99745..チェリー
障害者の恋愛
2005年08月11日(木)
「あゆの恋」という手足に障害を持った、ある一人の女性の恋愛についての、ドキュメント番組を観た。
実は、この番組、関東地方のみの放送だったのです・・・。
どうやって観たの?というと、関東在住のお友達に、録画をお願いして、ビデオを郵送してもらったのです〜♪
(私のわがままを聞いてくれて、ありがとう♪)

この番組の主人公は、ずがやあゆみさんという名前の、マルチネットアイドルでもある彼女。
きっと、検索したら、彼女のサイトに辿り着けるはず。
私も、以前から、サイトは読ませてもらっていて、彼女の考えや感じ方に、考えさせられたり、学ばさせられたり、共感したりしていた・・・。

障害者の恋愛や性って、これまでタブーだったような気もする。
というか、日本人って、恋愛や性について、あまり語りたがらないじゃない?
だからって、最近は、障害者の性についての本も出版され、結構売れているようだけど、
障害者だから、『特別な恋愛や性』があるわけじゃないって思うんだけどなぁ。
ある意味、これまで、障害者と恋と性を、切り離されてきたこと自体が、差別なんだと思う・・・。
障害者の、社会参加が進むと、人間としての当たり前の生活って、見えてくるもんね。
ただ、それだけのことで、ようやく注目されてきたのかなって、感じかな。

私が、番組中、ふと心に留まったのは、「当たり前の生活を送ることが、一番の社会参加」といった言葉でした。
これよ、これ。私の言いたかったこと!
と、感動してしまった。

お茶を飲みたい、食事をする、トイレに行く、お風呂に入る。
映画に行く、買い物をする、習い事をする。
学ぶ、働く。
障害を持っているからって、できないことではない。
できないことを、できるようにすること。
それは、自分の工夫と、人の介護のサポート。
できない、できない・・・って、悩み、躊躇する所から、一歩前に進みたい。
だからって、どうして、障害を持ってるからって、ここからは「わがまま」とか、なるの?
贅沢って、言われないといけないの?
それが、衆議院解散から、廃案となった障害者自立支援法から、考えさせられたこと・・・。

人を好きにもなれば、恋愛だってする。
結婚もするかもしれないし、子育てもするかも。
それは、人として生きるのに、ごく当たり前の一つの選択。
その選択肢が、どうして、障害を持ってるからって、特別視されるの?

私が、少し前に、ずっと生きてて申し訳ない・・・って感じてた気持ちは、そこにあるのかなって思う。
もし、世の中が、生産性のみに価値を置くなら、私たち重度障害者は、障害を持っててかわいそう、生きてて申し訳ない存在、となるのかもしれない。
けど、私は、生きることって、それだけの価値ではないと思う。
働けなくても、生きるのに介護や人のサポートが必要としても、私が生きるには、何かできることがあるはず。
今、少しずつ、そう思い始めてる毎日・・・。

だからって、働きたい。
働きたくないわけではない。
働くには、仕事場に行くまでの、移動サポートの問題。
現場での、食事やトイレの介護。
場合によっては、サポートの必要な内容もあるだろう。
けど、こうしてPCも打てる。
体調に合わせての、仕事のスペースにもなると思う。
人の能力を、体力や健常さのみで、評価されるのではなく、働くためのサポートが得られれば、私だって納税者となれる可能性だってあるのだ。

・・・と、一気に書きましたが。。。
本題に。。。

「あゆの恋」
昨夜ビデオを、母と二人で観ていた。(母に観てもらいたかったので、おもむろに再生ボタン開始・・・笑)
彼氏と自然消滅した終わりの場面で。
「やはり障害を持ってては、恋愛もできないのね。」と、つぶやいた母。
そうじゃない・・・障害を持ってるから、別れるわけではない。
出会いもあれば、別れもあるでしょ?
好きになれば、離れることだってあるでしょ?
それが、恋愛の素敵さであり、切なさや苦しみでもあるのよね・・・。

私は過去に、ある別れも経験をしたが、決して病気や障害のせいではないって思ってるよ。

雨降った日には、二人が傘をさせなくて、障害が障害になることもあるだろうけれど、それ以上に、人として愛し合うのには、人間的な魅力を磨くことが大切なんだと思うなぁ〜。
それに、障害を持ってたから、人前で抱っこしてもらえたり、幸せに感じることだって、あるんだよ〜♪

ということで、一気に書きましたが・・・。
手が、指が疲れました・・・。
ということで、これにて、さらば〜また明日~~\(^▽^)

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