かっしーのつぶやき
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田舎の海で、父の船に初めて乗せてもらいました。
父の船、と言っても彼が退職金をはたいて買った個人用釣り舟、いわゆるトレジャーボートという小さな船ですが。 それでも船は船。軽油で動く5人乗り。ライフジャケットをつけて艫に座れば、当たり前だが波が来りゃ揺れる。体を傾げば船も傾く。 艫綱や舫いを解くと明らかに揺れの質が変わって、それだけですでにビビる私。 どこにも繋がってない状態で海に浮かんでるんだから当たり前なんだけど、なんだけどでもそれって実はもの凄いことなのではっ、つかマジでこれでほんとに泳ぐの?じゃなかった、えーと、走るの?海の上?マジで?とーちゃんの運転で?マジで?マジで?だって落ちたら溺れるし!鮫とか海豹とかいるし!ちょっと待ってストップやっぱりもう一度考え直させてくだたいおとーさま!!
と瞬間的にパニクる私の心だけを置き去りに船はこともなげに湾内に滑り出しました。
いやー。
なんというか。
海は、船だよ! 船だったら船だよ! 海を語るなら、船に乗らなきゃダメなんだよ! 堤防で釣り糸垂れてるだけで海を云々言っちゃダメなんだよ! 何がダメって言われても説明できないけどとにかく全然違うんだよ! 海は、船なんだよ!!
というくらいそれは激烈な体験でしたです。
わたくし、家から5分で波打ち際という環境に生まれ育ったはずなんですが、それでも今更ながらなんかもう諸手をあげて海に降参って感じです。 海ってすごいです。その海をゆく船もすごいです。 唐突なようですが、ムーミンパパはなぜ海を渡って無人島に行かなければならなかったのか、そしてキャプテン・ハーロックはなぜ宇宙海賊にならなければならなかったのか、その理由ひとつひとつがこの歳になって船に乗って初めて腹の底から理解できたような気がしました。 今、自分はどこにも繋がっていない、というあの自由自在な感覚、どこからも切り離された状態で波を切って進んでいくときのあの浮遊感、疾走感。 いっぺん知ってしまったらもう昔へは戻れない、みたいな、ちょっとヤバいくらいの強烈な気持ちよさがありました。
それから何が一番感動したって、艫から後ろを振り向くと、スクリューが蹴立てた白波が勢いよく跡を引いていて、そしてそして白いカモメが、ほぼ目線の高さでまっしぐらにこちらを追いかけてくるんですよ。 港のカモメにはエサのおこぼれ目当てに漁船を追いかける習性があるので、こちらの船の立てる白波を見て漁船と間違えて追いかけてきちゃったわけですが、なんというかこんなに小さい船でも港カモメの兄さんに「船」として認められたんだって気がして、むやみに嬉しかったです。
若葉マークの父について一緒に乗ってくれた元・漁師の小父さんが、実にいい味出してる人でした。 魚群探知機やレーダーの見方、沖で霧が出て独りになると周りが全然見えなくなってものすごく怖いことや迷ったら太陽だけが方角を知る手がかりになること、いろいろ教えてくれました。 たとえ世の中にどんなに便利な機械があって使いこなして暮らしているつもりでも、いざとなったらこういう人には絶対かなわないんだろうなあとしみじみ思いました。
以下余談。
一緒に乗った甥っ子曰く「そらをとんでるみたいだった」。 そういや宇宙と書いて「そら」と読むのは富野由悠季ワールドですが、松本零士ワールドでは宇宙はどっちかというと海っぽいような気が。喫水線から下の赤ペンキを丸出しにしてまで宇宙空間に戦艦を浮かばせてしまった松本零士の力技はやはりすごいのだなあ。 などと帰宅して主張していたらそれを聞いた甥っ子父曰く「それは日本が海洋国だからだ」。それが証拠に、アメリカ大陸産SFのスター・トレックシリーズでは、「宇宙はわれわれに残された最後の“開拓地”だ」というフレーズがあるんだそうな。なるほろー。
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