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2005年07月13日(水) 非戦、非競争主義 その1

僕は、非戦、非競争主義者だ。

反戦でも、反競争でもない。
非戦であり、非競争。
消極的に戦いや競争を避けて生きている。

どうして、このような事を書くのか、というと、僕が生きている戦争、競争社会と僕自身の非戦、非競争主義との乖離があまりにも大きいからだ。
ここで言う戦争とは、広義の戦いであり、いわゆる戦争ではない。

職業上、僕の周りにいる人たちは人生の勝ち組みである。
同僚もクライアント日本最高峰、もしくは世界最高峰の学歴、職歴を持っている。
戦って、競争に勝ち続けて来た人たちである。

人生で勝ち続けて来て、自分より優秀な人間には出会ったことがない、と自称する「エリートちゃん」にとっては、僕は、理解不能な存在らしい。
常に戦い、競争で勝ちつづけてきた「エリートちゃん」からすると、僕の行動パターンは理解しづらい。
ステータスにもカネにも興味なし。
野望ゼロ。
相対的価値観が根本的に欠落し、極私的な絶対的価値観のみで生きている。

「今は戦闘中ですよ、競争に勝たなくてはならないのですよ、何をボケた事を言ってるんですか」というスタッフからの非難は慣れっこになった。
僕は、常に戦闘中の身であり、競争に勝たなくてはならない立場にある。
僕が率いる部隊は、戦闘で敵を殲滅して当たり前であり、競争に勝つだけではなく、敵を再起不能にまで叩きのめすことが、飼い主であるクライアントにとっての当然である。
勝って当然、殲滅して当然、再起不能にまで叩きのめして当然。
負けなど想定にすら入っていない。

そのような戦闘、競争世界で勝つためのプロであり参謀が僕なのだ。
非戦、非競争主義者の僕の毎日、毎時、毎分、毎秒が戦闘中であり、競争。
戦争のプロ、競争のプロ。
戦争、競争の参謀。

プロであり、参謀である僕が最も興味がないのが、戦争、競争に勝つことである。
勝つことに興味がないので、僕は戦争や競争を避けることを第一義に考える。
戦って、競争して勝つことではなぃ。
僕は、思考のほとんどを、戦い、競争の現場で、戦い、競争を避けることに費やす。
当事者にとって、戦うこと、競争することは、無駄なエネルギー、資源の浪費だと思う。
戦争や競争のおかげで、僕たちが進化してきた側面は否定のしようもないけれど、当事者にとっては、歓迎できるものではない。

何だか左巻きっぽいぞ。
書きながら某国の主体思想に似ているような気もしてきた。
資本主義社会の申し子のような僕の根源にあるものが、非戦、非競争。
矛盾が大きい。

僕はどうして戦争や競争を避けようとするのか?
ひとつには僕の生い立ちであり、もうひとつは僕の性格に起因するものではないか、と思う。

まず、僕の生い立ち。
僕は生まれたとき、超未熟児だった。
僕がこの世に生を受けた時点で、両親は僕が何日生きられるかを覚悟していたらしい。
成人するまで生きられるか、五体満足か、ではなく、この子の人生は、何日なのだろう、だった。
僕の両親にとって、僕は立派な人間になって欲しい、とか、社会の役に立って欲しい、とか、せめて他人様に迷惑をかけないで生きて欲しい、という期待は存在しなかった。
この子は、何日生きられるのか、生きていけたとしても何らかの障害を持つのだろう、と思われていた。
保育器で濃い酸素を吸って何とか生命を維持していた生まれたての僕の脳は、マトモに機能しない可能性があった。
僕は生きていること、この世に存在している事自体が奇跡、というレベルの期待を持って育てられた。
僕の両親にとっては、僕が言葉をマトモに話す、自分で歩く、という事が既に奇跡だった。
僕の両親にとっては、僕が生きているだけで奇跡なのである。
ただ生命を維持しつづけている事がそもそもの奇跡。
おっさんに差し掛かる年齢に達しつつも、未だに人間ドックでA評価を保ち続けていることが奇跡。
僕は、生まれて3日後も生き続けた、成人まで生き続けた、おっさんになってもまだしぶとく生きている。
死にそうな気配はゼロ。

生きているだけで丸儲け、という期待値で育てられた僕にとって、戦闘で勝ちつづけなくてはならない、競争で勝ちつづけなくてはならない、というプレッシャーは存在しない。
結果的に、僕は戦いでは勝ちつづけているし、競争でも負けることもない。
でも、それは結果論であり、僕は戦いで勝ちつづけようとも、競争で勝ちつづけようとも意識したことはない。
他者からは勝つことを期待されつつも、自分自身のなかで相対的に勝つことは考えない。

僕がこの世に存在し続けていることが、そもそもの奇跡。
僕が生まれたとき、医師は、僕が生後数日を生き延びたとしても、何らかの障害が残る覚悟をするよう、両親に告げたらしい。
幸い僕の脳には障害は残らなかった。
身体にも障害なし。
ただ、眼は未熟児だったせいで、生まれながらにして弱視だった。
でも、それはレーシックの手術により、解消された。

僕は、生い立ちから非戦、非競争の世界で育てられた。
生きているだけで丸儲け、両親の期待値である生後数日を生き延びた、それどころかおっさんになるまで生き続るとは思いもよらなかった、という僕にとって勝ちつづけることの意味合いはない。
僕にとって、戦いつづけること、競争に勝ちつづけること、は想定の範囲外。
生きていることが、そもそもの奇跡。

そんな僕が、常に戦闘モードであり、勝ちつづけなくてはならないのか、はどうでもいい事だ。
でも、僕の職業は、戦争や競争で勝つためのプロであり、参謀だ。
僕は、どこでどう人生を誤ったのだろう?

同僚やクライアントの「エリートちゃん」と接していて、この人たちとは、根本的に異なるのだな、と思いながら日々の最低限の糧を稼いでいる僕なのであった。

長くなりそうなので、つづく。




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