ディリー?闇鍋アラカルト
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2005年06月09日(木) DNAの望み

DNAの望みについては既に書いているけれど、もう少し発展させてみようと思う。
DNAの望みの本質は生き続けたい・成長したいという言葉でも表現出来ると思う。
その本質に繋がるものは全てDNAは肯定する。また、指し示す。
体の成分・エネルギーの元が必要であれば空腹を感じさせる。食べたいと望むのは自分でもあるし、自分のDNAが望んでいるという表現も可能だ。
しかし、何をどのように食べるのかというレベルではDNAの関与は少なくなる。
DNAが体の必要なものや害になるものを全て判別出来るとしたら食中毒など起こり得ない。しかし、実際に食中毒は起こるのだから、DNAの判別出来ないレベルのものは存在する。体が水を欲しがっているなら水や飲み物を摂ろうと望むのはDNAのレベルでもあろうが、水道の水を飲もうか缶コーヒーにしようかというレベルではDNAのレベルを超えている。大体、DNAの骨格があらかた決定した時点では水道も無ければ缶コーヒーも存在しないのだから。それでも体は反応する。水道水にも缶コーヒーにも。意識のレベルでは気付けないような反応は体の中で行われている。
私たちが意識せずとも心臓は動き、他の内臓も働く。赤血球は栄養を運び、白血球の内顆粒球は侵入した細菌をやっつけ、リンパ球はウィルスや不要な細胞を破壊する。呼吸は自律的でもあるが、わずかに自分の意思も関与させる事が出来る。
それらは大部分がDNAに依って設計されたものが働いているのだ。
毎日の雑事に忙殺され、生きるのがイヤになったと感じる時でさえ、おなかはすく。その時に、DNAは「生きろ」とささやいていると解釈する事も可能だ。
DNAの望みは意識出来るよりももっと深いところで働いている。


いなっち |MAILHomePage

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