| ∈お祭り♪∋ |
| 2007年10月07日(日) |
昨日、今日と、地元では、秋祭りが行われています。 昨日と、今日、見に行きました。
でも、さすがに…今日は、日曜日で、お祭り最終日ということで…、めっちゃ、人!人!で、混雑してました。 途中で、電動車椅子の、充電が切れるし…(汗)
地元の、同級生を見掛けたり、親戚や知り合いの子(子…と言っても、年上や同い年くらいやけどね)と会ったりね。
友達のことを、『連れ』と呼ぶんやけど… みんな、お母さんになって、1、2才の子を連れてたわ〜。 めっちゃ、カワイイんやけどね、やっぱね…自分は、車椅子姿やし〜、未婚やし…凹
あたしは、学生時代から、子どもがめっちゃ、欲しかったから…。 こういう人生になるなんて、思ってもなかったからな〜。
今度、テレビで(命の輝きスペシャル、TBS系列)で、『車椅子のお母さん』の特集を放送するみたいですが…。 車椅子だからって、子どもを生めない、育てられないって、決め付けてはいけない!って思います。
だけど、車椅子と一括りにしても、障害の状況や、家庭環境や、人生観は、それぞれ。 決して、見た目は、車椅子姿だから、みんな同じってわけではありません。
あたしは、障害が進行して、自分のことで精一杯な時期があって、今もそうで…。 だから、生涯、たぶん1人っきりなんだろなぁ、親に孫の顔も、見せれないんだなぁと、思えてしまう…。
親も、周りは、お孫さんを抱いてるわけで…こういうみんなが集まる場所に出るのは、ストレスが溜まるみたいですね…。 皆さんは、自然と、話し掛けて下さるんですが、親(母親)はね、壁を作ってる感じ…。
うちの親は、あたしのことを案じてくれてるし、愛情を注いでくれてるって、毎日、伝わってくるし、感謝の気持ちでいっぱいなんですが…。 やはり、病気や障害の部分については、受け入れたくないんですよね。 受け入れたくないというか、見たくない、知りたくないんですよね。 だから、医師の説明とかも、きちんと聞いてないしね。 そういう所で、医療スタッフとの、トラブルになる所も、あるんだけどね。
医療スタッフは、しょせん仕事で、だから、「私の苦労なんか、わかってもくれないし、わかってくれたからって、私に変わってくれるわけでもないくせに!!」と、母的には感じてしまってるみたいなんですよね…。
そんな態度されても…医療スタッフも、どうしたらいいのか?わからないしね。 (母は態度には出さないけど、ほんとの信頼関係は作りにくいと、見てて思います…。) あくまでも、医療スタッフは他人やし、というか、全ての人は、母の立場に、変わることなんてできないわけですよね…。
他人に、わかってくれない!と訴える程、空しいものはないですね。 たぶん、根本には、(私だけ、なぜ、障害者の娘を持ったのか?)という、悲しみではなくて、腹ただしさがあるんだろなぁって…。
だから、時々、そういう苛立ちが押さえ切れなくて、
「自分で、何もできんくせに」 とか、 「お前なんか、生まなきゃよかった」 とか、 「一緒に、心中しようか」 とか、 「早く消えてくれ」 とか、
何とはなしに、言われる時があるんだよね…。
他人の幸せと比べて、自分の幸せの価値基準を、他人が持ってるのに、自分には…ない…現実への…
空しさとか、腹ただしさとか、世への矛盾とか、 そりゃ、母にも、いろいろ抱えてるんだろうと思う。 まぁ、私が生まれてなきゃ、こんなこと考えさせなくて、辛い目にも遭わせることもなく、幸せだったのかもしれないね。
だけど、自分が乗り越えられないものを、全て、何もかも、あたしのせいにされるのは、そろそろ気付いて欲しいなぁ〜と、思ってもしまいます。
あたしが、胃腸が悪くなるのは、家庭のストレスもあると思ってるんだ〜。 毎日顔を合わせて、愚痴とか、欲求不満な態度とかって、ストレスが、結構溜まるんだよね…。 聞かされる側の立場も、考えて欲しいよ…と、思ってしまいます。
だからって、今は、頼れる人は、第一に、母しかいないので…。 いずれは、自立しないと!と思いながら、あたしは、障害のことを考えるだけではなく、内部の病気もあるし、医療ケアのことも考えないといけない。 なかなか…24時間ヘルパーさんも対応してもらえないと、暮らしていけない現実があるし…。
何か、自分が理解してくれる人がいないと思った瞬間って(失恋とかもそうだけど…)、もう自分がこの世にいる意味を、見出だせなくなっちゃうよね。
歩いてた時は、内臓の病気と付き合ってたわけだけど、 もっとふつうに、治りたいとか、治る病気ではなくても、「よりよく生活したい」「そのためには、どうしたらいいのか?(治療とか)」真剣に考えてたもんなぁ。 だから、あたしの意思に、医師も答えようと、協力して下さったり。
