99745..チェリー
今を見よう〜前を向こう☆
2008年04月25日(金)
昨日は、神経内科(大学病院)の診察に行きました!
今年の1月以来です(3ヶ月ぶり)。

地元の病院の神経内科と眼科にも、通院しているのですが…(そこは消化器科が閉鎖されて、ない)。
外来〜在宅パルス以上の治療は無理なので、何かあれば、大学病院にお世話になるという形で。

その先生には、去年〜クローン病が悪化した時に、消化器科を紹介して頂いたりで、すごーく心配して下さっていたので、結果報告をしました☆
まぁ、カルテを見ればわかるし、すでにご存じみたいな印象でした。

しかし、昨日は、予約の方が、2時間遅れで(!)、私は予約外だったのですが、2時間ちょい待ちました。
先生が、「すみませんが、予約の方を先に診察したいので、お待ち頂いて構いませんか?」とおっしゃられたので、「もちろん、いいですよ〜♪」と、先生はお疲れなのに、診て頂くのが、申し訳ない気分でした…。。。

予約の当日に、体調が悪くなる→予約外の日に行くことになる。というサイクルを、何としても変えないと!
予約前日以降は、電話で、予約取り直しができないのが、難点なんですよね…。

今日だけが、こんなに混雑してるんだろか?と思ったら、いつもこんな感じだそうです。
医師1人当たり、1日に35人以上もの患者を診る。
先生は、お昼ごはんを食べる時間もなく、医師の疲労も凄まじいものがあるだろう…。

そして、今の私の麻痺や痺れに関しては、発病当初の、後遺症が大きく残ってるから…という結論で。
そういう先生の意見を聞かせてもらって。

MSとして大きな再発を起こせば、今以上に、ドーンと悪くなり、私の場合は、すでに、寝たきりや失明になっている、と…。
だから、今の所、小さな再発を繰り返してるのかな?というお話でした。

その小さな再発が、本当の再発なのか?病気の後遺症として残ってるものが、体調が悪くて、出るのか?
判断は難しい…と。

それくらい、発病当初の再発が大きくて、後遺症も残ってるから、今治療したからと、それは、どうしようもない…と。

私は、病気が判明するのが遅れて、発病当初は、心因性という疑いで、全く治療もなされなかった。
あの時に、治療してれば…と、また思えてきて、悔しくなったのだ…。

そして、今度、大きな再発をすれば、また後遺症が残れば、寝たきりや失明する確率が高くなると言われているし、でも、そんな再発するか?わからないことを考えて、今を不安に暮らしても、仕方なくも感じるし…。

小さな再発も、治療しなくて、放置して、また何年か後に、後悔することになれば…とも思ったり…。

だけど、こう治療すれば絶対的ベスト!だとか、言えないことが多い病気だと、私は思ってるから、自分が選んだことを、何かや誰かのせいにしたくなく過ごせればと、今の所は思っています。

誤診の体験も、1つの病院や医師を信頼するのではなく、病院を早く変わればよかった…という私側の責任もある。
医師も間違うし、絶対的ではない。という教訓にもなった。
また医学でわからない部分は多いし、医師にもわからない部分があるだろう。

難病の治療は、進んで欲しいし、患者側の勉強も必要だろう。
だけど、私は、医師は絶対的ではなく、自分の知識も絶対的ではなく、常に迷って、選ぶのだろうなぁ…と思う。
医療や治療って、迷うことの繰り返しだと感じる。

そして、結果だけはきちんと出るが、結果論で過去を見れば、後悔することもあるだろう。
自分にできる反省をして、それを今に生かす。
そして、また間違い…そういう繰り返しなのが、人生なのかもしれなくて。
誰かや何かや自分に、100%完璧なものを求めるのは、不可能なんだということだ。
例え、えらい人でも、間違いがない未来を保障してくれなく、100%安全な医療もないのかもしれないなぁ…と。
これはあくまでも、私の考えです。

私は、治療について、感傷的に向き合うのではなく、あくまでも、客観的に医師と向き合いたいが。
だけど、病気との付き合いが長くなり、まして治療が好転しなくて、障害が進行すると、人生について、精神論で結論付けてしまいがちになる。

また治療についてを論じるよりも、患者側としては、医師の顔色を伺ったり、自分の体の苦痛に、例え、口先だけだったとしても、理解して下さる先生、自分の思い通りに、検査や治療を動いて下さり、安心させてくれる先生。
などに、心証を向けがちだ。

何を求めるかは、患者それぞれだけど、私は、そういうものを、過去に求めてきたんだと思う。

今も、どういう風に、医療や病気と向き合えば?付き合えば?ベストか?わからないが、自問自答するしかないのだなぁ〜。
そして、全て、求めてものが揃った場所は存在するわけがなく、何を得て、何をあきらめるか…かもしれなく感じる。

患者だって、人間だから、精神的に満たされることは必要だし、ロボットのように、治療について、冷静に客観的には向き合えない。
私は無理。

どうしても、病気が悪化すれば、感傷的になるし、病気を治して!と求めては、現実を非難してしまう…。

そして、闘病のみで生きていけなく、生活が続いてく。
難病の治療にも、お金がいる。
お金、お金、お金…。
そういう生活圏の悩みも、ふつうにある。

不治の病をテーマにした、ドラマみたいに、生活感がなく、感傷的な・ドラマチックな毎日などないのだなぁ〜。

家族を大切にしたいし、生活もあるし、自分の病気が一番。
病気なんだから、尽くされて当たり前(患者の治療優先)。

というドラマみたいには行かないし、現実は、行くべきじゃないのだろうと、私は感じる。

強くなれよ、自分!
自分の足で(心の)、立て!

と、強く思う。

人は、個々、強く弱く生きてるのだなぁ〜。

生命の神秘さを感じるね。
→やはり、客観的ではなく、感傷的に論じてしまう私…。



2年くらい前の自分と、今は違う。
医療者への不信感が和らいだなぁ〜と感じるのです。
あと、後悔したくない!と、がんじがらめになってた私と向き合う医療者は、いつだって、ピリピリ?恐怖感を感じさせてただろうなぁ…と。
最善を望む思いは、今もある。だって、自分の体だから。
現状と、医学の知識や技術的に尽力を尽くさず、精神論で片付けられるのも、嫌だが。

病院での人間関係が変わったのもあるだろうし、少しは、私自身も変わったのかもしれない。
悪循環が、好循環に変わったのかもしれない。

全てに、感謝☆
そして、また悩みながら、生きてくのだろう。



長々とすみません…。
あと、あくまでも、私の主観的な考えです。

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