のjazzフェス以来である。

一曲目からフルートで入り、いつもよりフルートでの演奏が比較的多めであった。
何か心境の変化なのかなぁ、とも思う。
だが、そのフルートもサックスも、
たとえ、何かしら本人の心境の変化があったとしても
いつもと変わらない、澄み切った青空のような、
どこまでも透明感のある、あの伸びやかな安定した音である。

さて今回、サポートにリチャード・ボナが加わり、
音の色合いがもう一つ増えて、興味深かった。
彼のCDは聴いているが、断然ライブの方が良い。
と言うより、CD以上に良いのである。

彼のベースは、時折、彼の歌に合わせたギターのようになったり、
ある時は、ウェザーリポートのような展開になったりと、
その色彩が鮮やかで、曲ごとに新鮮な感じがする音である。
何より、歌が巧みなのには驚いた。
彼は、まるで鳥が囀るように、自由自在に歌う。
しかもそれは、都会の街なかで歌う鳥ではなくて、
森林や、広野で自由に飛びまわって歌う、極彩色の鳥なのである。

その横で、スティーブ・ソーントンのパーカッションも、
大地の音を感じさせるプレイで、開放感があっていい。
その音は、果てしなく広がるサバンナを黒豹が疾走するような躍動感であったり、
象の群れが走り去る地響きであったり、
たまに、熱帯雨林の木々から落ちる雨の滴の音であったりする。

そんな、大地の音や地響き、突然降り出したスコールや、極彩色の鳥が歌う中で、
渡辺貞夫はいつも通りに、澄み渡った音で無心に吹き続けるのである。

こんなに寒い冷え込んだ札幌で、暖かい大地の音や様々な極彩色の幻影を一瞬垣間見た。








2002年12月09日(月) 柊(ヒイラギ)。。

札幌は、今日も冷え込みがきつく、帰りの車の外気温計は−7℃であった。
東京は初雪だったそうだが、こちらは降雪がないのにも関わらず、非常に寒い。

さて、いつも弾きに行っているところのピアノの上に、
白い花をつけた柊(ヒイラギ)が飾ってあった。
花を付けた柊を見るのは初めてである。

帰宅してから、日本語辞典で柊を調べたら、写真が載っていて、
よくよく見ると、今日見た柊とは何だか少し違う。

確かにその写真の柊は白い花をつけているが、
花の付いている場所が違うのである。
写真の柊は、葉の根元に鈴のように花を付けている。

だが、そのピアノの上の、私が柊だと思った植物は、
真ん中から放射状に、白い花をレ−スのように広げているのである。

ふと、柊の隣下の写真に目を向けると、柊木南天という植物の写真があった。
強いて言えば、こちらのほうが近いかも知れない。
柊と同じ形の葉で、花が真ん中から放射状に咲いている。

ただ、その写真の柊木南天の花は黄色く、花が咲くのは春だそうである。

さて、今日の柊は、柊木南天なのだろうか。
ちょっと謎なのである。






2002年12月08日(日) DVDな日曜。。

今日はとても冷え込んだ日曜日であった。

昼から買い物に出掛けようかと言っていたのだが、
皆寒いので、TVとストーブの前からなかなか動かない。

それでも、夕方から出かけて焼肉店で食事をし、
映画のDVDを三枚ほど借りて帰宅した。
私としては、本当のことをいうと、封切り映画を見に行きたかったのだが、
それも、外が寒いから遠くに出かけたくない(笑)と断られたのである。

コレクター2、スパイダーマン、ニューヨークの恋人など、
娘達のお好みのメジャーな娯楽系を借りてきたので、
あっと言う間に、三作とも見てしまった。
いたって、何も堅い事考えずに観られる映画である。

現在、家のTVは、画面だけのモニターテレビ、
音はステレオから鳴らしているので、
映画のDVDを観ると、喋っているときの音量は小さいが、
音楽になると急に大きくなったり、効果音も大きい音なので、
映画館にいるくらいエキサイティングに感じて、
場面によっては、うわっと驚く事もある。

先日、娘達が「ロード・オブ・ザ・リング」を観ていた時、
私は、キッチンで全然違う事をやっていたので、
いきなりな効果音が入った時には、ちょっとびっくりした。

だが、音自体は良い音で、たとえゲームをやっていても、
透明感のあるステレオの音なので、
何だか、かえって、TVゲームをやっているような感じがしない。

それにしても、DVDのソフトは、選ぶにはまだまだ少なくて、
もうちょっとソフトが増えると愉しいのになぁ、と思った日曜であった。




2002年12月07日(土) シュークリーム。。

今日は夕方から深夜にかけてかなり冷え込んでいる。

さて今日は、普段、この日記の感想をメールで頂いたり、
ラジオを聞いてくださっている方が、初めておみえになった。
彼女とは、以前演奏で行っていたレストランからのお付き合いである。
わざわざ店の方にいらして下さって、本当に嬉しい。

