「鈴懸の径」を聴いてます。もちろん鈴木章治氏のクラリネット。 「鈴懸」とは「プラタナス」のことです。「すずかけ」とはなんともチャーミングな名前ですね。京都の街路樹はこのプラタナスがとても多くて、新芽がいよいよ吹き出してきました。また秋まであの大ぶりの葉がゆらゆら揺れる街になります。
葬儀などの人出で町内がごたごたしてましたが、夜になって落ちつきました。一息ついてハナと散歩。雨も上がり、風が吹きぬけて気持ちよかったです。 歩きながらゴザンスの800字のあらすじを考えてました。歩き終わる頃にはだいたいできていて、みんなが寝てからPCに打ちこんだら1200字ぐらいあって、それを詰めてさっき、投稿しました。
ハナには感謝です。あんまり机の前でうなっているよりも外に出たほうが考えることに集中できるみたい。今は家の中にいたら犬と猫のことばかりになるからなんですが。 それと深夜に一人でPCに向かうまでには考えのラインぐらい創らなきゃと思っています。電気代もバカにならないし。ということでオフラインの時間を大事にしています。
だけどPCに打ちこんでいて突如、見えてくるものもあるし、なかなかそうもいきませんね。詩の方はPCの画面上でゼロから作ることが増えてきました。だけど基本的にはあいかわらずノートに書く「派」です。
本の方は「言葉の外へ」にひきこまれてます。「強い言葉」というか「言葉が強い」んですよ。ぐいぐいひきこまれてます。 詩のこともいろいろと考えさせられています。あくまで自分の書いてるやり方でいこうとは思いますが、「何を」ということを、しばし立ち止まって考えてしまいますね。もっと「言葉の工芸品」のように考えた方がすっきりするのかもしれないけれど、それでも「何の」という前振りがつきます。
テーマはまだ「光」です。「光」のありようを考えたところから立ち上げる「クセ」ができてしまっているような気もします。追いこむだけ追いこんだら次のテーマを考えます。「考えます」ってもうあるんですが、「胡麻屋の辻」という詩集をまとめきることです。その時は「街」のことをじっと想います。 いくつか続きのものを書いたのですが、ものになりそうなのは今のところ一つしかなくて、まだ公開はできないでいます。書きながらどこに行くかを考え抜くか、あらかじめ枠を決めてその中でまとめるか。そんなことも考えますが、やはり、前者でしょうね。
時々、二度と書けなくなるんじゃないか、と想う時があります。だけど、そのあたりのことも「言葉の外へ」には参考になる話しがあって、励まされます。 とにかく絞り出して絞り出していかないと前には進めない。それは事実のようです。
気分転換には絵を見ることもいいのですが、フェルメールの画集、探して見ようかな。手持ちじゃ不十分。そうそう昨日見た、伊藤快彦の鴨川の絵はすごかったな。 明治の京都ってこんなだったんだ、と。写真よりも空気を伝える絵はありますね。
さてと、そろそろ寝なければ。 ではでは。
|