99745..チェリー
凹な話で、ごめんなさい
2002年10月25日(金)
昨日は、お天気よかったぁ。
・・・に反し、昨夜は一日の出来事思い出し、落ちるトコまで落ちてしまった。

その日の前から、嫌な予感はしてもいて。
でも、ひさしぶりに会える人や、何ヶ月ぶりかの電車やその地に。
わくわくと期待もしていて。
でも、前者の方が、明らかに勝ってしまった、あっけらかんと。

どこに行ったかは、ここには書けないのですが。
以前書いた、ボランティア的なことのつながりです。
ちなみに、くどいようですが、あたしは、「してもらう側」。
それを、嫌と言うほど、気づかされた。

基本的に、障害者の自立を助けようというか。そういった主旨です。
前日まで、熱が出て、当日も38度近くあり。
右半身も痺れたまんま。
行くのやめようか、迷いながら、どちらかというと迷うべき選択法もなく。
最低限の責任をつらぬいて、半根性で。

広い会場の中、車イスを漕ぎ漕ぎ。
漕ぐのが努力、自立の目指すところなんだという雰囲気の中。
まだ、もっと努力して外に出ないから、車イスもろくに漕げないんだよと、言われないだけましかぁー・・・と。
目では、訴えていらっしゃる人もいたが・・・。

ふらふらの頭で、かつまだ電動車イスも届かない中。
どーしても現地まで、自力で行く自信もなく。というか、正確には行けるような状態でなく。
母に付き添いしてもらった。

自立=一人で外に出ること。
まず、たしなめられた。
病状のこと、今日の体調、話しても、「甘え」としか受け取ってもらえなく。
母が娘であるあたしの、現状をただ話しても、「娘をかばう過保護の親」として、より映る・・・という悪循環。

ボランティアは、してもらうだけではいけない。
フィフティーフィフティーの関係であるべき。

ただその場で、「ありがとう。」さえ素直に言えない。
心から言えないまま、口にした言葉は、きっと人のココロに届くはずもなく。

あたしは、甘えてるのかもしれない。
してもらえるだけ、もっと感謝しなきゃいけない。
でも、言葉にするだけでは、いかない。
そんなの、世間では通用しない。当たり前。
その言葉でさえ、出すのが心苦しくなって、つまってしまう。

そんな偽者の自分の笑顔が、悲しかった。苦しくて、早く、その場から離れたくて仕方なかった。

どこかで、あたしはいつも、誰かに気を使って過ごしている。
いつも誰かが、日常に必要とする。
機嫌損なわれることに、怯えている。

あの子のおかげで、そんな自分の毎日に、自信が生まれたのに。

これ以上、周りに望むのは、贅沢なんだろうか・・・。

「ありがとう。」
を、行動で表せない自分の体が、悔しい。
みんなの理想通りになれない。
ほんと、苦しくて、申し訳なくて、仕方なくて・・・。

生きてく、自信・・・なくしちゃった。


☆追記☆

このまま、鬱な気持ちで終わってはいけない・・・と思い・・・。
さっき、たまたまある方から言われた言葉。

「誰でも、人の顔色伺い、遠慮して、本来の自分を偽り生きている部分はある。」
「そのことを、自然に受け入れればいいんじゃないか。」
と。

なんとなく、ホーッともした。
そんな考え方もあるんだな、と。
あたしの今悩んでる原点との、「ズレ」はあるかもしれないけど。
でも、人は生きる限り誰しも悩みを抱えて生きてるし。
自分の思うように、自由に生きれるわけもない。
それは、健康であれ、病気持ってても、障害持ってても、人はみな同じ。

あたしは、誰の何の遠慮もする必要もないし、もっと気楽に、自分の人生楽しめばいい。
ただ、それだけ。
「一生懸命生きてるんだっ!」という確信があれば、堂々と胸を張ればいい。
それを、誰かに、とやかく評価されるつもりはない。

もっとがんばれ?
あたしは、病気にも障害にも、甘えてるつもりもないよ。

あたしの毎日なんだ。
あたしの、人生なんだ。

あなたにとっては、つまらない価値のない人生に見えたとしても。
あたしにとっては、必要な大切な毎日なんだ。
同じ、毎日の繰り返しでも。

それで、悪いかっ。


My追加
  手紙  最新  最初  明日   目次  昨日 

Edit by オレンジミルク 。

cherryのブログ・リアルタイム更新中〜♪cherryのキュン☆な毎日