その彼女から、シュークリームを頂いた。

北35条のケーキ屋さんのシュークリームで、クリームは濃厚でコクのある味、
皮はパリっとしていて、ボリュームのある皮で美味しい。

実をいうと、私は大のシュークリーム好きである。

かなり小さい頃、親戚や知っている近所のおじさんに、
「誕生日に何が欲しいの?」と訊かれて、
全員に「シュークリームが食べたい」と言ってしまい、
当日、ケーキの箱入りのシュークリームが何箱も家に届いた。
一個というわけにはいかないから、皆さん5個や10個下さる。

たくさんのシュークリームの数に驚いた家族に、
「何も全員に同じ事を言わなくとも良いのだよ」と言われた記憶がある。
でも、シュークリーム好きの私は、たくさんのシュークリームを目の前にして、
非常に幸福感でいっぱいであった。

子供だった私は、こんなにたくさん全部食べ切れるかなぁ、と心配したが、
ちゃーんと二日後には、そのシュークリーム達は跡形もなくなっていた。
多分、家族で手分けして、ご近所にお裾分けしていたのだと思う。

小さな頃のシュークリームの思い出である。






2002年12月06日(金) 経済の底力。。

今日は、仕事帰りにある方に誘われて、店のスタッフと共に飲みに行った。

美味しい生の濁り酒(北の錦)や、ご主人の美味しい手料理のお店で、
お客さんの割合も、男性と女性が半々のお店である。
お料理が美味しいのでついついお酒も進む。
私は、喉の為に、仕事がすっかり終わらないと絶対に飲まない。
したがって、外で飲むのはかなり久し振りである。
そういう日も、たまあっていい。

さて、今日スタバに行った時に、
「スターバックスカードはご存知ですか?」とスタッフに尋ねられた。
彼女の目はさながら小さな迷い猫か、おびえた子ウサギのように何かを求めていた。
「知ってますが。。うーーんと、それじゃ取りあえず1000円分を。。」

買ってしまったのである。
そのカードは、いわゆるコーヒーを飲むためのプリペイドカードである。
喫茶店のコーヒーチケットが、カードになったと思えば良く、
後日、また入金できるとこが凄い。

私はそのカードの事を充分知ってはいたが、
別段、なんとも思わずに、買っていなかった。
今日もその迷い猫の目のスタッフに言われなかったら、買っていなかったと思う。

たった一人の社員の微笑や説得力が大きな企業を助ける事だってありうる。

とかく経済などというと、社会的に大きな物事を動かす企業の力や、
目に見える大きな利益などが取りざたされるが、
本来の経済の底力というのは、このような、取引でいうと最小限の、
一人対一人の始まりから生まれて来るのではないか。
企業というのは、一度崩壊してしまうとわかるが、
その物自体は、書類上の名前だけで、本当はあってないものである。
バッジをはずすとそこまでである。

これからはどんどん個人の時代になっていくと思う。
何を企業や会社のためにするか、ではなくて、
結局行き着くところ、自分自身が生き残っていく為に、
一体何をしていくか、ではないかと思う。










2002年12月05日(木) 季節の庭の記憶。。

さて、今年の春に花を咲かせて、
夏にはたわわに実った梅で漬けた梅酒が、もうかなり飲み頃である。

一ヶ月前には、まだフレッシュ過ぎて、味がこなれていない感じがしていたが、
今日出して味見をしてみると、もうすでに出来上がった感じがする。
まろみが出てくるのはこれからかも知れないが、バランスの良い味と香りである。

鼻に抜ける梅酒のさわやかな香りを嗅ぐと、
梅花が開き、野鳥たちが集って囀った春の庭や、
芍薬や牡丹が色鮮やかに咲き誇った夏を思い出す。

そんな春夏の庭はもう遠い過去だが、冬の庭も侘び寂びがあって良い。

冬の庭は、散り惜しんだ菊の花が冬枯れて、
秋に置き去りにされたまま、冬の垣根に寄り添う。
白玉の木の葉は落ちて、白玉だけがゆらゆらと静かに風に揺れている。

寒くて厳しい冬の庭の植物には、春夏のあの心地良くいい匂いのする風や、
昼下がりの柔らかな陽射しの記憶は残っているのである。

不思議な事に、人の手を借りたこのような梅酒であっても、
その生物としての季節の記憶は、その実の香りに深く刻みこまれて、
味や香りを愉しむ者に、過ぎ去った季節の庭の賑わいを鮮明に思い起こさせる。

