99745..チェリー
電動車椅子の判定。
2006年09月12日(火)
今日は、電動車椅子の判定に行きました。
付き添いの人数の多いこと…運転手さん1人に、ヘルパー1人、母と、もう1人私の付き添いに女の子が(わかる人にはわかるかな?)。総勢、自分も含めて、5人が車に乗り窮屈(笑)。
向こうについて、この人数…目立つ?とか思ってたら、上には上がいて、施設入所の方で、職員5人の付き添いの方がいました。
その方は、呼吸器ユーザで、すごく軽い呼吸器でビックリした!
こんなに人がいるの?と思うかもだけど、障害が進む程、ヘルパー1人では外出できません…。
家族が介護で私を怪我させてもいいけど、無理してヘルパー1人でして怪我させたら、責任問題になるからね…。

着いてから、受付順番に部屋に入れて、5番目でした。
医師は到着に遅れて、まだ来られてなかった…(汗)
廊下で待ってる間に、知った顔の方が…?
「こんにちは(^O^)」と声掛けてくれたけど、向こうは知らないみたい?
思い出して、「○○病院の整形外科に入院されてませんでしたか?」と尋ねると、「居ましたよ♪」と言ってくれた。
やはり同時期に、入院していた!
私ははっきりと覚えてるけど、向こうは記憶にないみたい…。
同室だった女の子の名前を言うと、その女の子のことははっきりと覚えてた。
…私は、覚えられにくい?
だけど、忘れてくれて、良かった…と思ったよ。
なぜなら、私がその方を、よく記憶に残ってるのは、『オレンジ事件』があったから。

オレンジ事件…とは、毎朝、病院食についてくる、丸ごとオレンジ。
たぶん、食中毒防止もあるかもだけど。
病棟の看護師さんも忙しくて、手が悪くて剥けない人にも、配慮がない…。
1年も入院している、同室の女の子は、自ら進んで、動けない人の食パンを焼いてあげたり、オレンジを剥いていた。
手を綺麗に洗った後、ただ、オレンジの外皮を剥くだけではない、缶詰のみかんのように、甘皮も1つ1つ丁寧に剥いて、器においしそうに並べていく。
自分が寝たきり生活だった時、周りの患者さんの温かさに支えられたから、と。
だけど、事件は、その女の子が退院してから、起きた。
あの時、上肢に障害はなく、まだ歩行器で歩けていた私。
「オレンジ剥くぐらい、手間かからへんし、いいよ。」と、女の子の役割を引き継いだ。
だけど、調子が悪くなった時、段々と重荷になっていったのだ…。
いつの間にか、「オレンジを剥くのは、チェリーさん。」になってた。
配膳の時、私のテーブルに、他の患者さんの分のオレンジまで、置いて行く看護師さん。
他の患者さんも、術後から時間が経ち、動けるようになっていくのに、手伝ってくれない。
みんな、自分のことしか考えてない…。
だんだん私の中で、余裕がなくなっていった…。
オレンジを剥くのは、調理師さんや、看護師さんの仕事じゃないの?
私は、病気を治しに入院しているのに…。
他の患者さんの手伝いをしている余裕はないよ…。
病棟の看護師さんが、それは看護師さんの仕事じゃない?と思えることも、自ら動かなくなってるのにも、気になった。
他の部屋では、動ける人が動けない人の下膳をしたり、お箸やコップを洗ったり、お茶をくんであげたり、トイレの世話をしてあげてる人もいて、それが日常化しているのも、人間関係を濃密に付き合いたくない患者さんからは、苦情が出だした。
整形外科病棟だから、元気な人が多く、助け合うことは、リハビリになるかもしれない。
だけど、中には、歩ける患者さんが、ナースコールも鳴らさず、同室の患者さんの車椅子への移動を手助けしたりして、事故ったら、いったい誰が責任取るの?と、見ていて、怖く思った…。
私も病気が悪くなり、ベットに寝る毎日になり、体調は自分の食事もできないくらい…もうやめたいと思った。
そして、ある日、「ごめんね。明日からオレンジ剥けない。」と言った…。

