今日は、下の娘が海を見たいと言うので、昼から小樽近辺を少しドライブした。
札幌は雨模様だったので、海に入るつもりはなかったが、 朝里に着いてみると、雨は上がっており、薄曇りだった。 希望した本人は、もちろん水着などは持ってきている筈もない。 だが、足だけでも海に浸けたいと言う。
海鳥が防波堤に何十羽と並んで、羽を休めている。 雨が止んだり降ったりのこんなお天気に、海水浴の客など一人もいない。 遠くで、地元の漁師たちが網を上げている、日常的なのどかな海である。
丸い石わらの浜辺には、昆布が打ちあがっていたので、 それを少し拾ったりしていたが、 彼女は靴下を脱いで、とうとう海に足を浸けて磯遊びを始めた。
薄曇りのお天気で、蒸し暑いが、海水は冷たいそうである。
その後、祝津まで足を伸ばして、海に近い青塚食堂で遅い昼食を取った。 ここは、海鮮のお刺身や、焼き物が美味しい。
夏休み期間中とは言え、平日の雨模様の小樽近辺は、 あまり人もなく過ごしやすい。 車も混まずに、移動も楽である。 それで、思ったよりも、たくさん嬉しい寄り道が出来た。
遠出の最後に小樽の花園の和菓子の老舗を二店巡り、 最中とお干菓子をおみやげに、帰宅した。
雨模様のお陰で、有意義な夏の半日であった。
真夏と硝子は出会い物である。
今日も暑いので、夕食後、娘に水点前をしてもらった。 所謂、水で点てた薄茶である。 蒸し暑い時には、すっきりした飲み口で何服でもいけるお茶である。 そのお茶を、牛皮饅頭で頂いた。
その時に、水点前用のガラスの茶器が欲しいと言われたので、 仕事の途中に探したら、茶器は無かったがちょうど良い形のガラス器を見つけた。
井戸茶碗のような、逆三角形型の薄いガラス器で、 まるで透明な氷を削って作ったような、涼しげな器である。 大きさも大中小と三種あったので、三つとも買い求めた。
こんなガラスを何処かで見たなと思って、よくよく記憶をたどってみたら、 何のことは無い、小樽の青山別邸の窓硝子だった。
あそこの窓に使われているのは、手作りのギヤマンで、 工場などで大量生産されているのと違い、歪つである。 その窓硝子を通して見る、外界の風景は何だか少し違って感じる。 不思議な硝子である。 その窓硝子にこのガラス器はちょっと似ている。
さて、仕事から戻って、試しにそのガラス器で水点てをしてみた。 室温のアルカリイオン水を使ったら、思ったようにうまく点てる事が出来た。 水が冷たすぎると、お抹茶はよく点たない。
透明な薄いガラス器に、新茶のお薄の緑が映える。 買い置きの冷やした葛饅頭と共に頂く。 この真夏の深夜のお茶の時間で、一日の仕事の疲れも飛んで行く。
お茶が、戦国時代の武将によく愛されていたのも、何だかちょっぴりわかるような気がした。
横浜出身の知己の方で、以前は札幌に単身赴任されていて、 また、古巣の横浜に戻った方から、今日お便りを頂いた。
横浜のjazzライブバーのコースターに、一筆したためてあるそのお手紙は、 演奏中にリクエストをコースターに書いたのを頂くような、 そんな不思議なライブ感があって、とてもいい感じであり、 この上なく嬉しかった。
ネットや、電話などの通信技術が発達したこの現代で、 郵便の役割とは?と考えた時、その醍醐味は、 こういうアナログなライブ感じゃあないだろうか。
直筆のお手紙を頂く事は、最近ではめっきり少なくなった。
たまに、娘のアメリカ人のペンパルから、英語の直筆のお手紙が届くと、 何年か前よりも、宛名書きの字も上手になっていたりする。 それを見ていると、一度も会った事のないアメリカ人の彼女が、 どんどんと成長しているのがわかり、感慨深い。
さてそれにしても、極上のお手紙の返信をどうしようかと、私は現在、非常に迷っているところである。
2002年07月28日(日) |
SAPPORO JAZZ FOREST。。 |
今日は、札幌芸術の森で行われたJAZZフェスティバルを娘と見てきた。
小沼ようすけBAND、akiko、FOUR OF A KIND、熱帯JAZZ楽団などが出演。 何と言っても、こういうイベントの良さは、大きな野外の会場で、 たくさんの人々が、一緒に盛り上がるところではないだろうか。
プログラムも進んで行く内に、音楽にだんだんと心も開かれて、 広い会場の多くの人が、音楽で一体化して行くのがいい。
イベント終了後、歩く道すがらの会話や、帰りのバスの中まで、 何だか同じ仕事を終えた人達のように、一体感があって、非常におもしろい。
20年位前のJAZZの野外でのイベントは、真駒内屋外競技場でよく行われていたが、 今のような誰でも参加する大きなイベントというよりも、 知る人ぞ知る、JAZZファンのためだけのイベント、という感が強かった。 この芸森のイベントよりも、集まる人は少なかったように思う。
