| 2003年02月01日(土) |
四人の秀吉、そして「物語」 |
今日はテレビの放映開始から50周年。NHKで生放送でいろんなプログラムをやってます。 大河ドラマで豊臣秀吉を演じた4人がずらっと並んだ図は初めてじゃないかな。 緒方拳、西田敏行、竹中直人そして香川照之。それぞれの秀吉像があったけれど、ぼくは香川さんのがいちばん好きです。
それにしてもNHKの歴代のニュースキャスターの人達のバランス感覚はすこごいなぁ。鋭かったです。
ところで 「物語」ということについて考えてみました。 ぼくは詩の中に「物語」をいれようと思っているから。 「物語」といえば「小説」。だけど小説じゃなくて「詩」。 高橋順子さんの「時の雨」という詩集。あれは通読すれば物語であることがわかります。海外の長い散文詩の多くにそういうものがあります。
日本ではどうでしょうか。 「物語」の構造はもう、古臭いとよくおもわれがちですが、実はそんなことはないと思うのです。ほとんど日本の文学が積み上げてきた物語の構造の展開か応用ではないかな、という気がします。 どんなに新しいように見えても、骨組自体は伝統にあるような気がします。日記文学にしてもそう。
詩の場合、少しづつ生まれていく詩を集めてひとつの詩集にするもの。あるいはテーマを決めて、それを追いかけていくもの。 あるいは即興に徹し、後に残さない、というのもあります。
ぼくがとても惹かれるのは、テーマを追うものです。去年、考えつづけていた「光」のように。実はそれは今でも続いていて、光のある場所、時間。光を浴びるもの。光を成立させる影、光の力、などさまざまに光を想いました。 考えていないなと自覚しているのは「ネガティヴな光」。はたしてそんなものがあるのか、というとあるのですね。いや、光は光としてあるだけで「受け取る器」しだいだとも思ったり。 と、そんな風に考えつづけていくやり方です。
「物語」…。集中して勉強したいです。今に酷似している時代と、そしてその時の読物、と。そして、ぼくのひかれる「物語」と。 大袈裟に聞こえると想いますが、自分なりに秘密の通路を見つけたく想います。
今日は忙しくていけなかったんですが、今日から京都の美術の新鋭たちの作品展が三条高倉の京都文化博物館で始まっています。 これにはなんとしてもいきたい。犬と猫の世話を任せてもいきたい。 たぶん35歳以下の人達の作品展だと思います。垂直な、抜けるような覚醒を絵画から受けることも多いので。 なんとか時間を作れないかな…。
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