かっしーのつぶやき
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| 2005年03月17日(木) |
心の師はモトコ様 4 |
匠ひびきと吉原知子を同じ心の抽斗に入れておく、という姿勢は世間一般常識的にはたぶんダメだと思うけれど、我が心の師・O林モトコ様ならば多分ダメとは言わないでいてくれるような気がする。
ふと思い立ちO林モトコ様のコラムをバックナンバーの最初から読み倒してみた。 その中の1999年2月3日付けのコラムでモトコ様が書いていることと、先日のお茶会で匠ひびきが言ってたこととが、とても似ている気がした。 舞台からエネルギーをもらう観客とそのパワーに励まされる役者、その関係性は、スポーツと同じなのではないか?とモトコ様は言う。 自分達も、心身ともにギリギリのところで、それでも夢という名のハンマーで限界という壁を叩き割ろうとしてきた、たくさんの人の励ましに支えられて、と。 お客さんからパワーをもらってまたがんばれる、と語る、そんなモトコ様が、匠とかぶった。
どうして私はスポーツを見るんだろう?舞台を観るんだろう? どうして私は生の人間の現在進行形のドラマを、その実在のスペクタクルを求めずにいられないんだろう?
それはきっと私が、 自分では届かないネットの上の何センチ、追いつけないボールまでの何センチか、 その距離を鮮やかに跳んでみせるアスリート達のその一瞬の姿に、自分では叶わなかった夢を重ね見るからだ、 自分では形にできない完成された身体のフォルム、響かせられない豊かな歌声、 研ぎ澄ませた美を虚空へ迸らせて顧みないアーティスト達のその潔さに、誰にも見せない心の内をを託すからだ、
“あの人たち”の、形にしては残せないただ一瞬にその全身全霊すべてを注ぎ込もうとする向こうみずさに、 私は、自分では届くこと叶わぬはるか高みの空の青さを雲間に瞬時垣間見る、 その晴れ間の明るさだけが、その疾風のはやさだけが、 私の肩に背に降り積もる日常の塵を払い、束の間私を私でないものに変え、知らないところへ連れて行くからだ。
舞台役者がそうであるように、自分もプレーを通じてお客さんを「素晴らしい場所へ連れて行く」ことができただろうかとモトコ様は語る。 その言葉は私の中で、いつかのトモさんの言葉と重なる。
以前インタビューで、「試合が終わった時に、会場に足を運んでくれた観客のみなさんが、それぞれの選手になったような気分で家路につけるような試合をしたい」と語ったトモさんのあの言葉、あれは、モトコ様と同じことを伝えようとしているのじゃないかと思う。
二人の言葉は、どこか遠い場所で響きあって、私に届く。 姉妹のように仲がいいというのはきっと伊達ではない、と思う。
大林素子という個性を持っている日本バレーボール界は、きっと幸せだ。 バレーボールがどれだけ人に悪し様に言われようと、つらいニュースばかりが心を苛もうと、 それでも彼女は愚直なまでに繰り返す、 これが、この場所この素晴らしさこそが、私の魂の生まれた場所、私の故郷だと。
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