JAZZの野外イベントは、今も昔も、その年齢層の幅広さに驚かされる。 小さな子供もいる家族連れや、ほほえましい老夫婦の方もいる。 昼の部が地元のバンドや、学校のブラスバンドなどが出るのも一因かも知れない。
これを機会に、どんどん良い音楽を聴くファンが増えれば、とても嬉しい。 CDコーナーで、参加ミュージシャンのアルバムを買っている人達も結構いて、 このイベントで偶然、いい音楽や好みのプレイヤーに出会えた人も、少なくないと思う。
音楽自体はスポーツではないが、一日がかりのこのイベントで、 結構な身体の疲れも、この精神的な満足感で帳消しになるのは凄い。
疲れるのを承知で、一度見たら、また来てしまう、そんなイベントである。
今日のラジオのテーマは「夏休み」。
様々な、夏休みの思い出が寄せられて、読んでいるだけでも、 ふと、自分が小中学生の頃を思い出した。 海や、野山での夏の思い出が、一瞬脳裏をかけめぐった。
ある夏休み、私は海で溺れかけた事が一度あった。 忍路で、沖のナライカゲのような所で、ボートから降りて泳いでいたら、 一ヶ所、とても深いところがあって、足が付かないので焦ったのである。
それでも、一度海底まで降りて、 一旦、足で底を蹴ってジャンプをしたら、なんとか海面まで浮き上がり、 ボートにつかまる事が出来たので、九死に一生を得た。 そんな時、本人はもうドキドキである。
だが、その海底に下りた時、一刹那、海胆がたくさん見えたことを、 今でもちゃんと覚えていて、まるで画像のように脳に刻み込まれているのである。
ぼこぼこと自分の息が漏れて、空気の水玉模様のようになったのが、 濃いブルーの海を、ゆっくり海面に向かって漂って行くのと、 その深い海底の海胆の画像が、まるでフラッシュバックのように、 脳裏から記憶が呼び出され、それが交互に現れるのである。
助かったから言える事であるが、今までに見た海の中で、 それは、一番美しい海の風景であった。
その後、雨が降って来たので、一緒にいった姉と義兄と共に、 雨宿りで休んだ、その忍路の海辺にある旅館の一室も風情があって良かった。 その時の雨音まで、リアルに思い出されるのである。
憶えていても、別段たいして大事な事とは思えないが、夏の美しい思い出の中の一つである。
最近はあまり、ゆっくりTVのニュース番組を見ることは少ないが、 それでも、深夜、家でその日のニュースを流しているのを、 たまにゆっくり見ていると、こんな事があったのか、と驚く事がある。
世の中、本当に色んな事件があるものである。 近親関係の殺傷沙汰などは、聞いただけで、胸が痛む。
そこには、利害関係も何もなく、憎悪によるものかと思えば、 もう、どうしようもなくて罪を犯してしまったりするケースもある。
何か、他にいい方法がなかったのだろうか、と第三者は思うものだが、 当事者に、考える余地が残されていない場合も多いと思う。
本人は、そうする事しか他に選択肢がないくらい、追い詰められているのである。 誰にも相談することも出来ずに、苦悩している人達もたくさんいるのではないか。
追い詰められて不本意な罪を背負い、その人はこれからどう生きて行くのだろう。 残された余生を、日々、罪の贖いに費やすのだろうか。 当然、小説よりも長く、一つの事件はその人の一生に深く関わるのである。
何故、思いとどまらなかったのだろう、誰かに相談しなかったのだろうと、 今日の一つの事件を見ていて思った。
先日、お抹茶を買いにお茶屋さんに行ったら、新茶の抹茶というのが出ていた。
新茶の煎茶は、毎年買っているが、新茶のお抹茶は初めてである。 時期が短いのかも知れない。今まで、出会いがなかったのである。 一缶だけ、試しに買ってみた。
お茶をやってる家の者に、点ててもらったら、 青畳のような匂いがすると言う。
一服いただいてみた。 成る程、あの張り替えたばかりの、青畳のような匂いである。
どこかの日本庭園にイグサが植えてあるのを見たことがあるが、 なんとも、不思議な草であった。 笹の茎でもない、葦とも違う、そうか、これが畳の原材料か、と思って眺めた。 匂いも、青臭いような、日向臭いような、でも懐かしい良い匂いである。
新茶のお抹茶も、そういう匂いなのである。
シンプルで、自然な味のお抹茶なので、 お茶菓子の方も、重いお菓子や、複雑な味や香りのものでは、 あまり合わないように思う。
思い出して、この間の頂き物のお干菓子「大雪山」と共にいただいたら、 これがまた、良く合う。
「大雪山」も、いつも手に入るとは限らない。 思いがけず、限られた時期だけの新茶のお抹茶と、出会い物であった。
さて、最近はまっている藤沢周平の短編集「夜の橋」の中から、 今日も一編読んだ。
前にもここで述べたが、一編15分位で読めるので、 大して時間がいらず、非常に楽である。
