かっしーのつぶやき
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祖父の七回忌。 昨日の雨も上がって、朝からいいお天気。田舎の菩提寺の境内はしっとりきらきら秋らしい気配。
とは言えうちの菩提寺の現在の住職はお経も梵字も檀家あしらいもヘタレな跡取り若造坊主なので、まあ本当にさっぱりと有り難さの微塵も感じられないままあっというまに読経終了。 「ははは、今回も本当にお経が短かったねえ」 と親戚一同呆れながら(いつものことなのでもう慣れている)、お寺を後にして会食へ。
持参した祖父の写真を上座に置いて、みんなで賑やかに何故か中華料理。 祖父が亡くなった時にはまだふやふや幼児だった甥っ子1号はもう9才、従弟と弟をしたがえていっぱしな口を利く男の子になりました。会食中、彼と従弟くんの男の子2人は何がそんなに楽しいのか終始ハイテンションでいやもううるさいうるさい、これに数年後には今はまだ赤ちゃんの甥っ子2号も加わって男の子合計三人が駆け回ることになるわけで、いやはやどんなことになるのやら。
どう思うよおじいちゃん、と祖父の遺影をしばらくぶりにしげしげ見ました。
祖父はその昔、今で言うなら実業団野球で内野手をやっていた人でしたが、実子が二人とも女の子だったためか、自らの係累に野球についての何かを伝えることは一切しなかった人でした。内孫&外孫に男の子は出たけれど、それぞれの婿への遠慮からかその子達に自分から野球を教えることもありませんでした。子供の頃は不思議にも思わなかったけれど、考えてみればうちの実家には、バットもグローブも縫い目のあるボールもまったく無かったと思います。 今思うと不思議です。 どうしておじいちゃんは、家では野球の話を全然しなかったんだろう。 本人の気質もあっただろうし、その真意は今となっては誰にもわかりません。
一度だけ、本当に一度だけ実家の狭い庭で、私も含む兄弟従弟で三角ベースの真似事のようなことをして遊んでいた時、近くで祖父が見ていたことがありました。 棒っきれとゴムボールの三角ベースに過ぎませんでしたが、でもその時、棒っきれにボールが素直に当たると素直に遠くまで飛んでいくその感覚が気持ちよくて、「打つ側」に回るのがとても楽しかったことを覚えています。 祖父は明治生まれの男でしたから、女の子が野球をやるなんて考えたこともなかったろうと思います。 あの時、女孫の私がぱかんぱかんと棒っきれを振り回しているのを彼はどんな目で見ていたんだろう。 そんなことを、ふと思うことがあります。
どう思うよおじいちゃん、こんどの代は男の子三人だよ。 野球教えてあげたいのかな。それとも、あたしたちにそうだったように、黙って選ぶ道を見ているのかな。
おじいちゃん、おじいちゃんの野球好きのDNAはちょっと曲がってあたしの中に伝わったみたいだよ。自分じゃ野球はしないけど、何を思ったか今は東京の球団なんかけっこう熱心に応援したりしてるよ。野球のルールにも詳しくなったよ。今度、日本に初めて野球を紹介した正岡子規って人の故郷にある野球場へ、あたしの応援してるチームの秋季キャンプを見に行ったりするんだよ。
せめて聴いておけばよかったね、おじいちゃんのごひいき球団が本当はどこだったのかくらい。
何も言わないで行っちゃったおじいちゃんも、ちょっとかっこいいと思うけど、さ。
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