99745..チェリー
買い物依存と抗生剤終了。
2005年02月05日(土)
やっちゃいました…今日は無駄使いしてしまいました…本を大量買い、破産寸前ですよ、ねぇーさん!…ストレス発散です!!

あー1人で生きたい!
例えば、健康で働いていたとしても、世の中いろんな人がいる。
自分と意見や考えが合う人とばかり、付き合ってられないわけです。
だからと言って、働いてないあなたは社会経験がないから、人との付き合いが未熟なんて、言われたくはないです。
まぁあたしは未熟ですけどね、社会経験なんかなくても、人間二十歳を過ぎれば、それなりに大人な考えになるんではないでしょうか?
学生の間も、いろいろ葛藤はあるしね。逃げてばかりでは生きられないわけです…。

あたしは今、「健全な患者」「健全な障害者」を求められている気がします…ひしひしと。
それが重くて疲れました。
そもそも「健全な人」なんているんですかね…?
そりゃあ犯罪や世の中の常識は、犯さないくらいの健全さは身に付くべきだけど、何もかも完璧で完全な(健全な)人なんて、いたら気持ち悪いし、どこにも魅力ないよ!

それでも、白衣とジャージの人達は、健全さを求めてきます…。
おとなしく、言うことを聞く、いいなりにしやすい。ざっとこんな感じですか?
誰とでもうまくいくには、必要不可欠な要素でしょう、誰もが扱い易いという点においては…、もはやあたしという人格を消すしかないようです。

自我とは、自(みずか)らの我(われ)と書きます。
我を出し過ぎると、わがまま(我がまま)になり、我を消すと、我がないつまんない人になってしまいます。
協調性に置いて、我を出したり、引いたり、自分なりにコントロール取りながら、人間関係を学んでいくように、あたしは思います(これまでの未熟な人生経験ですが…)。

障害者が我を出すと、わがままな人と言われることがよくあります。
よく考えてみれば、障害者として生きることが、わがままな姿だと、最近気付きました。
自分からは動かず、人形のように着替えさせ、「水飲みたい。」と、コップにお水を入れて持ってこさす。
歩ける人なら、なんじゃ自分でしない、わがままな人!でしょう。
あたしは、障害がある特権で、人を動かせているかに見える事実にはっと気付きました。

歩けない、自分で自分のことができないことの苦痛…を、自分のこととして想像できない一部の歩ける人からみれば、わがままな!と日頃から見えてしまうことに…。

疲れたので、続きは明日書きます。

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