生きる。を消費する
彼女が動物実験について書いていたので、それについて私も思ったことを書いてみようと思う。
去年の夏、エゾロックを見に行ったわけだが。 そこでNPOが動物実験についてのブースを設けていて、どうやって動物が実験の材料にされているのかを写真で解りやすく掲示してあった。それは目玉をくりぬかれたり結構グロテスクな写真だったわけで、最初は彼女のように思っていた。「こんな事を何故しなければならないのか!?」と。 だが帰りの飛行機の中で違う意見がポッと浮かんだのだ。
「こうやって私が生きていくのに犠牲になる命があるのだ」と。
私はお腹が減る。唇が乾くし、具合が悪くなる。 そんな時にこうして私のために犠牲になった動物が居るから欲求が満たされると言うことを認識し、感謝しなければ。
そう思ったのです。 無駄に殺してはならない、でも私という人間が生きていくのには絶対に誰も殺さないで生きられるわけがない。だからせめてその命に対して感謝しようと。そしてその犠牲を払って私は「生かされている」事を認識して生きようと。
私は捨てられた動物を引き取って飼っているのだが、その一方で殺されている命もある。その事を考えると居ても経っても居られなくなるが、私の力では1匹飼うのが限界。だからこの小さな命を絶対に看取ってやろうと思っている。
所詮私はその程度しか出来ないのだから。
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