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2002年06月30日(日) W杯最終日。。

長いようで短いW杯の一ヶ月間が終わった。
決勝は、ロナウドの後半2得点でブラジルの勝利。
ロナウドのこの4年間を思うと、優勝を祝福したい。

どちらが勝っても納得の好カードだったが、
私は70年代からのお付き合いで、ドイツを応援した。
惜しい場面が数々で、本当に紙一重であった。

表彰式で、ベッケンバウアーとペレがそれぞれの選手たちに声をかけ、
祝福して喜びあっているのを見ると、サッカーにも長い歴史があり、
偉業を成し遂げた選手たちの人並みならぬ苦労を思い、
なんだか、感無量になった。

世界中のプレイヤーたちは、明日からまた次のスタートラインに立ち、
4年後に向けて毎日のように戦い続け、優勝を夢見るのだと思う。

4年後、ドイツのフィールド上で、またどんなプレイやドラマが見られるのか、
非常に今から楽しみである。

本当に良い一ヶ月、エキサイティングな一ヶ月であった。



2002年06月29日(土) アン・ジョンファン。。

今日の3位決定戦はトルコが勝利した。
仕事の合間に、少し中継映像を見ることが出来た。

W杯前半から、話題になっている韓国代表のアン・ジョンファン。
軽く足首を故障しているらしい。

人気もあり、シュートチャンスも多い彼は、何度もアップ画面になる。
苦しそうにプレイしているが、顔が引き締まっていてなかなかいい。

彼の人気の理由は、この辺にあるのかも知れない。
たとえ負け戦だとしても、その悲劇性が美しく感じられる人というのは存在する。

トルコは、システムと個人技のバランスが取れていて、どんどんゴールする。
韓国はあと一点及ばなかった。

だがそれでも、韓国は史上初4位を獲得した。
整った顔のアン・ジョンファン、今度彼を見ることの出来るのは、いつの日か。




2002年06月28日(金) 佳境。。

W杯もとうとう佳境も佳境、日程もあと二日、二試合で終わりである。

やっぱり、ドイツのシュレーダー首相は来た。
それも、日本の政府専用飛行機に乗って。

サミットの合間の歓談中に「決勝戦を見たいが、自国に戻ると間に合わない」との発言に、
各国の首相が「それなら小泉さんの飛行機に一緒に乗ったらどうか」
と口々に言うもので、日本側もだんだん断れない雰囲気になったらしい。

なんだか楽しい。
人生一度きりしかない。
楽しんだほうが勝ちである。

有休をとって日本代表を応援した人達も数知れず、
それも「あり」だと思う。

この日記にも、W杯関連ネタは始まる前から色々と書いてきたが、
残すところあと二日だと思うと、長いようで短い一ヶ月であった。


明日の3位決定戦は、韓国代表にアジア史上初の3位を期待したい。











2002年06月27日(木) ウィンブルドン。。

今日は、深夜ウィンブルドンテニスを見た。
W杯中ではあるが、今月24日から開催されている。
地元イギリスのティム・ヘンマンの試合を、生中継で見た。

彼は、若手でデビューしてから、ずっとファンであるが、
いつも惜しいところで、敗退している。
今回ウィンブルドンは、注目のアガシもサンプラスも敗退し、
イギリスは、国民をあげて、ベッカムからヘンマンモードに入っている。
悲願の、地元イギリスの優勝をもたらす事のできるただ一人の男なのである。

今日の試合は、苦しかった。
中盤のセットポイントでは、デュースが4回も続いた。
ブレイクの応酬で、観客も溜息をもらす。
結果は勝利したが、優勝への道程はまだ遠い。

痩せて、変貌した彼の顔を見ていると、
プレッシャーも並大抵ではない事くらいは予想がつく。
外の観戦会場は、たくさんのヘンマンファンで埋め尽くされ、
ヘンマンヒルという名前まで、付いている位である。

試合後、小さな男の子たちにサインをねだられて、
黙々と静かにサインしているヘンマンを見ていると、
勝って奢りなしで、高みに目標を置いている決意が伝わってくる。


30日のW杯は楽しみであるが、今回のヘンマン、どこまで行き着くか期待している。



2002年06月26日(水) 原点。。

最近よく思うことに、ひとの価値観というのは、
何故、こうもそれぞれに違うものなのか、という事がある。

たくさんの人と接していると、
いくら話をしたり、説明をしても、全く通じず、
ということは、もう日常茶飯事である。

それは、どちらかが正しい、どちらかが間違っているという単純な二元論では、
全く説明がつかないので、話はますます混迷してくる。

ようするに価値観の問題なんである。
人それぞれに物事の見方と優先順位が違うんである。

ただ、そういう事があっても、音楽をやっているこちらとしては、
説明や理論よりも、大事なのは、まず演奏を聴いてもらう事である。

彫刻芸術や陶芸をやるには、まず力を込めて、土を練ることから始まる。
一見、単純そうなその作業は、実は作品製作の原点であり、
どんな芸術においても手仕事を忘れない、
精神的な原点に立ち返る、無心への入り口である。