自由に動けないから、受診しにくいという部分もあるけど…いっそ、このまま放置して、どうにでもなれ〜という思いもあるのかもしれない。 そして、それはあたしだけではなく、家族も、そう思ってたりするんじゃないかな…。 だからって、気持ちは矛盾していて、私の病気は良くなるって、親心で、信じようとしてくれてるし、病状が悪化すれば、すごい心配してくれるんだ。 (親って、すごい!って思うくらい、子のことについて、悩んでくれるしね。)
うちの親は、小さい頃から、自立できる子育てをしてきたらしくて。(←親がよく言ってる。) 親が決め付けて、与えるんではなく、子どもの人権を尊重して、自分の人生については、自分自身で、考えて、選びなさい。
という考えで。 小中時代においては、病気についても、「あなたは病気でも、みんなは健康が当たり前なの。いちいちあなたの視点までは、世間は下りてきてくれません。」 「病気を抱えてるのは、あなた自身の問題なんだから(なりたくなくて病気になった…とか、なぜ私だけ病気なの?と考えても、仕方ない。無意味。)、あなたが這い上がりなさい。」 と、言われました。
だけど、親は、私みたいに、病気持ってなくて、健康な人なんだよね。 だから、あたしの悩みや苦労とか、辛さとか、話しても、無意味かな〜と感じたことはあるかな…正直…。
だけど、自立と無関心は、似ていて、全く、違うものなんだよね…。 あたしは、親はほんとは、健康な子しか必要なくて、私はいらない子で、見捨てられてるんじゃないか?という不安とも、付き合ってもきたんだよね。
親も人の子だから、実際に、瞬間で、人間そう感じる時もあるだろし、だからって、見捨てないのは、親だからなんだよね。
あたしは、前の訪問看護師さんに、人間としてどうなの?ってことを言われたりしたけど、結局は、訪問看護師さんは、自分自身を一番に守ったし、あたしを悪者に仕立てたしね。 いくら表面は、綺麗なこと言っても、いざって時に、ふと態度に出たり、うちの親をバカにした(障害者を生んで、ハズレクジ引いちゃったね〜お母さん。みたいな)人もいた。
家庭だから、波が立ったり、仲直りできたり、チャラにできたり、積み上げれるものがあるのは、家族だからだなぁ〜って、思うんだけどね。 だけど、家族だから、重くなることもあるし、傷付くこともあったり…。 難しいね…。
だけど、あたしも、ちょっと家出する〜って、親と距離取るわけにもいかなくて、 親も、あたしを見捨てられないから、ムカツクことがあっても、あたしの介護をしないといけない…。
そういうのは、お互いに、辛いなぁ〜って思います…。
あたしも、いい年して、親に求めるのも、あかんねんけどね…。 親も、年を重ねたら、パッパッとできなかったり、こだわりが強くなったり…そういう、まだ若いあたし?には、付いてけなくて、イライラする部分が目に付いてね…。
何事も、広い心で、大きな海のように〜ならないとね。
この体になってからは、つくづく、そう学んだり。
医療スタッフや、ヘルパーさんの言動に、憤りを感じたり、そりゃ、ないやろ?非常識やろ?と思っても…(常識の価値観は、人によって、違うので〜難しいね。時間を守らないのが、常識な人、出したものを出しっぱで、片付けないのが、常識な人。その人自身の、生活観の違いが、出ますね。)。
聞き流す〜 大抵のことには、気にしない〜
と、頭で、歌うようにしてます(汗)
だけど、たぶん、微妙にストレスが溜まってるんやろね…。 自分の考えを理解してもらうことよりも、人はどこまで、分かり合えるのだろう…。 分かり合えないのでは? と、感じることが、多い最近です。
人は、自分が正しいと思ってるし、自分の嫌悪するものは、受け付けないし、嫌悪するものを見せつけられた時に、我慢することは難しいし…。
だけど、介護してもらう立場になると、それが修行みたいになったりでね。
大ざっぱで、まぁ、誤解されても、相手のやり方を押し付けられても、大抵のことには、イライラしない術を身に着けれたかな〜。
だけど、お母さんは、さすがに、あたしの意思を汲んでくれるんですよ。 それが、あたしの自立を促すことになると、思ってくれてるんです。 そういうのは、親ってすごいなぁ〜って思います。 やっぱ、なんだかんだ言って、あたしは親や家族が、好きなんだよね。
何か、何書いてるのか?わからないくらい、ダラダラ書いてすみません…。。。
今夜は、提灯のだんじりと夜店を見に行ってきま〜す♪ (ちょっと、疲れて、しんどいけど…もう今夜で終わりで、お祭りは、来年まで、ないしね!)
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