| ∈医師との関係。∋ |
| 2008年07月03日(木) |
すごいお久しぶりです!
何から書いたらいいんやろう…?
最近の体調は、扁桃炎やら、膀胱炎やら、歯髄膜炎やら、感染症ばかり患って、抗生剤のお世話になりっぱなしです…。
免疫を落とす治療してるから、仕方ないんだけど…。
でも、高熱!とか、ひどい状態にはならないから、まだ 大丈夫かなぁ…と。 在宅生活を送るに大切なのは、早めの対処だなぁ〜と、つくづくわかってきました!
今は、父が会社を退職して、家にいるので、通院に車出してもらえるから、診察も行きやすいです。
あと、近頃、ようやく頭の中で、整理できるようになったのは、医師との関係について。
一言で言うと、割り切って付き合えるようになったかなぁ〜と。。。
前は、患者として、医師に求めるものが多かった気がするのです。 私は、多くの中の患者の一人で、患者が思う程、医師にとっては、思ってないのかもなぁ〜と。 だから、「医師ならば、わかって当たり前!」とか「(患者の私として)思うような診療をしてくれない!」
と憤りを感じるのは、もしかしたらお門違い(使い方あってる???)なのかもなぁ〜と。
先生にとっては、たくさんの患者の中の一人でしかなく、あくまでも仕事としての作業です。 だから、そこに患者から、心理的なものを求めるのは、違うなぁ〜と。 診察は、カウンセリングとは、また違う…と思うのです。
じゃあ、私としては(患者として)、医師に何を求めるだろう?と思ったら、今の所は、(治験を含めた)積極的治療でもなかったんです。
だから、いくら私の話を聞いてくれて、治してあげたい!私の病状をより良くしてあげよう!と、親身に診療に当たって下さる先生でも、積極的治療を提案する医師ならば、きっと続かないと思った。
目の前で見えるもの。 診察が丁寧、親切、コミュニケーションが上手という=医師への良い印象と、だから、この先生に体を預けられると思うか?と言えば、そうじゃない気がした…。
私は、そう思いました。 (あくまでも…私が思っただけのことです。)
きっと医師も人間だから、性格が違うのと同じで、病気に対する考え(治療法)なども違うのだろうなぁ〜と。 そういうのは、患者一人一人に合わせて考えてはくれないことが多いんだろうなぁ〜と。 ならば、患者が医師に合わせるか?または、合う医師を探すか?しかないんだろなぁ〜と。
だから、今、この先生を信頼している! と感じていても、病状の今後の変動によっては、合わない…と感じるようになるかもしれないなぁ〜と。
私は、積極的治療を拒否というか、体力的に無理だから、今の病院の環境で十分対応できる、と感じました。
医師だけじゃなく、病院によっても、できる治療・医療は変わってくる感じがします。 今かかってる近くの病院は、地域の急性期の病院だから、再発時のパルス治療は、入院できなくて、基本は外来か、私の場合は在宅になります。 でも、入院しても、できることは在宅と同じ感じがします。 むしろ何回も再発・パルスを経験している分、私の方が医療者より知識があるし、この先、この病気と付き合っていきにおいて、医療者に頼りきってしまうのではなく、自覚と責任を持って生活することが大切なのかもしれない。
医師は患者が思ってる程、患者のことを思ってばかりはいられないし、ずっとその病院にいて、私の病気や体について、思って考えてくれるわけではない。
だから、医師に頼るのは、求めるのは、やめよう〜と、最終的に思ったんです。
あの先生にこう言われた、こういう対応しかしてもらえなくて…と、前の私は思ってました。 でも、そんなこと言ってても、何も始まらないし、自分が変わるしかないなぁ…と。
じゃあ、私は、いったい病院や先生に何を求めているんだろう? と、すごく考えた。
そして上の答えが出た。
それは、1年半くらい前に、在宅医の先生が、アドバイスくれた内容と、全く同じだったわけ…。
私は、自分の実感として、学ぶまでに、この年月を要した。 1年前は、何て酷いこと言うんだろうと、在宅医の先生の言葉を拒絶し、医師として高い意識がないと、見下してもしまう所だったけれど…。
現実を知ることにより、きちんとこれからのことから、目を逸さないで、見つめられるようになった。
難しい病気を患ったのは、事実で、その中でも、私の場合は、病状や治療が困難なケースでもあるそうで、それが現実。 それを、治して欲しいとか、少しでも回復したいという願いに、現実的には、答えられない部分を多く感じているだろう…私の主治医の先生…。
私が、主治医の先生を、信頼できてないことが、診療の場での態度などで、伝わっただろうし…。(在宅の先生は、そんなことも、医師は一々気にしていない。一人の患者さんを、良い意味でも、悪い意味でも、一々覚えて気にしてられない。と、おっしゃられるが…。) 距離ができてしまったなぁ〜と感じるのが、残念…。
やはり、診療の場では、顔に出さない。 常に先生を信頼してる印象は大切だと感じた。 そもそも、信頼関係がないと、医療は成立たないと感じるので…。
だけど、目に見えることで、信じきって頼りきってしまうのではなく、常に、自分はどうしたいか? どう医療を受けたい? 治療は受けたい?と、考えることが大切かなぁ〜と。
何が言いたいのか…わからなくなってきちゃいました…(汗)
コミュニケーションが上手で、診療も治療も上手(自分にとっては)が、一番医師に求めるけれど…
そこまで、完璧な医師もいないんだと思う。
それと、難病だから、治らない(回復しない)ことも多い…。
だからこそ、診療の場には、治療よりも、コミュニケーションが大切なんだろうけれど…。
だけど、あきらめずに、最善な治療=積極的な治療をしてくれる医師に、安心しがちな気がしてしまう…。 でも、副作用などの、治療を受けるにおいての、様々なリスクも背負わないといけない。 今のことだけじゃなくて、多発性硬化症やクローン病は、生命予後には関わらない病気だから、人生の先のことも考えていかないといけない気がする。 最悪、病気は進行して、副作用のリスクも抱えてというパターンも考えられる。 私の主治医は、そのことを、きちんと言葉にしてくれたから、今私は、とても感謝しているんです。
やらない後悔はしたくない。 とは、私は思えなかった。
まぁ、私はいろいろ病気してて、体ボロボロで、人より体力がない(治療に持ち堪えられない)ということもあるのですが…。
何だか、すご〜く冷たい意見を書いてしまいましたが、本当に綺麗ごとを、医療に持ち出さないようにしようと、思ったんです。 綺麗ごとでは、何も進まないなぁ〜と…。
これから、医療はどんどん悪くなっていく気がします。 うちの地域の医療現場は、日本の全国的な5年くらい先を行ってると言われていて…。
内科や各科の閉鎖もそう。 入院期間の短さも(全ての患者の平均入院日数)、10年くらい前から、全国の中でも、短かったんです。
だから、今後は、難病患者の入院は、できにくくなるかもしれない…と感じてしまう…。 早期に治療=結果を出し、これ以上見込みがなくなれば、高度病院(中核病院以上の)医師としての関心をなくしてしまう…という現状になるかもしれない…。
ならば、それでも、在宅で支えてくれる地域医療の医師を探すことは、今の日本では、まだまだ基盤がない…。 まして、難病ならば、医師としての知識がない。
本当に何言いたいんだろう…。
私も、悩みながら、いろいろだけど…今後も、時々により、求める医療は違ってくるかもしれない…。
だけど、やはりずっと悩み続けるんだろなぁ…。。。
あくまでも…上に書いたことは、今の私としての意見です。 これが正しい!と、書いてるわけではありませんので…。
では、また書きに来ます!
またね〜♪
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