いくらかの迷いがあったり、壁が前に立ちはだかったとしても、
自分自身の出来る事と限界は、大概決まっているもんである。

一生懸命は、誰もが格好が悪いと思うものだが、
なかなか結果が見出せない時には、
少し汗を流して、一生懸命やってみると、
失敗した時にも悔いがなく、結果的に、精神上いい効果があるのではないか。

映画の中の刑事のように、靴が減るくらい訊き込みに奔走し、
犯人を追いかけ、街中走り回ることもにも似て、
一心に何かを追い求めるというのは、結局そういうことではないか、と思う。









2002年06月25日(火) W杯韓国vsドイツ。。

アジア初のW杯ベスト4の韓国が敗退した。

私は仕事中だったので、結果はラジオのリスナーさんからメールで頂いた。
とてもありがたい。
彼女のW杯の感想も簡素に書いてあって、格別嬉しかった。

私はアジア人としては、是非韓国に勝って欲しいし、
70年代からドイツファンでもあるので、ドイツにも勝って欲しい。
心情は複雑であるが、どちらも悔いのないよう、
思い切ってプレイして欲しいと思っていた。

敗退した韓国は結果は残念だったが、やるだけやったのではないかと思う。
ベスト4だけでもアジア史上初、大金星である。
「めざせ横浜」は、韓国の多くの人々に大きな夢を与えたと思う。

さて、ドイツである。
明日対戦相手が決まるが、ブラジルなら夢の対戦になる。
過去、ブラジル対ドイツのカードは未だ行われたことはないのである。
今回史上初がいくつも重なっている。
トルコが決勝に進んでも史上初だと思う。

そんなことを思いつつ、私は4年後のドイツに思いを馳せてしまう。
また、日本代表が活躍する姿をぜひ見たいのである。



2002年06月24日(月) 偶然2。。

今日は、写真家の荒木経椎氏を街で偶然見かけた。
道往く人を、ニコニコ笑って話し掛けながら、パチパチ撮っている。

私は彼の本を何冊か持っている。
いわゆる過激なヌード写真で有名な人だが、
私の持っているのは、今はもう亡くなった奥さんとの共著や、
チロというネコの写真集、
奥さんを亡くして悲しいので、空を仰いで雲ばっかり写していた頃の本。

さぁ、撮ろうという感じじゃなく、
彼の眼を通して映ったものを、彼が感じた通りに記録することが、
結果的に写真になり、作品になりうるのではないかと思う。

音楽や録音をやる人間が、日常、耳から聴こえる音、
例えば鳥の声や、木々が風にざわめく音、
雨の音、波の音はいいと思うように、
写真家は、日常その眼に映るもの全てから、作品の可能性を感じとるのだと思う。


それにしても、写真家アラーキーはとても元気で、
(奥さんを亡くした頃は可哀想なくらい沈んでいた)、
この肌寒い札幌の夜に、精力的に撮影していて、なんだか嬉しくなった。



2002年06月23日(日) 偶然。。

昨日あるところで、偶然、アンチョビポテトなる物を食した。

アンチョビピザを頼んだ筈が、アンチョビポテトが来てしまったのである。
それも、なかなか美味しそうなので、間違いではあったが、
「それでいいです」と言って食べた。

これが、意外とおいしい。
じゃがいもを揚げて、アンチョビソースがからめてある。
アンチョビパスタはよく作るので、要はパスタをポテトに変えればいいと、
思って作ってみたら、その通り(!)うまくいった。

今日は、映画を見に行くつもりだったが、天気も手伝って、家族の調子が悪い。
誰も、出掛けたくないのである。

新聞を見ると、地上波で「メン・イン・ブラック」が9時から放送される。

それで我慢する事にした。
家族でアンチョビポテトを食べながら見た。
たまに、軽い映画も楽しい。

トミー・リー・ジョーンズを、初めていい俳優さんだなぁと認識したのは、
ハリソン・フォードの「逃亡者」の刑事役だった。
時間をかけて脇役から育ってきた人は、味があっていい。
アンソニー・ホプキンズも、そんな感じだと思う。

偶然見ることになった映画も楽しいし、間違えて来たポテトも美味しいと、
たまには、事の流れに任せて生活するのも、結構いいなと思った。




2002年06月22日(土) 不確実。。

今日は、W杯で韓国が勝ち、ベスト4に進んだ。
めでたい。アジアでは初である。
あぁこれが日本であったなら、と思わない日本人はいるだろうか。
どうだろう。少なくとも、私は強く思った。

さて、だいぶ前から、とあるお店に行きたい、とずっと思っていたのが、
やっとある方のお陰で、願いがかなった。

そこに行くのには、創成小学校を目指していくのだが、お店に着いてみたら、
なんと、創成小学校のある場所に、建物がない。
大きな空き地があるだけである。
カルチャーショック。

