現代詩手帖の新しい号は「戦後関西詩」の特集。 関西詩といえば、なんと言っても大阪であれば小野十三郎。京都であれば天野忠。このおふたりの故人の名前が必ず出ます。
昨日は富岡多恵子さん、正津勉さん、その他の方のエッセイを読んで、そんなこともあったのかとうなづいてばかり。 現に河津聖恵さんのように京都在住のH氏賞受賞者もおられるけれど、「京都の」と言われるとやはり天野さん。「大阪の」となると小野さんになります。 通天閣や南の繁華街とか…いわゆる「観光」的な大阪はいっさて出てこない大阪の詩。東京に背を向けて、ひたすらに京都で続けられた詩作により生まれた、輝く作品たち。
そこにある詩人たちこそ、「詩を生きる」お手本です。詩を書くことをほとんど断念しかかって読まなかったそういう本を、今、読んでいます。 はじめて「生きはじめた」のかもしれない。 今度ばかりは退くわけにはいかないので。
何者かになるというのは二の次で、とにかく書いていこうと決意を新たにしたしだいです。
それにしても「系譜」…。 小野十三郎、金時鐘、梁石日、富岡多恵子。…名前を書いてるだけで凄みがある。 京都だと天野さんに近いところでは山田稔さんがご健在です。こないだ「リサ伯母さん」を読んだところ。そして大野新さん。このひとの「酔って歩く死体をずらして」というフレーズは若いころ呪文のように唱えていました。
現代詩の別の側面が関西にはあるような気がします。
|