| 2012年04月18日(水) |
「古道具 中野商店」読了 |
月曜から読み始め、最終章を残していたので、早速京王線で読む。その後クリニックの待合室ででノートに感想を書き綴る。なんと8ページ、書いている途中で名前を呼ばれて診察室へ。実は私は血圧を測るのが大の苦手で、多分これは病的と言っても良いかもしれない。先生も呆れ果ててついに自宅で血圧を測らなくても良いと匙を投げた。結果は基準内だった。物を書いていると多少精神が安定するのではないかと思う。ずっとひたすら本を読んでいたのだが、意外に本を読むということと、心配するというのは同時にできるらしい。それより、物を書くという作業は集中するらしく、不安も減じるようだ。ということで、ひたすら30分ほど、診療開始時刻にも気づかず 手帳にあれこれ他愛のない感想を書きつづけたのだ。以下、感想を書くというより、書くことに没頭すべく、思いついたことを脈絡なく文字にしただけであるが、記念に書き写しておく「この作家の癖なのか、と、言ってもまだ4冊目であるが、生活感があるようで、ないような人々。「私」も含める。最後の章で「私」の母がよっやく登場していて(単に電話の中でだが)「私」は簿記2級に受かったことを母親に報告している。学校の授業料を親に出してもらったらしい。「中野商店」を一時休業にすると中野さんが宣言した時から3年が経っていて「私」は以前よりややマシな部屋に住んでいる。派遣として食品会社でエクセルで資料を作ったりしている。中野さんが「なかの」を新規開店するにあたり、かつてのなじみの登場人物が集まってくる。 中野さんの姉であるマサヨさんの存在もおもしろかった。50代で独身、丸山という恋人がいた。 マサヨから久しぶりに「私」で電話があったのはこの丸山の通夜の行われる日だった。一緒に通夜に参列してほしいという。通夜は丸山の元妻がしきっていた。オープニングの日、中野さんはあいかわらずだった。元不倫相手の同業者サキコさんもやってくる。タケオも来る。そういえば、この小説の現実感がない理由の一つは、登場人物が中野さん以外名前がカタカタで表現されているところだろう。後々「私」やタケオの苗字は出てくるが、あいかわらずタケオはどういう漢字を書くのかわからない。タケオとは3年前に一時つきあいながらも、うやむやに別れていたが、「私」が食品会社と契約が切れて、次に行ったIT産業らしき会社で偶然再会する、タケオはウェブデザイナーになっていた。つきあっていたころからタケオは「私」の着衣のマヤ風デッサンを描いていたが、この伏線だったか。知らない人間同士が古道具屋によって結び付けられ、淡々とは言えない関係を作りながら、休業によってバラバラになり、また開店を機に再開し新たな人間関係を築く。オープニングの夜、店を閉めてから中野さん、マサヨさん、タケオ、「私」で椅子をかき集めてワインを飲む。なぜか洒落た店になった「なかの」ではワインらしい。つまみはない。女流作家なのだから、「私」とタケオが居酒屋で飲むシーンももう少し華やぎがあってもよいのではないかと思ったりするが、こんなところがこの作家の持ち味なのかもしれない。ポージイという昔ながらのケーキ屋が出てきて、マサヨの家を訪ねるときはここのケーキを土産にするのだが、このケーキもブルーベリーパイ、アップルパイ、チーズケーキと古臭い。これはもちろん狙いで、後々店主が代替わりしたらやたらにケーキの名前が長くなって覚えられないとマサヨがぼやいている。 私より作者は年齢が下であるのに、地味なことだ。大人なのだろうか。作者は大人で、登場人物はどこか子供っぽい。確かどこかにみんな大人ではないという記述があったようにも思う。 大人になりきれていない人たちの集まりだから惹かれるのだろうか。
みんなでワインを飲みながら、中野さんは居眠りを始め、マサヨさんも机にうつぶせになっている。タケオが 昔のことを振り返って「ごめん」という。人を信じられないと言っていた彼が、ちょっと大人になったのか 私をちょっと抱き寄せる。 マサヨが薄目を開けて見ている。 なんか楽しかった。マサヨさんは50代なのに。私もこんな風に自分をさらけ出して生きる方法もあるのだろうに、とふと思った。残念ながら私にはさらけだすものがないのだが。 最後が「私」とタケオの関係に希望を含ませているところが、読後感を暖かなものにしている。
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