| 2012年06月20日(水) |
ジョアンナ・ハインズ著「殺す鳥」読了 |
ゆっくり感想文を書こうと思っていたが、4人も返却を待っているらしく、しかたなく、これから図書館に行くべく、簡単に書き留めておくことにする。(これは23日の土曜日に書いている)何の気なしに「本日返却された棚」のところで見つけて借りたのだと思うが、今年の4月に発行されたばかり。いきなり4人も予約が入ったのは、どこかに書評でも載ったのかもしれない。(または図書館員が間違えて棚に陳列してしまったとか)急いでいる割には余計なことを欠いているが、こんなことが妙に楽しい日常である。原題はThe Murder Bird 殺人鳥にした方がインパクトがあるだろうが、実際はトカゲを殺していたつぐみがモチーフだから、殺人とは言えない。原題のままにしたらどうかとも思うが、そういうわけにもいかなかったのだろう。一応面白かった。が、どうも最後で盛り上がらなかったのは、最初に老母が殺人の容疑で逮捕され、実は姉が真犯人だったというあたりだろう。これが逆だった方が面白かったはず。「夏のコーンウォールで女流詩人キルスティンは死んだ。バスタブの中、裸で。自殺という検死審問の結論に娘のサムはただひとり異議を唱える。本当に自殺なら、母の日記と詩集の表題作になるはずだった詩「殺す鳥」はどうして見つからない?消えた日記と詩を探すサムの行動が、事件に新たな局面をもたらす。」最後の数行にこんなことが書かれている「ミリアム、ダイアナ、ラフ。本当の殺す鳥は誰だったのだろうか」キルスティンの2番目の夫であったラフ、ラフの母のダイアナと姉のミリアム。最初にラフの父、次に母親の恋人であった男、そしてミリアムの夫の兄、そしてキルスティン。その死を最初に願ったのはラフだった。実際に手を下したミリアムの告白をなかったものとして日常に埋没するその母ダイアナ。殺人とはこうした複雑な心情の絡み合いで発生するのかもしれない。また、エサとしてではなく、単にトカゲを殺すつぐみの暗く本能的な衝動を人間もまた持ち合わせているに違いない。そんな気がした。
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