もともと、最近の詩は書き直しというのはほとんどやらなかったのです。 一年か、ニ年後に書きなおすことはあるけれど。サイトに公表している詩のなかでは、最初の頃のは何度書きなおしたかわからないぐらい書きなおしました。
やりだすときりがなくて、そんな自分に疲れてしまっても、まだやるので、やらない、と決めたのでした。だけど一日中、詩作に没頭できないので、書きなおしを再開しようと決めました。短い時間に集中して書くことが多いです。土日や投稿前の少しまとまった時間とかに。
で、ゴザンスのネオブックプロジェクトに登録して書き出したのはいいのですが、これが改訂につぐ改訂。いままでの作品が「ベース」になのですが、手をつけないのは入選作ぐらい。とにかく納得がいくまで書き直しです。いまのところ書き終えた作品はふたつ。だけどこれもまだわからない。 全部やめて新に書き起こす事になるかもしれない。
いままでの作品をモチーフに、もっと深化させたいというのが望みです。
今日も一日かけて載せる予定の詩を書きなおしていました。だいぶニュアンスが変わりました。 いかに明らかにするか、が大事。いかに棄てるか。それも大事。ほんとにこの詩は息してる?これはもっと大事。
ところで「書き手」と「発話者」は別。という入沢さんの有名な詩論はいまやアマチュアのすみずみまで行き渡ったけれど、それで自由になった分、だからなんでもあり、という人が多いです。 それは違います。入沢さんもそうは言っていません。
北川透さんの「発話者」を作った「書き手」とは?という鋭い問いにいったい何人の詩を書く人が答えられるでしょう。
「詩を書く私」がなにをするのかという自覚がなければ、詩なんてただの嘘です。 それを胆に命じています。
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