かっしーのつぶやき
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| 2003年04月27日(日) |
レディ・ゾロ観戦記 9 明日もどこかでレディ・ゾロ |
* いよいよ千秋楽。 実は今日私が感じたことや言いたかったことのほとんどはtimutaさんの千秋楽の日の日記に書き尽くされているので、もういまさら私のヘタレな文章で書かんでもいいかとも思ったんですが…。 まあ観劇記念代わりにひとくさり。
* 前楽を見終え、そしていよいよ残りあと1回!の千秋楽直前の午後。劇場に入ろうとしていたら、はからずもチャーちゃんのお母様・お姉様・甥っ子ちゃんたちと遭遇。甥っ子ちゃんたちの眼光の凛々しさ&お姉様の骨格に血のつながりを感じました。お姉様はその後姿までもがチャーちゃんに似て華奢でかつ美しかった…
* 劇場入って1F正面、等身大のレディ・ゾロの立て看板とも今日でお別れ。なんだか名残惜しくなって「じゃあね、タニア」とか言いながら近づいていってしみじみ眺めてみました。…ら。立て看板の向かって右下あたりに、今までは無かったはずの金色の文字が。どこかで見たことのあるその筆跡をたどれば、それはチャーちゃん本人の直筆サインでした。いつ書いたんだろう?昼の部始まる時は無かったような気がするんだが。それとも朝からこうだったのかなあ。 そして、 「有難うございました.匠ひびき」(※署名部分はサインの形) と金色マーカーで書かれた文字のさらに左下側に、なにやら判読の難しそうな文字のようなものが。 しゃがみこんで間近で見てみたら、なんとそれはチャーちゃんの筆になるキスマークの絵と「チュッ」という文字だったのでした(爆笑)。 …。 いやー。それまでは「もう今日でお別れなのね、レディ・ゾロ…」としんみりムードでいたんですが、このチャーちゃん本人が書いたキスマーク絵&SE「チュッ」の文字を見た瞬間に、一気にドカンと明るい気持ちになりましたね。「そーよー、私が終わらないと思えば終わらないのよーレディ・ゾロはー」みたいな。ものすごい勝手な思いこみ。でも本音。
* 千秋楽をしみじみ見る…はずが、昼の部を観ている時、あの「♪ロスアンジェルス〜へ、よ〜う〜こ〜そ〜♪」のあたりでふと「あー、夜の女の皆さんのお衣装、バカバカしくて好きだったなあ、西洋花魁みたいで…」とか思ってしまいまして。以後、
「このシーンって言わば日本の江戸時代の吉原とかで紅格子の中から袖を引いたりするのとノリは同じだよなあ」 「そもそもレディ・ゾロって根本的に西洋チャンバラなんだしなあ」 「だいたい男装の女剣士が父の仇討ちに立ち上がる、なんていかにも時代劇にありそうな筋書きだよなあ」 「ああそう考えるとレディ・ゾロってそのまんま日本版時代劇にも出来ちゃいそうだよなあ」 「快傑・黒狐?」 「その娘の快傑・紅狐?」 「わあそう考えると権謀術策をめぐらす悪代官も昼行灯に見せかけた剣豪も忠義者の老家令も役立たずの岡っ引も威勢が良くてはしっこい町の若い衆も酒場の女将もお家乗っ取りも薄倖の奥方様も不気味な人斬りフェチ侍も腕の立つ奥女中も、えーとそれからそれからとにかくこうやって漢字表記するだけですぐジャパニーズ時代劇に即移行できちゃうくら時代劇的な道具だてが何もかも揃いまくってるんだなああの話」
…等々の世にもバカなイマジネーションがさながら邯鄲の夢の如く湧きあがり脳内を激走していったのでありました。 そう考えれば考えるほど、どうりで時代劇好きの私らが大ハマリするわけだよレディ・ゾロ、って感じです。そういや私ら、チャーちゃんがヅカを卒業する間際の頃にはすでに将来女優になったらぜひ一度時代劇に出て欲しいなあとかできることなら女忍者or女ねずみ小僧あたり熱烈希望とかさんざんアホなこと言い散らしてたような気もするし。 ああ気がつけばすでに叶っていたんだわ夢が!今更だけどもう一度言うわ、私のためにありがとう、レディ・ゾロ!!