「裏切り」という題名のその短編は、 ある日、急に帰って来なかった主人公の恋女房が、 実は、出会い茶屋で誰かと逢引をしていて命を絶たれる。
その夫である主人公は、苦悩しながらも犯人探しをする所から、話は始まる。 なんだか「御宿かわせみ」のようで、江戸情緒溢れる物語りなのである。
長屋暮らしや、水茶屋や賭場の模様や、岡引の台詞。
その短いほんの15分程の読書の合間、読む者は一瞬、江戸にワープする。
江戸の裏小路を、げたをカランコロンと鳴らして、人が歩く音や、 長屋で誰かが、包丁をトントンと叩いておさんどんをしているのが、 この本を読んでると、今にも聴こえてくるようである。
決して、捕り物が主題ではないが、それはそれで興味が湧くし、 なんといっても、こういう時代物の醍醐味はやはり、 江戸の人々の暮らしぶりや、情愛ではないか。
日本人ならでは、という短編であった。
昨日、ロビ地下のワインセラーに初めて行った。 今まで、ロビ地下の他のお店に行くだけで時間切れだったので、 今回は一番最初に入った。
今まで見たことのない銘柄もたくさんあって楽しい。 各国のワインが置いてあるので、見ているだけで心の旅が出来る。
ワインとの付き合いは結構長くなるが、私が最初に飲み始めたのは、 今はもう飲まないドイツワインである。 初めての赤は、十勝ワインで、まだその時は赤をおいしいと感じなかった。
その時住んでいた家の近くのお米屋さん(酒類販売もしている)に、 その当時、酒屋ではあまり見かけないドイツワインのブラックカッツが、 置いてあり、可愛いラベルが気に入って買ったら、これが意外においしいので、 飲み始めるようになった。 それが、何歳の時だったかは秘密である。(笑)
友達の付き合いでお酒を飲むようになってからは、 しばらくワインは飲まなかった。
何年か経ち、レストランのソムリエの卵の人(今は立派なソムリエさん)に、 フランスワインの赤を薦められた。それが、すこぶるおいしかった。 それからが、ワインとの大人の付き合いが始まったのである。
今は、高いお金を出してフランスのシャトー物を買わずとも、 チリやイタリア、スペイン、ギリシャのおいしいリーズナブルなワインが、 輸入されるようになり、それこそパンやチーズのように、気軽に手に入る。
ロビ地下のたくさんの国々の様々なワインを見ていると、 ドイツワインでさえ珍しかった時代を知っている私には、 ワインに関してここまで来るには、日本は相当の時間と経験を要した、と思った。
前から、気になっていた作家、藤沢周平の短編集「夜の橋」を読み始めた。 一作が15分から20分程で読めるので、仕事の合間に読み切れるので有り難い。
二つほど、短編を読んだばかりだが、これがまた良い。 城勤めの武士たちの武芸談、江戸の市井の人々の暮らしと情愛。
最近は、とんと長編が読めなくなった。 原因はわからない。 読んでいて、何故か飽きてしまうのである。
短編でも、作家の文章表現が自分の感覚に合わないと、一行も読み進まない。 こうなると、もう悲劇である。 それで最近読むとしたら、もっぱら随筆物などのエッセイものが多い。
だが、今回の藤沢周平はピタリはまった。 いわゆる時代小説を、私はあまり読まない。 藤沢周平の時代物は、時代物であって時代物ではない感じがする。 時代小説でありがちな、歴史上で有名な人物など一人も登場しないのである。 主人公は、江戸時代の普通の侍や市井の人なのである。
日本の何処かであった誰かの物語を、時計の針を少し戻して、 白紙だった紙に、藤沢周平の語りで甦らせている、そんな感じなのである。
だが、その何処にでもありそうな、江戸時代の普通の人々の物語は、 今の人の感覚にも似て、情愛感情など共感できるもので満ち溢れているのである。
新内や義太夫三味線でも聴いて読みたい、現実的な時代物である。
今日は、家の梅で、梅酒と梅ジュースの仕込みをして、 その後、うなぎを食べに行こうという事になった。 梅漬けをしようと残していた梅が、あばたが多く、梅漬けに適さないのである。
だが、このところの天候不順でも、 1週間前に2キロ、今回は8キロ収穫したので、 今年の梅は、10キロ収穫出来たことになる。 昨年の収穫は5キロ。 あばたはあるが、数字の上では豊作である。
さて、梅酒はその出来上がりを2ヶ月以上待つことになるが、 梅ジュースの方は、ほぼ2週間ほどで飲めるようになる。
要は、梅のエキスが、砂糖や蜂蜜で沁みて出てくればいいだけの話なのである。 氷水にかけたり、炭酸で割っても良いし、梅ゼリーもおいしい。 今年は、何しろ連日湿度が高いので、発酵したり、湧いたりしないように、 少しだけ、ブランデーを足した。
天候不順の日曜日、ゆっくりまったりと、この梅の仕込みの作業をやっていたら、 鰻屋に着くのがだいぶ遅くなってしまった。
