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2005年04月29日(金) サイボーグ妄想

僕は、「ほとんどサイボーグですね」と言われる事が多い。
僕は、眠らず、疲れを見せないので、サイボーグ扱いされる。
僕は、眠らないし、疲れない。
正しくは、眠気や疲れを感じる神経がぶっ壊れている。
眠気も疲れも感じる事ができないのだけれど、実際の身体は、疲弊している。
ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンが出る弁が壊れているのか?

今から1年前、僕は精神的には何らの異常も感じていなかったのだけれど、自律神経の異常により、マトモな歩行すら困難になり、あげくの果てに通常の歩行時に転倒し骨折する、という状態にいた。
僕の精神は、慢性的なナチュラルハイの状態にあり、睡眠時間は3時間だった。
複数の重要な案件を同時並行させ、週末も休まずに働いていた。
座っている限りにおいて、僕には異常は認められなかった。
重要な会議の発言においても、チームへの指示のしかたにおいても、異常はない。
だけど、立てない、歩けない。
脳は異常を認知できないのだけれど、身体が思うように動かなかった。
時間とともに、手も自由に動かせなくなり、パソコンですらマトモに操作できなくなっていった。
首から下が自分の意志通りに動かない。

戦闘状態のジャングルのような、極限状況に長期的に置かれている兵士に起き易い症状らしい。
脳は、極度の危機的状況に置かれると、防御反応としてドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを分泌し、闘争か逃避かの態勢に入る。
本来押さえ込まれていた自分の潜在能力のリミッタ−をカットし、力を開放する。
火事場の馬鹿力、というやつだ。
だが、火事場の馬鹿力が日常的になってしまったならば、身体は自壊する。
人間が日常的には、本来の力を出し切っていないのは、自壊しないための防御機能だ。
僕は、その防御機能が壊れていた。
リミッタ−がカットされている。
リミッタ−をカットした状態で、生活を続ければ、当然ながら身体は壊れる。
クルマのエンジンのオーバーブローと同じ。
僕は、脳は正常に機能しつづけていたが、リミッタ−をカットされた脳と、ノーマル仕様の身体のバランスは取れていなかった。
身体の限界を脳が上回り、過負荷に陥った身体は、脳の指令を処理できなくなっていた。

多くの人はストレスがかかりつづけると、うつになる。
防御反応として自閉の方向に向かう。
僕の場合は、全く逆にストレスに対し、脳が開放に向かった。
ストレスに対する逆ギレである。
ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンの過剰分泌、日常的な過剰分泌の連続により、脳が開放された。
そして、それが常態化し、身体が脳についてこれなくなった。
本来備わっている防御機能がはずれているのだから、身体は壊れる。

当初、医師は、極端な睡眠不足と過労による自律神経失調であると診断した。
だが、治療を続けていくうちに、睡眠不足や過労が原因ではないことが明らかになっていった。
僕の脳は異常活性しており、身体能力の限界値を脳が超えていた。

今、僕は、薬物投与により、人間としての正常な生活を送っている。
薬物により、脳にリミッタ−をかけ、身体に過負荷がかからないようにしている。
薬物を使わなくてはまともな生活を送れない僕は、事実上のサイボーグだろう。

人間の大脳は、必要以上に強力だ。
CPUである大脳は、人間の身体のその他のシステムに対して、生きることに対して、必要以上の処理能力を持っている。
僕は、大脳の処理能力に対しては不満はない。
ボトルネックになるのは、身体であり、自律神経である。

ヒトの大脳の処理機能は、身体機能に対してオーバースペックである。
ただでさえオーバースペックである大脳は、ネットによる他者との意識の共有化、外部記憶の並列化により、かつての人類を未体験ゾーンへと誘う。
でも、僕の身体は一万年前から進化していない。
強すぎる大脳と身体の乖離は広がる一方だ。

僕は、眠けも疲れも感じない。
それは、病気であり、医療機関による治療も受けている。
でもそれは、僕だけに起こった現象ではない、と思う。
僕がたまたま、これから人類に起きるであろう脳と身体の乖離を、少し先行して体験したに過ぎない。
加速しつづけるテクノロジー、情報化、脳とネットワークの緊結合化。
脳が処理すべき情報量は、幾何級数的に累増している。
僕の大脳の処理機能は、必要な情報を処理しきった。
だが、身体は、それにはついてこれなかった。
真っ先に、自律神経が破綻した。