まあそんなふうに突発的なアドレナリン放出発作に襲われてみることも、また楽日ならではなんでしょう。
* 千秋楽ということでいろいろアドリブがたくさんあったけど、一番好きだったのはルドルフさんの「おはよう、ベルナルド〜」改め、「ただいま〜、ベルナルド〜〜」でしょう。今回は飲みすぎどころか朝帰りだったらしい。いかにも遊びなれた金持ち不良おじさま、という感じで粋ですなあ。しかもそれに「お帰りなさいませ」と返すベルナルドさんがこれまたステキ。
* レイモンドとの舞踏会の掛け合い歌、毎回すごくドキドキしてました。 「あなたは今まで何ものにも激しく心を動かされたことはないのでしょう」と歌いながら、タニアは「それは私もおなじことかもしれない」「今まで心を誰にも動かされなかったことも、そして今、初めて心が揺さぶられていることも」「同じなんだ、わたし」って自分に自分で気がついて、愕然としてるんじゃないかなあ、と思えて。あれはある意味すごく隠微な、こわい会話なんじゃないかと思うんです。聞いていてすごくドキドキした。なんというか、レイモンドさんの存在がね、怖いくらいに、舞台じゅうに広がってて。 あれは私、歌じゃなきゃいけなかったんだろうと思います。あの、隠していた(もしくは、自分では気付かないふりをしていた)心の襞がひとつひとつ広げられていくような、同時に壁に追い詰められていくような感じは、歌に乗せたほうがよりドラマチックに伝わっただろうな、と。
* あのジェシカ様が最後のソロで、声を詰まらせてしまいました。泣いていらしたんだと思う、多分。 ジェシカ様の歌に関しては私はひたすら心を任せきって聞き惚れるのにある意味慣れていたから、涙声が乱れたときには、はっとしました。ああ、あなたがそんなにも、って。これまたうまく言えませんが、もうその印象はキャラクター云々というより、そこにいる人間そのものでした。土居裕子という人とジェシカ・トーラスという人と、どちらか片方なのではなくてそのどちらでもある、有機的に統合された、ひとりの人物の存在感。それそのものに、感動しました。 舞台で生の歌声を聞く意味の真髄みたいなものが、そこに迸っていたような気がします。
* ベルナルド役の治田さんが腰を痛めてしまったらしい、ということは伝え聞いていたのですが、昨日、実際にお盆アクションその他舞台上の動きをいろいろとアレンジして身体への負担をできるだけ減らしてあるのを目の当たりにした時には、ご本人も周囲の皆さんも大変なのだろうなあと胸ふたがる思いでした。心弱い匠ファンの私は、いくらもう過去になったことと思おうとしていてもどうしても去年の春頃のあのことをいろいろと思い出してしまうわけで。 今、一番つらいのは治田さんご自身、そして私にできるのはその時その時に精一杯の拍手を送ることだけ。こういう時って、当たり前のことが一番せつない。
そんなことがあったので、千秋楽にお盆アクションが復活していたのには本当にびっくりでした。あの乱闘シーンで、ベルナルドさんがお盆を持って出てきた時から既に観客席からは「おお…!」というどよめきが。まさかと思ったけど、本当にでんぐり返しまで完全復活してるんですもん。あの瞬間、なんだか驚きと心配と感動とで万感胸にせまって心臓ぎゅうっと鷲づかみにされたみたいな感じでした。うまく言えないけど、「舞台って…!」(絶句)みたいな感じでした、うん。 お盆アクションの後には、会場内は割れんばかりの大喝采。沸きたつ観客席を面食らったように見渡すベルナルドさん。 …ほんとにもう。舞台って…!。
* 我が愛しのルイス・バステス少佐に心からの感謝と永遠の友情を送ります。 公演終盤のころの彼とタニアの斬り結び合いには、なにやら昔のチャンバラ映画もかくやというような熱気と愛を感じました。
で、これも双眼鏡使って初めて気付いたんですが、前半、新型銃の罠にかかったタニア達を捕らえに乗り込んで来た時の彼の目が凄いのなんの。舞台の上手奥から出てきて、もんのすごい眼光でハッタとタニアの顔を見据えると、ずんずん歩いて間合いを詰めて行って最後の一歩が止まるところまで、本当に一瞬たりともタニアから目を離さない!射すくめるとはまさにこのこと。見ていて素直に怖くなって、双眼鏡そらしたくなりました。こんな眼力の彼と対等にわたりあいあまつさえ斬り合いまでしちゃうチャーちゃんて、ある意味すごいと真面目に思いましたです。
* そして実は脇でお話を動かすキーパースンだったのではと私が勝手に思っているマリア・エステバン嬢。今までさんざん匠ひびきタニアをサイボーグ感だのアンドロイド調だの言ってきましたが、この久遠さやかマリアちゃんも結構ロボット系だったと私は思ってます。あの特撮系芝居(笑)がそう思わせるのか。いやいや、それだけではないでしょう。思うに、あのキリッとした眉と強い目元がいつも何かを思いつめてる感じで、どことなく『人造人間キカイダー』に出てきた若かりし頃の志穂美悦子@ビジンダーを思い起こさせるからではないかと(結局その辺かい)。 千秋楽の例のシーン(笑)では、タニアに肩を抱かれて退場。後姿を見送りながら、ヒソカに「サイボーグ姉妹…」と思っていたのはナイショだ。