その札幌の老舗の鰻屋には、 何十人もの人が土用(昨日は丑の日)の賑わいで、外にまで人が溢れていた。 何時間待ちになるやも知れぬ。 別の日に改めて来る事にして、今日は諦めることにした。
デパートにも、行ってみたが、どうも美味しそうなのがない。 今日は、どうも鰻に縁がない。 結局、お寿司になってしまった。
後で、はっと気が付いた。 うなぎと梅は相性が悪いのを、すっかり忘れていたのである。
今日は、旭川のお菓子「大雪山」を頂いた。 有り難いことである。
「大雪山」は私が小さな頃、好きだったお菓子の一つである。
所謂、メレンゲと粉砂糖を混ぜ、空焼きにした茶菓子で、お抹茶に良く合う。 先週旭川に行く方がいたので、お話をしていたら、おみやげに頂いたのである。 懐かしい。
白いのと、お抹茶味の二種類が入っていて、綺麗な軽石のようである。 少し堅いが、ゆっくり舌の上で溶かすと柔らかくなる。
似たようなメレンゲを使った和菓子が、他の地方にもあって、 東北だったかの「月の石」や、京都の「洛味」がおいしい。
さて、札幌にいると北海道一の山系、 大雪にお目にかかることはそう多くはないが、 だいぶ前に、道東に旅した時にその姿を堪能した。
壮大な、深い森林の山々を見ていると、 普段住んでいるのも、正真正銘の北海道なのに、 これこそが、本物の北海道という感じがする。
本物の北海道(笑)を、明日はお抹茶と共に、味わいたいと思う。
今日、知己の方から、ベヒシュタインピアノで演奏された、 ゴールドベルク変奏曲の音源を頂いた。
演奏者がどこの誰であるか、全く聞かされていないので、 演奏者に関する予備知識が全くないまま、 ひたすら純粋に音に耳を傾けるのもたまにいい。 (ただ、これを始めるといつまでたっても寝られない。 音を聴き出すと、神経が覚醒しすぎて、全く眠りがやってこないのである。)
ピアニストが何人であるか、性別がどちらかなどは、 ピアノの演奏を聴くのに必要なことだろうか。 音源には、ベヒシュタインで演奏されたバッハの音が記録されているのみである。
重厚で好きな音色。 録音も良く、非常に近いデッドな音の背後に、 アンビエンスな音が遠くに鳴っている。 今、この音源の状態のベヒシュタインがそこにあったら、弾いてみたい。
私は、ベヒシュタインを今まで弾いた事がないと思っていたが、 もしかしたら、あったかも知れない。
様々なところで、この何十年という間ピアノを弾いているが、 見知らぬ名前の輸入ピアノも、何台か出会っている。 その中にもしかしたら、ベヒシュタインがあったかも知れない。
以前に、これもまた違う方からの頂きもので、 ベヒシュタインで演奏されたソロのjazzピアノの音源があるが、 このバッハの方が、より重厚でドイツっぽい。 だが、ピアノの銘で聴く人は少ない。
問題は出された音であり、演奏者の楽器の選択と音楽性がマッチするかどうかである。
今日は、掲示板にも書いた携帯の事件があったが、 メールアドレスを変えずに、様子を見ることにした。 何事にも証拠(笑)が、大事である。
さて、入院中の術後4日目の病人の回復が早くて、少し安心である。 「悪いものを取ったから、かえって調子が良い」そうである。
体の中に、知らない内に、自分の認識しえない自分とは違う生き物が、 どんどん自分の栄養分を吸って、育っていくのである。
なんだか、エイリアンのようである。 エネルギーを搾取されていたのだから、取り除いた今の方が、楽でない筈が無い。
だが今日も蒸し暑く、病院の中も湿度が高くて、病人も過ごしづらいようである。 蒸し暑さで、また悪いエイリアンが育っては困る。
そろそろ、ちょうど良い温度と湿度にならないものか、と思う。
今日も札幌は蒸し暑かった。
今日行った、服を頼んでおいたブティックで、 最近どうも、北海道の天気は変だという話題が出た。 皆、同じようなことを感じているものだ、と思う。
梅雨というのは、北海道には元々なかったはずである。 だが、最近の北海道には、梅雨がある。 この連日湿度の高い、蒸し暑い日々を「梅雨」と言わずに何と言う。
「エゾ梅雨」だと、雨は降るが、気温が低いイメージがある。 だが、今年は特に湿度も気温も高く、何日も蒸している。 こうなると、当てはまる言葉はまさしく「梅雨」そのものである。
長雨も蒸し暑いのも嫌い、という人が多いが、私は意外にそうでもない。 どちらかと言うと、寒さと強風と乾燥した空気がだめである。 その三つは、どれも喉に悪い。 湿度が高いほうが、喉の調子も良いので大歓迎である。 朝方に、雨音と鳥の囀りを、網戸越しに聴くのも好きである。
ただ、大雨は恐い。 何年も前に札幌でも、川沿いに建てられたマンションが崩れる被害があった。
何事も、過ぎたるは、である。
ここのところ、札幌は何日間か蒸し暑い日が続いていた。
だが今日の深夜に、ザーっと雨脚が強くなったと思ったら、 いきなり涼しくなった。 温度の感じが、まるで春先か、夏休み後の夜のようである。
