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2005年05月05日(木) 報道無罪

JR福知山線の脱線事故から10日が経過したにもかかわらず、トップニュースは連日、JR西日本関連である。
僕は今、関西の実家にいるので、ローカルニュースでもJR西日本糾弾が続く。
JR西日本糾弾ネタだけで、テレビの前で一日を過ごせる。

驚愕の事実発覚!!!

「JR西日本の社員は、ボーリングの後、二次会で寿司を食べただけではなく、三次会で焼肉を食べていたことが発覚しました!」
「JR西日本の隠蔽体質はどうしようもないですね」
「どうして隠すんでしょうか?」
「鉄道マンとしての誇りはどこへ行ってしまったのでしょうか?」

焼肉を食ったことまで記者会見で報告しないと、隠蔽工作なのだそうだ。

「あんたら、もうエエわ。社長呼んで!」

敬語なしの記者に呼ばれて、JR西日本の社長、深夜の会見。
ボーリングと寿司と焼肉の謝罪会見。

「『どの面下げて』行ったのか、遺族の家に」

「どの面下げて」だって。
ジャーナリストは、特権を持っているらしい。
報道無罪。

JR西日本が引き起こした事故は、重大だ。
事故を引き起こしたJR西日本の体制や体質に問題があることも事実だろう。
事故後、二転三転するJR西日本の発表に信頼が置けなくなっていた事もあるのだろう。

でも、マスコミはちょっと調子コキ過ぎ。
記者会見は、糾弾の場ではない。
マスメディアはいつから裁く権限を得たのだ?

テレビは、おどろおどろしいBGMで事故を伝える。
マイナーコードの悲しみたっぷりのBGMで、被害者の声を伝える。
JR西日本幹部のコメントのBGMは悪役用。

今回の一連の報道を見ていると、主観的要素があまりにもハナにつく。
これは、ジャーナリズムではない。
ただのエンターテインメントだ。

報道は「客観」であるべきか、「主観」であるべきか。
それは二元論では語れない。
事実は客観として伝えられるべきだし、それに対するコメントに主観が入ることは当然のことだ。
報道には編集作業が伴うので、完全なる客観報道はあり得ない。
カメラのフレームや言語のような制約条件がある限り、完全な客観報道を行うことは不可能だ。
だが、ジャーナリストには制約条件があるからこそ、客観報道に努める使命がある。
「事実ではなく真実を伝える」というのはジャーナリストの奢りだ。
ジャーナリストは裁く事ではなく、伝えることが仕事だ。
報道に主観を混じえることは、ジャーナリストにとっての罠だ。
主観報道は、客観報道よりも容易だし、メッセージも伝わりやすい。
ジャーナリストは客観報道を常に意識し続けなくては、主観報道に傾く。
主観報道を否定はしないが、安易に主観報道に陥ることは危険だ。
意識しなければ主観報道になってしまうのだから、ジャーナリストは客観性を常に意識しなくてはならない。

どこの放送局にチャンネルを切り替えても、報道の論調は同じだ。
主観報道であるはずなのに。
報道の自由が認められている国なのに、論調は同じ。
限られたチャンネルを切り替えようと、異なる意見を聞くことはできない。
これは、マスメディアによる暴力だ。
メディアレイプだ、と僕は思う。

JR西日本の犯した罪は大きい。
でも、裁くのはマスメディアじゃない。
コメンテイターがキャスターが記者が、感情を剥き出しにし、怒り狂いながら、ヒステリックに報道する。
これはジャーナリズムではない、と僕は思う。




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