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2004年12月31日(金) ダラダラとした無為の年もおしまい

2004年は、僕にとって「ダラダラとした無為の年」として終了しようとしている。

2004年の前半は、体調不良のなか、強引に仕事をしていた。
年の前半で体調は悪化を続け、夏前に休職を余儀なくされた。
年の後半は何もせず、ただただダラダラと時間を過ごした。

僕は、浪人も留年もしていないし、転職時にも間の休みを取っていない。
このような自由な時間、無為の時間を過ごすのは学生時代以来だ。

結果論にしか過ぎないけれど、このダラダラと過ごした無為な時間は僕に必要だったのだろうと思う。
「起こってしまった事は全て良いこと」である。
全ては必然なのだ。

僕は、この半年の間、何らの有益な活動も行ってこなかった。
ひたすら楽器を弾き、本を読み、ネットを漁り、ゲームをやり、DVDを見た。
生産的な活動はほとんど行わなかった。
どこまでも無為な時間。

最も貴重な資源である時間を無為に過ごしてきた。
時間の浪費って何て素晴らしいのだ!
ポジティブに浪費するわけでもなく、ただただ無駄に流れる無為な時間。
腹が減ったら食事をし、眠くなったら眠る。
やりたいことだけをやって、やりたくないことはやらない。
生物としての欲望、欲求を制御することなく、流されるがままに生活する。

僕の流れを制御するのは、情報だけだった。
ネットからテレビから雑誌から新聞から、メディアから垂れ流される情報だけが、完全に受け身で過ごす僕を、下流へと向かって流していった。

ひたすら受け身に、流されるがままに時間をやり過ごす。

時間は常に加速している。
加速度は増すばかりだ。
僕は加速しすぎた結果、時代に過度に適応しすぎた結果、ブレーキをかけることを忘れてしまっていた。
ブレーキが壊れてしまった。

この1年は僕にとって、貴重な1年だったのだろう。
加速する技術だけじゃなくて、止まる技術も必要だ。
自動車教習所だって、まずは止まる技術から教える。
止まるための技術が完全になってから、はじめて走る事を教え、加速することを教える。
僕は止まる事を知らなかった。
間寛平(止まると死ぬのじゃあ〜)じゃないんだから。

僕は「人並みはずれた体力の持ち主」、「疲れを知らない子供のような大人」と呼ばれ続け、自分自身も自己の身体の限界を知らなかった。
だけど、今年は僕の身体にも限界があり、自分がただの人間でしかない事が良くわかった。
自分自身の脳と身体がバランスを崩す、という非常に興味深い状況に陥り、自らを実験台として、自分の脳や身体に対して様々な発見があった。

年が明けたら、また再起動。
年明けからは活動を再開する。
錠剤をかじりながら。




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孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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