ガラス張りのお店から、大きな空き地を眺めると、
ちょっとシュールな、映画みたいだった。
何十年と、その建物を見ているのが、
偶然、今日に限って無いような、まるで悪い冗談のようである。

小学生の頃から電車に乗ると、その風景は必ず目にしていた。
確か、校舎の脇に温室があった。
それも、もう見ることはない。

昨日まであった事物が、今日はない。
昨日までは夢だったのが、今日は現実。
昨日までは善人だったのが、今日は悪人。
昨日までは許されたが、今日は許されない。


現世は、不確実な事で満ち溢れている。
確実な事など、不確実な事に比べたら、ほんの一握りのことである。







2002年06月21日(金) 水に弱きもの。。

今日は、よさこい祭りを駅前通りと薄野を通行止めにしてやっていた。

雨なので、踊る人も見る人もたいへんそうだが、
舞台裏の人たちもかなりたいへんである。

放送や、音響の機材は水に弱い。というより禁物である。
雨の中で中継したり、音出しするのは本当にたいへんな事だろうと思う。
照明、テレビカメラ、マイク、スピーカー、PAコンソール、電源供給。
水は絶対にまずい。

意外と思われるかも知れないが、電気を使わないピアノも、実は水に弱い。

あるところで、蓋の開いたグランドピアノに、
グラス6杯分の水をこぼしてしまった事故があった。
知らずに弾きに行った私は、弾き始めた途端、
一体何が起こったのか、さっぱりわからなかった。
いくら弾いても、音はごとんごとんと鳴るだけで、
ピアノとは名ばかりの、全く別物の音である。

たっぷりと水の被った弦は、二度と甦らない。
コイルのようになっているピアノ線は、
ちょっと拭いただけでは、水分は取れないし、すぐには乾かない。
見事に、そのピアノの弦の約3分の1が、取り替えられた。

ピアノ全体が水分を含んだ為に、
しばらくの間、なんだか音が曇って、綺麗に響かなかった。
そういう事もあるんである。

どしゃ降りの雨に打たれながら、それでも懸命に踊っている人たちを見ていると、
一番丈夫なのは、実は人間じゃないだろうか、ふと思った。









2002年06月20日(木) VOGUE。。

最近は、なるべく音楽関係以外は雑誌を買わないようにしているが、駄目である。
やっぱり買ってしまう。

VOGUE。
日本版が出るようになったのは最近の事であるが、
輸入版のフランスヴォーグやイタリアヴォーグ、
アメリカのもよく購入している。

ヴォーグの醍醐味は、グラビアである。
日本には、日本の良さがあるように、
各国のヴォーグはそれぞれに良さがある。
化粧品の広告ページも違う。
モデルのメイクカラーや質感が微妙に異なる。
同じ会社の広告でも、国によってメイクそのものが違うんである。

さて、外は雨降りの室内で、お気に入りのCDを聴きながら、VOGUEを広げる。
たとえ、そこが見慣れた家の居間であっても、気分はオートクチュール(笑)なんである。






2002年06月19日(水) 無垢。。

今日、BSでリバー・フェニックスの映画「旅立ちの時」を録画して観た。

ダニー(リバー)の両親は、兵器工場の爆破犯として、
何年間もFBIから追われている。
追手の影が近づくと、家族は町から町へと移動する。
名前を変え、髪の毛の色も染め、眼の色まで変える。
常に何かに怯えながら、家族は暮らしている。

彼にはピアノの才能があり、
音楽教師からジュリアードへの進学を薦められるが、
逃亡生活をしていては、大学進学もままならない。
父親は、家族はどんな時でも一緒でなければダメだと言う。
そういう父親の気持ちも、2才の頃から共に逃亡生活をしている彼には、
充分過ぎる程よくわかっているのである。
だが「旅立ちの時」は、突然訪れるのである。

リバーの映画は、以前に「マイ・プライベート・アイダホ」を観た。
何か救いようのない悲惨なイメージのある映画だったが、
突如、ことん。と、すぐ眠ってしまう病の少年役のリバーは、
まるで眠り姫のように、純粋無垢で綺麗であった。
汚れ役であったが、全く汚れて見えない。
デリケートな潔癖症の悪魔みたいである。


角度によって、驚くほど顔立ちが変貌する不思議な俳優だったと思う。














2002年06月18日(火) 感想戦。。

今日は、W杯で日本が惜敗。
何度もいい場面があり、今後もいろいろと期待出来そうである。

小さな子供達が今回のW杯を見て、テレビの前で応援をして夢を持ち、
いつかの日かサッカー選手になり、W杯で代表に選ばれてインタビュー。
「あの2002年の試合を見て、僕はW杯に憧れて、サッカーを始めました」
ということも、有りうることである。
「夢をありがとう」という言葉は、どこでもよく使われていて、
なんだかちょっと気恥ずかしいような感もあるが、
結局は、そういう事なんだと思う。