「謝る必要あらへん。気にせんといて。こっちが無理言ってたのだから。」「みんな、自分の病気を治すために、入院してるんやから、チェリーちゃんの気持ちは、当たり前のことや。」「今までたくさんのオレンジを剥いてくれて、ありがとう。」と言ってくれた。
「いつもありがとう。」会う度に、声掛けてくれたよね。
今、自分が手が不自由になり、本当に後悔しています。
なぜ、自分ができなくなったからと、他の患者さんに手分けするとか、看護師さんにお願いできなかったのか?
調理師さんに、直談判してもよかった。
オレンジを剥く方法を、共に考える行動を選ばず、いきなり放り出してしまった…。
お昼間、その方の部屋の前を通ると、朝食のオレンジが、そのままで、テーブルにあった。
胸がズキズキ…と、痛んだ。
だけど、あの時の私は、心の中では「ごめんね。」と痛みを感じなから、見て見ぬふりをした。
障害があるからと、オレンジが、食べられない。
あの時、私が手伝うのを見ていた、周りの患者さんは、こう言った。
「後で家族に剥いてもらえばいいじゃない?」
「オレンジだけ食べないで、残したらいいじゃない?」
「障害があるからと、それを何でもかんでも、周りが手助けしたら、キリがない。自分ができないことを把握し、妥協することを受け入れるのも、ずっとあの体で生きていくためには、必要よ。」
「手助けするのは楽だけど、手助けしてくれる人がいなくなれば、困るのは障害を持つ人。手助けするだけが、優しさではない。」
オレンジ事件は、病棟に広まり、それぞれの意見を、話して聞かせてくれた。
オレンジを食べられないことは、障害のない人にとっては、ただ、それだけのこと?と思われるだろうけど、これは、人間としての尊厳に関わる問題です。
障害を持ってから、1日に何回、「すみません。」を言ってるだろう。
だけど、その方から、すみませんより、「ありがとう。」の大切さを教えられた。
そして、人に支えられることは、当たり前のことだと言うことを。

さて、話は回ってしまいましたが、その方はあの時の治療を後悔していると言ってた。
「医師は症例としてしか診ない。」
「同じ病気でも、1人1人症状や治療効果や副作用など違うはず。」
「だけど、医師は、今まで診てきた症例に照らし合わせて考えて、この治療に効果があると、良い面を言う。」
「だけど、中には、それに合わない患者だっている。効果より、副作用や後遺症が出てしまう人もいる。」
「治療の良い面ばかり説明するのではなく、必ず、リスクも同じだけ患者に説明すべき。」と。
その方は、「治療について、心配いらない。大したことない。」と医師から説明されたようで。
「もしものリスクはないですか?教えて下さい。」と言うと、「私に任せておきなさい。」と言われたのが、後悔していると…。
なぜ、その時に、他の医師に意見を聞かなかったのか?
リスクは全くなく、良い面ばかりの治療などないと、なぜ、気付けなかったのか?と後悔していると…。

生死に関わる治療以外は、リスクより効果が上回らないと、患者は納得できないことが多いと思う。
だけど、医師により、良い面しか見えなかったり、反対にリスクしか見えなくて、治療のチャンスを逃したりという場合もあるだろう。
やはり、患者と医師が話し合うことが大切だと思うけど、会話を大切にできない医師も多いし、なかなか時間がなかったり、そこまで1人の患者に時間を割けないというのもあったり。

その病気に対する標準治療(多くの人に効果が出た治療や薬の量を、標準治療として、その病気を患う人に使う)というのが、今の医療を支えてるけど、今は1人1人に合わせたテーラメイド医療というのが、出始めてきた。
私という1つの疾患で診てもらえれば、誤診や医療ミスも、少しは減ると思う…。
人間、病気じゃなくても、同じ人はいないはず。
性格や、考えや、目や鼻の形、全く違うのだから。

だけど、これは私の意見です。
患者さんには、それぞれの考えがあると思う。
あくまでも、私の考えを書いたのみで、これが正しいってわけではないと思う。

何か話がそれたけど、電動車椅子の判定結果は、後日に連絡きます。
判定医の先生は、無口でちょっと怖かった…。
でも、職員さんも優しくしてくれたし、体に無理してでも、行って良かった!
向こうでお世話になった職員さん、付き添ってくれたヘルパーさん、送り迎えしてくれた運転手さん、母と眠そうな中付き添ってくれた女の子(笑)、今日はありがとうございました。

実は、行きに、車椅子に座った姿勢で、車に揺られて、一瞬、意識をなくした…。
大丈夫なのか…?
それに気付かず、ヘルパーとしゃべり続けていた母…恐るべし…。

さて、明日は、民間の寝台車も乗れる、介護タクシーで、病院に受診します。
ヘルパーさんと都合があわなかったので…。
民間の介護タクシーは、バカ高いけど、仕方ない…。
神経内科と耳鼻科受診。
たぶん、1日仕事かな?

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Edit by オレンジミルク 。

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