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■2002年07月04日(木)■

学生時代の楽器仲間が亡くなったことを知らせるメールが来た。メールを受け取った時点ですでに一週間前のことだったから、もう葬儀も済んでお骨になっていることだろう。仮にすぐに知らせてもらっていたとしても、ここ数年、年賀状だけの関係だった彼の葬儀のために福岡まで飛んで行くことはしなかったと思う。……思うけれど……。

その彼とは大学も違ったし、数えるほどしか会ったことはない。最初に会ったのは大学バンドフェアの合宿。九州の彦山だった。夜中まで必死に練習していたTpパートの一人が彼だった。深夜2時頃眠りにつこうとする耳に、かすかにTpの音が聞こえてきた。

2度目に会ったのは彼の大学の定期演奏会を聴きに行ったとき。終わった後「おつかれさまー」と声をかけるやいなや、「東海の次の事務局長、三幹(註)だって? ほんとうに大丈夫か」と問い詰められたのには驚いた。君は自分とこの定演が終わった直後に、他支部の次年度を心配しますか。(註:サークルの中で3年生が幹部をやる。東海地区では多い。東京では4年生幹部の大学が多いので三幹は非常に頼りなく見える←当時の話)

最後に会ったのは翌年の大学バンドフェアの合宿。彼は演奏者ではなく連盟の係として合宿に参加していた。参加者が100人近くいる合宿を影で支えるのは大変だったと思う。本番が終わった後、一番先に泣いたのは彼だった。みんな脱力感でまだボーッとしているときに、一人だけ涙で顔をグシャグシャにして、ステージから戻ってくるメンバーを迎えていた。みんな、彼の涙につられてボロボロ泣き始めた。

それからは暑中見舞いと年賀状でお互い近況報告を続けた。結婚も子どもが生まれたという報告も年賀状で知った(ちなみに今までもらった「結婚しました」ハガキの中では、彼の写真が一番いい。新郎新婦とも自然な笑顔でとても素敵だった)。郷里に帰った後は、高校で国語の教師をしていたらしい。周りで教職を取った友人は多かったけれど、「こいつの授業なら受けてみたい」と思ったのは彼だけだった。どんな授業をしていたんだろう。きっと生徒に人気があったんだろうな。

何年かしてからどこかの演奏会で偶然会って、お互いに年取ったねー、とか、まだ楽器吹いてる?なんて喋って……そんな勝手な予想をしていたのに。遠くで頑張っている、という便りだけで元気を分けてくれる人だった。もう一度会いたかった。もっと生きて欲しかった。


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