散歩主義

2003年04月19日(土) 句読点

だいたい日本語には句読点は存在しなかった。書き言葉のための「装置」。昔からそんなものなしで文は書かれていたんだ。と、ほら、もう何回も句読点使ってる。

仕方ないよね句読点無しで書くということはこういう事態を招く事になるから

読みにくい? ん 

詩では句読点使わない人と使う人がいる。だけど普通の文章ではまず使うよね。
こんな事を考えたのは黒テントの佐藤信さんの新作インタヴューをメルマガで読んだから。んー、やっぱりないと読みにくいべ。句読点。

新作は「絶対飛行機」というんだけれど、その台詞に句読点はいらないと気がつかれたそうな。それは演劇の「即興性」を失わないための配慮なんだと思った。しかも今回は全編音楽が流れっぱなしで、抑揚というか「台詞の作曲」は俳優がやるそうなんだ。え、それって集団リーディング? と一瞬思う私でしたが。違うみたいです。

でも、テント芝居って昔から句読点なしで台詞読んでたじゃん、と思わなくもないんだけど。
つまり、佐藤さんが言いたいのは「人間のひとつの思いは句読点なしで語られる」という事のよう。
それは詩でもそうじゃないかな。

「はやり」というわけじゃないけれど 散文詩を中心に 句読点の入るところや 意味をわかりやすくするために こういう 一字開き という技術が多用されてます。

「読誦を前提とした詩」などは句読点が飛びます。開いた一字もとびます。息がそこにはいるのかな。「詩集」という活字を前提としたものとはおのずと違ってくるわけです。

今、ネオブックの原稿を入れていて、最後に迷うのも句読点。いれるべきかとるべきか。ぼくの詩は「行わけ詩」じゃないからとってしまおうと思ってます。基本的に「誦してこそ詩」と思っているので。

まぁ、そんなことよりも「詩」がいかにのびのびと生きているかどうかという事が第一義であることはいうまでもありません。

そういえば「胡麻屋の辻」には句読点がない詩が多いんじゃなかったかな。

そんなこんなで外は曇り空。雨の匂いがしてきました。本が届かないかな。

「黒テント」の「絶対飛行機」。東京・北千住にアドバルーンが上がってるそうですよ。京都にも回ってくるのかな。なにせ音楽つけてるのがモダンチョキチョキスのISO氏だから。




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