| 2003年01月07日(火) |
もうひとつの「抱負」 |
昨晩、ゴザンスのメルマガに今年の抱負を書きました。年始早々には完全に書く事を諦めていたテーマだったのですが、不思議と書くべし、と情報が来たりしたため書くことができました。 さて、それとは別にある方の文章をレジュメのように読みつづけています。これを「抱負」とはとても言えませんけれど、書く事を励まされた文章でもあるのです。 この日記を読まれている方になにかしらのヒントになればと思い、一部を書きとめておきます。書いた方は井坂洋子さん。書かれていたのは、婦人公論 2002,12,7日号 フォーラム「詩」の評からです。この月のタイトルは「空虚を制して」というものでした。
<毎日きまりきった生活をしているし、保守的な暮らしぶりで経験も少ない、だから書くこともなくなってしまうのだと、長い間書いているとそういう思いにとらわれがちです。生活に新味が感じられないときというのは、生命力が衰えているとも言えますし、確かに詩が生まれにくい状況だとは思います。 けれども、そのような時にこそ、想像力と向き合ういいチャンスなのかもしれません。身辺に材をとった詩を書いても、厳密に言えば詩は現実の写しではありません。つくりもの(虚構)であり、書かれた詩作品には、現実とは微妙に違った空気が流れています。自分がうみだした場で、自分を解放してやること−−そんな事ができるのはそこが虚の空間だからです。 空虚という言葉がありますが、虚の空間にはこちらを黙らせてしまう空虚も立ちはだかっていて、自分の想像力の強度が試されているんですね。 圧倒的な空虚を制して、まず声をあげ、自分の心地よい空間を創り出すことからはじめましょう。うまくいけば自分の声がひろがり、等身大の自分を描きながらも、等身大を超える喜びに浸されます。>
これからあとは、各作品の評が続くので省略します。このとき、ぼくはこの詩のページへの投稿を止めて、「胡麻屋の辻」を書いていた頃でした。 だけど、井坂さんのこのようなお話を読むのが好きで自分が投稿していなくても読みつづけています。(先月の末に投稿を再開しました。) 詩の成立の仕方。想像力の大切さ。書いていく上で重要な示唆がここには、ぎゅっと詰めこまれていると思います。
「空虚を制すること」…これがもうひとつの、隠した「抱負」というか今年のレジュメであるのです。ずっとそうであるかもしれません。
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