帰宅して食事した後、ジャスミン茶を飲みながら、 ネット用のBGM選びしていたら、春先に購入したCDで、 未だ全部聞いていないのが、何枚か出てきた。
気温によって、BGMで流して聴きたい音楽というのは、意外と異なるものである。 前の日にかけていたCDでは、なんだか合わない感じがする。 温度や天候と音楽の関係はおもしろい。
オーガニックポップスの女性ユニット、 アズール・レイの「Burn and Shiver」をヘッドフォンで聴く。 彼らのアルバムは、以前にも、試聴の印象が良くて購入しているが、 私自身、彼らの詳しいプロフィールをあまり知らない。
彼らの音楽を聴いていると、親戚の家に向かって天気の良い田舎道を歩き、 道端の蛇イチゴ摘みや、キリギリスを捕まえた子供の頃の、 夏休みの記憶が湧いて来る。 その親戚の家につくと、食卓にはとうきびの茹でたのや、 割ったばかりの西瓜が用意されている。 奥の仏間には、綺麗な盆提灯が、からからと廻っている。 至って平和で幸せな、子供の頃の夏の記憶である。 その二度とは戻らない夏は、こんな夜中に、 ヘッドフォンの音に呼び戻されて鮮明に甦るのである。
少し過酷な日々の終わりには、こういうのがいいのかも知れない。
2002年07月15日(月) |
窓の外のオルフェウス。。 |
今日は大事な用で、ある病院の手術棟の待合室に3時間ほど居た。 新しい、空調も整った箱のようなその一室の居心地は、決して悪くはなかった。
こうして、人が誰かの為に病院で待つというのは、 長い一生の間、そう少ない事ではないと思う。 それぞれどんな立場で、どんな思いで待つことだろう。
待合室の窓から、病院の中庭の広い駐車場が見える。 昨夜来の雨で、車のまわりには、たくさんの水溜りがある。 他の棟の人々の様子も、窓の向こう側に見える。
私は、病院の窓に様々な思い出があり、眺めて気持ちが軽くなった時もあるが、 あまりに空気が自分には重すぎて、窓しか見る事が出来なかった事もある。
その窓から、何とかしてどうにか逃げ出せないものか、と一瞬思ったこともある。
窓の外には違う現実があり、窓の内側のこの現実が夢であるなら、 どんなことがあっても、その窓から逃げ出したいと思った。 重い空気に耐えられなくて、眼を現実からはずして、 窓の外に視線がいったのである。
誰がどう頑張ろうと、人間の力では、 もうどうにもならないという事は、往々にしてある。
オルフェウスがあの鏡の向こう側で、神との約束を破ってつい振り返ったのは、 彼を呼ぶ声が、現実そのものだったからかも知れない。 結局、彼は現実から逃げることは叶わなかったのである。
だが誰もが、そんなオルフェウスの純粋さ、 一度は悲劇的な現実から逃げ出したい、 失った愛する者を生き返らせたいと願う心情には、同感せずにはいられない。
昼から、雨降りの日曜日。
蒸し暑いので、雨降りだが家の窓を開けていた。 雨が小降りになると、裏にたくさんの小鳥たちが来て囀る。
パラパラと、木々の葉の茂みで水滴がこぼれ落ちる音と、 小鳥の囀りの賑わいを聴いていると、雨の日曜日も良いものだと思う。
窓の外を黙って眺めていたら、 庭の青枝垂れ(もみじ)の木陰に、 何年も前に植えた、ドクダミの白い花が満開である。 雨に濡れて、冴え冴えと咲いている。 名前は毒々しいが、一輪挿しにしても良いくらい、 ドクダミは、葉も茎もその形が整った草花で、白い花は可憐で綺麗である。
毎年は採り入れしていないが、 乾燥させて、漢方茶にしても良い。
薬用植物の採り入れは、土用にすると良いと聞いているので、 今週の晴れた日にでも、さっとやってしまおうか、と、ふと思った。
今日は、暑かった。
気象台の発表によると、最高気温30度だったそうである。 仕事の帰りの深夜3時過ぎでも、車の温度計は23度あった。 蒸し暑い。 なんだか、体も気持ちもすっきりしない。
帰る途中、急に思いついてコンビニに寄り、アイスを買った。
九州のしろくまアイス。埼玉の深谷(姉がいる)の赤城乳業のアイスまんじゅう。
昨日、「しろくま」は、知己の人とちょっと話題になっていたので、 確か、ここのコンビニにあったはず、と寄ってみたらあったので、即買いである。
帰宅して、早速「しろくま」を食べた。 昔のカキ氷にコンデンスミルクをかけた味にすごく似ていて、なんだか懐かしい。
パインや黄桃、茹で小豆も乗っていて、見た目もかわいい。 なんと言っても、ザクザク食べられるのがいい。
「しろくま」のお陰で、少し涼がとることが出来て、すっきりした。
明日は、アイスまんじゅうで、涼をとろうと思う。はぁ。暑う。
今日の昼は、フリューゲル&Vo.のTOKUのTV生放送ライヴを見た。
新しいアルバムからの三曲のラインアップで、プレイの完成度も高く、 そのままライヴCDに出来そうな勢いである。