今回は、夢はかなえられた方じゃあないかと云う気がする。
史上初の勝ち点、初勝利、予選突破、そしてベスト16入り。
今日の試合を見る限り、ベスト8も夢じゃなかった。
ほんの一瞬の運や不運も、実力のうちなのである。
「負けたことを受け入れるには、時間がかかる」と、岡田前監督は言っていた。

将棋には、対局後、感想戦と云うのをやる。
打ち始めから投了までの手順、勝敗までの道筋をたどるのである。

ここでこう打っていたら、どうなっていただろう。
この時のこの一手が、勝因(敗因)だろうか。
そうして、次の対局への兜の緒を互いに締め直すのである。


見ているほうは、これで終わりと思うかも知れないが、
彼らの戦いはまだまだ、これからもずっと続くのである。







2002年06月17日(月) 茶室。。

「初めての茶室」(監修:佐藤理)を、読んだ。

先週旭屋で、建築資料研究社フェアというのをやっていて、
思わず手に取った本である。

取り上げられているのは、京都の大徳寺。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、20あまりの子院があり、
茶室に至っては、その数30室以上あるという。

茶室は特別な建築様式で、以前ある茶室を訪ねた折、
その部屋や庭の中にあるもの、例えば棚一つ、石一つ、障子一つ、
名前が悉くわからないので閉口した。

ちなみに、段違いの棚は、雲雀棚と云うのだそうだ。
他にも、曲がり木や、風炉窓、刀掛け。
まぁ、こういう本でもなければ、そういう固有名詞は浮かぶはずも無い。

形式化した、こういう建築様式は、まるで能舞台のような感がある。

面白いのは、刀掛けと刀掛け石。
武士は、茶室に入ると時には、刀を外さなければいけない。
茶室の中では、丸腰で誰もが同じ。

庭の手水鉢でみな手を清め、茶室に入っては、
同じ茶を回し飲む。

利休や織部は茶会を思い、茶室の建築のプランを練ったのだろうが、
質素な中にも、美はところどころに見え隠れしていて、
一度、このたくさんの数の、茶室巡りをしてみたいと思わせる本であった。



2002年06月16日(日) LES TROIS CLOCHES(三つの鐘)。。

今日は、北海道神宮祭であるが、亡父の命日であった。

昼に実家にてお経をあげて貰い、皆で会食をした。
供養と言うのは、もともと亡き人の為であるが、
残された者にも、非常に心の安堵感を呼び起こすと思う。

私は信心深い方ではない。
が、お坊さんがお経をあげているのを聴いていると、
なるほど、有り難いような気がして来るから、不思議である。

さて誰もが、国や宗教、宗派問わず、小さな頃から何度も目にしている、
お葬式などの、供養の儀式というのは、
何らかの形を取って、他人が遺族の悲しみの場に居合わせる事により、
それまでのプライベートな悲しみが、
その瞬間、何時の間にか社会的な、オフィシャルな出来事に変わり、
重い悲しみも、ほんの少しではあるが、いくらか軽減されたような気になる。

人生の始まりも終わりも、
どんな人でも皆経験する、当然の事である認識をさせられる。

ピアフが歌う「谷間に三つの鐘が鳴る」という曲がある。

谷間の奥の村の教会の三つの鐘と、一人の男の人生のことを書いた歌で、

一つめの鐘は、生まれて洗礼を受ける時、
二つめの鐘は、結婚をする時、
そして、三つめの鐘は、お葬式の時に鳴る。

そうして谷間の村では、毎年のように誰かのために鐘が鳴っているのである。








2002年06月15日(土) 謎。。

昨日購入した、今市子の新刊「岸辺の唄」を読んだ。
今市子は「百鬼夜行抄」が代表作で、
ミステリーコミックでは、なかなか人気のある人である。

今回の「岸辺の唄」は、鬼人を扱った中国ファンタジーで、
最小限の人物説明で物語は始まる。
その結果、読者は非常にミステリアスな設定を起点に読み始める事になる。

謎が解き明かされて行くのは、楽しい。

中途でほどけて絡まってしまった組み紐を、ほどき直しては、また組み直す。
そうこうする内に、組み直されてやっと元通りになった組み紐は、
初めてそこで、真実の顔を表すのである。

そうか。そういう事であったか。
その瞬間が、いいんである。

物語の謎が解き明かされた瞬間は、美しい。

何故なら、ファンタジーの世界では、たとえ謎が解き明かされたとしても、
幻想の真実は、やはり幻想のままで、幻想の美なのである。



2002年06月14日(金) 夢。。

今日は、日本がチュニジアを破り、BEST16を達成した。
韓国もBEST16を達成。快挙である。

まるで日本中がお祭りのようである。
今まで、サッカーに見向きもしなかった人達までが、大喜びしている。
道頓堀川にまで、飛び込む人がいるのも驚きである。

だが、こうして応援しているチームがゴールしたり、
勝利する事がこんなに楽しい、という事がわかれば、
サッカーファンも増えると思う。

今までも、日本サッカー界にスターはいた。
釜本や、奥寺、木村和史。カズ。
だが、サッカーは一人では出来ない。

いいチームが出来上がっても、
同じメンバーで最高にいい状態を保つのは、
ほんの短い期間である。

勝ってファンになるのは容易いことだが、
夢を持って気長に応援して行きたいと思う。

70年代のあるお正月。
W杯の優勝国のドイツナショナルチーム(ベッケンバウワー、ミュラーも来た)が、
招待されて、日本選抜チーム(釜本もいた)と試合が行われた。
そのカードをぜひW杯の決勝で見てみたい。何年かかってもいい。

