| 2011年08月30日(火) |
小林利延著「ゴッホは殺されたのか」(伝説の情報操作)読了 |
図書館で借りた一冊。(7月に借りて、既に2回延長した)ゴーギャンとの同居と葛藤は聞いたことがあるが、その果てに耳を切り落とす程の悲惨な結果に終わるとは知らなかった。弟テオとの仲の良さ、それも表面的に知っているだけだったが、作者の思い込み?を除いたとしても、事実は衝撃的なものだった。ここまで精神を病んでいたとは。いや、テオへの態度を考えると精神的なものもあるだろうが、性格的な欠陥も感じる。常に絵を書くための費用をテオに無心し続け、孤独を嫌い、弟一家との共同生活を強要し...。以下に最後の状況を書いた一文をそのまま転載する。「1890年7月27日、滞在していたオーヴェール・シュル・オワーズ(オワーズ川に沿ったオーヴェール村という意味)において、時刻不詳・現場不詳・凶器不詳の状態で、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは腹部に傷を負った。しかし。自力で滞在先のラヴー旅館に帰り着き、同夜亭主に発見されるまで、自室に横たわっていた。29日午前1時30分死亡。直接の死因不詳。享年37歳。」地名のオーヴェールは、ゴッホの絵の題名で良くみかける。「オーヴェールの麦畑」最後に描いたと思われる一枚だそうだ。アルルでのひまわり(1888年)療養先のサン・レニで描いた糸杉と星の見える道(1890年)ドービニーの庭(1890年)カラスの飛ぶ麦畑(1890年7月)著者小林は、すべての事象がテオによる兄ゴッホの殺害を示しているという。
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