「死にに行くの?そうやって一人で背負って、死にに行くの?あなたが死んだら、兄さんは」 「違うわマリア、きっと戻ってくる。必ず、ルドルフを連れて」
このやりとりがすごく好きだった。やっぱりいいです、この脚本。 * そしてタニアに恋したジュリアン君。そのセリフの中で、一番好きなのはこれ。
「たとえルドルフ・アンジェラスを殺しても、たとえタニア・ヴェガを殺しても、ゾロは滅びない。ゾロは不死身だ!」
なぜなら、ある意味これほどタニアに対して優しい言葉はないと思うから。
高貴な魂の証とは、立場は違えど何かの責任を自分の身ひとつに引き受けることだと思う。 そしてこのときジュリアンが叫ぶのは、「たとえお前が道半ばにして倒れたとしても、心配するな、後のことは俺たちが引きうける」という意味のことなんだと思う。 もうこれからは、お前ひとりがすべてを背負って戦う必要はないのだと。 もうこれからは、重い使命に轢き潰されそうになりながら孤独に耐える必要はないのだと。 私には、あの言葉は彼からタニアへの、ねぎらいの言葉みたいに聞こえる。
あの言葉を言い放った瞬間、タニアの背中に過去の英雄の幻影を重ねていた頃の稚い彼は完全に消えた。 そこにいるのは、ただ前を向いて、自分の足でまっすぐ立っているジュリアン・エステバン。
「たとえタニア・ヴェガを殺しても」 そんなきつい言葉であるのにもかかわらず、自分の背後からりんりんと響いてくるそのジュリアンの声を聞きながら、タニアが実に気持ち良さそうな、もうこれで後には何の憂いもないというような生き生きとした表情でレイモンドを見かえしていたのが、とても印象的でした。
* 「レディ・ゾロ」という物語は、夢を果たせず長い時を経た人たちの、再生の物語として読むことも可能だと思う。
昔、志果たせず、その恋や夢や理想、愛する人、そういういろんな良き事が目の前から消し去られるのを涙を飲んで諦めなければならなかった、そんな人たちがいたのだと。その人たちが、それぞれ傷ついた心を抱えながら、それでも厳しい現実の間隙を縫うようにしてきっと枯れずに流れ続けているであろう(と、その人が命を賭けて信じているところの)「なにか、美しいもの」を、それこそ見えない地下水脈を確かめるようにすくいとりすくいとりしながら長い長い時間を耐えて持ちこたえて、そして時が満ちて、ふたたび現れた人に、その大切なことを遺し伝えよう、この身を挺して風雨から守ってきた美しいものをなんとか手渡そうとした、そんな切ない物語なのだと。
お前は帰るべきところに帰って来たのだよ、と、それぞれかたちは違うけれど、ひとことそれを伝えるために、そして受け取るために、命を賭けた人たちの、それぞれの矜持の物語だと。
「彼女」がいつ帰ってきてもいいように手入れされていた家、初めて足跡を残した人の名誉、「そのひと」と過ごした日々の思い出、忘れられない温もり、そして乾いた大地を流れるその水の、さわやかな冷たさ。
「聞いてもきっと教えていただけないのでしょう?」 鈴を振るようなジェシカ様の声が聞こえる。 「申しわけございません、これだけは明かしてはならないと先代のきついお言いつけで」 笑みを含んだベルナルドさんの声が答える。
そう、私はただ受け取ろう、ただ汲み取ろう、あの人たちが差し出してくれた、一杯の水を。 荒れて乾いた心を潤す、つめたく、さわやかな水を。 その水脈はきっと私の心の中に、いつまでも流れ込んでくるだろう。私の心そのものが、枯れてしまわない限り。
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千秋楽、実は1階席のいっちばん後ろの列でして。これ幸いとばかりに、最後はもう、1回目のアンコールからガーンと立ち上がり思いっきり背伸びして頭上で大拍手しました。わはははは。その後観客席が総立ちになると、今度はびょんびょん飛ぶ&腕を振り回す&叫ぶ!ちょっとくらい涙で顔がぐしゃぐしゃでも、どうせ最後列だから見えやしないしもう本当にこれが最後の最後だし、もうこのまんまでいいや、泣いてていいや!イエー!レディ・ゾロ最高ーー!タニアーーー!みんなーーー!ありがとーーーーー!!!
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…長々々々々々(∞)と書いてまいりましたレディ・ゾロ観戦記も、これにて一巻の終わりです。 ここまでえんえん書いてきてそうして心の底に残るのは、やっぱり「もう一度観たい」という詮無い願いばかり。 いくら言いつのったところでこればかりはどうしようもないから、せめてこれからも心の中で、楽しかった「レディ・ゾロ」の思い出ぜんぶ、ずーっとずーっと大事にしながら、生きていくことにします。
…あとは、いただいた&買いこんだ資料を早めに役立てたいかなあ、と。(えっ…)<タニア風に
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