私の長年の夢なんである。



2002年06月13日(木) 薔薇と蝶。。

そろそろ、多くのお家の庭やバラ園で、薔薇が咲き始める時期となった。

家の庭は、知らぬ間に牡丹は終わり(お向かいの後に咲いた)、
今では芍薬が開き、その濃い香りと、青林檎のような匂いの満開のカモミール、
薔薇の匂いとが混ざり、一種独特な香りである。

植えてある薔薇の中では、
早咲きのオールドローズが三種、咲いている。
十何年も前に苗を買った時には、それぞれの名前を覚えていたが、
今ではもう、すっかり記憶にない。

そのうちの一種、薄紫色の八重咲きは南フランスの特産で、
香水の原料になっている種類だそうである。
この薔薇の香りは、かなり濃厚な芍薬の匂いにも負けない。

その薔薇を8分咲きでポプリにしたり、ローズティーにした事もあったが、
近年は、花が散るまでそっとしている。

最近は、食用ハーブの他は、庭の花を切ることは少なくなった。
咲いてるものは、咲いている形のままで、
眺めてやりたいと思うようになったのである。

蝶を採集しない蝶マニアみたいなもんである。
(今日は、エゾシロチョウを庭で見た。早い。本来は7月の蝶。)
こういう温暖な年は、クジャクチョウやシジミがたくさん発生するかも知れない。
シジミの顔はかわいい。

あ。いきなり煩悩が。。



2002年06月12日(水) DEEP VOICE。。

さて今日は、KEIKO LEEのkitaraでのコンサート。

コンサート前に仕事が一本入っていたので、開演ぎりぎりに到着。
ステージを見ると、ヴォーカルマイクの後方に4発のモニター用スピーカーが、
マイクを中心として放射状に、斜め上向きに客席に向かって(!)、
設置してある。
kitaraで、こういうPA形態は初めて見た。

通常ヴォーカル用のモニターは、
ヴォーカルの前方に、ヴォーカルに向けて、
1、2台設置するのが、普通である。
それが、ヴォーカルの後方のスピーカーはヴォーカリストにも向けてあるが、
同時に客席にも向いているんである。
(客席のためのスピーカーは、あの左右に置いてある大きいスピーカー。)
kitaraは真ん中の席に座ると、確かにVocalものはちょっと物足りなかった。
音が分散しすぎて、ストレートに耳に届かないのである。
今日のモニターの設置方法も一つの手かな、と言う気もした。

さて、オープニングが「FEEL LIKE MAKIN'LOVE」「降っても晴れても」と続く。
「ディスタンス」の弾き語りは、格別良かった。
keikoLeeのDEEPVOICEの魅力は、
あますとこなく伝えられたのではないか、と思う。
途中、マイクのトラブルもあったが、PAプランは成功じゃないだろうか。
(kitaraでのヴォーカルものは残響の問題もあり、本当に色々難しい。)

サポートはいつものメンバー、野力奏一、坂井紅介、吉田次郎、渡嘉敷祐一。
今日、渡嘉敷祐一のドラムスソロは良かった。

実はこの渡嘉敷祐一、私は20年来のファンで、
調子の良いときも悪い時も、乗ってる時も乗らない時も、
どんなドラミングも聴いているが、
今日は本当に会心の出来ではなかったかと、思う。





2002年06月11日(火) 勿忘草(わすれなぐさ)。。

家の前の駐車場の脇に、勿忘草が咲いている。
綺麗な水色の小花をたくさん付けている。
さながら、夏の手編みのレースのようでかわいい。

こういうのを「人知れず」、と言うのだろうか。
野山に、一人静がひっそりと咲いているのに、よく似ている。
あまり変わり映えのしない草わらに、
そういった小さな花をふと見つけた時には、
誰もが思わず、得した気分になるものである。
花の方も、たとえ人の視界に入っても、認識されない事には存在も浮かばれまい。
互いに利、である。

勿忘草の花言葉は、俗に「私を忘れないで」と言われているが、
「私が、ここにいる事を忘れないで」が本当ではないか?と言う気がする。
思わず見過ごされてしまう存在の小さな花々。
もしかしたら、間違って踏まれてしまっているかも知れない。
踏まれていても、彼らは叫ぶ事を知らない。
残念な事に、植物は声を持たない。