大脳の処理機能は、脳の外部化に対しても、対応できるのだけれど、身体は対応できない。
身体のなかでもコンピュータに例えるとバスである自律神経は、大脳と較べると帯域幅が狭い。
無限に拡張された大脳、かつて人類が使っていなかった身体のなかの大脳の処理能力をフル活用しようとすると自律神経がボトルネックとなる。
僕は、脳にも精神にも異常が認められなかったが、自律神経がオーバーロードとなり、身体がブローした。

僕は身体、自律神経は、肉体として処理能力に限界があるので、対処方法としては、大脳の処理能力を抑えるしかない。
大脳に薬物で強制的にリミットをかけることにより、自律神経、身体にかかる負荷を低減させる。

僕は、事実上のサイボーグではないのか、という妄想から逃れる事ができない。
自分の大脳、身体をケミカルを使用することでしか制御できない。
大脳と身体の乖離を避けるためには、ボトルネックでもある身体、自律神経に対し、大脳の処理機能を抑えることでしかバランスが取れない。
僕の大脳の処理を無制限に開放してしまったとしたら、身体、自律神経が先に破綻する。
「神」は、人のアーキテクチャーを設計する際に間違いを起こしたのではないか、と思う。
強力な大脳と下等動物と何ら変わらない身体、自律神経。
現代は、大脳の異常進化の時代だ。
かつては脳と身体は不可分であり、自然のなかで脳と身体はバランスを保ってきた。
だが、現代は脳と身体のバランスが崩れている。
情報処理を行なう脳ばかりが必要とされ、入出力を担う身体の相対的価値は下がっている。
僕は、脳ばかりを使用し、脳と身体の連携させるための訓練を怠ってきた。
自然のなかで過ごす事、人間や自然を相手にして戦うスポーツ。

医学的には僕は病気であり、治療中だ。
でも、それは大脳を最大限活用することではなく、大脳の処理能力をボトルネックである身体、自律神経にあわせてセーブしましょう、という治療である。
せっかく獲得した脳の拡張に対し、それを古い身体に合わせるしかない。
脳と乖離している身体は、筋力ではなく、自律神経なので、身体を鍛えても改善しない。

既に顕在化している僕の大脳の処理能力の飛躍的向上に、身体や自律神経を合わせることができない。
ネットにより外部記憶、他者の脳を共有化できる力を得た僕の大脳は、薬物によって抑制せざるを得ない。
人類の進化の最前線にいるかもしれないのに。
いや、僕の脳や身体に起こったできごとは、神の意志に反しているのかもしれない。
身体を置き去りにし、脳だけを進化させてきた僕は、もはやマトモな人間ではないのかもしれない。
自然を無視し、デジタル情報ばかりを過剰摂取し続けて来た報いかもしれない。

ネットによる大脳の異常拡張に対して、一万年前に神が創りたもうた旧バージョンの身体に、脳の出力を抑制することによりレベルを合わせる。
僕のバスである自律神経は、一般の人と同じなので、僕の大脳の拡張に身体は耐えられない。
僕の脳と身体の乖離は、脳にリミッターをかけることにより対処されている。
僕の脳の処理能力にはまだまだ余裕がある。
でも、身体はついてこられない。

脳の異常進化と置き去りにされた身体の乖離は大きい。
いっそ脳だけ残してサイボーグになってしまったほうが良いのではないのか、という妄想が僕のアタマをよぎる。
だが、それには、身体の拡張ではなく、バスである自律神経の帯域幅を増やさなくてはならない。
アーキテクトである「神」の人類に対する設計は、大脳はオーバースペックであり、身体は大脳に対して脆弱だ。
なかでもバスである自律神経の帯域幅は狭い。
シナプスの反応は、大脳の指令に対して、あまりにも遅い。

僕は、機械ではないけれど、薬物を使用しなくては、マトモな社会生活を送れない。
僕自身は既にスタンドアローンでは存在し得ない。
僕は、ネット接続された外部記憶、他者との繋がりによって、なんとか成立している。
僕は、医師から処方された薬物が切れたら、人間としてマトモに生きていく事ができない。
僕は、脳をネットに強結合させることにより、ネットワーク化された身体として存在しており、脳本体は薬物により脳内物質の分泌量をコントロールして生きている。
僕はハードウエアとしては機械ではないけれど、ネットワークや薬物の支援により、存在している。
ネットやシステムによる過剰なまでの支援を前提として存在しつづける僕は、社会学的や心理学的な問題より先に、医学的に異常をきたした。
僕は、既にサイボーグなのだろうか?




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