| ∈障害者の恋愛∋ |
| 2005年08月11日(木) |
「あゆの恋」という手足に障害を持った、ある一人の女性の恋愛についての、ドキュメント番組を観た。 実は、この番組、関東地方のみの放送だったのです・・・。 どうやって観たの?というと、関東在住のお友達に、録画をお願いして、ビデオを郵送してもらったのです〜♪ (私のわがままを聞いてくれて、ありがとう♪)
この番組の主人公は、ずがやあゆみさんという名前の、マルチネットアイドルでもある彼女。 きっと、検索したら、彼女のサイトに辿り着けるはず。 私も、以前から、サイトは読ませてもらっていて、彼女の考えや感じ方に、考えさせられたり、学ばさせられたり、共感したりしていた・・・。
障害者の恋愛や性って、これまでタブーだったような気もする。 というか、日本人って、恋愛や性について、あまり語りたがらないじゃない? だからって、最近は、障害者の性についての本も出版され、結構売れているようだけど、 障害者だから、『特別な恋愛や性』があるわけじゃないって思うんだけどなぁ。 ある意味、これまで、障害者と恋と性を、切り離されてきたこと自体が、差別なんだと思う・・・。 障害者の、社会参加が進むと、人間としての当たり前の生活って、見えてくるもんね。 ただ、それだけのことで、ようやく注目されてきたのかなって、感じかな。
私が、番組中、ふと心に留まったのは、「当たり前の生活を送ることが、一番の社会参加」といった言葉でした。 これよ、これ。私の言いたかったこと! と、感動してしまった。
お茶を飲みたい、食事をする、トイレに行く、お風呂に入る。 映画に行く、買い物をする、習い事をする。 学ぶ、働く。 障害を持っているからって、できないことではない。 できないことを、できるようにすること。 それは、自分の工夫と、人の介護のサポート。 できない、できない・・・って、悩み、躊躇する所から、一歩前に進みたい。 だからって、どうして、障害を持ってるからって、ここからは「わがまま」とか、なるの? 贅沢って、言われないといけないの? それが、衆議院解散から、廃案となった障害者自立支援法から、考えさせられたこと・・・。
人を好きにもなれば、恋愛だってする。 結婚もするかもしれないし、子育てもするかも。 それは、人として生きるのに、ごく当たり前の一つの選択。 その選択肢が、どうして、障害を持ってるからって、特別視されるの?
私が、少し前に、ずっと生きてて申し訳ない・・・って感じてた気持ちは、そこにあるのかなって思う。 もし、世の中が、生産性のみに価値を置くなら、私たち重度障害者は、障害を持っててかわいそう、生きてて申し訳ない存在、となるのかもしれない。 けど、私は、生きることって、それだけの価値ではないと思う。 働けなくても、生きるのに介護や人のサポートが必要としても、私が生きるには、何かできることがあるはず。 今、少しずつ、そう思い始めてる毎日・・・。
だからって、働きたい。 働きたくないわけではない。 働くには、仕事場に行くまでの、移動サポートの問題。 現場での、食事やトイレの介護。 場合によっては、サポートの必要な内容もあるだろう。 けど、こうしてPCも打てる。 体調に合わせての、仕事のスペースにもなると思う。 人の能力を、体力や健常さのみで、評価されるのではなく、働くためのサポートが得られれば、私だって納税者となれる可能性だってあるのだ。
・・・と、一気に書きましたが。。。 本題に。。。
「あゆの恋」 昨夜ビデオを、母と二人で観ていた。(母に観てもらいたかったので、おもむろに再生ボタン開始・・・笑) 彼氏と自然消滅した終わりの場面で。 「やはり障害を持ってては、恋愛もできないのね。」と、つぶやいた母。 そうじゃない・・・障害を持ってるから、別れるわけではない。 出会いもあれば、別れもあるでしょ? 好きになれば、離れることだってあるでしょ? それが、恋愛の素敵さであり、切なさや苦しみでもあるのよね・・・。
私は過去に、ある別れも経験をしたが、決して病気や障害のせいではないって思ってるよ。
雨降った日には、二人が傘をさせなくて、障害が障害になることもあるだろうけれど、それ以上に、人として愛し合うのには、人間的な魅力を磨くことが大切なんだと思うなぁ〜。 それに、障害を持ってたから、人前で抱っこしてもらえたり、幸せに感じることだって、あるんだよ〜♪
ということで、一気に書きましたが・・・。 手が、指が疲れました・・・。 ということで、これにて、さらば〜また明日~~\(^▽^)
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