慎ましやかに、ただ「ここにいる」と、小さな花を咲かせるだけなのである。





2002年06月10日(月) 市松人形。。

今日は札幌市内のデパートの催事の京都展に行った。

和紙に千鳥と波の版画が刷られている、菓子用の丸い敷き紙がかわいい。
すすきにウサギの絵が付いているのと一緒に購入した。
京都のものはどんな小さな物でも、まずデザインが美しい。
包装紙でさえも綺麗である。
みたらし団子の包装や、お干菓子の箱の毛筆の字までが、
計算され尽くしたかのごとくに、美しい。

かがみ石、金閣というお菓子などを買ったあと、
その一階下で京都伝統工芸展を見た。
漆塗りの家具や、雅な味わいのお着物。お茶会用のお座布団。
なんだか清冽な感じがする。

ふと見ると、奥にお人形が何体か飾られている。
市松人形。
眼が、生々しい。ガラスだろうか。異様な気配がある。
話かけたら、返事を素でかえされそうな感がある。
よく話題に上がる「髪が伸びる市松人形」も、わからぬでもない。
見てるそばから、今にも伸びそうである。ちょっと恐い。
今もこうして現存するという事は、
市松人形を愛する方々が、少なからずともいるということだろう。

値段を言うのは野暮だが、軽自動車の一台くらいは買える値段であった。



2002年06月09日(日) 日本に思う。。

今日は日本対ロシア戦。

昼に、図書館で用事を済ませ、久々に大型スーパー店でお買い物。
まだ4時前だと言うのに、凄い人出である。
8時半のロシア戦中継に合わせての食事の買出しか?とも思う。
私がドイツファンで、イレブン(というサッカー雑誌があった)を
お小遣いで、毎月買っていた70年代の頃の日本では、
W杯サッカーは、決勝戦の中継だけが日曜の昼過ぎに放映されていた。
しかしそれさえも、大人たちの話題にはあまり上っていなかったように思う。
F1などのカースポーツと同様に、ファンが増えてきたのは、ごく最近の事である。

さて、4時半からのBS映画「殺陣師段平」をVIDEOを取りつつ、
それでも、好きなものは見たい。結局、見ながら食事の支度をした。
新国劇を立ち上げたばかりの沢田正二郎に雷蔵。殺陣師段平は中村雁治郎。
脚本は黒澤明。
雷蔵の国定忠治も、ほんの少しだが劇中劇で見れる。
時代が大正で、髪結いの田中絹代と段平の住む家とその暮らしぶりが何ともいい。
真ん中に、すりガラスの入った障子戸。火鉢に炭、鉄瓶が沸いている。
箪笥や飾り棚。養女役の高田美和は、その陰に酒飲みの段平に知られないよう、
一升瓶を隠していたりする。
だが、段平が上京する際に、取って置きのその酒を出して来るんである。
そうだった。これが古き良き日本の心情だったか、と思う。
段平は沢田と喧嘩して新国劇を離れるが、死の床で「忠治の殺陣」を沢田にやって見せる。
段平は実のところ、沢田の事がずっと気になっていたんである。
泣ける大往生である。

今日のW杯の試合では、日本代表は本当によくやったと思う。
限界まで頑張って、必死で結果を出そうとしている人達には、
昔も今も、誰もが感動せずにはいられない。














2002年06月08日(土) 遠足。。

今日はラジオの生放送。

珍しく、コンピューターのトラブルで、番組前のコマーシャルが切れて、
十何秒かの合間、音が空白状態になった。
どうも二重のトラブルが、重なっていた。
久々の放送事故。生ならではである。こういう日もある。

さて気を取り直して、今日は遠足のテーマでやった。
ここのところ、学校ネタが続いている。
給食、運動会、遠足。
まるで、三種の神器のようである。
日本は就学率が高い。
従って、学校ネタは、殆ど100%聴いている皆さんにも通じる。
色んな遠足話を頂いた。

遠足は、まずおやつ選びから始まる。
おやつ代が200円だった人、300円だった人。
バナナが含まれるか、含まれないかは、生徒にとって死活問題(笑)であった。

真駒内公園から、支笏湖までの厳しい高校の遠足。
今は、路線が減ってしまった路面電車の貸切の遠足。
(これは私の学校でもあった。格別に楽しい。)
遠足の目的地で、そこの池や噴水に落っこちてしまう子もいる。
登山遠足。炊事遠足。
後から思い出してみると、結構楽しいもんである。
(当然、先生方は大変だったと思う。)
戻れるものなら戻って見たいのが、学校時代の自分じゃあないか、と思う。

だがしかし、いきなり試験の前日には、とても戻りたくはないが。。
















2002年06月07日(金) イングランド戦その後。。

さて、今日は問題カードの当日である。

夜10時半までは、静寂。
それからは、多分テレビなどで中継されていたとは思うが、
あの通りの大騒ぎで、どこかの成人式以上の賑わいである。

まぁ、何かへの怒りによる騒ぎという訳ではないから、
分からぬ訳ではない。
しかし、毎日見慣れた街並が、どうも他人のように感じる。
歩くのに、必要以上に緊張するんである。

