g o g o v t . >
→【 infor-mation 】
△once upon a time
2004年08月26日(木)
■■見守る者。見守られる者。





色々な意味で今 事実関係を明らかにしている。









今はそれ以上のことを ここに綴り 残していくことが
出来ない現段階。。













現在進行形ではなく 少しだけインターバルを置いて
書き留めることにしようと想う。























私信:メイルのお返事も 暫くできないと想います。せっかくご心配してくださり、メイルを送っていただいた方々には申し訳ないと想っています。
本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。ここでしかお礼をできないこと、お許しください。




るきの








2004年08月23日(月)
■■長袖を着たわたしたちは。



そうです。
抗癌剤中止から1年です。









その一年に、今月






変化がおきました。









小さな変化がもたらしているものは







大きな変化を意味するのかもしれません。













何故なら






ドクターの口からの『抗癌剤治療』という言葉。












『・・・1年、経ったんだよね。』と妹ちゃんが言った時








いままでの365日とは違う1年が





待ち受けているかもしれないということを









夏が終わりそうな寒い日に




長袖を着た二人で





感じているのだと、想いました。











2004年08月11日(水)
■■少しかきますね。。私信含めて。


実はわたしの妹は、診断がついた当初、
腸閉塞の危険があったので、暫定的に人工肛門が造設されました。

それからオペに行き着くまで、抗癌剤治療で腫瘍を縮小して、
癒着の部分をも小さくしました。

しましたというよりも、抗癌剤が効いたということの結果がオペです。


抗癌剤、効くか効かないか使ってみなければわかりません。
という説明を受けて、選択した道です。



ここに、“絶対”という文字はありませんでした。







そして、やはりオペの際には『人工肛門が閉じることが出来るかどうかは、開いて見なければわかりません。』との事でした。

それに納得できて、初めてオペを受ける、という運びでした。






ここにも“絶対”という言葉はありませんでした。






“絶対”という保証がない中、
時としてとても辛く、不安がふくらみ
そういう状況で選択を迫られることもあります。


でもそのなかで一番不安感を募らせているのは、
他の誰でもない、本人だと、わたしは想いました。





“絶対”がないのなら、何を基準に判断すべきなのか。
希望をどこに見出すか。

それをこれからもずっと一緒に考えて
自分達にとっての希望とはなんなのか、
明確にしていく必要があるのかなぁってわたしは感じています。


希望って一体何なのでしょうね。。
それは、その立場立場で違ってくるかもしれません。
でも、見つけられます。見つけていってください。

それが、治療の基礎であり
どう生きるかということになるからだと
わたしは想っているのです。


わたしは、これを書き込むきっかけになったHPで皆さんの生き方、
頑張りを拝見して、希望を見ました。
わたしが悩んでどうするの。落ち込んでどうするの。

どんな状態でも、生きているということに希望を持とうと。
生きている限り、それは希望だと想いました。


時にドクターは、殺生な言い方で告知や説明を
いとも簡単に行ったりもします。

そのことで希望を見失うこともあります。

しかしドクターは色々な方がいるので、説明も言い方も其々です。
希望を持たせてあげたいけれど、現実を省くわけにはいかない。


でもです。妹ちゃんの担当ドクターは、こういいました。
100%閉じることができると言い切ることが出来ない現実を話した後に



『私達も精一杯頑張ります。
だから、妹さんも頑張りましょう。
人工肛門を閉じることが出来るように我々もがんばりますからね。』

そしてこうも言いました。

『あなた本人だけの体ではないということは、お分かりですね。ご家族とも一緒に考えて方向を出さなければならないよ。』


この影には、
もし腫瘍を摘出したとしても
腸を切除してできる限りの固形癌を取り除いたとしても
“再発”という危険性がないと言い切れないということがあります。

ここにも“絶対”はなかったのです。


絶対がどこにもないのであれば
どうするのか。


どこに希望を見出すのか。

抗癌剤がいつまで効くか判らない。
オペをしても、全て切除するとしたら
永久人工肛門になる可能性がある。
しかも、そうしたとしても、
再発の危険がなくなるわけではない。
もし、人工肛門が嫌だからといって、腸にある固形癌を残せば
抗癌剤が効いていない部分だったので
明らかに進行して転移する。


どれをとっても絶対はなかったのです。



妹ちゃんのした選択は

“もちろん癌化した卵巣をとる。そして人工肛門を塞ぐことのできる可能性”に賭けました。それが人工肛門が塞げないという可能性が残っていても
腫瘍摘出と、人工肛門閉鎖を選択しました。

わたしたちは
どこまで進行していたら腸を大幅に切除しなければならないのか
具体的に聞きました。それを聞いてオペに望みました。

地獄の中に、希望を探したのです。






妹ちゃんはオペが終了し、ICUに戻るベットの上で
ストマが閉鎖できたことを知って

泣きました。


これがわたしたち家族がみた希望です。


しかし。
それでも子宮がなくなって、卵巣がなくなったことに対して
妹ちゃんは荒れました。


そして。

身体からは、腫瘍化していない癌細胞が
見つかりました。




どこまでいっても、絶対はありません。

しかし
だからこそ、今どう生きるかを考えます。
何を選択するかという妹ちゃん本人の意思を汲み取りたいのです。


生命力を、信じたい。
あたしが凹んで落ち込んでどうするんだ。
どうあろうと、あたしは妹ちゃんのおねーちゃんだから。。

生きている限り、あたしはそれが希望だと。




こうして今に至ります。
抗癌剤中止から、1年です。
オペから数えて一年半。


まだ月に二回ほど、精密検査をうけなければなりません。


それでも、生きている毎日が
わたしにとっての光です。









なにか、届くものが少しでもあったとしたら幸いです。








▲in the future
エムピツ投票は風任せで。

My追加



>