そしてまた、その季節の庭の記憶は、巡り来る新しい春や夏の期待にも姿を変えるのである。








2002年12月04日(水) クリスマスアルバム。。

今日は、仕事の合間にお買い物。
レピシエで、クリスマス限定の紅茶二種と、
中国茶二種を仕入れてきた。

CDショップで、ハリー・コニック・Jrの93年に出たクリスマスアルバムが、
再リリースされたので購入。
他に、スティングなどと共演している、
トランペットのクリス・ボッティのクリスマスアルバム、
トニー・ベネットとKD・ラングによるサッチモのカバーデュオアルバムを購入。

新しいクリスマスアルバムを買うときの気持ちというのは、
ボージョレーヌーボーを買うときの気持ちに少し似ていて、
知っているクリスマスソングが、どのように仕上がっているのかが、
とても楽しみで、家に何枚もクリスマスアルバムがあるのにも関わらず、
店頭で見かけるとついつい買ってしまう。

今は、ハリーのクリスマスアルバムをヘッドフォンで聴きながら書いているが、
彼の声がこんなにシナトラに酷似しているとは知らなかった。
彼が何年か前の戦争映画に出たときに、ダニー・ボーイを歌ったのを聴いたが、
その時はシナトラに似ているとは、思わなかった。
本当は似ていたのかもしれないが、全然気が付かなかった。

それはもしかしたら、昔から聴きなじみのクリスマスソングのせいかも知れない。







2002年12月03日(火) 心中天網島に思う。。

今日は、wakaさんと共に中村嘉人さんがおみえになった。

中村氏は「時代小説百番勝負」の共著や、
「池波正太郎。男の世界」の著作がある方で、
私が今、受講している「時代小説の世界」の講師でもある。
僅かな時間ではあったが、少しでもお話する事が出来て、嬉しい限りである。
時間さえ許すなら、もう少しお話したかった。

さて、帰宅してBSをつけたら、古い白黒の日本映画をやっていた。
夜の暗い墓場で、吉右衛門と岩下志麻がなにかを言い合っている。
どこか不思議な雰囲気のある画面で、あれ、と思ったら、
傍らの黒子がおもむろに剣を差し出した。

何の映画だろうと思ったら、「心中天網島」であった。

「心中天網島」は以前、人形浄瑠璃でやっているのをTVで見た。
物語全体に渡る主人公二人の、暗くて深い思いや心情、
人の命の儚さが記憶にずっと残るお話である。

お能などは象徴的であるが、物語に重要なのは時間や時代ではなくて、
生者や死者を問わず、人の「思い」や「心情」だったりする。

四次元の世界のように、舞台の上では様々な人の思いや心情が行き交い、
たとえそれが何百年も前の景色であっても、哀しい物語はあくまでも生々しく、
時を超越して、見ている人の心を打つのである。



2002年12月02日(月) ジェシー・ハリス。。

今日は、仕事の合間に、CDショップに行き、
ノラ・ジョーンズに曲を提供しているジェシー・ハリスのアルバムを買った。
彼はジョーンズのアルバムの一曲目「DON'T KNOW WHY」を書いた人で、
いくつか曲を提供しており、またギタリストとしても参加している。

何故そのアルバムを買ったというと、
今日の昼、なんだかうちのTVの調子が悪く、音は出るが、
画面がいつまで経っても映らない(夜には直った)ので、FMを聴いていたら、
その「DON'T KNOW WHY」のセルフカバーバージョンがかかり、
それがとてもいい感じだからであった。

なんだか、全然飾らなくて、ナチュラル。
朴訥に歌っている。
そこが良かった。

買った後、通して聴いてみると、
ブルーノートのジョーンズの音とは全く異なり、
オルタナティヴ・ポップぽい感じの音作りで、
やはり中では、「DON'T KNOW WHY」が一番良かった。

今回の国内盤は、彼が出した2枚のアルバムから選曲されて構成されている。
結構荒削りな作品もあって、これから、どういう風に変化していくのか、
とても楽しみな人である。






2002年12月01日(日) 季節の買い物。。

今日は娘達の冬向けの買い物に付き合って、
郊外の大型店舗が何軒か集まっているところに行って来た。

初めて行ったが、結構楽しいもんである。

人はたくさん来ているのだろうが、
店舗自体がとても大きくて広いので、あまり混んでいる感じがしない。

クリスマスツリーや、グッズのコストパフォーマンスが良く、
非常にリーズナブルで、今にも売れ切れそうな勢いであった。

BSのフランスやアメリカ、イギリスのニュースで、
感謝祭くらいの時期から、クリスマス休暇に入るまでの、
買い物ラッシュの様子をやっているが、ちょっと似ていてほほえましい。

年末のお買い物にはまだ早いようであるが、
日々楽しく過ごす為のちょっとした買い物や、クリスマスの準備、
冬用の衣類や寝具などを買い揃えたりと、12月なのだなぁと思う。

さて、今年も残すところ一ヶ月、何事もなく楽しい12月になれば、と思う。







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izumi [HOMEPAGE]

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