ピアノ、ベースそしてTOKUの、ドラムスなしのトリオであったが、 この編成がまた、三人のコントラストがよく、 シンプルで厚みのある、いい演奏だった。
TOKUは昨年、芸森のジャズフェスで聴いたが、その時もいい演奏で、 何よりも、CDからそのまま飛び出てきたかのような声が、 野外ライブのスピーカーから流れてくるのが、信じられないくらい良かった。
TOKUを知ったのは、今日と同じ放送局の他の音楽番組で、 スティーヴィー・ワンダーの「可愛いアイシャ」を歌ったのが、 すごく良かったので、調べてCDを買ったのがきっかけである。
ファンになった者にとって、 CDでも、ライヴでも、それが例えTVの生放送であっても、 期待を裏切らない、数少ないミュージシャンの一人だと思う。
昨年、生で見たときは、ちょっとだけ神経質かも、という感じがしたが、 それもこの一年間、数々の大舞台や、NYCでのレコーディングを経て、 精神的に成長した部分が、うまく音楽に反映されていて、 プレイも熟し始めて来ているように思う。
福岡や青山のブルーノートで、どんなステージングをしているのか、是非一度見たいと思った。
2002年07月11日(木) |
女性が働き続けるという事。。 |
今日も台風の影響で、雨模様となった。
思いがけず、高校時代の同級生が会いに来てくれて、話をすることが出来た。
彼女には家庭があり、仕事は卒業後に就職した会社に勤続している。 家に帰ると、3人の子供たちが待っている。
彼女は「何でそんなに頑張るの?と、よく聞かれるけど、働いていたい」と言う。
数えてみると、確かに20年以上の勤続年数である。 誰がなんと言おうと、それは立派である。 女性が、結婚をし、子供を3人産み、まだまだ働きたいと言う。 いいじゃないか、と思う。
職場での男女差はない、とよく言われているが、 果たして、20年以上勤続の女性が、一つの会社に何人いるだろう。 そう多くはないと思う。
学生の頃、彼女は誰にでも優しくて、どんな時でもいつもニコニコしていて、 深刻な話など、全く話したことはなかったが、 そうかこんなに頑張りやさんだったのだ、と思うと、なんだか感慨深かった。
今日は、一日中雨模様で、肌寒かった。
台風も北上して来ている。 ニュースで各地の被害を伝えていた。 壊れた家や、土砂崩れ、川の異常な増水の模様を見ていると、 「自然が牙をむく」と言うのはこういう事か、と思う。
人間は、こんなに高度な機械文明を数々と作り出してはいても、 自然の雨風に関しては、それを予報することは出来ても、 止めることは誰一人として出来ない。 もう、為されるがままである。
ヨーロッパの方でも大雨は多く、 洪水被害の街の模様を、BSのフランスのニュースでやっていることがある。 ボートを洪水の街に漕ぎ出し、逃げ遅れた人々を救出する。 一軒一軒、声をかけて見回るのである。
家の二階からボートを呼ぶ母子、玄関先でボートを待っている人など様々である。
救出ボートに、愛犬と一緒に救い出される一人暮らしのおばあさんなんかもいて、 人権のきちんとしているところは、個人的な気持ちもよく理解されているし、 何が一番大事なのか、まず災害の救出や救済とは何か?をよく踏まえている感じがする。
こちらのニュースの、やれ飛行機が飛ばない、電車が動かない、 これでは仕事に差し支えが、などという話ばかり聞いていると、 何か違ってないか?と思ってしまう。 北海道の冬なんかは、毎回の大雪でそんな話は日常茶飯事である。 そんな悪天候に危険な移動をして、何の得があろう。
危機管理とは?などとゆっくり話している暇に、危機は知らぬ間に背後に忍び寄って来ているものである。
今日は晴れたので、昼に梅酒作りをした。
今年の梅は豊作である。 暑いさなか、青梅を2キロほど取り入れした。 ざっと見積もっても、残すところ5,6キロはある。 それは黄色く熟すのを待って、今年は梅漬けにしようと思った。 梅漬けは、梅干ほど手がかからない。 所謂、漬けっぱなしで良いので、非常に楽である。
青梅を洗い、ざるに上げ、一つずつヘタを取り、水気を拭き取る。
小さな頃から、これと同じ作業を何十回とやっているが、 青梅の季節に、今までにどんな出来事があっただろうか。
いくら考えてみても、思い出されるのは、 ただただ蒸し暑い、夏の午後だけである。
夕方、病院に入院中の母を見舞ったが、 梅の話をすると「梅干はだめ。残りは梅漬けにしなさい。」と言った。
春先に、綺麗な花を咲かせていた家の梅が、たわわに実った。 まだ実は青い。
取り入れをいつしようか?と思う。 梅酒なら、青梅の今の内、梅漬けや梅干なら、 もう少し黄色味を帯びてからという事になる。
実家の母が体調が悪く、入院した。 加えて、手術の予定も控えている。