街頭で配られている号外を貰って、ビルに滑り込む。
エレベーターに同乗したお寿司の出前さんが、
私の手に握られてる号外を見つめている。
細い両手には、重そうな二段の寿司桶。

思わず号外を彼に見えるようにして、解説までした。
「ベッカムのPKゴールで1対0。イングランドの勝ちですよ。」
一瞬、彼の顔が明るくなった。
「1対0で、イングランドの勝ちですね?」
エレベーターが開いた。
眼だけで会釈して、出前先へと彼は向かって行った。

大きな二段重ねの寿司桶を両手に抱えていては、
たくさん配られている号外を、貰いたくても貰えなかったろう。
それこそ、成人式を迎えたか、迎えていないか位の年頃である。
親方に、どんな事があってもお寿司を崩さないように、
ちゃんとお得意様に届けるんだぞ、と言われて、
緊張して出て来たのかも知れない。

彼も私も、いつものエレベーターで、ちょっと、ホッとしたのである。











2002年06月06日(木) イングランドvsアルゼンチン戦前夜。。

今日は、今回のW杯の一番の問題カードの前夜である。
札幌の中心街の今日の人口比率は、夜8時の時点では、
日本人5、イングランド4、アルゼンチン1と言うところであった。
ところが、深夜になるとイングランド勢優勢で、日本4にイングランド6。
マックもケンタも、もう日本じゃなくなっている。
パトカーもサイレンならして何台も走るし、何処の国かわからない。

札幌は冬季オリンピックも開催されているし、
毎年の雪祭りも、世界中からお客様がみえる。
米空母艦が小樽に寄港した時は、多くのアメリカ兵もたくさん来た。
だが、今回はちと違うんである。

フーリガンが、あまりにも前宣伝されすぎた嫌いもあり、
海外からの客人にどうもフレンドリーになれない。
雪祭りのようには、出来ないんである。

期間中、閉鎖している駐車場、臨時休業するラーメン店、
深夜営業を休止する、パチンコ店やゲームセンターまである。
加えて、前例を見ないほどの警備体制。
政府の要人や、皇族の方々の来札時よりも、
断然、比較にならない程の、ものものしい警備である。

だが、私は中島公園でジョギングしている外国サポーターらしき方々を、
ここ何日間で、何人も見かけた。
そういう健康的な人達もいるのに、皆、フーリガンと思われるのも、
非常に迷惑な話なんだろうと思う。

けれど今晩、交番の前で何事かあったらしく、
たくさんの人々が集まっていた。(100人以上の各国の方々。。)微妙。

明日は何事もなく、スムーズにドームでの試合が運び、
いつもの平和な札幌であってほしいと思う。






2002年06月05日(水) 猫。。

家の猫は、鰹節が大好物である。

こうして、仕事から帰って、
ライティングデスクの上でパソコンに向かっていたら、
下でお座りをして、黙って見上げている。
ずっとである。

彼女が欲しいものはわかっている。
でもなんとなく、ずらしたくなる。
色々と話しかけてみる。

お答えがない。
だって、欲しい物はあれなんである。
「鰹節?」
「にゃぁ〜」
猫って、意外と人間の言葉がわかるんじゃあないか、と思う一瞬である。

根負けするのは、いつも人間だったりする。
視線がびたっと、止まる。
どうしても負ける。

彼女は身軽で、水入れの水が残り少なくなっていると、
流しのボウルに張っている水をぴちゃぴちゃやる。
「あ〜ごめんごめん。」
そうです。水が足りないのです。と、眼でかたる。
私が起きるのが遅いと、ベッドの枕元まで来る。
冷たいあの濡れた鼻で顔をつつかれて、起こされる。

ふと、猫の思考能力って、実はかなりなものなんじゃないかとよく思うんである。








2002年06月04日(火) 日本W杯初戦。。

今日は、W杯の日本初戦があった。

相手は、赤い悪魔(どうかと思う。ちょっとだけ。)と言われるベルギー。
一点でも得点出来ればもうけもんである。そんなカードである。

トルシエのW杯の選手オーダーは、
トルシエが采配しやすいメンバーを選んだと言われている。
だが、いざ蓋を開けてみると、
それは中田がゲーム作りするKEYMANである事を念頭においた上で、
中田がリーダーシップを取るのに支障のない、
中田が采配しやすいメンバーによる、
中田のためのチームになっていた様に、私には見えた。

中田英寿のサッカーフォームをよく観察していると、
いかに彼が世界レベルに到達しているかが、よくわかる。
彼の目は、必ず「何か」や「誰か」を追っている。

ジーコは、サッカーをプレイする上で一番大切なのは、
まず「見ること」だと言っている。
各国のプロリーグの選手の目は、必ず何かを見ながらプレイしている。
今、その一瞬を、相手チームの選手やゴールの隙を見逃さない。