うちでは、家族に病気の者が出た年は、 梅干を作らない方がいい、と云う謂れがある。 そういう時は、梅を干すのに暇もないし、 梅如きに、気なんか使っていられないという現実もある。 それならば、やはり梅酒である。
明日は少し晴れるだろうか。 味噌のついたこういう年度には、 雨の日の梅よりは、晴れの日の梅を漬けたいと思う。
今日は娘のリクエストで、映画「少林サッカー」を見てきた。 とにかく笑える映画らしい、というだけの知識で軽い気持ちで行った。
W杯サッカーを大真面目に見ていたこともあって、このサッカーかなり笑える。
大爆笑である。
だが、何故この笑えるカンフーサッカー映画が中国でメガヒットしたのかが、 見終わった後に、わかったような気がした。 ただ「笑えるだけの映画」では、なかったのである。
香港が、イギリスから中国に返還されて、 本土サイドの若い人たちは、何もかもが最先端の香港に憧れ、 逆に香港人は、神秘的な古き良き中国に憧れが強いのではないか?と、思う。 そんな時、現実では無理があるこのカンフーサッカーは、 コメディという名を借りて、新旧の文化がMIXされ、 彼らに、ピッタリはまったのかも知れない。
高層ビル街に、一瞬時代錯誤か?と思われるような、 カンフーをやっている主人公が、突然出現するのも大爆笑だが、 監督兼主演のその香港の俳優チャウ・シンチーは、 小さい頃からブルース・リーの大ファンだそうである。
そうか、なーんだ「温故知新」は中国の古い言葉だったなぁ、と気が付くと、 カンフーサッカー映画でさえ、何も不思議なことじゃなかったのである。
今日は、随分と蒸す、湿度の高い天候であった。
仕事の帰りにファミレスで食事をした後、車で見慣れぬ小道に入ると、 真っ暗な闇の中に突如として、白い花がたくさん咲いている大木が出現した。
車道には、その大木から散ったと思われる白い花が一面に広がっている。 今まで見た事がない花である。 一瞬、ヤマボウシかと思ったが、どうも違う。 ヤマボウシの花びらのように平らではない。 葉も、ヤマボウシにしては大きい。 道に落ちた花びらを拾ってくれば、調べようがあったのにと悔やまれる。
大きめのジャスミンのような花を纏ったその大木は、 近くのアパートメントの2階よりも背が高い。 車に同乗した者全員で、その木が出現した途端、 「うわっ」と、思わず声が出た位に大きい。
深夜の闇の中に、薄ぼんやりと白い花が浮き出ている。 何か得体の知れない大きな生物が、「そこにいる」感じがして、 花は綺麗なのに、存在そのものが不気味なのである。
桜の木の下は云々、とよく言うが、 樹齢の長い大木は、昔から切ると良くないと言う謂れがある。 何か、木に魂が宿るらしいが、わからぬでもない。 木も正真正銘、呼吸をする生物だからである。
車が通り過ぎる時も、ポト、ポトっと花が上から一つ一つ落ちてくる。 この暗い闇の中で何の為の花だろう、と一瞬思う。
はっきりとしない空模様の、蒸した深夜の闇のなかで、 恐らく長寿のこの大木は、何を想って突然の来訪者に花の雨を降らすのだろうか。
2002年07月05日(金) |
ウィンブルドンその後。。 |
ウィンブルドンテニスのベスト4に進んだヘンマン。 惜しくも、決勝に進むことは出来なかった。
今回一試合ごとに、ヘンマンはどんどん痩せていったような気がする。 毎回苦戦だったのである。
眼は落ち窪み、肩も出て、顎や足までもすっかりやせ細り、 力を振り絞ってプレイしているのを見ると、可哀想なくらいである。
今日の対戦相手のヒューイットは、USオープンでサンプラスを破り、 優勝したそうであるが、彼はなんと21歳である。
力強いサービスエースや、予想もしない場面での高いロブも、 ギリギリの所に、手堅く決めてくるヒューイットに ヘンマンは振り回され、力尽きた。 一歩及ばずだが、結果はストレート負けである。
英国の期待を一身に背負って、ヘンマンのプレッシャーも、 さぞかし重かったろうにと思う。
少し休養を取って、フェアでセンスのあるヘンマンのプレイを、また見たい。
2002年07月04日(木) |
スタバとビートルズ。。 |
今日の昼に、今週ラジオでサントラ盤を特集する映画「I Am Sam」を見てきた。 サントラ盤を先週試聴してみたら、とても良い音、良い選曲だったので、 急遽特集することしたのである。 それで、とにかく映画を見てきた。
主人公のサムは知的障害者だが、スタバの従業員でビートルズファンである。 生まれた自分の赤ちゃんに「ルーシー・イン・ザ・スカイ」にちなんで、 ルーシーと名づけた。そのルーシーがこの上なくかわいい。 普通の母親でも、子育ては最初、それはもう大変である。寝る時間もない。 母親に逃げられてしまい、彼は一人でルーシーを育てなければならない。 周りの人たちに支えられながら、ルーシーは成長し、7才の誕生日を迎える。 聡明なルーシーは、サムの知能を少し越えてしまう。 物語の発端はここからである。