簡単そうで、意外と出来ないことである。
素人だと、もうそれは、ボールを目で追うぐらいが関の山である。
やはりプレイに余裕がないと、周りを見る暇がないんである。

今日の結果は2対2で引き分け。勝ち点1は、FIFAランキング33位の日本にしては、
最高の出来だったと、思う。












2002年06月03日(月) 走馬灯。。

前にも書いたが、私はERファンである。
カーター君はいつも心配させられるが、今日は違っていた。

今日の心配君は、グリーン先生である。
グリーン先生は脳腫瘍を患っており、今日が手術だった。
手術はずっと、本人の意識は保たれたまま、行われる。
先生の質問に受け答えながら、手技が進められるんである。
途中、グリーン先生の具合が悪くなった。
痙攣や意識の混濁が始まった。

その時である。
彼の今までの思い出や、仕事の記憶が、走馬灯のように映し出された。
一回目から見ているが、グリーン先生も今までにいろいろと事件があった。
決して、順風満帆な人生ではなかった。
どうか手術が成功しますようにと、祈るばかりである。

実は私も、グリーン先生のように記憶が「走馬灯のように」回ったことがあった。
睡眠中の夢で、何かもうこれは絶対絶命と言う出来事があり、
たくさんの場面、いろんな記憶の走馬灯が出現した。
「あぁ、そんな事もあった。こんな事もあったなぁ。この世ともお別れかぁ。」
だがそれは夢の中であり、眠りから起きてよくよく思い返して見ると、
不思議な事に、どれもこれも私の記憶ではなかった。

でも確かに、夢の中では私の記憶だと認識していたのである。
輪廻転生。リーインカーネーション。
少数の人には、前世の記憶が残ることがあると言うが、どうだろう。
遺伝子に記憶は組み込まれているのか?。。謎である。

夢の中の走馬灯のような記憶群は、
いまだに誰の記憶なのか、わからないままである。



2002年06月02日(日) お国柄。。

今日、BSでキューバのクラシックカーファンを取材した番組を見た。

キューバでは、クラシックな車を愛している人たちがたくさんいて、
普通に、公共道路で運転して走らせている。
というより、道路を走っているのは古い車ばかり。
古い物になると、30年代の車もある。

すごい高級車のクラシックカー、という訳ではない。
日本なら、多分「おんぼろ車」と言われる範疇だと思う。

昔のごく普通の、がたがたシボレーだったりするのだが、
傷にペンキを塗ったり、修理をして、みんな大事に乗っている。
現役のサルサシンガーも、移動に使っている。

キューバの紺碧の海岸沿いを、何台ものクラシックカーが走る。
古いので、ホイールがはずれたりするが、それも愛嬌である。
経済的には、余裕のない生活でも、心に余裕のある生活だと思う。
映像になると、その古い車たちはキューバの街並や、海岸に溶け込み、
味わいのある風景になる。行ってみたくなる程である。

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見たとき、
キューバの街の映像が、なんだかすごくいい風景だと思ったが、
今から考えてみると、新車なんぞは一つも映っていなかったかも知れない。

古くから歴史のあるホテルの、長年勤めているホテルマンのインタビューがあり、
革命の時は、たくさんの兵士たちが中庭のカフェに集まっていたが、
ホテルの人は、誰も何も言わなかったそうだ。
「私たちは、嬉しかったのです」と言っていた。

キューバって、いいお国柄なんだなぁ、と思った。





2002年06月01日(土) 我儘。。

時の過ぎるのは早いもので、もう6月に入った。

今年の前半は、何をして過ごしていたのだろう。
まぁ、本を読んだり、コンサートに行ったりと、結構充実していたように思う。
昨年12月のコンサートの疲れも、少しずつ取れた。
半年をかけて、企画、会場の押さえ、ポスター、チケット、リハetc...
何から何まである。

体の疲れだけでなく、脳のほうも疲労する。
コンサートの終わった直後に、たくさんの方々から、
「今度はいつですか?」と、ご質問を受けた。
「次のCDはいつですか?」とも言われる。

さて私は、来る日も来る日も、毎日歌っている。
大きなコンサートだけでなく、毎日歌っている。
その毎日も、私にとっては、毎回が本番である。
それも聴いて欲しい、と思う。

場所が小さい、大きいに関わらず、実は結構本気でやっていたりするんである。
「今日は本気で歌いました」と言う人がいるが、じゃいつもはどうなんだと思う。
ピアノに向かい、マイクを通して歌う。
自分自身の音の全責任は、たった一人の自分自身である。
演奏する人の孤独は、意外と多くの人は知らないように思う。

私の我儘かも知れないが、
まぁ、いろいろと気長に待っていただけると、非常に有難い。
せっつかれて作ると、決して良いものは出来ない。

「いつか?」の答えは、やはり自分自身で出したいと思うんである。
これって、我儘かなぁ。



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izumi [HOMEPAGE]

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