その後は、ルーシーとサムをめぐる裁判の場面が多い。 とかく文明が栄えている社会の法の裁きというのは、 法の価値観における正当性のみが第一で、人の心や愛情なんかは、 全くお構いなしと言う感じがする。 確かに、サムが一人でルーシーを育てるのは難しい事かも知れない。 だが、ルーシー自身には彼が必要不可欠なのである。 それがゆるぎのない真実なのである。 スタバの映像も盛りだくさんで、一瞬宣伝か?とも思ったが、 セブンイレブンや、ピザハットも出てきて、 アメリカの一般の人々の普段の生活を、 ちょっと垣間見る事が出来て嬉しかった。
今日はレディースデイで、女性客が多かったが、 映画を見たすぐに、化粧室は、お化粧直しする人達で一杯であった。 私もバイシンを目に差し、アイジェルを塗り、化粧直しをした。 それだけ、泣けたからである。
2002年07月03日(水) |
ウィンブルドンの雨。。 |
ウィンブルドン、今日は天気が優れない。
雨で何度も試合が中断され、 深夜の4時(日本時間)を過ぎても再開されず、どうなるのだろう。 放送も中断されてしまった。
私が期待のヘンマンはベスト8に残り、今日はベスト4をかけての戦い。 1セット中に雨で一度中断、再開して1セット取ったところで、また中断された。 放送時間もかなり押してしまい、途中で終わってしまった。
よくよくちゃんと考えてみると、霧のロンドンという位だから、 向こうは雨が多くても当たり前で、テニスコート上にカバーを掛けるスタッフも、 素早くこなし、手慣れたものである。
観客も初夏ではあるが、傘だけでなく、ちゃんとマウンテンパーカーやレインコートを用意して来ており、 雨の日の観戦も慣れている感がある。
雨で何度も中断したり、日没で次の日に順延になったりしても、 自然のことだから仕方がない。また次の機会でよいではないか。 私たちには傘もあるし、パーカーもある。 雨が降っていてはプレイヤーはテニスが出来ないのだから、 雨が去り、空が晴れるのを待とうではないか。
その気分の切りかえしの早さというか、余裕のある考え方が好きである。
だが、ヘンマンの調子の良い内に早く再開してほしいと、 日本人の私は、ついつい思ってしまうのである。
今日の昼間、BSで義太夫の故竹本越路太夫の追悼特集をやっていた。
偶然、TVをかけたら、ちょうど文楽の出し物が映し出されていた。 極上の太棹の義太夫三味線に語り。なんだか泣けると思って見ていたら、 越路太夫の追悼特集であった。
この人の名前や、お顔をちゃんと認識したことはないが、 謡う声は、まさしく義太夫そのものの声であり、記憶に残る声である。
師匠の三味線と合わせの稽古の途中に、あまりに師匠の三味線が良いので、 一瞬、泣けて謡えなくなった事があるそうである。
特集の最後に、その師匠との稽古で謡えなくなった文楽の出し物、 「菅原伝授手習鑑」の桜丸切腹の場面の模様が流された。
訳あって、桜丸は父から渡された刀で切腹をしなければならない。 再会したばかりの父から言い渡された無念の切腹である。 その父も桜丸の妻の八重も、果てた桜丸の傍らで、 おいおい声をあげて、泣くのである。 同時に、語る太夫も泣いて語るのである。 会場から、掛け声があがる。 本物の最高の舞台である。
浄瑠璃の人形に、生命が吹き込まれるのはこの瞬間ではないか。 声の持つ生々しい説得力は、人の無念さや、愛憎までをも人形を通して表現し、 人形に魂を与え、見ている人々に感動を与える。
番組の最後に、もうこの世には存在し得ない太夫は「もう一生ほしい」と言った。
sizukuさんから、今回のTIME誌がトム・クルーズ特集と聞き、丸善に行った。
輸入雑誌は地下だが、ついつい上の階に上がる。 家に、これ位いろんな分野の本を集めた書庫があれば良いのにと、思う。 閉店のお知らせの放送が流れたので、急いで地下に下がる。
TIME誌はすぐに見つかったが、閉店直前でレジに人が並んでいる。 ふと目をやると、浅草のいせ辰展をやっている。 いせ辰の和紙の小物類は前から好きである。 ちょっと列を離れて見た。
江戸団扇があった。
「木版刷手作りうちわ」と書いてある。 粋な柄で、浴衣の男の人でも似合いそうな柄がたくさんある。
梯子や纏を持った、火消しの人達のシルエットが刷ってあるのが、気に入った。 水色の変わり格子の大きいのもなかなか良く、一緒に買った。 昨日今日と、気温が上がったので、自然と買う気になったのかも知れない。 買ったあとで、「そうか、もう七月か」と思った。
暦から言っても、紛れもなく団扇の合う季節となった。
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